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2008年11月 アーカイブ

2008年11月07日

【オリコン訴訟】江川紹子氏・佐高信氏がオリコンを批判する意見書

 江川紹子氏・佐高信氏のオリコンを批判する意見書が東京高裁に提出された。
 
   ● 江川紹子氏の意見書
   ● 佐高信氏の意見書

 これはいわゆる識者の意見である。
 識者の意見は、運動的に重要である。
 なぜか。
 裁判官に「この事件は大事件なんだ」と気づかせることになるからである。実は、多くの裁判官は、あまり考えていないのである。思考をけちるのである。(注)
 つまり、裁判官は、多くの場合、自力で「大事件かどうか」を考えない。世間の反応を見て判断する。だから、識者の意見書が提出されて初めて、「大事件なんだ」と判断するのである。
 今回、東京高裁に江川紹子氏・佐高信氏の意見書が提出さた。これで裁判官も大事件が起こっていることに気がついたであろう。「江川紹子の意見書が出るくらいだから、大事件なんだ」と。
 もしかしたら、オリコンも、この意見書で初めて気がついたのかもしれない。自分が大事件を起こしてしまったことを。
 遅いぞ。オリコン。(苦笑)
 
                       諸野脇@ネット哲学者
                       
                       
〔補〕

 その他、次のような意見書が提出されている。
 正に大事件である。
 
  ● 国境なき記者団 駐日代表の意見書
  ● 出版労連の意見書
  ● 出版ネッツの意見書


(注)

 裁判官が「あまり考えていない」・「思考をけちる」実例は、次の文章で示した。
 
  ● 【オリコン訴訟 判決批判1】東京地裁・綿引穣裁判長のSLAPP(恫喝訴訟)容認論の虚偽

2008年11月08日

【オリコン訴訟】オリコン、高裁で勝訴したら大変だぞ(笑)

 先の文章を書いていたところ、次のような情報が入ってきた。 

 裁判官が、まだ、この事件の重大性に気がついていない可能性がある。
 現に、東京高裁は大事件を審理する大法廷ではなく、通常の法廷でこの事件の審理をおこなおうとしている。

 江川紹子氏・佐高信氏の意見書が出ても、その事件の重大性に気がつかない?
 うーん。その可能性は……あるね。(苦笑)
 地裁の綿引穣判決を見ると、何が起こっても不思議は無い。(注1)
 
 これは焦った方がいい。
 オリコンは。(笑)
 
 もし、オリコンは、高裁で勝訴してしまったらどうするつもりなのだろう。
 地裁で勝訴しただけで、この騒ぎなのである。
 高裁で勝訴したら、大変な騒ぎになる。
 
 立花隆氏に『文藝春秋』で批判されるぞ。
 たぶん。(笑)
 SLAPP(恫喝訴訟)を起こした悪質企業として世界的に有名になるぞ。
 たぶん。(笑)
 SLAPP(恫喝訴訟)を起こした企業の実例としてジャーナリズム論の教科書に載るぞ。
 たぶん。(笑)
 怒ったジャーナリスト達がオリコンチャートのいい加減さをさらに報道するぞ。
 たぶん。(笑)
 
 どう考えても、勝訴した方がオリコンにとってマイナスなのである。(注2)
 オリコンは、何とか逃げる方法を考えた方がいい。地裁で勝訴しているのに、なぜか謝罪して和解するとか。(笑)
 何らかのウルトラC的な退却が必要なのである。
 古来より、〈退却戦がうまく出来る者が名将である〉と言われる。
 この窮地から逃げられれば、オリコンは正に名将である。(笑)
 
                      諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 綿引穣判決の異常さについては次の文章で詳しく論じた。
 
  ● 東京地裁が〈ジャーナリズムなど消えてしまえ〉判決を出す
  ● 東京地裁・綿引穣裁判長のSLAPP(恫喝訴訟)容認論の虚偽
  ● オリコンが明言した「殺意」を無視する異常な判決
 

(注2)

