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   <title>諸野脇 正の闘う哲学</title>
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   <updated>2016-02-19T23:48:10Z</updated>
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　　　現在の常識が正しいならば、黙っていればいい。正しくないから、主張する。
　　　だから、必然的に哲学は闘いなのだ。
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   <title>【いじめ論37】子供集団の影響力を使って、いじめ行動を抑制する</title>
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   <published>2016-02-19T14:51:00Z</published>
   <updated>2016-02-19T23:48:10Z</updated>
   
   <summary>　教師がいくら言っても、女子校生はミニスカートを着るのをやめない。 　教師に従う...</summary>
   <author>
      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　教師がいくら言っても、女子校生はミニスカートを着るのをやめない。
　教師に従うことより、仲間集団に従うことの方が重要なのである。一人だけミニスカートを着るのをやめては「浮｣いてしまう。集団内での位置を失ってしまう。
　いじめも同様である。子供は教師ではなく子供集団に従う。
　いじめは社会的ジレンマなのである。社会的ジレンマであるいじめ状況を発生させないためには、次の二点が重要である。既に詳しく説明した通りである。

<blockquote>

　１　いじめ行動を発生させない。
　２　反いじめ行動を発生させる。

</blockquote>

　いじめ行動を発生させないことが重要である。発生したいじめ行動は適切に抑制することが重要である。しかし、いじめ行動を抑制できていない例が多い。
　なぜ、抑制できないのか。
　それは「教師が抑制しようとしている｣からである。より正確に言えば、「教師が一人で抑制しようとしている｣と子供が「解釈｣しているからである。子供にとって、教師は「意味のある他者｣ではない。
　子供は教師ではなく子供集団に従う。教師に従うことより、子供集団に従うことの方が重要なのである。だから、教師に従って、一人だけでいじめ行動をやめる訳にはいかない。それでは、一人だけ「浮｣いてしまう。集団内での位置を失ってしまう。
　だから、いじめの抑制のためには、「子供集団がいじめに反対している｣と子供が「思う｣ことが重要である。そう「思う｣から子供はいじめ行動をやめるのである。
　つまり、２によって１が容易になる。「反いじめ行動が発生｣していると「いじめ行動の抑制｣が容易になる。子供が反いじめ行動を起こしている事実が、教師の指導の「解釈｣を変えるのである。
　例えば、先に示した「いじめ・暴力徹底追放宣言｣の採択である。（注１）

<blockquote> 

         いじめ・暴力徹底追放宣言
　　　　　　　　　　　　―いじめ・暴力をなくし、住みよい学校を！―

  私達、生徒会の基本方針は「住みよい学校をつくることです。私達生徒一人ひとりは、 誰もが「楽しい学校生活を送る権利」を持っています。 この「権〔原文のママ〕を侵害することは誰にもできません。
　しかし、“いじめ”や“暴力”という行為は、この「権利」を侵害するものです。これはいじめられた人の身になって考えれば、よく分かることだと思います。
  ですから、“いじめ”や“暴力”を許してしまっては「住みよい学校をつくる」ことはできません。だからこそ、私達生徒は一人ひとりを互いに大切にし合い、「住みよい学校をつくる」ため、“いじめ”や“暴力”を徹底的に追放しなければなりません。
　よって、Ｙ中学校生徒会は次の事を宣言します。
１　どんな理由があっても、“いじめ”・“暴力”を許さない学校をつくっていこう。
２　不正なことには、「やめよう」と言おう。
３　問題が起こった時は“暴力”・“力関係”で解決せず、クラスで討議し、自分達の力で解決していこう。

　　　　　　　　　　　　　　　　　平成６年１月２９日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　Ｙ中学校生徒会

</blockquote>

　この「いじめ・暴力徹底追放宣言」は反いじめ行動である。生徒集団がいじめに反対している事実を行動の形で示したのである。
　このような反いじめ行動が発生していれば、いじめ行動を抑制しようとする教師の指導は「子供集団の意思｣と「解釈｣される。「子供集団の意思｣だと「解釈｣するから、子供は従う。
　だから、子供が「いじめ・暴力徹底追放宣言」をしている状況では、教師によるいじめ行動の抑制は容易である。「いじめ・暴力徹底追放宣言｣は「子供集団の意思｣である。教師はそれに従うように子供を促すだけでよい。
　つまり、いじめ行動の抑制に成功した事例は次のような構造になっている。

<blockquote><strong>

　子供集団（教師）　→　子供

</strong></blockquote>

　それに対して、いじめ行動の抑制に失敗した事例は次のような構造になっている。

<blockquote><strong>

　教師　→　子供集団

</strong></blockquote>

　教師 対 子供集団という構造になっている。例えば、先の野口良子氏の事例は、教師一人が子供集団と戦う構造になっている。（注２）
　これではいじめ行動の抑制は成功しない。教師と子供集団が対立した場合、子供は子供集団に従うのである。
　例えば、向山洋一氏は同様の場面で次のように指導する。（注３）

<blockquote>

　私はクラス全員に聞きます。クラス全員を教師の側につけることは大切です。

<blockquote>

　みんな聞いたでしょう。○○君は、何となく机を離したそうです。先生は違うと思ってます。○○君は、何となく机を離したと思う人は手をあげてごらんなさい。

</blockquote>

　子供たちは手をあげません。あげても一人か二人でしょう。
　私は言います。

<blockquote>

　○○君。みんなは君の言うことがおかしいって。先生もおかしいと思う。
　どうして机を離したのですか。

</blockquote>
</blockquote>

　教師が「何となく机を離した｣という答えを否定しているのではない。子供集団が否定しているのだ。「子供集団の意思｣なのだ。教師はそれをはっきりさせただけである。
　向山洋一氏は「クラス全員を教師の側につけることは大切です｣と言う。いじめ行動の抑制において、意図的に子供集団を味方につけているのである。
　子供集団が反いじめの「意思｣を示している。反いじめ行動を起こしている。そのような状況下で、教師はいじめ行動の抑制に成功することが出来る。
　だから、１のためにも２が重要になる。子供集団が反いじめ行動を起こすことが重要になる。
　つまり、子供の行動を変えるためには子供集団を変えることが重要になる。子供集団を変えることによって、子供の行動を変えるのである。子供集団が反いじめ行動を起こしているという状況下で、教師による指導が可能になる。いじめ行動の抑制が可能になる。
　子供集団の影響力を使って、いじめ行動を抑制するのである。


（注１）

　明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法｣『千葉大学教育学部研究紀要』第４５巻 、１９９７年 

（注２）

　熱血教師が「いじめは絶対に許されない」と言っても効果は無かった
　　<a href="http://shonowaki.com/2015/02/post_116.html">http://shonowaki.com/2015/02/post_116.html
</a>

（注３）

　向山洋一『いじめの構造を破壊せよ』明治図書、１９９１年、３９～４０ページ
　なお、原文では囲みの部分を段下げで表記した。


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   <title>【いじめ論36】子供は教師ではなく子供集団に従う</title>
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   <published>2016-02-12T14:13:42Z</published>
   <updated>2016-02-12T14:31:25Z</updated>
   
   <summary>　大津市のいじめ自殺事件でも、鹿川裕史君の事件でも、教師はいじめを解決できなかっ...</summary>
   <author>
      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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   </author>
         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　大津市のいじめ自殺事件でも、鹿川裕史君の事件でも、教師はいじめを解決できなかった。いじめの事実を知っていたのに解決できなかった。
　教師は「権力｣を持っている。命令し、従わない者には罰を与える。最終的には、成績として評価をする。これは大きな「権力｣である。
　それにも関わらず、子供は教師に従わなかったのである。
　なぜ、子供は教師に従わないのか。
　小川幸男氏は言う。

<blockquote>

　……〔略〕……多くの学校の場合、すでに上級生が相互非協力状態や、協力状態が下がった状態になっている。入学当初の相互協力状態が落ちている。
　生徒にとって、非協力行為を選んでいる上級生と、様々な規制を行う教師ではどちらが影響力が強いか。これは明らかに、上級生である。中学生である彼らにとって、教師よりも上級生の方が「意味のある他者｣として存在するからである。従って、上級生が非協力状態行為を選ぶ生徒生徒〔原文のママ〕が多いと、教師の規制よりも上級生の影響の方を強く受け、下級生の中にも非協力行為を選ぶ生徒が出てくる。（注１）

</blockquote>

　教師より、上級生の方が「影響力｣が強い。教師より上級生の方が「意味のある他者｣として存在する。（さらに、同級生の方が「意味のある他者｣として存在する。）
　なぜか。それは、子供にとって重要なのは子供集団の中で位置を占めることだからである。教師に従っても、子供集団の中で位置を占めることは出来ない。

<blockquote><strong>　子供は教師ではなく子供集団に従う。
</strong>
</blockquote>

　教師より子供集団の方が「影響力｣が強いのである。
　子供が子供集団に従う例を見てみよう。女子校生のスカートである。（注２）
　極端なミニスカートを着ている女子校生がいる。多くの教師はこのようなスカートを着ることには反対である。
　しかし、教師がいくら反対しても、彼女達は極端なミニスカートを着るのをやめない。それは集団の成員の大多数がミニスカートを着ているからだ。集団内でミニスカートを着ることが「常識｣になっているからだ。
　実は、大阪ではロングスカートが「常識｣になっている。それに対して、東京の女子校生は何と言ったか。

<blockquote>

　東京の女子高生に大阪の写真を見せると「東京だと浮くけど、かわいい」と評判は上々。(『日本経済新聞』２０１３年１２月２２日）

</blockquote>

　ロングスカートだと「浮く｣のである。大多数がミニスカートを着ているからである。「浮｣かないためには、ミニスカートを着る必要がある。
　この状況で、教師に従うのは危険である。ミニスカートを着るのをやめるのは危険である。それでは、「浮｣いてしまう。それでは集団内での位置を失ってしまう。
　これは社会的ジレンマなのだ。集団内で特定の「常識｣が出来てしまっている。一人だけでそれをやめる訳にはいかない。一人だけでやめては「浮｣いてしまう。集団内での位置を失うことになる。
　いじめも同様である。いじめにおいても、子供は子供集団に従う。教師の説諭の効果が無かった例を見てみよう。（注３）

<blockquote>

　「どういうことなのか、まわりの人、答えなさい！！　リカとどうして机をはなさなきゃいけないのか説明しなさい。私は、君たちが中学生になってはじめての授業だからと一週間は黙って様子を見てきたけど、もう我慢できない！！　どうしてリカのまわりだけ机の位置が乱れるの！！　アキオ、答えてください！！」
　リカの両サイドの子どもたちが目をそらす。いわゆる優等生のアキオは、不服そうな表情のまま、わずかに自分の机をリカの側に寄せる。
　私は邪険にアキオの机を引き寄せ、リカの両サイドの子どもたちの机も強引に移動させる。子どもたちは、机の脚に自分の足をからませながら、素知らぬ顔で私を見つめ、私に机を動かせまいと抵抗している。私は、子どもたちをにらみすえながら荒々しく机や椅子を動かす。子どもたちは、私の力とけんまくに押されながらも、まわりの子どもたちと顔を見合わせ、抵抗を続けるべきか否かを暗黙のうちに相談しあっている。

