二つの政党が同じ略称「日本」を使う事態となった。
異常な事態である。
私は、次のように書いた。
田中康夫代表は「同一の略称は混乱をもたらす」と言う。
当然、「混乱」が起こるであろう。
しかし、総務省側にはそんなことは関係ないのだ。
彼らの論理はこうだ。
私達は法律に基づき行動する。
法律に規定が無い以上どうしようもない。
総務省側はハードボイルドの世界なのである。現実にどんな大問題が起こっても彼らには関係ない。「民主」や「自民」を名乗る弱小政党が現れても彼らには関係ない。法律に基づき行動するのだから。法律が無ければ何もしない。法律ハードボイルドの世界なのだ。
● 略称「日本」問題を分析する 1 ――法律が無いという理由で同一略称を受け入れる総務省に、現実の問題を訴えても無駄である
今回の問題に対して、総務省・原口一博大臣はこのような姿勢を取った。法律ハードボイルドな姿勢を取った。
これは、いわば次のような姿勢である。
校則に「万引き禁止」と書いていないから、学生が万引きをしても容認する。
誠にアホらしい。ごく普通の市民はあきれるであろう。
しかし、観点を変えて考えてみよう。法律ハードボイルドな姿勢にどのような意味があるのかを考えてみよう。
法律ハードボイルドな姿勢の意義は何か。恣意的な公権力の行使を避けることである。恣意的な公権力の行使は危険である。だから、明文化された法律に基づいて公権力を行使する。出来るだけ公権力を行使しないようにする。
このような点で、法律ハードボイルドな姿勢には一理ある。
しかし、総務省・原口一博大臣は本当に法律ハードボイルドなのか。
本当に法律ハードボイルドであるならば、いつもそのような姿勢を取っているはずである。総務省・原口一博大臣はいつもそのような姿勢を取っているか。
いや、取っていない。
インターネットの選挙利用について総務省は恣意的に法律を拡大解釈している。それによって、インターネット上の選挙活動を十年も妨害し続けているのだ。
公職選挙法にはインターネットという語は一語もない。当たり前である。大昔に出来た法律なのである。
だから、総務省(当時は自治省)は次のように言えばよかったのだ。
今の法律では止める手だてはない。
総務省がこう言っていれば世界は変わったのである。
選挙におけるインターネット利用が進んだのである。選挙でインターネットを利用するのは世界の常識である。(注1)
それにもかかわらず、総務省はインターネットの選挙利用を妨害してしまった。〈ホームページが文書図画である〉と恣意的な解釈をしてしまった。
ホームページは見たい者がアクセスするものである。言わば、選挙事務所の資料室のようなものである。望まなくてもポストに入ってくるビラ(文書図画)とは全く違う。(注2)
なぜ、総務省は法律ハードボイルドな姿勢を取らなかったのか。「インターネットについては規定が無い」と言わなかったのか。
なぜ、原口一博大臣は、総務省の姿勢を変えようとしないのか。
やはり、総務省・原口一博大臣は、法律ハードボイルドではない。
十年間もインターネットの使用を妨害しているのである。公権力を行使し続けているのである。公権力の行使に慎重な訳ではない。
ある時は、〈法律に規定が無いから禁止できない〉と言う。
別の時は、法律を恣意的に解釈して禁止する。
これでは次のように疑われても仕方ない。自分の都合のよいように法律を解釈しているだけではないか。または、法律を解釈する能力が無いのではないか。(注3)
総務省は、十年間もインターネットの選挙利用を妨害してきたのである。
諸野脇@ネット哲学者
(注1)
次の文章をお読みいただきたい。
● ブログを更新して刑事告発される? オバマ大統領もびっくりだよ!
(注2)
詳しくは次の文章をお読みいただきたい。
● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か
総務省の解釈がいかに恣意的かを詳しく論じている。
(注3)
役所が出生届を不受理にしたことがある。親が子供に「悪魔」と名づけようとしたのである。
しかし、戸籍法には次のような文言しかない。
第50条 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。
これで不受理に出来るのならば、今回の政党の名前(略称)も不受理に出来るはずである。なぜ、不受理にしないのか。不思議である。
また、この条文で不受理にするためには、「ものすごい」論理解釈が必要だったはずである。それなのに、なぜ今回は普通の論理解釈すらしないのであろうか。不思議である。