 この訴訟はオリコン自身に被害を与えている。オリコンの提訴をきっかけに、オリコンにとって都合の悪い情報が次々と報道されている。その事実を次の文章で指摘した。
 
  ● インターネットはオリコンを倒せるか
  
 高裁で勝訴してしまったら、もっと大変な事態になるであろう。

2008年11月09日

【オリコン訴訟】裁判官には楽な道を用意してあげよう(笑)

 烏賀陽弁護団が、新たに次のような趣旨の主張をした。(「控訴理由書」4ページ) 

 そもそも烏賀陽弘道氏はそのような内容を発言していない。
 
 これは、あっと驚かされる主張である。この主張は、次のようなシンプルな結論を導くからである。 
 烏賀陽氏は発言していない。発言していないことを名誉毀損には問えない。
 だから、オリコンの負け。
 
 シンプルそのものである。(笑)
 烏賀陽氏は、オリコンから名誉毀損で訴えられている。つまり、名誉毀損にあたる内容を発言したとして訴えられているのである。
 しかし、その発言をしていなかったらどうか。名誉毀損の前提が無くなってしまう。オリコンの主張が根底から覆ってしまうのである。
 
 烏賀陽氏は『サイゾー』誌に一言も書いていない。電話の取材に答えただけである。それを編集者が烏賀陽氏の発言としてまとめた。
 烏賀陽氏は、その内容に納得がいかず、編集者に抗議をしている。自分の発言を曲解されたからである。
 つまり、烏賀陽氏はそのような内容を発言していない。
 
 裁判官は、上のような烏賀陽弁護団の主張をどう考えるだろうか。非常に興味を惹かれるのではないか。発言していないなら、名誉毀損は成立しない。簡単に結論が出せるのである。
 発言していないならば、烏賀陽氏が発言したとされる内容の真偽を検討しなくてもよくなる。次のような複雑な問題を検討しなくてもよくなる。予約枚数がオリコンの集計に含まれているか。オリコンは統計手法を開示しているか。
 このような検討をしなくてすむならば、その方が楽である。
 私は、先の文章で次のように書いた。
 実は、多くの裁判官は、あまり考えていないのである。思考をけちるのである。

 裁判官は忙しいのである。簡単に結論が出る方向を探しているのである。
 だから、簡単に結論が出る論理構成を作ってあげることが大切である。楽な道を用意してあげることが大切である。
 〈烏賀陽弘道氏はそのような内容を発言していない〉という主張は、正にそのような論理構成である。
 裁判官には、ぜひ、楽をしてもらいたい。(笑)

                      諸野脇@ネット哲学者

2008年11月10日

【オリコン訴訟】裁判官が、とんちで重大事件を解決? 恵庭事件

 裁判官は「思考をけちる」ものである。(注1)
 実態を見てみよう。
 自衛隊が合憲かどうかが争われた恵庭事件である。(注2) 

 北海道で酪農業を営んでいた野崎兄弟は自衛隊の演習用の通信線を切って逮捕された。野崎兄弟は、自衛隊の演習によって度重なる被害を受けていた。乳牛の乳の出が悪くなったり、子牛が生まれにくくなったりしたのである。さらに、抗議も無視されたため、指揮所と発射所との間の通信線などをペンチで切ったのである。これが自衛隊法違反とされ、野崎兄弟は起訴された。「防衛の用に供する物を損壊」したとされたのである。
 弁護側は、四百人の大弁護団で「自衛隊は違憲であるため自衛隊法は無効」という論陣を張った。
 
 ここに確信犯的構造がある。
 つまり、次のような構造である。 
 わざと自衛隊法に違反することによって、裁判所を憲法判断に引きずりこむ。
 自衛隊が合憲かどうかの判断せざるを得ないように裁判所を追い込む。
 
 裁判官は困ったであろう。
 合憲と判断しても、違憲と判断しても、大変な事態になってしまうのである。
 違憲と判断すれば、国を敵に回すことになる。国を敵に回すのは恐い。
 合憲と判断すれば、世論を敵に回すことになる。何しろ、四百人の大弁護団が結成されているのである。これも、とても恐い。
 判断を下すことは出来ないのである。
 こういう時、一般的におこなわれるのが、楽な道を探して「逃げ」ることである。何とか憲法判断をしなくて済む方法を探すのである。
 裁判官はどう「逃げ」たか。
 演習用の通信線は、自衛隊法の定める「防衛の用に供する物」ではない。
 「防衛の用に供する物」とは、武器・弾薬・航空機のような対外的武力行使に使うものである。演習用の通信線はそのようなものではない。 
 だから、通信線を切った野崎兄弟は無罪。(注3)
 