</blockquote>

　この子供達は教師には従わなかった。「顔を見合わせ、抵抗を続けるべきか否かを暗黙のうちに相談しあって｣いたのである。子供は子供集団に従っていたのである。
　教師に従うことより、仲間集団に従うことの方が重要だったのである。一人だけでいじめをやめる訳にはいかない。一人だけやめては「浮｣いてしまう。集団内での位置を失ってしまう。
　子供は教師ではなく子供集団に従うのである。


（注１）

　明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法｣『千葉大学教育学部研究紀要』第４５巻 、１９９７年 

（注２）

　女子高生のスカート長さが東京と大阪で違う理由
　　<a href="http://shonowaki.com/2015/05/11_1.html">http://shonowaki.com/2015/05/11_1.html
</a>
（注３）

　熱血教師が「いじめは絶対に許されない」と言っても効果は無かった
　　<a href="http://shonowaki.com/2015/02/post_116.html">http://shonowaki.com/2015/02/post_116.html
</a>

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   <title>【いじめ論35】いじめを知っていたにも関わらず教師は解決できなかった</title>
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   <published>2016-02-05T14:48:55Z</published>
   <updated>2016-02-05T15:55:47Z</updated>
   
   <summary>　顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。それは、行動だけが意識されるという〈情...</summary>
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      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。それは、行動だけが意識されるという〈情報の非対称性〉があるからである。このようなバイアスに対処する方法として次の二つを挙げた。

<blockquote>

　１　いじめ行動を発生させない。
　２　反いじめ行動を発生させる。

</blockquote>

　前回までで、この二つを詳しく説明した。
　この論述は、読者の皆さんにはあまりにも「当たり前のこと｣に思えたかもしれない。
　しかし、その「当たり前のこと｣が当たり前になっていないのである。
　例えば、大津市のいじめ自殺事件を受けて、平野博文文部科学大臣（当時）は次のように言う。

<blockquote>

　いじめが背景事情として認められる生徒の自殺事案が発生していることは大変遺憾です。子どもの生命を守り、このような痛ましい事案が二度と発生することのないよう、学校・教育委員会・国などの教育関係者が担うべき責務をいまいちど確認したいと思います。
　いじめは決して許されないことですが、どの学校でもどの子どもにも起こりうるものであり、その兆候をいち早く把握し、迅速に対応しなければなりません。文部科学省からの通知等の趣旨をよく理解のうえ、平素より、万が一の緊急時の対応に備えてください。（注１）

</blockquote>

　平野大臣は「その兆候をいち早く把握し」と言う。「兆候」の「把握」を強調する。これは〈いじめの「兆候」を「把握」できなかったから、対応できなかった〉という「いじめの兆候｣論である。（注２）
　しかし、大津市のいじめ自殺事件の実体はそのようなものではない。既に分かっていたいじめを解決できなかったのである。教師がいじめ行動を適切に抑制できなかったのである。
　第三者調査委員会の調査報告書には次のようにある。

<blockquote>

　ア担任は.複数回,AがBから暴行を受けている場面を見ており.その度にBを制止しているし.クラスの生徒から｢いじめちゃうん｡｣という言葉を聞いたり.Aがいじめられているので何とかして欲しいという訴えも聴いている｡また,Aが.Bから暴行を受けたことについては.養護教諭をはじめとして他の教員から担任に報告か入っている｡そして.担任自身も10月3日に養護教諭からBがAを殴ったことの報告を受けた際.｢とうとうやりましたか｡｣と発言している……（注３）

</blockquote>

　担任は「暴行を受けている現場を見て」いた。「いじめられているので何とかして欲しい」と生徒からの訴えを受けていた。「兆候」どころか、教師はいじめの明白な事実を知ってた。知っていたにも関わらず、解決できなかった。
　いじめ行動を適切に抑制できなかったのである。
　別の事例を見てみよう。鹿川裕史君が自殺した事件である。

<blockquote>

　担任はトイレに捨てられていた裕史くんのスニーカーを洗ってやりながら、「ぼくにできるのこれだけだ」と言った。
　教師でも「バリケード遊び」〔椅子や机を積み上げ人を閉じこめる「遊び」〕をやられて泣きそうになるものもいた。担任もＢに殴られて肋骨を痛めたことがあった。それから生徒になめられる。授業中に乱闘騒ぎがあっても知らんふりをしていた。（注４）

</blockquote>

　教師は鹿川君がいじめられていることを知っている。スニーカーがトイレに捨てられていたことを知っている。洗いながら「ぼくにできるのはこれだけだ」と言ったのである。
　つまり、教師は知っていたにも関わらず、いじめを解決できなかった。教師自身が「殴られて肋骨を痛め」ても適切な手が打てない。「授業中に乱闘騒ぎがあ」っても止めることが出来ない。（注５）
　いじめ行動を適切に抑制できなかったのである。
　このように、知っていたにも関わらず、いじめを解決できなかった例は多い。
　深谷和子氏の調査では次のような結果が出ている。

<blockquote>

　小学校でも中学校でも、「担任は『いじめ』を知っていた」とする者が三分の一、「たぶん知っていた」とする者を合わせると、八割を越える者が「担任はいじめを知っていた」と答えている。担任の知らない「いじめ」は一五％前後であり、「いじめ」は見えにくいと言っても、クラス内の「いじめ」の大半は担任の視野に入るものだ、ということになる。（注６）

</blockquote>

　「八割を越える者が『担任はいじめを知っていた』と答えている」のである。
　教師はいじめを知っていた。しかし、それを解決できなかった。いじめ行動を適切に抑制できなかった。そのような事例が多くある。
　それにも関わらず、文部科学省は「兆候」の「把握｣を強調する。〈いじめを知っていたにも関わらず、解決できなかった〉という事実は「無視｣される。
　やはり、いじめ論において、「当たり前の考え｣は当たり前になっていない。
　もう一度、述べる。いじめ行動を発生させないことが重要である。反いじめ行動を発生させることが重要である。それはいじめが集団の問題だからである。心の問題では無いからである。
　この「当たり前の考え｣が当たり前になっていない。中核的な問題だと意識されていない。だから、詳しく論ずる必要があったのである。


（注１）

　「すべての学校・教育委員会関係者の皆様へ［文部科学大臣談話］」平成24年7月13日

（注２）

　「いじめの兆候を把握できなかった」は虚偽の論法
　　<a href="http://shonowaki.com/2015/03/post_121.html">http://shonowaki.com/2015/03/post_121.html

</a>

（注３）

　大津市立中学校におけるいじめに対する第三者調査委員会『調査報告書』

（注４）

　武田さち子『あなたは子どもの心と命を守れますか！』ＷＡＶＥ出版、２００４年、２１～２２ページ

（注５）

　「無法地帯｣では、いじめが多発する
　　<a href="http://shonowaki.com/2015/05/post_119.html">http://shonowaki.com/2015/05/post_119.html

</a>

（注６）

　深谷和子『「いじめ世界」の子どもたち』金子書房、１９９６年、４０ページ


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   <title>【いじめ論34】反いじめ行動の顕在化が協力者を雪崩れ的に増やす</title>
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   <published>2016-01-29T14:26:25Z</published>
   <updated>2016-01-29T14:27:16Z</updated>
   
   <summary>　生徒会が「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択する。挙手・起立・署名など「他の生徒...</summary>
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      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　生徒会が「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択する。挙手・起立・署名など「他の生徒に見える形｣で採択する。
　このような宣言が採択されては、いじめをおこなうのは困難である。集団の大多数がいじめに反対を表明しているのである。その状態で、いじめをおこなうのはとても困難である。
　なぜ、困難なのか。それはいじめが社会的ジレンマだからである。
　もう一度、図３を見ていただきたい。
　
<img alt="rinkai3.gif" src="http://shonowaki.com/rinkai3.gif" width="432" height="411" />
　
　協力者の初期値がＡ点以上ならば、好循環が起きる。協力者が増えることによって、さらに協力者が増える。そして、最終的にはＣ点まで協力者が増える。
　逆に、Ａ点以下ならば、悪循環が起きる。協力者が減ることによって、さらに協力者が減る。そして、最終的にはＢ点まで協力者が減る。
　最初の小さな違いが、最終的には大きな違いになる。それは、他人の行動を見て自分の行動を決めるからである。社会的ジレンマだからである。
　だから、初期値が重要なのである。小川幸男氏は「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させた。「入学した当初｣に採択させた。これによって、協力者の初期値はＡ点以上になる。協力者がＡ点以上なのだから、好循環が起きる。協力者はＣ点まで増える。雪崩れ的に落ち着いた状態になる。
　既に論じたように、いじめには協力者（いじめ否定派）の数が目に見える形では分からない構造がある。これは、いじめと掃除とを比べてみると分かる。掃除では、掃除をしている者が協力者である。掃除をしていない者が非協力者である。〈掃除をしてるか、していないか〉は見て分かる。掃除では、目で見える形で協力・非協力が分かる。行動の形で協力・非協力が分かる。
　しかし、いじめでは、目で見える形で協力・非協力が分からない。行動の形で協力・非協力が分からない。いじめでは、いじめをする者やいじめを止める者は少ない。行動をしている者は少ない。大多数の者が傍観者なのである。傍観者は行動をしていない。行動をしていないので、目で見える形で協力・非協力が分からない。
　つまり、いじめでは協力者の実数は分からない。「予測｣するしかないのだ。だから、「協力者の予測数｣が問題なのである。生徒がどう「予測｣しているかが問題なのである。
　そして、この「予測｣には特定のバイアスがかかっている。「協力者の予測数｣は、少なく見積もられがちなのである。それは、いじめ行動だけが発生するからである。いじめている様子だけが見えるからである。いじめ行動が発生し、それが咎められていない。そのような状態では、集団内でいじめが認められているように感じられる。傍観者が「いじめを容認｣しているように感じられる。
　このように、「協力者の予測数｣は目に見える行動によって大きく左右される。いじめ行動が発生していれば、「協力者の予測数｣は少なくなる。〈いじめ容認派〉が多く見積もられる。
　これが〈情報の非対称性〉である。顕在的な行動の影響が大きくなるバイアスである。内面で「いじめは許せない｣という「思い｣を持っていても、それは見えないのである。
　「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させる実践は、このバイアスの悪影響を防止するものであった。さらに、バイアスを逆に利用するものであった。小川幸男氏は反いじめ行動を発生させたのである。宣言文の採択という形で発生させたのである。（注）
　宣言文の採択によって、「いじめは許せない｣という「思い｣が顕在化した。行動の形になった。この行動によって、「協力者の予測数｣は多くなる。〈いじめ否定派〉が多く見積もられる。他者の行動の「予測｣が大きく変わる。
　宣言の採択によって、生徒は「みんなはいじめをしないであろう」と「予測｣するようになる。この「予測｣が自分の行動を変える。生徒はいじめ行動をしないようになる。もともと、多くの生徒は、いじめを「自発的｣におこなう訳ではないのだ。他者の行動に合わせているだけなのだ。
　「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させる影響は大きい。反いじめ行動を起こす影響は大きい。それはいじめが社会的ジレンマであるからである。いじめに〈情報の非対称性〉があるからである。宣言の採択によって〈情報の非対称性〉の悪影響を防止できるからである。
　反いじめ行動の顕在化によって、協力者を雪崩れ的に増やすことが出来たのである。


