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2007年04月 アーカイブ

2007年04月01日

哲学は闘いだ

 哲学は闘いだ。
 現在の常識が正しいと思うならば、黙っていればいい。正しくないと思うから、主張するのである。
 だから、哲学は、必然的に既存の常識と対立する。必然的に闘いになる。

 この発想と激しく対立するものは何か。「教養主義」である。何の役に立つのか分からない知識を学ぼうとすることである。
 哲学とは、何かを学ぶことではない。
 闘うことだ。

 実例は、既に次のサイトで示した。

  ◆ インターネット哲学

 このブログでも示すことになる。
 つまり、闘うことになる。
 さあ、闘おう。 

2007年04月02日

【オリコンの虚偽1】「発言の責任」と「出版の責任」を混同する

 さっそく闘おう。
 
 オリコンが、ジャーナリストの烏賀陽弘道氏個人に対して五千万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。雑誌『サイゾー』に載った烏賀陽氏のコメントによって、オリコンの「名誉が傷つけられた」と言うのである。
 このオリコンの言動を私は次の文章で批判した。
 
  ● ジャーナリスト個人を対象にした高額訴訟の不当性  --反SLAPPの論理

 オリコンは異常な訴訟を起こしたのである。通常、このような場合は、出版社とジャーナリストの両者を訴える。しかし、オリコンは出版社を訴えずジャーナリスト個人だけを訴えた。
 そして、その理由として次のようなものを挙げた。(この理由は、私がまとめたものである。実際にオリコンが発言している部分はカギカッコで明示した。)

 烏賀陽氏は、その「発言」について「発言は自分が責任をもって行ったものと明言」している。
 奇妙な論法である。
 私は、この論法を次のように批判した。
 ……雑誌の電話取材に応えた場合、コメントしたジャーナリストが一定の「責任」をもっているのは当たり前である。
 しかし、ジャーナリストに「責任」があるからと言って、出版社に「責任」が無い訳ではない。出版社には、その「事実誤認に基づく」「発言」を広めた「責任」がある。両者には、別種の「責任」があるのである。
 オリコンは、なぜ、出版社の「責任」を問わないのか。誠に奇妙である。
 オリコンは「発言の責任」と「出版の責任」を混同している。「発言の責任」を認めた場合でも、「出版の責任」を認めたことにはならない。「発言」を広めた「責任」を認めたことにはならない。
 オリコンの論法は間違っていた。オリコンは虚偽の論法を使っていたのである。(注)

 これは一例である。
 オリコンの論法は虚偽だらけである。
 これは、学問上の観点からはありがたいことである。
 オリコンは、哲学的分析の素材をたくさん提供してくれたのである。
 
 虚偽の論法の分析は、哲学の華である。論理的思考の華である。
 虚偽の論法を分析することによって、虚偽の論法への対処法を学ぶことが出来る。
 虚偽を発見し、適切に対処することは大切である。もし、それが出来なければ、騙されてしまう。騙されて、いつの間にか五千万円を払わせられてしまうことにもなりかねない。
 また、虚偽の論法の分析によって、理論を作ることが出来る。間違いが間違いであることを明確にするためには、こちらが理論的にならざるを得なくなるのである。
 
 次回以降、さらにオリコンの論法の虚偽を分析する。
 

 (注)
 哲学用語での「虚偽」とは、「間違った論証」のことである。
 「虚偽」は、必ずしも悪意があることを意味しない。悪意がある場合と単なる間違いの場合との両方を含む語である。この点、注意が必要である。
 それに対して、「詭弁」は「人を騙そうとする悪意を持っておこなう間違った論証」のことである。
 「虚偽」と「詭弁」とは意味が違うのである。

【オリコンの虚偽2】〈烏賀陽氏は富豪ジャーナリスだ〉ということにしてしまう

■ 烏賀陽氏が全てを支配している?

