■ 虚偽だらけの綿引穣判決
東京地裁・綿引穣裁判長の判決は虚偽だらけである。(注1)
例えば、綿引穣裁判長はオリコンが烏賀陽弘道氏個人を訴えることを認める。SLAPP(恫喝訴訟)を容認する論を展開する。次のようにである。
一般に、不法行為責任を負担する者が複数存在する場合に、その被害者が全ての不法行為責任者に対して訴訟を提起する義務を負うことはない。
したがって、原告が、本件雑誌(サイゾー)の発行者や本件記事(サイゾー)の編集者に対して訴訟を提起せず、被告〔烏賀陽氏〕に対してのみ訴訟を提起したことをもって、本訴の提起を違法と評価することはできない。
〔東京地裁判決 41ページ〕
これは虚偽の論法である。
「一般に」「全ての不法行為責任者」を訴える「義務」が無いからと言って、名誉毀損訴訟において出版社を訴える「義務」が無いとは言えない。
名誉毀損訴訟の場合は、必ず出版社を訴えるべきである。訴える「義務」がある。なぜか。
名誉毀損の「主犯」は出版社だからである。「主犯」を抜きにして、「従犯」であるコメント提供者だけを訴えるのは著しく不合理だからである。もっとも重要な「不法行為責任者」を抜きにした訴訟は著しく不合理だからである。
■ 拳銃を撃った実行犯を訴えない訴訟を認めるのか
次のような喩えが分かり易いであろう。
殺人事件が起こった。
実行犯と実行犯に拳銃を渡した者の二人が逮捕された。
しかし、なぜか、実行犯は訴えられない。拳銃を渡した者だけが訴えられる。
「全ての不法行為責任者に対して訴訟を提起する義務」は無いからである。
綿引穣裁判長はこのような訴訟を認めるのか。
殺人事件で実行犯を訴えないことはありえない。
拳銃だけでは殺人は成立しない。拳銃を発射する行為があって初めて殺人は成立するのである。だから、実行犯を訴えない訴訟はどう考えても不合理である。
名誉毀損もこれと同様である。コメント(拳銃)だけでは名誉毀損は成立しない。出版(拳銃を発射する行為)があって初めて名誉毀損は成立するのである。(注2)
■ 損害額全額の支払いを実行犯でない者に要求する異常さ
さらに、具体的に問おう。
綿引穣裁判長は、烏賀陽弘道氏に対してオリコンへ100万円を支払うように命じた。
この100万円は、どういう金額なのか。
綿引穣裁判長は言う。
……〔略〕……本件コメント(サイゾー)による名誉毀損によって原告が被った損害の額は、100万円と認めるのが相当である。
〔東京地裁判決 41ページ〕
「損害の額は、100万円」とある。これは「損害」の総額である。
なぜ、「損害」の総額を「従犯」である烏賀陽弘道氏が全額払わなければならないのか。もし、払う必要があるのならば、「主犯」である出版社と烏賀陽弘道氏が共同で支払うのが当然である。責任の割合に応じて負担するのが当然である。
先程の喩えを思い出して欲しい。
家族を殺害された遺族が損害賠償請求の訴訟を起こす。しかし、なぜか、実行犯は訴えられない。拳銃を渡した者だけが訴えられる。そして、損害額が1億円と認定される。その損害額全額が拳銃を渡した者に請求される。
綿引穣裁判長はこのような状態を認めるのか。
著しく不合理であるとは考えないのか。
■ 正しい判決文はこうだ
要するに、綿引穣裁判長は虚偽の論法を使ったのである。名誉毀損の実態を踏まえずに、一般論を過剰に適用したのである。
先の判決文を正しく直せば次のようになる。
一般に、不法行為責任を負担する者が複数存在する場合に、その被害者が全ての不法行為責任者に対して訴訟を提起する義務を負うことはない。
しかし、主要な不法行為責任者に対して訴訟を提起しない行為は、著しく不合理である。名誉毀損は出版抜きでは成立しない。ゆえに、出版社に対して訴訟を提起しない場合、著しく妥当性を欠く訴訟であると判断される。
ゆえに、オリコンの訴えは妥当性を欠く。
綿引穣裁判長はこう言えばよかったのである。
しかし、綿引穣裁判長は、名誉毀損の実態を見ずに一般論を適用した。虚偽の論法を使ってしまった。
■ 重大な問題を引き起こす虚偽の論法
綿引穣氏の論法を使えば、次のようにさまざまな間違った主張が出来る。
一般に、鳥は空を飛ぶ。したがって、ニワトリは空を飛ぶ。〔「空を飛ぶ」というほど長い距離は飛べない。〕
一般に、裁判官は論理的である。したがって、綿引穣裁判長は論理的である。〔明らかに論理的ではない。〕
これは、一般論を不適切な特殊例に適用してしまう間違いである。
このような間違いを〈一般論過剰適用の虚偽〉と名づけよう。一般論を、適用するべきでない事例にまで過剰に適用してしまう間違いである。(注3)
綿引穣裁判長がこのような虚偽の論法を使っていることは重大な問題である。このような虚偽の論法でSLAPP(恫喝訴訟)が認められてしまっている。個人に不当な負担が課せられている。そして、ジャーナリズムが危機に瀕しているのである。
虚偽の論法が重大な問題を引き起こしているのである。
だから、次回以降、さらに綿引穣判決の虚偽を批判していく。
諸野脇@ネット哲学者
(注1)
哲学用語での「虚偽」とは、「間違った論証」のことである。
一般的に「虚偽の主張をした」と言えば、「意図して嘘の主張をした」という意味になるだろう。しかし、哲学用語では、単に「間違った主張をした」という意味になる。
哲学用語の「虚偽」には、意図を批判する意味は無い。
この点、注意していただきたい。
(注2)
もちろん、烏賀陽弘道氏のコメントは名誉毀損に問われるような内容ではない。だから、烏賀陽弘道氏のコメントは「拳銃」ではない。しかし、ここでは話を分かり易くするために、烏賀陽弘道氏のコメントが「拳銃」であるという比喩を使っている。
だから、もちろん、烏賀陽弘道氏は「従犯」でもない。
(注3)
これは、哲学・論理学の世界では、「単純偶然の虚偽」として知られる虚偽である。
単純偶然の虚偽〔fallacy of direct (simple) accident〕
一般的主張を特殊の場合にそのまま適用するために生じるアヤマリ〔思想の科学研究会編『哲学・論理用語事典』三一書房、184ページ〕
しかし、なんとも名前が分かりにくい。
だから、〈一般論過剰適用の虚偽〉と名づけた。
〔補論〕
念のため、出版社が「主犯」である理由を詳しく説明をしておこう。
それは、名誉毀損が成立するためには出版が不可欠だからである。
例えば、私のノートにこのような内容が書いてあったとする。
オリコンのチャートは予約枚数もカウントされている。大手レコード会社は、大量買い取りなどでオリコンのチャートを操作しようとしている。お金をもらって、オリコン自身がチャートを操作したこともあるらしい。
実は、オリコンはヤクザのフロント企業である。小池恒社長の背中には刺青が入っている。……
どんなことがそのノートに書いてあってもいい。
それが出版されない限り、ノートの内容を他者が読むことはない。出版されて初めて、読者の目に触れる。多数の目に触れる。多数の目に触れることによって、評判の低下が起こる。つまり、名誉毀損が起こるのである。
つまり、出版されない限り、名誉毀損は成立しないのである。
名誉毀損が成立するためには出版が必要不可欠である。
出版を抜きにした名誉毀損はあり得ない。
つまり、名誉毀損の「主犯」は出版社なのである。