（注）

　「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させる実践は以前からあった。
　しかし、小川幸男氏はいじめを社会的ジレンマと捉え、〈情報の非対称性〉に対処することを意図して実践をおこなったのである。Ａ点以上に協力者を維持することを意図して実践をおこなったのである。この点で小川幸男氏の実践は新しい。
　また、いじめを社会的ジレンマと捉える論理は、小川幸男氏が既に次の論文で論じている。
　
　　明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法｣『千葉大学教育学部研究紀要』第４５巻 、１９９７年 
　
　もちろん、私は小川幸男氏の論文を引用して論じている。しかし、長い文章の複数箇所に引用が分かれているので、解りにくくなっている。
　だから、この事実を特に注記しておく。


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   <title>【いじめ論33】反いじめ行動を発生させることによって、いじめを抑止する</title>
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   <published>2016-01-22T14:49:48Z</published>
   <updated>2016-01-22T16:00:48Z</updated>
   
   <summary>　顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。行動は見える。しかし、内面の「思い｣は...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。行動は見える。しかし、内面の「思い｣は見えない。〈情報の非対称性〉があるのである。
　だから、いじめ行動が放置されれば、〈いじめ容認派〉が多数派に見える。いじめ行動が目立って見えるからである。多くの生徒が「いじめは悪い｣と思っていたとしても、〈いじめ容認派〉が多数派に見える。内面の「思い｣は見えないからである。
　顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。そのようなバイアスがある。
　このバイアスに対処する方法として次の二つを挙げた。

<blockquote><strong>

　１　いじめ行動を発生させない。
　２　反いじめ行動を発生させる。

</strong></blockquote>

　行動のレベルで変化を起こすのである。
　既に、１については説明した。いじめ行動の発生を適切に抑制すれば、バイアスの悪影響は防止できる。いじめ行動が抑制されれば、当然〈いじめ容認派〉が多数派には見えない。
　以下、２を説明する。これは１と逆の発想である。顕在的な行動が大きな影響を与えるのならば、反いじめ行動を顕在化させてしまえばよい。反いじめ行動を発生させることが、集団によい影響を与える。反いじめ行動を顕在化すれば、〈いじめ否定派〉が多数派に見える。
　実は、初期値においては、多くの学級で〈いじめ否定派〉が多数派なのである。だから、それを顕在化させればよいのである。行動の形にすればよいのである。
　次の小川幸男氏の実践を見ていただきたい。反いじめ行動を発生させる実践である。「いじめや暴力をしない｣ことを生徒に宣言させるのである。（注１）


<blockquote>

　できれば入学した当初に、生徒の思いを吸い上げる形で「決意文」「宣言文」を作らせる。そして、その「決意文」「宣言文」を集団で採択させる。
 　教師が「いじめはやめよう」と思いを語るだけでは、余り効果はない。自分たちで決意をした形をつくることが重要である。
 　他の生徒も「いじめや暴力をしないと宣言したこと」をお互いに確認しあうことが大きな目的である。だから、採択の際には挙手をする、起立をする、あるいは署名をするなど賛成したことが他の生徒にも見える形を必ずとる。……

</blockquote>


　小川幸男氏は次のような「宣言文」を採択させた。
　生徒会として「いじめ・暴力徹底追放宣言｣を採択させた。（注２）


 <blockquote> 

        いじめ・暴力徹底追放宣言
　　　　　　　　　　　　―いじめ・暴力をなくし、住みよい学校を！―

  私達、生徒会の基本方針は「住みよい学校をつくることです。私達生徒一人ひとりは、 誰もが「楽しい学校生活を送る権利」を持っています。 この「権〔原文のママ〕を侵害することは誰にもできません。
　しかし、“いじめ”や“暴力”という行為は、この「権利」を侵害するものです。これはいじめられた人の身になって考えれば、よく分かることだと思います。
  ですから、“いじめ”や“暴力”を許してしまっては「住みよい学校をつくる」ことはできません。だからこそ、私達生徒は一人ひとりを互いに大切にし合い、「住みよい学校をつくる」ため、“いじめ”や“暴力”を徹底的に追放しなければなりません。
　よって、Ｙ中学校生徒会は次の事を宣言します。
１　どんな理由があっても、“いじめ”・“暴力”を許さない学校をつくっていこう。
２　不正なことには、「やめよう」と言おう。
３　問題が起こった時は“暴力”・“力関係”で解決せず、クラスで討議し、自分達の力で解決していこう。

　　　　　　　　　　　　　　　　　平成６年１月２９日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　Ｙ中学校生徒会

</blockquote>


　このような「いじめ・暴力徹底追放宣言」の採決は有効である。
　いじめに反対する宣言を生徒自身が採択したのである。挙手・起立・署名などの行動が「他の生徒に見える形｣で採択したのである。
　これは反いじめ行動である。生徒集団はいじめに反対している。その事実を行動の形で顕在化したのである。
　反いじめ行動を発生させることは重要である。反いじめ行動を発生させることには次のような効果がある。

<blockquote><strong>　〈いじめ否定派〉が多数派であることを見せる。
</strong>
</blockquote>

　いじめに反対する宣言が挙手・起立・署名など「他の生徒に見える形｣で採択された。集団の大多数がいじめに反対している事実が示されたのである。
　通常、「いじめは悪い｣という内面の「思い｣は、行動として顕在化することはない。いじめを傍観する傍観者が大多数を占めるからである。しかし、宣言を採択する形式を取ることで、反いじめ行動が顕在化したのである。
　反いじめ行動が見えるようになった。それによって、学級の大多数が〈いじめ否定派〉にカウントされるようになる。〈いじめ否定派〉と見なされるようになる。生徒は「〈いじめ否定派〉が多数派である｣と感じるだろう。
　このような宣言が採択されては、いじめをするのは困難である。
　いじめは社会的ジレンマ現象である。いじめる者は、自分たちの行動が集団に容認されていると感じるからいじめをおこうなうのである。それが、実際は少数派だったらどうだろうか。集団に容認されていないことが分かったらどうだろうか。いじめを続けるのは難しいだろう。
　〈いじめ否定派〉が多数を占める中では、いじめをおこなうのは困難である。だから、〈いじめ否定派〉が多数派であるという事実を見えるようにすることが重要である。
　「いじめや暴力をしない｣という宣言を採択することによって、〈いじめ容認派〉が多数派に見えるバイアスに対処することが出来た。顕在的な行動が集団に与える影響が大きいというバイアスに対処することが出来た。〈情報の非対称性〉に対処することが出来た。
　反いじめ行動を発生させることによって、いじめを抑止できたのである。


（注１）

　　小川幸男「社会的アプローチによる世論づくり」『楽しい学級経営』明治図書、１９９４年１０月


（注２）

　　明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法｣『千葉大学教育学部研究紀要』第４５巻 、１９９７年 


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   <title>【いじめ論32】教師の存在がいじめ行動を抑制する</title>
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   <published>2015-12-18T14:48:51Z</published>
   <updated>2015-12-18T16:14:36Z</updated>
   
   <summary>　いじめ行動は適切に抑制されなければならない。いじめ行動を抑制するのは、〈教師の...</summary>
   <author>
      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　いじめ行動は適切に抑制されなければならない。いじめ行動を抑制するのは、〈教師の役割〉である。監督者の役割である。
　教師が〈教師の役割〉を果たさないと、集団はいじめ状態に陥る。いじめ行動を放置すると、集団はいじめ状態に陥る。教師の「不在｣がいじめを発生させるのである。
　前回、教師がいじめ行動が抑制できなかった事例を挙げた。

<blockquote>

　「うるさいんじゃ。かっこつけるな！　あほの俊介！　おまえなんかにいわれたくないんじゃ！　この前、おまえのとこで豆腐買ったら、腐ってたわ。くさったとーふー」

</blockquote>

　教師はこのいじめ行動を抑制できなかった。指導できなかった。
　このいじめ行動をどう抑制すればよかったのか。どう指導すればよかったのか。
　思考実験してみよう。（注１）
　まず、第一声はこうである。気迫を込めて言う。

<blockquote>

　大樹君、立ちなさい。
　今言ったことをもう一度言ってみなさい。

</blockquote>

　通常は、大樹君は立ったまま黙るはずである。大樹君は、ついかっとなって言った。しかし、落ち着いてみると「マズいことを言ってしまった｣と自分で気がつくのである。感情モードから思考モードに変わるのである。（注２）
　黙っているので、次のように追い打ちをかける。

<blockquote>

　どうしたのですか。
　今言ったばかりです。
　覚えているでしょう。
　言ってください。

</blockquote>

　大樹君はさらに黙り続ける。
　大樹君がとても申し訳なさそうしていたら、助け船を出す。（注３）

<blockquote>

　黙っているということは悪いことをしたと思っているのですね。

</blockquote>

　この言葉に大樹君が頷いたら言う。

<blockquote>

　悪いことをしたと分かったのですね。
　では、俊介君に謝りなさい。

</blockquote>

　謝ったら、俊介君に聞く。

<blockquote>

　俊介君、いいですか。

</blockquote>

　俊介君が頷いたら、大樹君の指導は完了である。
　続いて、全体に対して指導をする。

<blockquote>

　人のお家の仕事をとやかく言って、相手をバカにするのは差別です。
　先生は、差別は絶対に許しませんよ。

</blockquote>

　こう言って、全体に対していじめ行動は許さないという宣言をするのである。
　大筋でこのような流れの指導になるだろう。これで必要な指導がされた。
　大樹君の発言を許さず、撤回させる。悪いと認めさせる。そして、俊介君にきちんと謝罪させる。
　この指導で学級の正当な秩序が保たれる。教師が〈教師の役割〉を果たしたのである。いじめ行動を適切に抑制したのである。これが教師が存在する状態である。監督者がいる状態である。
　先の事例と比べて欲しい。先の事例では、教師が〈教師の役割〉を果たせなかった。いじめ行動を放置してしまった。教師が「不在｣であった。監督者がいない状態であった。
　その結果、坂を転げ落ちるようにいじめ状態に陥ってしまった。「学級が騒乱状態に入るまで、三日しか必要としなかった｣のである。
　「いじめの原因はいじめ｣である。いじめ行動を放置すれば、いじめ状態に陥ってしまう。だから、いじめ行動を適切に抑制しなければならない。
　そのためには教師が〈教師の役割〉を果たす必要がある。教師が存在する必要がある。教師の存在がいじめ行動を抑制するのである。