 オリコンは、出版社を訴えず、個人ジャーナリスだけを訴えた。
 このような異常な訴訟を正当化する訴状を作るのは難しいではずである。
 オリコンの訴状を見てみる。(『音楽配信メモ』より)

 被告〔烏賀陽氏〕は訴外インフォバーンをして、同社の販売網を通じて本件記事を掲載する「サイゾー」を全国各地に頒布せしめ、その結果、本件記事を不特定多数の者の目に触れる状態に置いた。
 分かりにくいので、要点だけ抜き出してみよう。
 烏賀陽氏は、インフォバーンをして、「サイゾー」を全国各地に頒布せしめた。

 我が目を疑う思いである。
 烏賀陽氏が、インフォバーン社を使って、雑誌「サイゾー」を全国に「頒布」させたらしい。全国に配本させたらしい。「頒布」させた主体が、烏賀陽氏になっているのである。
 なぜ、個人ジャーナリストにそんなことが出来るのか。烏賀陽氏はインフォバーン社の支配者なのか。


■ 宣戦の詔勅

 上の文は、次のような形になっている。

 ~は、~をして、~せしめた。

 この「~は」の部分には、行為の主体が入る。力を持っている者が入る。
 例えば、次のようにである。
 朕は政府をして事態を平和の裡に囘復せしめむとし……
  ●宣戦の詔勅

 「朕」とは、天皇である。天皇だから、「政府」に指示をして「平和の裡囘復」することを目的に出来るのである。行為の主体になれるのである。
 烏賀陽氏も行為の主体らしい。烏賀陽氏が「インフォバーン」を使って「『サイゾー』を全国各地に頒布」させる。ものすごい権力を烏賀陽氏が持っていることになっている。
 
 
■ 烏賀陽氏は富豪ジャーナリストなのか?

 上の文言は誠に奇妙である。しかし、百歩譲ってみよう。烏賀陽氏は大変な権力者だと想定してみよう。それは、どのような状態か。

 一見、烏賀陽氏は、ただの個人ジャーナリストのように見える。しかし、実は、烏賀陽財閥の御曹司なのである。
 インフォバーン社は、烏賀陽グループ傘下の会社である。だから、烏賀陽氏は実質的にインフォバーン社を支配している。だから、「俺のコメントを『サイゾー』に載せて全国各地に頒布せよ。」とインフォバーン社に指示できるのである。
 烏賀陽氏は、昼間は、さえない個人ジャーナリストである。しかし、夜になってメガネを外すと、なぜか、人相まで二枚目に変わる。愛車は、もちろんフェラーリ・モデナだ。烏賀陽氏は軟弱に見えるが、服を脱ぐと筋骨隆々だ。夜になるとその体で……〔以下自粛〕……

 これでは漫画だ。
 もちろん、この想定は非常識である。
 しかし、訴状では、烏賀陽氏に大きな権力があることになっている。烏賀陽氏が行為の主体になっている。名誉毀損行為の主体になっている。つまり、「発言の責任」だけでなく「出版の責任」まで烏賀陽氏に負わせる形になっている。
 烏賀陽氏は、インフォバーンをして、「サイゾー」を全国各地に頒布せしめた。

 これは〈烏賀陽氏が富豪ジャーナリストだ〉という非常識な主張である。
 もちろん、これは虚偽の主張である。
 

【オリコンの虚偽3】相手の発言を「捏造」して批判する

 オリコンは、烏賀陽氏のコメントが「事実誤認」だと主張している。烏賀陽氏が「オリコンは調査方法をほとんど明らかにしていない」と「事実誤認」のコメントしていると言うのである。そうではなく、オリコンはきちんと「調査方法の開示」をおこなっていると言うのである。
 オリコンは、その「経緯」を次のようにまとめている。(「ジャーナリスト烏賀陽氏への提訴についての要点整理」より)