 えっ。無罪?
 確かに、無罪ならば、憲法判断は必要ない。
 まさに、とんちの世界である。(笑)
 「裁判官、よく思いついたな。」と、笑ってしまう。(もちろん、笑い事ではないのであるが。)
 一休さんレベルの凄いとんちである。

 恵庭事件では、裁判官は見事に楽な道を探して「逃げ」た。
 オリコン訴訟の場合は、どうであろうか。
 綿引穣判決は、ジャーナリストの活動を不可能にする非常識な判決であった。既に、次の文章で詳しく説明した。
 
  ● 東京地裁が〈ジャーナリズムなど消えてしまえ〉判決を出す
 
 だから、この判決は、世界中のジャーナリストを敵に回すものである。
 東京高裁が綿引穣判決を追認すれば、批判の嵐になるであろう。世界中のジャーナリストから批判されるであろう。もう既に、国境なき記者団から意見書も出ている。
 
  ● 国境なき記者団 駐日代表の意見書
 
 世界中のジャーナリストが東京高裁の判決に注目することになる。それは、四百人の大弁護団より恐いのである。
 裁判官は「逃げ」た方が賢明である。
 烏賀陽氏は発言していない。
 だから、無罪。

 いいとんちだと思うのだが。(笑)
 
                      諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 念のため書く。「思考をけちる」は事実の指摘である。この文脈では、裁判官の行為を批判する意味ではない。「楽な道を探して『逃げ』る」・「とんち」も同様である。事実として、そのような状態があるという指摘をしたに過ぎない。「楽な道を探して『逃げ』るから、悪い」と主張している訳ではない。
 また、裁判官自身が「逃げよう」と意図しているとは限らない。だから、「逃げ」るとカギカッコを付けた。


(注2)

 「恵庭事件」を『小学館 スーパー・ニッポニカ 日本大百科全書』は次のように説明する。自衛隊の合憲・違憲が争われたにもかかわらず、判決は全くそれに触れない「肩すかし判決」であったことが分かる。

 自衛隊法が民間人に適用された初の事件であり、4年間の全訴訟過程において自衛隊(法)の合憲・違憲が争われた。1962年(昭和37)12月11日北海道石狩支庁恵庭町(現恵庭市)の自衛隊島松演習場内で、牧場経営者野崎兄弟が演習用通信線数か所を切断した。演習場付近ではすでに1955年以来ジェット機の射撃訓練、大砲実弾演習によって難聴や家畜の乳量・受胎率低下などの被害が続いており、野崎兄弟はたび重なる抗議のすえ、万策尽きてこの挙に出たものであった。事件は当初通常の器物損壊事件として捜査されたが、63年3月札幌地検が自衛隊法第121条違反(防衛用器物損壊)として起訴するや、自衛隊の違憲性を問う裁判として注目を集めた。以降、判決まで40回にわたる公判で、多数の憲法学者と400人に及ぶ大弁護団が自衛隊違憲論を展開し、地裁の憲法判断が期待された。しかし67年3月の判決は憲法判断に触れず、両被告の行為が自衛隊法第121条の構成要件に該当しないとして無罪を言い渡した。検察側の控訴放棄で判決は確定したが、新聞は「肩すかし判決」と評した。
 

(注3)

 判決文は次のページで見ることが出来る。
 
  ● 恵庭事件 第一審判決
  

2008年11月12日

【オリコン訴訟】裁判官は、とにかく和解させたがる

 前の文章で、裁判官が楽な道に「逃げ」る実例を示した。
 とんちを使うのである。(笑)
 しかし、とんちよりさらに楽な道がある。
 和解させるのである。原告・被告を和解させれば、判決文を書く必要がなくなる。判決文を書くには労力がかかる。書かない方が楽である。
 また、判決内容で批判される可能性もなくなる。
 綿引穣判決は次のような厳しい批判を受けた。(私の文章である。笑)
 