（注１）

　教師の指導中にこのような発言がされること自体が異常な事態である。
　だから、本来は、このような発言がされないように前もって手を打っておくべきである。
　しかし、この異常な発言をどう指導したらいいかを考えることは有益である。いじめ行動の抑制の例を示すことができるからである。
　だから、これは思考実験である。


（注２）

　感情モードを思考モードに変えるためには、静寂が必要である。緊張した雰囲気が必要である。静まりかえった教室に一人で立っているから、自分の言動を反省できるのである。だから、教室が騒がしい時には、静かにさせる必要がある。静かにさせるには様々な方法がある。
　しかし、その前提として、教師が差別に対して〈強い怒り〉を持っていることが重要である。教師の〈強い怒り〉は子供に伝わるのである。


（注３）

　この段階で大樹君が反省の色を見せない場合は、さらなる手立てが必要である。
　例えば、次のようにである。

<blockquote>

　大樹君が言ったことがよいと思う人は手を挙げなさい。ほら。誰も手を挙げていないよ。みんな、君がしたことが悪いと言っているよ。

</blockquote>

　集団が大樹君の言動を支持していないことを顕在化させるのである。
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   <title>【いじめ論31】教師の「不在｣がいじめを発生させる</title>
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   <published>2015-12-11T14:54:14Z</published>
   <updated>2015-12-16T14:21:03Z</updated>
   
   <summary>　前回、休み時間に教師が存在するといじめが少なくなる事実を述べた。 　教師の存在...</summary>
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      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　前回、休み時間に教師が存在するといじめが少なくなる事実を述べた。
　教師の存在が集団の状態を変える。教師の存在がいじめ行動を抑制するのである。
　この「教師｣とは〈教師の役割〉のことである。「教師の存在｣とは、「教師｣と呼ばれている者がその場にいることではない。その場で、教師が〈教師の役割〉を果たしていることである。
　教師が〈教師の役割〉を果たしていない場合は、当然、いじめ行動は抑制されない。
　次の事例を見ていただきたい。教師が〈教師の役割〉を果たしていない事例である。教師が「不在｣である事例である。

<blockquote>

　学級が騒乱状態に入るまで、三日しか必要としなかった。
　……〔略〕……
　昨日、探りを入れた結果、「この先生ならいける」と、子どもたちは思ったのであろう。大樹君は昨日以上に、私が話している時に、口をはさむようになる。大声で、全然関係のない話をし始める。
　私が注意しても、聞こうとしない。逆に、「うるさいなー。先生、いちいち注意するなよ」というようなふてくされた態度をとる。
　見かねた俊介君が、「大樹君、静かにしいや！」と勇気を出して、注意してくれる。しかし、その注意に対して、
　「うるさいんじゃ。かっこつけるな！　あほの俊介！　おまえなんかにいわれたくないんじゃ！　この前、おまえのとこで豆腐買ったら、腐ってたわ。くさったとーふー」
　（俊介君のおうちではおじいさんが豆腐屋さんをしておられた）
　あっけに取られた。「小学３年生になったばかりの子どもやで。一言注意されたぐらいで、ここまで言うのか？」と思った。
　勇気を出して注意をしてくれた俊介君。罵声を浴びせられ、「先生、何とかして！　助けて！」という目で私を見つめた。
　でも、私は何もできなかった。動けなかった。大樹君に対してどうしたらいいのか、俊介君に対してどうしたらいいのか、まったくわからなかった。
　でも、他の子どもたちはしっかりみていた。
　「この先生、あかんわ」
　「あんなひどいことしたはんのに注意もできひんわ」
　「あーあ、情けな」
　というような雰囲気が子どもたちの間を流れたことだけは、教師二日目の私にもわかった。（注１）

</blockquote>

　教師が全く〈教師の役割〉を果たしていない。いじめ行動を抑制していない。
　この教師は子供に負けている。これでは、この教師に従うより、乱暴な大樹君に従った方が安全である。教師に従うのは危険である。「あんなひどいことしたはんのに注意もできひんわ」という教師に従うのは危険である。
　この学級には、実質的に教師は存在しない。〈教師の役割〉を果たす者がいないのである。「ひどいことした｣者を注意をして、学級の秩序を保つ者がいないのである。監督者がいないのである。
　監督者がいなければ、学級が荒れる。この事例では「学級が騒乱状態に入るまで、三日しか必要としなかった｣のである。
　〈教師が教師として存在する学級〉ではいじめは発生しにくい。しかし、〈教師が教師として存在しない学級〉ではいじめが発生する。〈教師が「不在｣である学級〉ではいじめが発生する。

<blockquote>

　「うるさいんじゃ。かっこつけるな！　あほの俊介！　おまえなんかにいわれたくないんじゃ！　この前、おまえのとこで豆腐買ったら、腐ってたわ。くさったとーふー」

</blockquote>

　このような発言を許してはいけない。この発言自体がいじめ行動なのである。
　だから、教師はこの発言を撤回させなければならない。大樹君にこの発言の非を認めさせ、俊介君に謝罪させなければならない。（注２）（注３）
　それが出来るから学級の正当な秩序が保たれるのである。それが出来るから教師なのである。〈教師の役割〉を果たすから教師なのである。子供に負け、いじめ行動を放置しているようでは、それは実質的に教師ではない。

<blockquote>

　「この先生、あかんわ」
　「あんなひどいことしたはんのに注意もできひんわ」
　「あーあ、情けな」
　というような雰囲気が子どもたちの間を流れた。

</blockquote>

　これはもう実質的に教師として認められていないのである。監督者として認められていないのである。当然、子供はこの教師を無視して行動するようになる。結果として、学級は弱肉強食の状態になる。乱暴な大樹君のやりたい放題になる。
　先に私は次のようなスローガンを述べた。

<blockquote><strong>

　いじめの原因はいじめである。
　だから、いじめ行動が適切に抑制されなければならない。

</strong></blockquote>

　この事例では、教師が〈教師の役割〉を果たせず、いじめ行動を抑制できなかった。いじめ行動を放置してしまった。
　いじめ行動を放置していては、〈いじめ容認派〉が多数派に見えてしまう。乱暴な大樹君の行動だけがはっきりと見えるのだから、〈いじめ容認派〉が多数派に見えるのは当然である。人は顕在的な情報に反応するのである。いじめ行動がおこなわれ、それが通ってしまっている。教師は注意すらしていない。学級の成員に見えているのはそのような状態である。
　これでは、坂を転げ落ちるようにいじめ状態に陥ってしまう。現に、この事例では「学級が騒乱状態に入るまで、三日しか必要としなかった｣のである。
　注目していただきたい事実がある。それは、乱暴な大樹君に対して俊介君が注意をしている事実である。つまり、この段階では協力者が存在したのである。〈いじめ否定派〉が存在したのである。教師が大樹君のいじめ行動を適切に抑制していれば、〈いじめ否定派〉が多数派に見えたはずである。大樹君に自分の発言の非を認めさせ、俊介君に謝罪させていれば、学級の正当な秩序が保たれたはずである。
　しかし、教師はいじめ行動を適切に抑制できなかった。大樹君の行動を適切に指導できなかった。それによって、〈いじめ容認派〉が多数派に見える状況になってしまった。非協力者が多数派に見える状況になってしまった。結果として、学級は三日で「騒乱状態｣になってしまった。
　教師が「不在｣であることが集団の状態を変える。教師が「不在｣であると、いじめ行動は抑制されない。すると、〈いじめ容認派〉が多数派のように見えてしまう。いじめ行動は顕在的だからである。そのようないじめ行動が放置されては、集団はいじめ状況に陥っていく。この意味で、「いじめの原因はいじめ｣である。
　だから、いじめ行動は適切に抑制されなければならない。いじめ行動を抑制するのは、〈教師の役割〉である。監督者の役割である。
　教師が〈教師の役割〉を果たさず、いじめ行動を放置した時、集団はいじめ状態に陥る。教師の「不在｣がいじめを発生させるのである。


（注１）

　向山洋一編著『学級崩壊からの生還』扶桑社、１９９９年、１２６～１２８ページ


（注２）

　この発言がされること自体が異常事態である。

<blockquote>

　「うるさいんじゃ。かっこつけるな！　あほの俊介！　おまえなんかにいわれたくないんじゃ！　この前、おまえのとこで豆腐買ったら、腐ってたわ。くさったとーふー」

</blockquote>

　だから、この発言をどう指導するかは本筋ではない。この発言を防止するためにはどうすればよかったのかが本筋である。
　この発言の前に問題があるはずである。

<blockquote>

　……〔略〕……大樹君は昨日以上に、私が話している時に、口をはさむようになる。大声で、全然関係のない話をし始める。
　私が注意しても、聞こうとしない。逆に、「うるさいなー。先生、いちいち注意するなよ」というようなふてくされた態度をとる。

</blockquote>

　「昨日｣の段階で「注意｣が必要だったのである。教師が話している時に「口をはさむ｣のを許してはいけなかったのである。
　また、指導自体が私語を許す「ぬるい｣構造になっているのである。


（注３）

　指導時間内でおこなわれたいじめを教師が注意・指導できない事態は深刻である。
　これは、教師がいない休み時間にいじめ行動がおこなわれたのとは意味が違う。
　つまり、監督者であるべき教師に監督能力が無いことが明らかになってしまったのである。教師の能力の無さを学級の成員全員が見てしまったのである。教師が「不在｣であることが明らかになってしまったのである。
　これでは、三日で「騒乱状態｣になるのも当然である。


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   <title>【いじめ論30】休み時間に教師が存在するといじめは抑止される</title>
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   <published>2015-12-04T14:58:45Z</published>
   <updated>2016-01-22T14:56:29Z</updated>
   
   <summary>　ノルウェーの都市ベルゲンでの調査を基にダン・オルウェーズは言う。 　ベンゲン研...</summary>
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      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　ノルウェーの都市ベルゲンでの調査を基にダン・オルウェーズは言う。

<blockquote>　ベンゲン研究では、休み時間および昼休みにおける監督方法といじめとの関係を調べることができた。この研究に参加した約四〇の小学校および中学校において、こうした時間に『生徒と一緒にいる教師の数』といじめの件数との間には、はっきりしたマイナスの関連性が認められた。つまり、こうした時間に監督している教師の数（生徒一〇〇人あたりの教師の数）が多ければ多いほど、その学校のいじめの件数は少なかったのである。（注１）