(ランキングの調査方法の開示についての主な経緯)
平成15 年7 月7 日  弊社発行の「ORIGINAL CONFIDENCE」誌の
             平成15 年7 月7 日号(第1891号)において、
             ランキングの調査協力店一覧の開示を開始
平成16 年9 月6 日  弊社のWEBサイト「ORICON STYLE」において、
             ランキングの調査協力店一覧、並びに調査方法
             についての説明を掲載開始
平成18 年3 月    月刊誌「サイゾー」平成18 年4 月号において
             烏賀陽氏が、「オリコンは調査方法をほとんど
             明らかにしていない」とコメント(注1)

 この「経緯」を読むと、烏賀陽氏が「事実誤認」をしているように思える。
 しかし、この「経緯」自体が「捏造」されたものなのである。(注2)
 オリコンは、烏賀陽氏のコメントを「捏造」しているのである。(注3)
 オリコンは烏賀陽氏が次のようにコメントしたと言う。
 オリコンは調査方法をほとんど明らかにしていない

 しかし、実際の烏賀陽氏のコメントは次の通りである。
 そもそもオリコンは不思議な団体で、『オリコン独自の統計手法だ』と言い張ってその方法をほとんど明らかにしないんですよ。

 「調査方法」と「統計手法」は同じなのか。
 いや、違う。
 ずばり言えば、「統計手法」の中核は計算式である。集めたデーターをどのような計算式で処理するのか。例えば、ビルボードはCDの売上枚数(ネットでのダウンロードを含む)とラジオでの放送回数の評価を「1:2」に設定している。(「全米チャートの基礎知識」(2)参照 )
 オリコンがサイトで発表しているのは次のような文章である。
 音楽・映像ソフトを販売している全国約3020店の小売店(CDショップ、各専門店、レンタルや書籍等を扱う複合店、家電量販店など)、インターネット通販、CDショップを通したイベント会場等の売上調査をもとに、全国の週間売上推定数を算出したものです。

 しかし、これだけでは「統計手法」ではない。
 集めたデーターをどのような計算式で処理しているのか。例えば、大手CDショップと小規模小売店の扱いは同じなのか。それとも、何か変数をかけるのか。これが「統計手法」の中核である。
 だから、「統計手法」を「明らかにしていない」という烏賀陽氏の主張は正しい。
 しかし、上のオリコンのプレスリリースだけを読むと、読者は烏賀陽氏の主張が間違っているような印象を持つだろう。オリコンが烏賀陽氏の発言を「捏造」したからである。「調査方法」と変えてしまったからである。
 
 つまり、オリコンは〈相手が言っていないことを「捏造」して批判する〉虚偽を犯したのである。
 このような「捏造」に注意しなくはならない。
 自分が言ってもいないことを言ったことにされて、批判されてはたまらない。
 そのような状態に陥らないように、気をつけなくてはならない。

(注1)
 オリコンは次のように書いた。

 烏賀陽氏が、「オリコンは調査方法をほとんど明らかにしていない」とコメント

 しかし、烏賀陽氏はそのようなコメントをしていなかった。これは大きな問題である。
 カギカッコを使った場合、その中は、一語一句変えてはいけない。烏賀陽氏が言った通りの文言を書かなくてはならない。
 これが引用の原則である。この原則をオリコンは踏み外している。
 オリコンがこのような行為をするならば、オリコンの引用は全て信用できなくなる。全て疑ってかからなくてはならなくなる。「捏造」しているのではないか、と。

(注2)
 オリコンが捏造しようという意志をもっていたかどうかは分からない。非常に言語能力が低く「調査方法」と「統計手法」の区別がつかなかっただけかもしれない。だから、「捏造」とカギカッコを付けた。

(注3)
 実は、私も、この「捏造」を見落としていた。ネット上の次の書き込みで教えてもらった。
 お礼申し上げる。

【オリコンの虚偽4】小池聰行社長が認めた事実すら否定する

 オリコンの訴状は言う。

 なお、被告は、「『オリコンの数字はある程度操作が可能だ』というレコード会社員の話も複数聞いたことがあります。」などとして、第三者からの噂ないし風評を引用しているが、その場合であっても読む者をして、その内容たる事実が実在するとの印象を与えるのであるから、名誉毀損が成立することは明らかであり、これは裁判実務上も定着している。

