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2007年08月 アーカイブ

2007年08月09日

【実験結果】 ブログで特定候補への投票を呼びかけても「お咎め」なし

 ブログで特定候補への投票を呼びかけてみた。(この行為は、総務省の解釈によれば、公職選挙法違反である。)
 次の文章である。
 
  ● 【実験】 発見できるかな(笑)
 
 これは実験である。
 ブロガーが、特定候補への投票を呼びかけたら、どうなってしまうのか。(笑)
 何か恐ろしいことが起こるのか。
 選管・警察から「注意」が来るのか。「逮捕」されるのか。
 それでは実験結果の発表である。

  何の「お咎め」もなかった。
  
 選管からも、警察からも何の連絡もない。
 残念である。(笑)
 
 もちろん、これは予想通りの結果である。
 次の文章で予想した通りである。
 
  ● ブログ規制は民主主義の否定
 
 数百万もあるブログを監視するのは不可能なのである。現実問題として、投票を呼びかける書き込みを発見・「摘発」するのは不可能なのである。
 だから、一般のブロガーが、特定候補への投票を呼びかけても、特に「お咎め」はない。つまり、総務省による公職選挙法の解釈を無視しても、何の問題もないのである。(注)
 

(注)

 誤解があるといけないので、念のため書く。
 この文脈では、私は、法律に違反することを勧めている訳ではない。
 次の二点を確認してもらいたい。

 1 〈ブログで特定候補への投票を呼びかけること〉は合法である。
 2 総務省が違法と考えていても、実務上「摘発」は不可能である。

 違法だというのは、総務省の恣意的な解釈に過ぎない。〈ブログで特定候補への投票を呼びかけることが公職選挙法違反だ〉というのは、間違った解釈なのである。(これについては、既に詳しく説明した。)
 このような間違った解釈に従う必要はない。
 そして、従わなくても、何の問題も起こらないのだ。

2007年08月10日

【「解禁」宣言?】 「ネット選挙活動規制を突破する」運動にも「お咎め」なし

 今回の参院選で、門真市議の戸田ひさよし氏は斬新な運動を実行した。
 次の文章で紹介した。
 
  ● 【戸田ひさよし氏がブロガーへ呼びかけ】「あなたのブログで『特定候補者への投票呼びかけ』を実行しよう」 

 この「呼びかけ」に応えて、多くの人が「特定候補者への投票呼びかけ」をおこなった。
 
  ● ネット選挙活動規制を今私達が突破する!「自由言論戦士」大特集
 
 この結果はどうなったのか。 
 

 何の「お咎め」もなしである。
  
 総務省・選管・警察は、何をしているのだろうか。
 このような行為を「公職選挙法違反である」と主張し続けてきたのである。
 それならば、取り締まるべきであろう。
 なぜ、何の行動も起こさないのか。
 誠に不明朗である。
 
 この運動は次のような特徴を持っている。 
 1 意図性 …… 戸田氏は「ネット選挙活動規制を突破する」という意図を持って呼びかけている。参加者も、その意図に賛同した者である。
 2 公開性 …… この運動はホームページ上でおこなわれている。しかも、アクセス数ナンバー1の有力ホームページ上でおこなわれている。戸田氏のホームページは、市議ホームページの中でもっともアクセス数の多いホームページなのである。
 3 大規模性…… 戸田氏の呼びかけに応じて、多くの者が運動に参加した。
 
 この行為を取り締まらずに、何を取り締まるのか。
 当局の側から見れば、「意図性」は「悪質性」である。気づかずにおこなってしまった行為より、「意図」しておこなった行為の方が「悪質」なのである。
 「公開性」により、「知らなかった」という言い訳が使えなくなる。おおっぴらにおこなわれた行為なのである。「知らなかった」では済まされない。
 「大規模性」は「影響性」である。小規模の行為より、「大規模」な行為の方が、社会に対する影響が大きい。
 