</blockquote>

　休み時間に「生徒と一緒にいる教師の数｣と「いじめの件数｣とは「はっきりしたマイナスの関連性｣があった。休み時間に教師がいるといじめは少なくなる。教師がたくさんいればいるほど少なくなる。
　この事実をどう解釈するか。
　これは、いじめが社会的ジレンマである証拠である。先に私は次のように述べた。

<blockquote>

　１　いじめは社会的ジレンマである。
　２　いじめを予防するためには過半数以上の「協力者｣が必要である。
　３　しかし、いじめには〈情報の非対称性〉がある。
　４　いじめ行動を放置すると傍観者が〈いじめ容認派〉と見なされ、過半数以上の「協力者｣が維持できなくなる。いじめ状態に陥ってしまう。
　５　だから、いじめ行動を抑制する必要がある。また、反いじめ行動を促進する必要がある。

</blockquote>

　休み時間に教師が存在するといじめが少なくなる事実はこの理論と整合している。
　私は〈いじめ行動を抑制すれば、いじめ状況は発生しない〉という趣旨を述べていた。
　教師が存在する状況は、正にいじめ行動の抑制である。教師が存在する事実が集団の状態を変える。
　教師の｢監督」下でいじめをするのは難しい。いじめをすれば教師に注意される。いじめをするのが難しいので、いじめ行動は発生しない。いじめ行動が発生しなければ、傍観者は〈いじめ容認派〉と見なされない。過半数以上の「協力者｣を維持できるので、いじめ状態に陥らない。
　教師の存在がいじめを少なくする事実はこのように解釈できる。いじめは社会的ジレンマなのである。集団の問題なのである。
　この事実を基にオルウェーズは次のような対策を提案する。

<blockquote>

　いじめの大部分は、登下校時より学校内で起きる。すでに見たように、休み時間や昼休みの時間に比較的多くの教師が生徒たちと一緒にいる学校では、いじめはあまり起きない。したがって、適当な数の外部の大人（訳者注－たとえばＰＴＡのメンバー）が昼休み時間に生徒と一緒に過ごすことや、<strong>学校側が生徒の活動について適切に監督する</strong>ことが重要である。このことは昼休みの時間（多くの学校では、大人の監督なしに生徒たちは完全に野放しにされている）にもあてはまる。このことを実行する一つの確実な方法は、休み時間や昼休みの監督が円滑に行なわれるようなはっきりした計画を作ることである。（注２）（注３）

</blockquote>

　つまり、オルウェーズは次のような論理を述べている。

<blockquote><strong>

　ａ　いじめは主に休み時間に起こる。
　ｂ　休み時間に教師がいれば、いじめは発生しにくい。
　ｃ　だから、教師（またはそれに代わる大人）が休み時間に子供を「監督｣すればよい。
</strong>
</blockquote>

　これは具体的な事実を基にした論理である。そして、ａ～ｃが密接に繋がっている。論理の飛躍が無い。
　休み時間に教師が存在するといじめが抑止される。
　これは明確な事実である。この明確な事実は、いじめという複雑な現象を理解するための手がかりになる。（注４）
　いじめを社会的ジレンマと捉える理論はこの事実と整合している。社会的ジレンマとしてまとめよう。

<blockquote><strong>

　１　休み時間に教師（またはそれに代わる大人）がいるといじめ行動が発生しにくい。
　２　いじめ行動が発生しないならば、傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされない。
　３　よって、教師が存在するといじめ状況に陥りにくい。
</strong>
</blockquote>

　いじめを社会的ジレンマと捉える理論は、いじめを集団の問題と捉える理論である。集団の状態と捉える理論である。
　教師の存在が集団の状態を変える。教師の存在がいじめ行動を抑制する。いじめ行動の抑制が傍観者の解釈を変える。傍観者が〈いじめ容認派〉と見なされるのを防止する。〈いじめ容認派〉が多数派と見なされるのを防止する。それによって、いじめ状況に陥ることがなくなる。
　教師の存在が集団の状態を変える。教師の存在がいじめを抑止するのである。


（注１）

　ダン・オルウェーズ著 松井賚夫・角山剛・都築幸恵訳『いじめ　こうすれば防げる』川島書房、１９９５年、４５ページ

（注２）

　同、９６～９７ページ

（注３）

　原著では傍点の部分を強調に変えた。

（注４）

　確かに、〈休み時間に教師が存在するといじめが抑止される〉のは当たり前の事実である。しかし、文部科学省を含めてほとんどの論者が、この当たり前の事実を踏まえていないのである。
　文科省は、いじめを防ぐために｢道徳教育」をおこなうと言う。それは、いじめをおこなう者の道徳意識が低いと考えるからである。
　しかし、既に述べたように、それは間違った論理である。また、何の成果も出ていない。｢道徳教育」によって、いじめが減ったというエビデンスはない。
　それに対して、オルウェーズの論理は現実にいじめを減らしているのである。そして、その論理には、「道徳意識｣も「心｣も想定されていない。いじめを減らすためには「道徳意識｣も「心｣も必要なかったのである。
　いや、「道徳意識｣や「心｣を想定すること自体が問題を見えにくくしているのである。
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   <title>【いじめ論29】行動レベルでの変化を起こすことで傍観者を〈いじめ否定派〉にする</title>
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   <published>2015-11-27T14:40:14Z</published>
   <updated>2015-11-27T14:39:55Z</updated>
   
   <summary>　いじめ行動が発生している状況では、傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされる。〈...</summary>
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      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　いじめ行動が発生している状況では、傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされる。〈いじめ容認派〉と見なされる。そして、傍観者の割合は九割に及ぶ。傍観者は圧倒的な多数派なのである。
　その九割が〈いじめ容認派〉にカウントされては、いじめ状態に陥ってしまう。<a href="http://shonowaki.com/2015/10/25_1.html">図３のＢの状態</a>になってしまう。社会的ジレンマに陥ってしまう。
　しかし、傍観者が〈いじめ否定派〉にカウントされれば、落ち着いた状態になる。図３のＣの状態になる。
　傍観者の内面は不明なのだから、傍観者はどちらにもカウントされる可能性がある。傍観者は〈いじめ容認派〉と見なされる可能性がある。逆に、〈いじめ否定派〉と見なされる可能性もある。傍観者がどちらにカウントされるかで大きな違いが生じる。いじめ状態になるか、それとも落ち着いた状態になるかの違いが生じる。
　しかし、いじめには〈情報の非対称性〉が存在する。いじめ行動は見える。しかし、いじめに否定的な内面は見えない。そのため傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされてしまう。バイアスがかかるのである。
　このバイアスに対処する方法は原理的に次の二つである。

<blockquote><strong>

　１　いじめ行動を発生させない。
　２　反いじめ行動を発生させる。
</strong>
</blockquote>

　顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。はっきと見える行動によって、集団の状態が大きく変わる。だから、行動レベルでの変化を起こせばよいのである。
　いじめ行動の発生を抑止すれば、いじめ行動が見えなくなる。それによって、傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされなくなる。〈いじめ容認派〉と見なされなくなる。
　また、反いじめ行動の発生を促進すれば、反いじめ行動が見えるようになる。それによって、傍観者は〈いじめ否定派〉にカウントされるようになる。〈いじめ否定派〉と見なされるようになる。
　顕在的な行動が傍観者の解釈を変える。傍観者が〈いじめ容認派〉に入れられるか、〈いじめ否定派〉に入れられるかを変える。「協力者の予測数｣を変える。
　つまり、いじめを予防するためには、傍観者が〈いじめ容認派〉にカウントされるのを防止すればよい。〈いじめ否定派〉にカウントされるようにすればよい。「協力者の予測数｣を過半数以上にすればよい。図３のＡ点以上にすればよい。
　そのためには、上の１・２の状況を作ればよい。いじめ行動を発生させず、反いじめ行動を発生させるのである。
　ここまでの論述をまとめよう。

<blockquote><strong>

　１　いじめは社会的ジレンマである。
　２　いじめを予防するためには過半数以上の「協力者｣が必要である。
　３　しかし、いじめには〈情報の非対称性〉がある。
　４　いじめ行動を放置すると傍観者が〈いじめ容認派〉と見なされ、過半数以上の「協力者｣が維持できなくなる。いじめ状態に陥ってしまう。
　５　だから、いじめ行動を抑制する必要がある。また、反いじめ行動を促進する必要がある。
</strong>
</blockquote>

　いじめにおいては、大多数を占める傍観者の内面は不明である。だから、顕在的な行動の影響が大きくなる。そのような状況下では、いじめ行動が発生すること自体が協力者数の「予測｣を大きく左右する。いじめ行動が放置されていれば、子供は集団内でいじめ行動が容認されていると「予測｣する。〈いじめ容認派〉が多数派であると「予測｣する。いじめ行動が多発する。結果として、いじめ状態に陥ってしまう。だから、いじめ行動が適切に抑制される必要がある。
　スローガンとして述べれば次のようになる。

<blockquote><strong>

　いじめの原因はいじめである。
　だから、いじめ行動が適切に抑制されなければならない。
</strong></blockquote>

　いじめ状態の「原因｣はいじめ行動である。いじめ行動が放置されていると、子供はいじめが容認されていると思ってしまう。〈いじめ容認派〉が多数派だと思ってしまう。〈情報の非対称性〉があるからである。
　その結果、「協力者予測数｣が図３のＡ点以下になってしまう。そして、坂を転げ落ちるようにいじめ状態に陥ってしまう。
　それを防止するためには、行動レベルの変化が必要である。いじめ行動を抑制し、反いじめ行動を促進するのである。
　行動レベルの変化を起こすことが〈情報の非対称性〉のバイアスへの対処である。〈いじめ否定派〉が多数派であることを傍観者に「見せる｣のである。

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   <title>【いじめ論28】大多数を占める傍観者が〈いじめ容認派〉にカウントされてしまう</title>
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   <published>2015-11-20T14:50:29Z</published>
   <updated>2015-11-27T14:24:37Z</updated>
   
   <summary>　いじめを予防するためには過半数以上の協力者を維持することが必要である。社会的ジ...</summary>
   <author>
      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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   </author>
         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　いじめを予防するためには過半数以上の協力者を維持することが必要である。社会的ジレンマに陥らないためには一定数以上に協力者を維持することが必要である。<a href="http://shonowaki.com/2015/10/25_1.html">図３のＡ点以上に協力者を維持すること</a>が必要である。
　しかし、いじめには〈情報の非対称性〉がある。いじめを容認する側の情報だけが入ってくる。いじめ行動は見える。しかし、「いじめは悪い」と思っている内面は見えない。
　つまり、いじめにおいては、協力者の数とは「協力者の予測数｣なのである。この点で、いじめはクールビズ問題とは違う。クールビズ問題ならば、ネクタイをしている者の数は一目で分かる。協力者の実数が分かる。しかし、いじめに反対の立場である者の数は一目では分からない。協力者の数は一目では分からない。「予測｣するしかない。だから、いじめにおいては「協力者の予測数｣なのである。
　「予測｣において問題になるのが傍観者である。傍観者をどちらの側と見るかで、結果が大きく変わってくる。
　傍観者の割合は大きいのである。（注１）
　深谷和子氏の調査によると、いじめを傍観した者は九割に達する。