 実は、「オリコンの数字はある程度操作が可能だ」という話は、私も聞いたことがある。
 オリコンに訴えられるから、書かない方がいい?
 いや、絶対に大丈夫である。訴えられるおそれはない。
 私が、その話を聞いたのは、オリコンの創業者の故・小池聰行氏からだからだ。
 小池聰行氏はインタービューに答えて次のように言った。

 --ところが、レコードを買い占める会社があって、そのサンプル店のデータに操作の手を加えているでしょう。

 「ええ、そうですね。現実にそういう会社があることも否定しません。……〔略〕……」  (『噂の眞相』1983年8月号

 小池聰行氏自身が「ええ、そうですね」と「操作」の存在を認めているのだ。
 つまり、小池聰行氏自身が「オリコンの数字はある程度操作が可能だ」という事実を認めているのだ。
 オリコンは、烏賀陽弘道氏を訴える前に、小池聰行氏を訴えるべきであろう。(原理的には。)
 さらに、ABCプロモーションの会長の山田廣作会長は次のように言う。

 「音事協の内部でも、オリコンのあこぎな商法に対する疑惑や非難の声が、日ごとに高まっている。」  「その〔レコード買い占め会社の〕一つに、かつてクロスオーバーという会社がありましてね。何百万か払えば二週目に三十位、三週目には二十位にしてみせるというわけですよ。そこで、実際にやってみたら、オリコンのヒットチャートはその通りになった。それから判断しても、おかしいと思うでしょう。」(『噂の眞相』1983年7月号

 山田会長、捨て身の告発である。
 〈おれがチャートを操作しようとしたら、出来たぞ。だから、オリコンのチャートはおかしいぞ。〉と。(苦笑)
 オリコンは、まず、山田会長を訴えた方がよかったのではないか。
 オリコンが大切にしている「チャートの信用性」を疑わせる発言をしているのだから。
 
 もちろん、これらは、1983年当時のことである。
 しかし、山田氏の告発は、実名を挙げてのものである。実名を挙げて、自分がチャートを「操作」したと認めているのである。これは重要な証言である。
 さらに、当時の社長である小池聰行氏自身が「操作」の存在を認めていたのである。これも重要な証言である。

 だから、烏賀陽弘道氏は、小池聰行氏と同じことを言ったに過ぎない。「操作」が存在するという事実は、既に小池聰行氏が認めているのである。
 オリコン創業者と同じことを言っただけなのに、烏賀陽氏は名誉毀損で訴えられたのである。

 創業者の小池聰行氏の証言をオリコンは忘れてしまったのか。
 誠に、不自然である。

 オリコンは、何が何でも、チャートの「操作」は存在しないことにしたいらしい。(または、小池聰行社長の証言を忘れてしまうほど、記憶力に問題があるらしい。)
 これは〈都合が悪い事実の存在自体を否定する〉虚偽である。

2007年04月07日

インターネット上での選挙活動は禁止されていない

 「公職選挙法でインターネット上での選挙活動が禁止されている」という「常識」とも闘ってきた。
 
  ● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
  ● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か  
 
 素朴に言って、公職選挙法にインターネットの利用を禁止する規定がある訳がない。
 大昔に作られた法律なのである。その時には、インターネットは存在しなかったのである。
 そんな昔にインターネットの出現を予想して法律を作っていたのか。日本にそんな超能力者がいたならば、法律ではなくてインターネットを作って欲しかった。(苦笑)
 それでは、禁止されているのは何か。規定枚数以上の「文書図画」(葉書・ビラなど)の「頒布」である。この〈「文書図画」の「頒布」〉と〈ホームページの公開〉とは全く違う。

 1 葉書・ビラは物である。「頒布」するとなくなってしまう。(だから、規定枚数が定められているのである。)たくさん「頒布」するにはお金がかかる。それに対して、〈ホームページの公開〉をしても、ホームページがなくなることはない。お金はかからない。
 2 ホームページは、見たい人だけが見るものである。ホームページを見るためには、アドレスをクリックする必要がある。つまり、ホームページを見るのは有権者の自発的行為なのである。それに対して、葉書・ビラは受け身である。望まなくても、ポストに入ってくる。