  ● 東京地裁が〈ジャーナリズムなど消えてしまえ〉判決を出す
  ● 東京地裁・綿引穣裁判長のSLAPP(恫喝訴訟)容認論の虚偽
  ● オリコンが明言した「殺意」を無視する異常な判決
 
 グーグルで「綿引穣」を検索すると、私の文章が4番目に出てくる。(2008年11月12日、現在)
 
   http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-15,GGLD:ja&q=%e7%b6%bf%e5%bc%95%e7%a9%a3

 もちろん、綿引穣判決を批判しているのは私だけではない。
 多くの人が批判している。次の文章で紹介した。
 
  ● 江川紹子氏・佐高信氏がオリコンを批判する意見書
 
 これは、綿引穣裁判官にとって嫌な事態であろう。

 判決文を書くということは、裁判官が主体となって行動することである。主体となれば責任が発生する。それは、ある意味「汚れ仕事」である。「汚れ仕事」を原告・被告がやってくれれば、それにこしたことはない。
 裁判官は、判決文を書きたがらない。和解させたがる。
 そういうインセンティブが働いているのである。
 
                      諸野脇@ネット哲学者

2008年11月16日

【オリコン訴訟】オリコンは、自分が掘った穴に落ちる(かも)  --SLAPPが裏目に!

 昔、おばあちゃんは言った。 

 人にしたことは自分に返ってくる。
  
 オリコンは、SLAPP(恫喝訴訟)のとがめを受けるかもしれない。
 自分の掘った穴に落ちるかもしれない。
 
 オリコンは、烏賀陽弘道氏だけを相手に名誉毀損の損害賠償訴訟を起こした。五千万円という高額の賠償を求めたのである。そして、なぜか、雑誌『サイゾー』の発行会社であるインフォバーンは訴えなかった。
 おかしな話である。 
 損害を回復したいならば、当然、インフォバーン社も訴えるはずである。
 個人が五千万円という金額を払えるとは考えにくい。
 しかし、会社であれば払える。
 だから、一般に、名誉毀損による損害賠償訴訟では会社も一緒に訴えるのである。
 
 個人だけを取り出して訴えるのには「腹黒い」意図があると考えざるを得ない。SLAPPであると考えざるを得ない。烏賀陽氏を恫喝し黙らせるための訴訟であると考えざるを得ない。(注1)
 その「腹黒い」行為がオリコンに返ってくる可能性がある。個人だけを訴えたことが裏目に出る可能性がある。
 先に説明した烏賀陽氏側の新しい主張を思い出していただきたい。 
 そもそも烏賀陽弘道氏はそのような内容を発言していない。
 
 この主張が認められれば、次のような結論が出る。 
 烏賀陽氏は発言していない。発言していないことを名誉毀損には問えない。
 だから、オリコンの負け。
 
 この主張が見事に決まると、オリコンにとっては最悪の結果になる。(注2)
 責任を取らせる相手がいなくなってしまうのである。次の事実に注目していただきたい。 
 仮にインフォーバーン社に名誉毀損の責任があったとしても、オリコンはインフォバーン社に責任を取らせることが出来ない。訴えていないのだから。
 手も足も出ないのである。
 
 仮に雑誌『サイゾー』に載った「コメント」がオリコンの名誉を毀損するものだったとする。その場合、烏賀陽氏が「発言していない」ならば、責任があるのは『サイゾー』編集部・インフォバーン社である。誰かがその「コメント」を作ったのは間違いないのである。(注3)
 しかし、オリコンは、インフォバーン社に責任を取らせることが出来ない。訴えていないのだから。
 普通に名誉毀損訴訟を起こしておけば、そのような状態にはならない。インフォバーン社も訴えておけば、そのような状態にはならない。しかし、個人だけを狙い撃ちにしたために、何も出来なくなってしまう。無様に負けてしまう。(注4)
 自分で掘った穴に自分で落ちたのである。
 SLAPPが裏目にでたのである。自業自得である。
 おばあちゃんの言うことは聞くものである。(笑)
 