<blockquote>　まず、「クラスのいじめをやめさせようとして、あなたは何かしましたか」と聞いてみた（表４ｰ１）。「いじめ」の解決に向けて何もしなかった者、すなわち全くの傍観者だった者は、小学校で六一％、中学校で六七％にものぼる。
　<img alt="bokansha.jpeg" src="http://shonowaki.com/bokansha.jpeg" width="450" height="220" />

　むろん「多少働きかけれみたが、途中で断念した」と言っている者も二、三割いるが、個別に聞き取りをしてみると「やめなよ」ぐらいで、形勢不利とみてか、早々と断念しているケースが多く、これもほとんど傍観に近い。したがって、先の全然しなかった者と合わせると、九割にもなる。友だちの窮状に対して、何とかしようと懸命に働きかけた者は、たったの一割でしかない。
　傍観者はいじめっ子たちにとって、その行為を支持してくれている強い味方なのだから、当事者以外の九割から支持されている「いじめ」であれば、大人が何を言おうと彼らが勢いづくのは当然だろう。（注２）
</blockquote>


　いじめを傍観した者は九割に及んでいる。
　傍観している者は、内面はいじめに否定的かもしれない。しかし、傍観している者の内面は見えない。
　だから、「いじめっ子｣には「その行為を支持してくれている」ように思える。「強い味方｣のように思える。また、傍観者にも、他の傍観者が「その行為を支持｣しているように思える。
　いじめ行動は見える。しかし、傍観している者の内面は見えない。すると、いじめを「支持」している者が九割いるように見える。「いじめっ子｣にもそう見えるし、傍観者にもそう見える。
　いじめ行動が発生している状況では、傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされる。そして、傍観者の割合は大きい。傍観者の割合は九割に及ぶ。
　つまり、いじめ行動が発生しそれを放置した場合、九割以上の〈いじめ容認派〉が存在するように思えてしまう。協力者が一割以下だと思えてしまう。
　これでは、いじめ状況に陥ってしまう。図３のＢの状態になってしまう。社会的ジレンマに陥ってしまう。
　〈情報の非対称性〉によって、〈いじめ容認派〉の情報だけが伝わる。その結果、九割を占める傍観者が〈いじめ容認派〉にカウントされてしまう。それによって、加速度的にいじめが蔓延するようになる。いじめ状況に陥ってしまう。
　いじめ予防には過半数以上の協力者が必要である。しかし、いじめにおいては協力者の数とは、実際には「協力者の予測数｣である。傍観者の内面は見えないからである。さらに、いじめには〈情報の非対称性〉がある。だから、「予測数｣にはバイアスがかかる。いじめ行動だけが見えるため〈いじめ容認派〉が過大に見積もられる。大多数を占める傍観者が〈いじめ容認派〉にカウントされてしまうのである。


（注１）

　いじめを加害者・被害者・観衆・傍観者の「四層構造｣と捉えたのは森田洋司・清水賢二氏である。『いじめ　――教室の病』（金子書房、１９８６年）を参照。


（注２）

　深谷和子『｢いじめ世界｣の子どもたち』金子書房、１９９６年、５２ページ

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   <title>【いじめ論27】〈情報の非対称性〉によって、いじめが発生する</title>
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   <published>2015-10-23T14:38:36Z</published>
   <updated>2015-11-27T14:26:32Z</updated>
   
   <summary>　いじめは社会的ジレンマである。しかし、いじめは一般的な社会的ジレンマではない。...</summary>
   <author>
      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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   </author>
         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　いじめは社会的ジレンマである。しかし、いじめは一般的な社会的ジレンマではない。いじめには特殊な傾向がある。どのような特殊性があるのか。まず、それをはっきりさせよう。
　そのために、いじめとクールビズ問題とを比べる。<a href="http://shonowaki.com/2015/08/19.html">クールビズ問題</a>は一般的な社会的ジレンマである。一般的な社会的ジレンマと比較すると、いじめの特殊性が分かりやすくなる。
　クールビズ問題においては協力・非協力が一目で分かる。その人がネクタイを締めていれば、クールビズに非協力である。締めていなければ協力である。ネクタイを締めているか、いないかは一目で分かる。それによって、クールビズに非協力か、協力かが一目で分かる。つまり、協力者の割合は一目で分かる。
　それに対して、いじめにおいては協力・非協力が一目で分からない。いじめをしている者がいたとする。もちろん、いじめをしている者はいじめに賛成の立場である。しかし、その他の大多数はどうなのか。多くの場合、大多数の者は何もしないであろう。この大多数の者はいじめに賛成の立場なのか。そうとは限らない。いじめに批判的である場合も多い。「いじめは悪い」と思っている場合も多い。しかし、それは他の者には分からない。いじめに対する賛否が一目では分からないのである。つまり、いじめにおいては協力者の割合が一目で分からない。いじめに対して批判的な者の割合は一目で分からない。
　誰かがいじめをしている行動は見える。しかし、いじめに批判的な内面の「思い｣は見えない。いじめを扇動する声は聞こえる。しかし、いじめに批判的な内面の「声｣は聞こえない。
　つまり、いじめ状況においては、いじめを容認する側の情報だけが伝わるのである。いじめに批判的な側の情報は伝わらないのである。「いじめは悪い」と思っている側の情報は伝わらないのである。
　まとめよう。
<blockquote>
<strong>

　クールビズ問題　→　協力者、非協力者の両方の情報が伝わる
　いじめ　　　　　　　→　非協力者の情報だけが伝わる

</strong>
</blockquote>

　クールビズ問題においては、クールビズに協力している側の情報も、協力していない側の情報も両方伝わる。しかし、いじめにおいては、協力していない側の情報だけが伝わる。
　いじめには、このような〈情報の非対称性〉がある。いじめを容認する側（非協力者）の情報しか伝わらないのである。「いじめは悪い」と思っている側（協力者）の情報は伝わらないのである。（注１）（注２）
　この〈情報の非対称性〉がいじめの特殊性である。いじめは特殊な社会的ジレンマなのである。
　いじめには〈情報の非対称性〉がある。この事実から、次の重要な原理を導き出すことが出来る。
<blockquote>　<strong>大多数の子供が「いじめは悪い」と思っている状況下でも、いじめは発生しうる。</strong></blockquote>
　子供は不完全な情報を基に行動を「選択｣している。いじめを容認する側の情報だけを基に行動を「選択｣している。非協力者の情報だけを基に行動を「選択｣している。
　いじめ行動だけが見える。いじめを容認する行動だけが見える。しかし、「いじめは悪い」と思っている内面は見えない。つまり、本当は「いじめは悪い」と思っている方が多数派であっても、それは分からない。傍観者が「いじめは悪い」と思っていても、それは見えない。
　このような状況下では、いじめを容認する側の割合が過大に見積もられる。現実において見えているのは、いじめ行動がおこなわれ、それを咎める者がいない状況である。その状況では、子供はいじめが容認されていると判断するだろう。何もしない傍観者は、いじめを容認する側にカウントされるだろう。
　このような不完全な情報を基に行動を「選択｣すれば、偏りが出る。いじめを容認する側の情報を基に行動を「選択｣すれば、いじめを容認する「選択｣をすることになる。非協力を「選択｣することになる。
　だから、集団内の大多数の子供が「いじめは悪い」と思っていても、いじめは発生しうる。「いじめは悪い」と思っている多数派の「思い｣は見えず、いじめ行動だけが見えるのだから。
　このような構造によって、いじめが発生する。それは情報が不完全だからである。一方の情報だけが入るからである。その情報を基に行動を「選択｣しているからである。
　〈情報の非対称性〉によって、いじめが発生するのである。


（注１）

　もちろん、いじめを止めようとする者がいれば、それは見える。協力者の情報は伝わる。
　しかし、そのような行動をしない状態では、「いじめは悪い」と思っている事実は伝わらない。協力者の情報は伝わらない。


（注２）

　先の論文で小川幸男氏は次のように述べている。

<blockquote>

　「暴力」や「いじめ」をしないという行為が意識されずに、「暴力」や「いじめ」をするという行為のみ意識されるため、少数の非協力者が「暴力」や「いじめ」の行為をしただけで、実際よりも多くの者が「暴力」や「いじめ」の行為を感じとってしまう。そのことが、非協力状態が広がりやすくなる原因となっている。

</blockquote>

　小川幸男氏は、これを「一面性のできごと｣という用語で説明している。


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   <title>【いじめ論26】いじめ観のパラダイム転換</title>
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   <published>2015-10-16T14:27:22Z</published>
   <updated>2015-10-16T14:28:51Z</updated>
   
   <summary>　注目していただきたい事実がある。それは「いじめの〈発生のメカニズム〉｣を説明す...</summary>
   <author>
      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
      <uri>http://www.irev.org/</uri>
   </author>
         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　注目していただきたい事実がある。それは「<a href="http://shonowaki.com/2015/09/23.html">いじめの〈発生のメカニズム〉</a>｣を説明するために心的な用語を全く使っていない事実である。「<a href="http://shonowaki.com/2015/10/post_123.html">いじめの解決が難しい理由</a>｣「<a href="http://shonowaki.com/2015/10/25_1.html">いじめの予防</a>｣を論ずるために心的な用語を全く使っていない事実である。「心｣「道徳意識｣などの用語を全く使っていない事実である。
　この連載の最初で、私は次のように述べた。

<blockquote>

　いじめについて広く信じられている考えがある。それは｢悪い心がいじめを引き起こす」という考えである。｢悪い道徳的意識がいじめを引き起こす」という考えである。
　この考えはあまりにも一般的すぎて、教育界で疑われることはなかった。その考えを信じている者も、特定の考えを｢信じている」と自覚すらしていないだろう。

　……〔略〕……

　この考えは、広く信じられている。いじめは心・道徳意識の問題であるという考えは、多くの人が信じ、疑いすらしない考えなのである。
　しかし、この一般的な考えは、正しいのだろうか。いや、正しくない。

　……〔略〕……

　いじめが、心・道徳意識の問題であるという考えは間違っているのだ。それは部分的な間違いではない。根本的な間違いである。
　だから、｢悪い心がいじめを引き起こす」・｢悪い道徳的意識がいじめを引き起こす」という考えは、全く別の考えに変えなくてはならない。