 このように両者は全く違うのである。
 だから、〈ホームページの公開〉は〈「文書図画」の「頒布」〉ではない。
 次のような比喩が分かりやすい。
 
  〈ホームページの公開は、選挙事務所内の資料室の公開である。〉
 
 選挙事務所内に資料室ある。そこに、自発的に閲覧希望者が来る。いろいろな資料を閲覧して、帰っていく。
 これと同じである。「ホームページ」には、資料を見たい有権者が自発的に見に行っているだけなのだ。このような自発的行為に対して、選管にとやかく言われる筋合いはない。
 詳しくは、上の二つの文章を読んでもらいたい。

 上の二つの文章は、この問題を考えるための定番的な文章になった。
 グーグルで「公職選挙法 インターネット」を検索してみよう。
 
  http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-15,GGLD:ja&q=%e5%85%ac%e8%81%b7%e9%81%b8%e6%8c%99%e6%b3%95%e3%80%80%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88
 
 二番目に私の文章が出てくる。だから、公職選挙法とインターネットの関係に興味を持った人は、私の文章を目にすることになるだろう。これは定番と言ってよいだろう。
 候補者が、選管に私の文章を示したという話も聞く。インターネット上での選挙活動をおこなう根拠として、選管に私の文章を示したのだ。
 だから、当然、総務省もこの文章の存在について知っているはずである。しかし、総務省からは何の反論もない。
 反論が無い以上、私としては、総務省は私の主張を認めていると解釈するしかない。(反論があるならば、文章を公開するべきであろう。)
 つまり、論理の問題としては、既に結論が出ている。インターネット上での選挙活動は禁止されていない。公職選挙法には、インターネットについての規定は存在しないのだ。

【結論】 インターネット上で選挙活動をしても「摘発」はされない

 選挙活動中もホームページを更新し続けた候補がいる。しかも、選管の警告を無視して、「選挙期間中もHP断固更新!」とホームページ上に明記して選挙活動を続けたのだ。それでも、「摘発」はされなかった。
 門真市議の戸田ひさよし氏である。

  ● 2003年 門真市議選情報
 
 また、前志賀町議の砂川次郎氏も「インターネットの選挙を広めるための選挙中毎日報告ページ」 と明記して、選挙活動を続けている。

  ● たぬきの薬屋さん環境ホームページ
    砂川君の議員報告  新規記載・ニュース

 これは前例である。(私の文章を激しく活用いただき、ありがとうございます。笑)
 選挙期間中に堂々と更新しているホームページが存在したのである。そして、選管も、それを知っていたのである。
 しかし、選管は何もしなかった。これほど明白な事例を「摘発」できなかったのである。
 このような前例がある以上、実際問題として、今後インターネット上での選挙活動を「摘発」することは難しいだろう。
 「戸田氏や砂川氏はよくて、なぜ俺は悪いんだ。」ということになるからである。

 実は、何度か、候補者の方から相談を受けたことがある。「『選管から公職選挙法に抵触している。』と言われている。」と言うのである。
 そのような場合、私は、上の前例をお教えしている。
 候補者の方の判断は様々である。
 しかし、「摘発」された例は一件もない。

 現実の問題としても、既に結論が出ている。

  【結論】 インターネット上で選挙活動をしても「摘発」はされない。

 私が知る限り、インターネット上で選挙活動をおこなって公職選挙法違反で「摘発」された例はない。(もし、「摘発」されたら、大きく報道されるはずである。「摘発」された例は全くないのだろう。)

 (もし、万が一、「摘発」されたとしても、それはそれで楽しいではないか。歴史に残る重要な仕事なのだから。私ならば、ぜひ、「摘発」してもらいのだが。笑)