 つまり、本来、取り締まる必要性が高い行為なのである。
 この行為を取り締まらないならば、何も取り締まれなくなる。 
 
 これは、事実上のネット選挙「解禁」宣言である。
 「ネット選挙活動の取り締まりはしません」と宣言したも同然なのである。
  
 当局は、「解禁」宣言を出すつもりなのだろうか。
 出すつもりが無いならば、今からでも遅くはない。
 きちんと取り締まったらどうだろうか。(笑)
 私も含めて。(笑)


〔補〕
 
 彼らには、取り締まれない理由がある。「摘発」できない理由がある。
 次の文章で詳しく説明した。
 
  ● なぜ、世界は変わらないのか
  
 現状で〈安定した世界〉が成立している。
 しかし、「摘発」することによって、〈安定した世界〉が壊れてしまう。
 「摘発」して裁判になったら、却って彼らは困るのである。〈安定した世界〉が壊れてしまうのである。

2007年08月30日

「道徳は法律よりエライ」

 私は、「お上」に「お伺い」を立てる行為を批判した。
 
  ● 「お上」に「お伺い」を立てる愚
  ● ブログ規制は民主主義の否定
 
 なぜ、彼らは「お伺い」を立てたのか。法律を守りたかったのであろう。
 
 私は「法律を守ろう」などと考えたことがない。常に「正しくあろう」としているだけだ。
 私以外の多くの人も同じであろう。自分がすることが「法律違反かどうか」などと考えたこともないであろう。
 「正し」ければ、結果的に「法律を守」ることになる。
 もし、「正しい」行為が「法律違反」になるならば、「法律」の方が間違っているのだ。
 次の標語を覚えていて欲しい。 

 道徳は法律よりエライ

 法律は、所詮、人間が作ったものである。当然、不当な法律・不適切な法律が存在する。それに対して、道徳は法律を作る基となるものである。
 例えば、殺人を考えてみよう。殺人は、法律で禁止されているから悪いのか。違う。それは逆立ちした論理である。
 殺人は、道徳的に悪い行為だから法律で禁止されているのである。道徳の方が先なのである。道徳が法律の基となっているのである。
 だから、道徳の方が法律よりエライのである。
 
 独裁国家の国民は、この違いを実感しているであろう。道徳と法律の違いを実感しているであろう。法律は、独裁者が自分が都合のよいように決めた恣意的なものなのである。
 例えば、北朝鮮の国民は、国外のラジオ放送を聴くことを禁じられている。しかし、それは独裁者が恣意的に決めた法律に過ぎない。
 だから、そんな法律には、国民は従う必要はない。
 次のような報道があった。 
 青森県の深浦港で北朝鮮から逃亡したとみられる一家4人が保護された事件で、一家の所持品の中に、ラジオがあったことが分かった。国外の放送も自由に聴くことができる仕様で、一家は脱北前から韓国の放送などを聴いていて、日本人拉致問題の存在も知っていたという。……〔略〕……
 調べでは、北朝鮮で購入できるラジオは特定の局しか受信できないように周波数帯が固定されているというが、発見されたラジオはチューニングを変えられる仕様だった。既製品ではなく、部品を集めて手作りで組み立てられた可能性があるという。
  http://www.dennougedougakkai-ndd.org/~cielo/tdiary/?date=20070606

 「国外の放送」を聴くことを禁止するのは、独裁者の恣意的な都合に過ぎない。そのような法律には従わない方が道徳的に正しい。「道徳は法律よりエライ」のである。

 特定候補をブログで応援するのもこれと同じである。特定候補を応援する方が道徳的に正しい。
 既に、次の文章で論じた通りである。
 
  ● ブログで特定候補を応援するのが民主主義なのだ
 
 だから、私ならば、「お上」に「お伺い」を立てたりはしないであろう。
 応援したい候補がいれば、直ぐに応援を始めるだろう。
 だって、それが正しいのだから。
 「道徳は法律よりエライ」のだから。

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