リンクに許可は不要である
「リンクに許可・許諾が必要である」という間違った考えがある。
その間違った考えを次の文章で批判した。(以前メールマガジン『インターネット哲学』で発表した文章をホームページにアップしたものである。)
● リンクに許可は必要か
「リンクに許可・許諾が必要」になれば、インターネット上のリンクの総数が減る。リンクはインターネットの中核である。〈リンク許可制〉は、その中核であるリンクを減らす。つまり、インターネット社会の発展を阻害する。
インターネット社会のグランドデザインを考える上で重要な文章である。
ぜひ、お読みいただきたい。
以下、この文章の主要な主張をまとめておく。
1 ホームページは多くの人に読んでもらうために公開するものである。公開する行為自体から、リンクに同意していると判断できる。だから、無断でリンクを張ればよい。
2 許可を得るのには労力がいる。リンクを張る方、張られる方の両方に負担がかかる。〈リンク許可制〉になった場合、インターネット社会全体で無駄な労力を使うことになる。
3 そのような負担がかかるならば、「リンクは張りたくない」と思うのが人情である。許可を得ることがマナーになったら、リンクの数が減る。インターネットの中核はリンクである。つまり、〈リンク許可制〉はインターネット社会の発展を阻害する。だから、インターネット社会のグランドデザインとして〈リンク許可制〉は不適切である。
4 「リンク禁止」と表示しているホームページもある。このような場合、私は「アホか。」と思う。ホームページを見てもらいたいのか。見てもらいたくないのか。どちらなのか。奇妙な行為である。
5 「リンク禁止」は確かに奇妙な行為である。しかし、それが本人の〈意向〉ならば、尊重するという大人の対応もあり得る。
6 しかし、それはあくまで〈意向〉を尊重してもらったに過ぎない。リンクを禁止する〈権利〉がある訳ではない。〈意向〉と〈権利〉とを区別しよう。
7 〈意向〉を尊重できない場合がある。悪徳商法のホームページにリンクを張り、その悪さを指摘する場合などである。
8 だから、リンクするかどうかは自分で決めてよい。ほとんどの場合、「リンク禁止」は「アホらしい」ものである。だから、「無視して、どんどんリンクを張ろう。」と思っても大きな問題はない。
詳しくは上の文章をお読みいただきたい。
とてつもなく詳しく書いてある。(笑)
念のため書く。
上の文章は、西原理恵子氏にケンカを売る文章ではない。(苦笑)
よく読むと、分かっていただけるはずである。
諸野脇@ネット哲学者