2007年04月15日

しかし、実現しないインターネット選挙

 私は怒っている。
 いまだに、インターネット選挙が実現していないからである。ほとんどの候補者が「自主規制」しているからである。「インターネット上での選挙活動が公職選挙法で禁止されている」という間違った「常識」に従っているからである。
 かつて私は書いた。

 来年の参議院選挙までに、何とかなるならばまだよい。しかし、このままでは、何年もかかる可能性がある。インターネット選挙が、何年も実現しない可能性がある。
  ● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか

 日付を見てみる。「2000年7月6日」
 は?
 2000年7月?
 もう、約7年である。
 確かに「何年もかか」っている。
 もしかしたら、「何十年も」と書いておいた方がよかったのかもしれない。(苦笑)
 
 その後も、2001年と2003年に文章を書いた。
 
  ● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か
  ● インターネット上の選挙活動は自由である
 
 これらの文章は定番的な文章になった。
 そして、既にこのブログで書いたように現状は次の通りである。
 
  1 論理的には、総務省・選管はまともに反論できていない。
  2 現実的には、明白なインターネット上で選挙活動を「摘発」できない。
 
 このような現状であるにもかかわらず、インターネット上の選挙活動は一般的になっていない。
 依然として、選管・警察は次のように言い続けている。
 
  「公職選挙法に抵触する。」
 
 そして、ほとんどの候補者が、この根拠の無い「行政指導」に従っているのである。
 この不明朗な状態をどのように解釈するべきだろうか。
 「公職選挙法に抵触する」ならば、「摘発」すればよかったのである。「選挙期間中も毎日更新」と明示して更新を続けたホームページがあったのだから。
 そして、それほど明白な「抵触」を「摘発」できないのに、彼らは他のもっと穏やかなホームページに「警告」を続けている。そして、候補者は、その理不尽な「行政指導」に従っている。なぜ、このような不明朗な状態になっているのか。
 百歩譲って、公職選挙法がインターネット上の選挙活動を禁止していると認めてみよう。しかし、そうだとしても、なぜ、公職選挙法を改正できないのか。もう7年も経っているだ。
 
 私は怒っている。
 しかし、怒るだけではダメである。
 哲学の問題としては、これは大変興味深い事例である。
  
なぜ、世界は変わらないのか。
 
 読者の皆さんも、知っているだろう。世界は、なかなか変わらない。なぜ、世界は変わらないのだろうか。
 この事例を分析することで、この問いに対して答えを出すことが出来るだろう。
 次回、この問題を論ずる。

2007年04月19日

なぜ、世界は変わらないのか

 インターネット選挙が実現しない。
 しかも、もう7年も前から問題になっていたのにもかかわらずである。
 なぜ、インターネット上での選挙活動は実現しないのか。世界は変わらないのか。
 次のような簡単な原理で説明できる。 

 世界は、なるようになったものである。
  
 こう言い切っただけでは、誤解を招くであろう。
 次のように言いかえておこう。
 世界とは、関係者が影響を与え合い安定した一点である。

 安定した一点だから変わらない。
 多くの関係者がお互いに影響を与え合い、ある一点で安定する。一度、安定すると、変化させるのは難しい。
 インターネット選挙の場合、どのように安定しているのか。
 まず、候補者の立場から考えてみよう。なぜ、彼らは選管・警察の「公職選挙法に抵触する。」という「警告」に従うのか。面倒だからである。安全策を採るからである。
 それが原因で当選が無効になったら大変である。「そんな訳はない。」と思っても、念のため従っておく。

 次に、総務省・選管・警察の立場から考えてみよう。選管・警察は、なぜ、「警告」するのか。「警告」に従う候補者がほとんどだからである。
 では、なぜ、「選挙期間中もHP断固更新!」と書いて更新を続けるホームページを「摘発」しないのか。面倒だからである。
 裁判は面倒である。また、裁判になったら、負ける可能性がある。(総務省の法解釈は、一度も司法の判断を受けていないのである。)負けてしまっては、面子が丸つぶれである。法的根拠がない状態で、間違った「行政指導」をしていたことが明らかになってしまう。
 また、実は、彼ら自身もホームページの利用がそれほど悪いとは思っていないのである。警察官は、自分の子供に自信を持って言えるだろうか。