</blockquote>

　ここまでの論述で「全く別の考え｣を示した。
　それは〈いじめは社会的ジレンマである〉という考えである。
　いじめを止めるのは危険である。それは、自分がいじめのターゲットになるかもしれないからである。だから、個人としてはいじめを傍観する方が得である。しかし、全員が傍観していじめが横行する学級になっては全員が損をする。
　一人ひとりが個人として得な「選択」した結果、全体としては全員が損をする状態になってしまう。これが社会的ジレンマである。
　いじめを社会的ジレンマと捉え、詳しく説明した。いじめを社会的ジレンマの〈発生メカニズム〉の理論モデルで説明した。いわゆる「臨界質量｣の理論モデルで説明した。
　概略をもう一度述べよう。
　協力者の数が臨界点（図３のＡ点）以下の場合は、次のような悪循環に陥る。

<blockquote>

　悪循環　　４５％協力　→　３５％協力　→　２２％協力　→　７％協力

</blockquote>

　４５％しか協力していないのを見て１０％が非協力に転ずる。それを見て１１％が非協力に転ずる。最終的には７％しか協力しない状態になる。
　いじめとはこのような状態である。７％しか協力していない状態である。
　この状態を変えるのは難しい。なぜか。それはお互い影響を与え合って陥った状態だからである。
　もし、協力者を３５％に増やしたとしても、また同じ原理で７％に戻ってしまう。７％は安定した状態なのである。
　だから、いじめ状態の解決は難しい。いじめの解決のためには臨界点を超える協力者が必要になる。７％の協力者を過半数以上に増やさなくてはならない。
　そのようにいじめの解決は難しいのだから、予防が重要になる。予防とは臨界点以上に協力者を維持することである。逆に言えば、非協力者（いじめを傍観する者）を一定数以上に増やさないことである。協力者を一定数以上に増やすことである。図３のＡ点以上に増やすことである。
　ある一定数以上に協力者を維持することが大切である。いじめ状態に陥ることを予防するためには、傍観者を増やさないことが大切である。いじめ行動を起こさせないことが大切である。
　私は、既に次のようなスローガンを掲げていた。

<blockquote>

　いじめの原因は心ではない。
　いじめの原因はいじめである。

</blockquote>

　より正確言えば、いじめ状態の「原因｣はいじめ行動の発生である。いじめは周りの人間の行動を環境として生じる状態である。いじめは社会的ジレンマである。
　そう考えるから、いじめ予防のイメージがわく。いじめ対策のイメージがわく。それは、過半数以上に協力者を増やすというイメージである。Ａ点以下にしてはまずいというイメージである。
　そのようなイメージは、いじめを「心｣「道徳意識｣の問題と考えていては出てこない。
　先の引用に続いて私は次のように述べていた。

<blockquote>

　間違ったいじめ観を基にしていては、有効ないじめ対策を作ることは出来ない。間違ったいじめ観は、歪んだ基礎のようなものである。歪んでいるので、その上に建物を建てることは出来ない。建てようとすると倒れてしまう。
　有効な対策のためには、正しいいじめ観が必要である。
　つまり、いじめ観のパラダイム転換が必要なのである。
　以下の論述で私がおこないたいのは、そのようなパラダイム変換である。いじめを捉える枠組み自体を変えることである。いじめを心・道徳意識の問題と捉える枠組みに代わる新しい枠組みを提供することである。

</blockquote>

　ここまでの論述で、「いじめ観のパラダイム転換｣をおこなった。「間違ったいじめ観｣を正した。「新しい枠組みを提供｣した。
　それによって、「いじめ対策を作る｣ことが出来るようになった。「建物を建てる｣ことが出来るようになった。
　どのように「建物を建てる｣のか。
　今後、詳しく論じていく。

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   <title>【いじめ論25】いじめの予防を理論モデルで説明する</title>
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   <published>2015-10-09T14:45:12Z</published>
   <updated>2015-10-09T14:45:10Z</updated>
   
   <summary>　前回、いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルを使って、いじめの解決が難しい理由...</summary>
   <author>
      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
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         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　前回、いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルを使って、いじめの解決が難しい理由を説明した。いじめの解決のためには「７％協力　⇒　６５％協力｣のような大きな変化が必要なのである。これは非常に大きな変化である。いわば学級で「革命｣が起きたようなものである。
　いじめを解決するためには、７％しか協力していない状態を過半数が協力する状態に変える必要がある。しかし、そのような大きな変化を起こすのは大変難しい。それは「革命｣を起こすようなものなのである。
　社会的ジレンマを解決するのは難しい。いじめを解決するのは難しい。「革命｣は簡単には起こせない。
　だから、いじめの解決は難しい。それならば、最初からいじめを発生させなければよい。社会的ジレンマを発生させなければよい。
　つまり、いじめを予防すればよいのである。それでは、いじめの予防とはどのような状態なのか。前回と同じように、いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルを使って説明しよう。
　再度、図３を示す。

<img alt="rinkai3.gif" src="http://shonowaki.com/rinkai3.gif" width="432" height="411" />

　Ａ点に注目いただきたい。
　Ａ点より協力者が多ければ、協力状態に到る。Ａ点より協力者が少なければ、非協力状態に到る。Ａ点が、坂を登るか、坂を下るかの分岐点である。
　協力者がＡ点以下の場合は非協力状態に陥る。例えば、４５％しか協力していない場合は次のような悪循環に陥る。

<blockquote>　悪循環　　４５％協力　→　３５％協力　→　２２％協力　→　７％協力
</blockquote>

　４５％しか協力していないのを見て１０％が非協力に転ずる。それを見て１１％が非協力に転ずる。最終的には７％しか協力しない状態になる。これが非協力状態である。７％しか協力せず、いじめが多発する状態である。
　それでは、協力者がＡ点以上の場合はどうなるか。協力状態になる。例えば、６５％が協力している場合は次のような好循環が発生する。

<blockquote>　好循環　　６５％協力　→　７９％協力　→　９１％協力</blockquote>

　６５％が協力しているのを見て１４％が協力に加わる。それを見て１２％が協力に加わる。最終的には９１％が協力する状態になる。これが協力状態である。９１％が協力し、いじめが無い状態である。
　Ａ点が分岐点として、好循環になるか、悪循環になるかが分かれる。いじめが無い状態になるか、いじめが多発する状態になるかが分かれる。（注１）
　だとすれば、Ａ点以上に協力者の数を維持すればよいのである。Ａ点以上に協力者の数を維持することが、いじめの予防である。（注２）

<blockquote>　<strong>いじめの予防　＝　Ａ点以上に協力者の数を維持すること
</strong></blockquote>

　Ａ点以上に協力者の数を維持すれば、悪循環が起きない。非協力状態に陥らない。いじめ状態に陥らない。つまり、Ａ点以上に協力者の数を維持することがいじめの予防である。
　Ａ点以上に協力者の数を維持して、悪循環を起こさないようにするのである。
　くだけた言い方をすれば、いじめを予防するとは、いじめを起こさないことである。いじめを傍観する者（非協力者）を一定数以上に増やさないことである。逆に言えば、いじめを容認しない者（協力者）を一定数以上に維持することである。Ａ点以上に維持することである。
　図３から分かるのはＡ点以上に協力者を維持すればよいという事実である。
　周りの人間の行動を見て、自分の行動を決める状況がある。周りの人間の行動が環境になるのである。「いじめの原因はいじめ｣なのである。
　そのような状況下においては、いじめを傍観する人間を増やさないことが予防である。協力者を増やすことがいじめの予防である。いじめ行動を起こさせないことがいじめの予防である。
　以上、いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルを使って、いじめの予防を説明した。
　それでは、具体的にどのようにいじめを予防するのか。どのように協力者を増やすのか。Ａ点以上に協力者数を維持するのか。それは次回以降に論ずる。


（注１）

　これは、あくまで理論モデルである。大筋の説明である。
　もちろん、現実はもっと複雑である。
　今後詳しく論ずる。

（注２）

　先の論文で小川幸男氏は言う。

<blockquote>

　多くの生徒が協力するようになる相互協力状態になるか、多くの生徒が協力しない相互非協力状態になるかの境目はこの場合、Ａ点だということになる。
 　つまり、相互非協力状態に陥らないようにするためには、ある臨界点Ａ以上にみんなが協力している状態をつくることなのである。逆に言えば、臨界点Ａ以下に協力状態を下げないことが必要である。
</blockquote>

　「相互非協力状態に陥らないようにするため｣には、「Ａ点以上｣の協力が必要だという原理を述べていた。

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   <title>【いじめ論24】いじめの解決が難しい理由</title>
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   <published>2015-10-02T14:28:29Z</published>
   <updated>2015-10-02T14:52:05Z</updated>
   
   <summary>　社会的ジレンマは、周りの人間の行動を環境として発生した状態である。お互いに影響...</summary>
   <author>
      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
      <uri>http://www.irev.org/</uri>
   </author>
         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://shonowaki.com/">
      <![CDATA[　社会的ジレンマは、周りの人間の行動を環境として発生した状態である。お互いに影響を与え合った結果がその状態なのである。
　だから、非協力状態に陥ってしまった場合は、それを変えるのは難しい。いじめが横行する状態に陥った場合は、それを解決するのは難しい。
　もう一度、図３を見ていただきたい。
　
<img alt="rinkai3.gif" src="http://shonowaki.com/rinkai3.gif" width="432" height="411" />
　
　非協力状態は次のように発生する。

<blockquote>　悪循環　　４５％協力　→　３５％協力　→　２２％協力　→　７％協力

</blockquote>

　周りの人間が４５％しか協力していないのを見て１０％が非協力に転ずる。それを見て１１％が非協力に転ずる。そのような形で最終的には７％しか協力しない状態で安定する。これが社会的ジレンマ状態である。７％しか協力していない状態である。
　この社会的ジレンマ状態を変えるためにはどうすればいいのか。非協力状態から協力状態に変えたいのである。しかし、現状は７％で安定してしまっている。たとえ３５％に協力者を増やしても、７％に戻ってしまう。
　図３から分かる結論は次の通りである。社会的ジレンマを解決するためには、協力者を一気に増やすしかない。７％しか協力していない状態から、協力者をＡ点（５２％）以上に増やすのである。過半数を超える人間を協力者にしなくてはならない。
　もし、協力者を７％から６５％に増やすことができれば、次のような好循環が起こる。