                      諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 次の文章をご参照いただきたい。オリコンは、〈言論抑制目的〉であることを自ら明言している。
 
  ● オリコンが明言した「殺意」を無視する異常な判決
  ● ジャーナリスト個人を対象にした高額訴訟の不当性 --反SLAPPの論理


(注2)

 実は、オリコンにとって本当に最悪なのは、最高裁まで行って勝ってしまうことである。
 
  ● オリコン、高裁で勝訴したら大変だぞ(笑)

 最高裁で勝ってしまったら、もっと大変である。
 オリコンはジャーナリズムの歴史に大きな汚点を残すことになる。
 

(注3)

 これは、あくまでも仮定の話である。
 もちろん、雑誌『サイゾー』に載った「コメント」は、オリコンの名誉を毀損する内容ではない。
 全て、事実または事実と考えるに相当な理由がある内容である。


(注4)

 オリコンは、敗訴しても利益を得るという観点がある。
 SLAPPは「恫喝」が目的である。「恫喝」に成功すればいいのである。烏賀陽氏を疲弊させることが出来ればいいのである。
 この観点から見れば、オリコンは勝訴しても敗訴しても利益を得る。
 だから、〈訴え得〉を防止するシステムが必要である。
 次の文章で詳しく論じた。

  ● ジャーナリスト個人を対象にした高額訴訟の不当性 --反SLAPPの論理

 また、この訴訟をきっかけに、オリコンにとって都合の悪い事実が次々と報道されている。
 その事実を次の文章で示した。

  ● インターネットはオリコンを倒せるか

 これも〈訴え得〉を防止するシステムである。
 相手が「訴えるんじゃなかった」と後悔する位、報道を続けるのである。

2008年11月17日

【オリコン訴訟】秘密に迫ろうとしたジャーナリストが消される!

 多くの人に見落とされている事実がある。
 オリコンが烏賀陽弘道氏に訴状を送りつけてくるまでの過程である。
 訴状が届く前に、烏賀陽氏はオリコンに取材を申し込んでいるのである。つまり、次のような形式になっている。 

 取材しようとしたら、訴状が届いた。

 これはある種の基本形である。
 言論の自由を妨害する典型的な形式なのである。 
 秘密に迫ろうとしたジャーナリストが消される。

 国家の秘密に迫ろうとしたジャーナリストが消される。闇社会の秘密に迫ろうとしたジャーナリストが消される。
 これと同じ形式なのである。
 〈オリコンの秘密に迫ろうとしたら、高額訴訟で恫喝された〉という形式なのである。(注1)
 
 烏賀陽氏は『サイゾー』誌の電話取材に答えた。その結果、納得のいかない文言を「コメント」として載せられてしまう。
 そこで烏賀陽氏はオリコンに取材を申し込む。 
 1 「コメント」が納得のいかないものだったので、きちんと取材したいと思いオリコン広報部に取材を申し込む。すると、「えっ?烏賀陽さん? 後で担当の者から電話をさせるので、待っていて欲しい。」と言われる。
 2 なぜか、広報部からではなく弁護士から電話があり、質問内容をFAXで送るように言われる。
 3 質問内容を弁護士にFAXで送る。
 4 しかし、FAXへの回答は無く、内容証明が届き、訴状が届く。
 
 つまり、取材への「答え」として訴状が届いた形になっている。
 この過程は、うがやテレビで烏賀陽氏自身が詳しく語っている。
 
  ● オリコン訴訟第30話 オリコンは烏賀陽の「ちゃんと正確な情報を報道しましょう」という申し出を握りつぶしたうえ烏賀陽をいきなり提訴
 
 なぜ、オリコンは烏賀陽氏の取材に応えなかったのだろうか。
 烏賀陽氏の「コメント」とされる文言が間違っているならば、その時に訂正を要求すればよかったのである。
 
 オリコンは、それをせず、いきなり訴訟を起こした。これでは、「よほど調べられたくないことが質問内容の中にあったのであろう」と疑われても仕方ない。「秘密を隠すためにジャーナリストを消そうとしている」と疑われても仕方ない。
 取材のFAXに、訴状で「答える」会社はそうはないであろう。(苦笑)
 やはり、オリコンはヤクザ企業なのであろうか。(注2)
 