 「お父さんは、選挙期間中にホームページを更新した極悪人を取り調べているんだよ。」

 そんなことは、とても言えない。
 警察も重大事件を摘発したいのである。例えば、買収事件などを摘発したいのである。
 だから、明白なホームページ利用の事例も、見て見ぬふりをするのである。
 そして、彼らは、時間稼ぎをしているのであろう。公職選挙法が改正されるのを待っているのであろう。公職選挙法が改正されれば、問題自体がなくなるのである。

 最後に、国会議員の立場から考えてみよう。なぜ、彼らは公職選挙法を改正しないのか。なぜ、インターネットが選挙に利用できるという規定が明確にある法律にしないのか。実は、現在の議員の多くはインターネットが苦手なのである。選挙においても、インターネットを利用しないで議員になった者が多いのである。法律を改正すると、自分が不利になるのである。だから、そのような法律はあまり作りたくないのである。

 
 こう見てみると、この状態で安定していることが分かるであろう。このような安定した状態だから、7年の長きにわたって変わらなかったのである。
 お互いに影響を及ぼし合い、一点で安定する。
 それが世界である。
 この安定を崩すのは難しい。
 
 では、安定した一点を崩すためには何をしたらいいのか。このような安定は、どのように崩れるのか。
 次回以降、この論点を論ずる。

 
〔補〕

 この文章を書いている時に私が思い浮かべていたのは、山岸俊男氏の理論である。
 山岸氏は、文化を次のように捉える。 

 心と行動のあいだの相互依存関係が生み出す相補均衡
  (『心でっかちな日本人』日本経済新聞社、113ページ)
 
 一般に、私達は、文化の違いを「心」の違いと捉えている。
 それに対して、山岸氏は、文化の違いを「相補均衡」の違いと捉える理論を提唱したのである。
 詳しくは、上の本をお読みいただきたい。

2007年04月20日

【活用事例】インターネット上で政見を動画配信

 緊急速報である。(論述の途中ではあるが。)
 
 門真市議・戸田ひさよし氏は、インターネットを活用する先進的活動を続けてきた。今回の選挙でも、また斬新な活動をしている。
 インターネットによる政見の動画配信である。
 これは、動画を使った最初の事例ではないか。選挙期間中にインターネットを活用して政見を訴えた最初の事例ではないか。画期的な試みである。
 
  ● 戸田ひさよし 個人演説
 
 インターネットならば、戸田氏の政見をじっくり聞くことが出来る。好きな時間に聞くことが出来る。必要ならば、何度でも聞くことが出来る。
 この試みと、選挙カーでの選挙活動を比べて欲しい。街を選挙カーが走ってくる。有権者と候補者は、一瞬ですれちがう。有権者が候補者の話をじっくりと聞くことは不可能である。この状況では、候補者は一番重要な情報を繰り返し言うしかない。つまり、名前を連呼することになる。
 もちろん、候補者が駅前などの一カ所に止まって演説をしていることもある。しかし、駅前にいる有権者は、たいていどこかへ行こうとして歩いているのである。忙しいのである。だから、立ち止まって長時間話を聞くのは難しい。
 その前に、有権者が候補者の演説に偶然出会う確率は非常に低い。
 インターネットによる政見の動画配信では、これらの問題が全て解決されている。
 まさに、「選挙活動は、『本来』インターネット上でするべきもの」なのである。これについては、次の文章で論じた。
 ぜひ、お読みいただきたい。
 
  ● インターネット上の選挙活動は自由である
 
 有権者が、候補者の詳しい政策を知りたいと思っても、既存の「現実」世界では不可能に近かったのである。しかし、インターネットならば、それが出来る。

 戸田氏の政見の動画配信のよって、この事実を確認できた。
 戸田氏だけではなく、候補者全員が政策の動画配信をおこなえばいい。(もちろん、文章でのインターネット公開もすればいい。)
 これで、有権者は、各候補者の政策を知ることが出来る。候補者を比較することが出来る。自分が投票する候補者を選ぶことが出来る。
 