<blockquote>　好循環　　６５％協力　→　７９％協力　→　９１％協力

</blockquote>

　周りの人間の６５％が協力しているのを見て１４％が協力に加わる。それを見て１２％が協力に加わる。そのような形で最終的には９１％が協力する状態に改善される。
　しかし、どのように協力者を７％から６５％にするのか。７％に陥ってしまっている社会的ジレンマ状態をどのように変えるのか。非常に難しい。
　だから、解決には「爆発｣が必要である。「大きな力｣が必要である。
　既に、いくつかの「爆発｣の例を挙げた。
　例えば、クールビズ問題である。夏に上着を着てネクタイを締めると苦しい。しかし、周りの人間がそうしているため自分もそうせざるを得なかった。この社会的ジレンマはどのように解決されたのか。
　東日本大震災で福島第一原発が爆発した。また、火力発電所が止まった。そのため、深刻な電力不足が起きた。停電になり、電気が止まった。冷房が止まった。
　その状況下では、上着を着てネクタイを締めていることは困難である。それでは、あまりにも暑い。だから、周りの人間がクールビズに協力するという「予測｣が生じる。好循環が起きる。

<blockquote>　好循環　<strong>７％協力　⇒　６５％協力</strong>　→　７９％協力　→　９１％協力
</blockquote>

　爆発によって、協力者が７％から６５％に増える。それを見て、協力者がさらに増える。そして、最終的には９１％が協力する。大多数が、上着を脱ぎネクタイを外す。
　爆発によって、クールビズ問題が解決された。会社員が夏に適した服装をするようになった。社会的ジレンマが解決されたのである。逆に言えば、爆発が起きなければ社会的ジレンマは解決されなかっただろう。
　いじめを解決した事例も挙げた。向山洋一氏がいじめ行動を追及した事例である。

<blockquote>　○○君、どうしたのですか。そうですか。言わないのですか。では、言うまで聞きましょう。
</blockquote>

<blockquote>　××君。あなたはさっき○○君をひやかしていました。あれは何のことですか。

　<a href="http://shonowaki.com/2015/09/22_1.html
">http://shonowaki.com/2015/09/22_1.html
</a></blockquote>


　いじめをした当人だけでなく、傍観者（扇動者）も追及された。追及され苦しい思いをすることになった。
　この追及が「爆発｣として機能した。「大きな力｣として働いた。その結果、好循環が生じ、いじめが解決された。社会的ジレンマが解決された。
　つまり、社会的ジレンマを解決するために必要なのは「爆発｣のような「大きな力｣である。それによって協力者を一気に増やすことである。７％から半数以上に協力者を増やすことである。例えば、６５％に協力者を増やすことである。
　まとめよう。

<blockquote>　<strong>社会的ジレンマ解決のために必要な変化　７％協力　⇒　６５％協力
</strong></blockquote>

　こうまとめてみると、社会的ジレンマを解決する難しさが分かる。いじめを解決する難しさが分かる。
　７％協力を６５％協力に変えなければならないのである。ほとんどの人間が協力していない状態を半数以上の人間が協力する状態に変えなくてはならないのである。
　そのような変化を生じさせるには「爆発｣が必要である。「大きな力｣が必要である。
　だから、「いじめは人間として絶対に許されないことだ｣と説諭しても効果が無いのだ。言い聞かせても、いじめは解決しないのだ。そのような普通の方法では７％協力を６５％協力に変えることが出来ない。
　いじめを解決するのは大変難しいことなのである。社会的ジレンマを解決するのは大変難しいことなのである。
　いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルを使って、いじめの解決が難しい理由を説明した。解決のためには「７％協力　⇒　６５％協力｣の変化が必要なのである。そのような大きな変化を起こすのは大変難しい。
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   <title>【いじめ論23】いじめの〈発生メカニズム〉</title>
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   <published>2015-09-25T14:47:48Z</published>
   <updated>2015-09-26T02:27:52Z</updated>
   
   <summary>　いじめを解決するためには「爆発｣が必要であった。「大きな力｣が必要であった。 ...</summary>
   <author>
      <name>諸野脇＠ネット哲学者</name>
      <uri>http://www.irev.org/</uri>
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         <category term="いじめ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[　いじめを解決するためには「爆発｣が必要であった。「大きな力｣が必要であった。
　隣の子供と机を付けない子供に対して、向山洋一氏は言った。
<blockquote>

　○○君、どうしたのですか。そうですか。言わないのですか。では、言うまで聞きましょう。
　<a href="http://shonowaki.com/2015/09/22_1.html">http://shonowaki.com/2015/09/22_1.html</a>
</blockquote>　
　そして、本当に「言うまで聞き｣続けるのだ。子供は「言うまで｣許してもらえない。「言うまで聞き｣続けるのは「爆発｣である。それは、子供にとっても、教師にとっても大変なことである。
　なぜ、このような「爆発｣が必要なのか。それは、いじめが社会的ジレンマだからである。一度できてしまった社会的ジレンマをなくすのは困難なのだ。だから、「爆発｣が必要であった。「大きな力｣が必要であった。
　「爆発｣は無くて済めばその方がいい。そのためには、いじめの予防が重要である。いじめが発生していなければ「爆発｣は必要はない。社会的ジレンマが発生していなければ「爆発｣は必要ない。「大きな力｣は必要ない。
　予防のためには〈発生メカニズム〉を知る必要がある。いじめはどのように発生するのか。社会的ジレンマはどのように発生するのか。それを知る必要がある。
　既に、いじめの〈発生メカニズム〉を考えるための重要な鍵となる事実を述べた。いじめは二極化する。いじめが多発する学級といじめが無い学級とに極端に分かれる。中間が少なくなる。正規分布にならない。
　
　　　　<strong>〈いじめを傍観する者の数〉は二極化している</strong>
　　　　　<a href="http://shonowaki.com/2015/06/14_1.html">http://shonowaki.com/2015/06/14_1.html</a>
　
　このような二極化が起こるのは、いじめが集団的現象だからである。周りの人々の行動が〈環境〉になるからである。お互いが影響を与え合うからである。
　お互いが影響を与え合った結果、いじめが無い学級が発生する。逆に、いじめが多発する学級が発生する。そのように二極化する。
　初期状態では、いじめを傍観する者の割合が学級によって大きく違う訳ではない。それが時間が経つにつれて二極化するのである。いじめを傍観する者が多い学級と少ない学級に二極化するのである。
　大まかに、二極化する過程を説明しよう。初期状態での小さな差が大きな差になる。いじめを傍観する者が多ければ、影響を与え合い傍観する者がさらに多くなる。いじめが多くなる。いじめを傍観する者が少なければ、影響を与え合い傍観する者がさらに少なくなる。いじめが少なくなる。
　最初の小さな差が、最終的に大きな差になってしまう。極端に違う状態になってしまう。社会的ジレンマが発生してしまう。
　このような社会的ジレンマの〈発生メカニズム〉を小川幸男氏は次のように説明する。（注）


<blockquote>

　ある活動に対して、協力する生徒と、協力しない生徒は二つに分かれる。その活動に対する自らの行動の選択肢は、協力、非協力の二つしかないからである。しかし、実際に協力しようとする傾向は、……〔略〕……連続して様々に分布する。その時点で、同じ協力をしている生徒の中にも、多くの生徒が協力しているから協力している生徒もいれば、少人数しか協力しなくても協力している生徒もいる。
　これを図式化してみる。
<img alt="rinkai.gif" src="http://shonowaki.com/rinkai.gif" width="600" height="720" />

 　図１は、横軸に「ある時点で実際に行動に『協力』している生徒の割合（％）」、縦軸に「“横軸のある時点の割合以上ならば、自分も協力する”と考える生徒の割合（％）」をとるったものである。
　また、図１のグラフの棒グラフを左から累積していくと図２のようなグラフができる。図２のグラフの縦軸は、「実際に協力している生徒が横軸の割合のとき、協力しようと思う生徒の割合」を示している。
　図３は、図２のグラフを一般化したものである。
　この図からわかることは、自然の状態では次のようになることである。

<blockquote>

　イその時点で実際に協力をしている割合が図３のＡ点より多ければ、その後に点Ｃの多くの生徒が協力している状態まで自然に上がる。
　ロその時点で実際に協力をしている割合が図３のＡ点より少なければ、その後、点Ｂのほとんどの生徒が協力しない状態まで自然に下がる。
</blockquote>

 　例えば、図３で65％の生徒が実際に協力しているときには、協力してもよいと考えている生徒は79％いる。つまり、65％の生徒が実際に協力している状態を見せれば79％の生徒は協力をしだすわけである。さらに79％の生徒が協力すれば、91％の生徒が協力してもよいと考え協力する。というように、この場合結果として95％の生徒が協力し、協力しない生徒が５％だけ残る状態で安定する。
　逆に、45％が実際に協力しているときには、協力してもよいと考える生徒は35％である。つまり、45％の生徒が実際に協力している状態を見せると35％しか協力しなくなってしまうのである。さらに、35％の生徒しか協力していない状態を見ると、22％しか協力しなくなってしまう。最終的な結果として、７％の生徒しか協力しなくなってしまうのである。
　多くの生徒が協力するようになる相互協力状態になるか、多くの生徒が協力しない相互非協力状態になるかの境目はこの場合、Ａ点だということになる。

</blockquote>


　Ａ点より協力する人数が多ければ協力状態になる。少なければ非協力状態になる。坂を上るか、坂を下るかである。
　初期状態での小さな差が大きな差になる。いじめを傍観する者が多ければ、それを見ていじめを傍観する者がさらに多くなる。そして、最終的には、いじめ状態（非協力状態）に陥る。
　いじめを傍観せず止める者が多ければ、それを見ていじめを止める者がさらに多くなる。そして、最終的には、いじめが無い状態（協力状態）になる。
　最初の小さな差が最終的に大きな差になる。極端に違う状態になる。二極化する。
　それは、周りの人間の行動が〈環境〉になるからである。周りの人間の行動によって、自分の行動を決めるからである。
　確認しよう。協力者は次のように変化した。

<blockquote>

　好循環　　６５％協力　→　７９％協力　→　９１％協力
</blockquote>

　６５％が協力しているのを見て１４％が協力に加わる。それを見て１２％が協力に加わる。そして、最終的には９１％が協力するよい状態が発生する。
　逆も同様の原理である。

<blockquote>

　悪循環　　４５％協力　→　３５％協力　→　２２％協力　→　７％協力
</blockquote>

　４５％しか協力していないのを見て１０％が非協力に転ずる。それを見て１１％が非協力に転ずる。それを見てさらに１５％が非協力に転ずる。そして、最終的には７％しか協力しない悪い状態が発生する。
　最初の小さな差によって、極端に違う二つの状態が発生した。９１％が協力する状態と７％しか協力しない状態である。
　周りの人間の行動によって、自分の行動を決める。それによって、雪崩れ的な変化が生じる。極端な状態が発生する。
　これが社会的ジレンマの〈発生メカニズム〉の理論モデルである。いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルである。


（注）

　次の論文である。

　　　明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法｣
　　　『千葉大学教育学部研究紀要』第４５巻 、１９９７年 

　なお、小川幸男氏は長年にわたる研究仲間である。

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