                      諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 この訴訟は様々な側面を持っている。
 「秘密に迫ろうとしたジャーナリストが消される」形は、その一つの側面である。
 烏賀陽氏には、報道被害者としての側面もある。電話取材に応えただけなのに訴えられたのである。
 次の文章で論じたのはその側面である。
 
  ● 裁判官には楽な道を用意してあげよう(笑)
  
 言論弾圧被害・報道被害の両方の側面があるのである。
 

(注2)

 オリコンの「ヤクザ企業」性は次の文章で詳しく論じた。
 
  ● ジャーナリスト個人を対象にした高額訴訟の不当性 --反SLAPPの論理

2008年11月18日

【オリコン訴訟 判決批判3】綿引穣裁判長は、殺人と殺人幇助との区別もつかないのか

 名誉毀損訴訟において、出版社を訴えず個人だけを訴えるのは、ほとんど前例が無い異常な行為である。
 東京地裁・綿引穣判決は、オリコンのこの異常な行為を容認した。「全ての不法行為責任者に対して訴訟を提起する義務」は無い、としたのである。
 しかし、この論は間違っている。次のような喩えを考えてもらいたい。

 殺人事件が起こった。
 実行犯と実行犯に拳銃を渡した者の二人が逮捕された。
 しかし、なぜか、実行犯は訴えられない。拳銃を渡した者だけが訴えられる。
 「全ての不法行為責任者に対して訴訟を提起する義務」は無いからである。

 実行犯を訴えない訴訟はどう考えても不合理である。
 コメント(拳銃)だけでは名誉毀損は成立しない。出版(拳銃を発射する行為)があって初めて名誉毀損は成立するのである。(注1)
 それでは、綿引穣裁判長は、コメントした個人と出版社との関係をどのように考えているのか。綿引裁判長は、判決で次のような趣旨を述べている。(注2) 
 雑誌の取材に答えた内容が雑誌に載っても、原則としてコメントした人には責任は無い。雑誌は、いろいろ取材して情報を取捨選択して記事を作るからである。
 しかし、そのままの形で雑誌に載ることが分かっていてコメントした場合は別である。その場合は、例外的に名誉毀損の責任がある。
 
 この論は一見もっともに思える。
 しかし、やはり間違っている。虚偽の論法なのである。
 上の比喩にこの論を当てはめてみよう。 
 一般に、拳銃を人に渡したとしても、殺人に使われることまでは予測できない。この場合は、渡した者は殺人の責任は負わなくてよい。
 しかし、殺人に使われると知りながら拳銃を渡した場合は別である。その場合は殺人の責任を負う。殺人罪で起訴されてもしかたない。
 
 ちょっと待った!
 それは、殺人の幇助でしょ?
 なぜ、殺人罪で起訴していいの?
 綿引穣裁判長は、殺人と殺人幇助の区別がつかないらしい。
 恐ろしいことである。
 
 名誉毀損の場合も、これと同様である。仮に、そのような形でコメントしたとしても、それは名誉毀損の幇助に過ぎない。
 名誉毀損に関係があるからといって、コメントした個人だけを取り出して名誉毀損で訴えてよいことにはならない。
 
 やはり、最初の比喩が生きている。
 拳銃を渡した者だけを殺人罪で訴えるのは不当である。
 同様に、コメントした個人だけを名誉毀損で訴えるのは不当なのである。
 
                      諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 詳しくは、次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● 東京地裁・綿引穣裁判長のSLAPP(恫喝訴訟)容認論の虚偽

 

(注2)

 実は、この部分が綿引穣判決の肝らしい。(苦笑)
 原文は次の通りである。 

 しかし、出版社からの取材に応じた者が、自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載される可能性が高いことを予測しこれを容認しながらあえて当該出版社に対してコメントを提供した場合は、その者が出版社からの取材に応じたことと、そのコメント内容がそのままの形で記事として掲載されそれにより他人の社会的評価を低下させたこととの間には、例外的に、相当因果関係があるものと解するのが相当である。〔東京地裁判決、29ページ〕

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