 インターネット上での選挙活動を禁止することは、実は有権者から〈候補者を選ぶ権利〉を奪うことなのである。知らなければ選べない。
 

〔補〕

 戸田ひさよし氏は、選管の「注意」を無視してホームページを「断固活用」中である。
 
  ● 2007年 門真市議選情報
  
 私と戸田氏の心温まる(笑)やり取りなども紹介されている。
 ぜひ、ご注目いただきたい。

2007年04月28日

【重要な前例】選挙戦にインターネットを「断固活用」してトップ当選

 緊急速報である。(ちっとも、「速報」になっていないが。笑)
 論述の途中ではあるが。
 
 前回の文章でご紹介した戸田ひさよし氏がトップ当選を果たした。

  ● 2007年 門真市議選情報

 戸田氏は、「選挙戦にHPを断固活用」と明言して選挙戦を戦った。 
 インターネットの「断固活用」は有権者にはっきりと支持された。次のように考えてみよう。
 

 もし、戸田氏が「選挙戦に買収資金を断固活用」と宣言していたなら、どうだったろうか。
 
 それでは、当選はしなかっただろう。
 しかし、戸田氏は「選挙戦にHPを断固活用」と宣言して、トップ当選した。
 この宣言は有権者に支持された。(少なくとも、多くの有権者が「選挙戦にHPを断固活用」を悪いこととは思わなかったのは確かである。)
 
 総務省・選管の解釈によれば、「選挙戦にHPを断固活用」は「公職選挙法違反」である。当然、選管は「注意」した。
 しかし、戸田氏は選管の「注意」を無視した。そして、トップ当選を果たした。

 これは民意である。
 この事実は重い。

2007年04月29日

議会の〈情報公開〉こそ「変革」の中心

 前回、次のように書いた。 

 インターネットの「断固活用」は有権者にはっきりと支持された。

 さらに言えば、戸田ひさよし氏の「インターネットの『断固活用』」を中心とした〈情報公開〉の姿勢が支持されたのである。
 次のページを見ていただきたい。
 
  ● 議会の日程と内容の記録
 
 このページを見れば、門真市議会の様子が分かる。
 戸田氏は、門真市議会の「議論」の内容を報告し続けているのである。有権者に〈情報公開〉を続けているのである。
 戸田氏は、漫画家・青木雄二氏との対談で次のように言う。 
 青木雄二   市会議員の戸田さん、あんたも大変なことをはじめたなあ。
       この本でもわかるけど、ハッキリ言うて、あんた一人でがん
       ばってもなーんも変わらんと思うよ、門真市は。
 戸田ひさよし ははは。しょっぱなからキツイですね。
 青木雄二   いや、ほんまやで。……〔略〕……あんたとこの議会の議員
       たちもひどいけど、そんな議員らを選んだんは結局、市民なん
       や。
 戸田ひさよし でも、そういう議会の実態が市民に詳しく知らされていない
       中で選挙やっている、という面もありますしね。だから議会や
       議員の実態を情報公開していきながら変革しようと思うんです
       よ。
       (戸田ひさよし『チホー議会の闇の奥』青林工藝舎、8ページ)
 
 これは、まさに卓見である。
 〈情報公開〉は「変革」の中心である。
 「情報」を知らなければ、判断(投票)できない。しかし、現状では、有権者は「情報」を知らない状態で判断を求められている。「実態」が分からないのに、判断を求められている。
 〈情報公開〉が必要である。市民が「実態」をよく知れば、変化が起こるはずである。

 あなたの地域の議員は、議会の〈情報公開〉をおこなっているだろうか。
 たぶん、それほどおこなってはいないであろう。
 

 門真市だけではなく、全国の全ての議会に「戸田ひさよし」議員が必要なのである。

 インターネットでの〈情報公開〉を中心とした活動を意図的におこなう議員が必要なのである。

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