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2009年03月 アーカイブ

2009年03月18日

落選運動はインターネット上で自由にしてよい

 竹原信一 阿久根市長は、阿久根市議選の立候補者について言う。 

 その他に○○などは領収書詐欺容疑(領収書偽造を本人も認めた)で送検された状態での立候補、他にも送検されなかっただけで同じ事をした人間も居る。
今回は誰が議員としての仕事が出来るかというよりも、市民がどれだけ悪くないのを選べるかという選挙だ。これで粗大品は整理される。
   ● 2009/03/13 (金) お掃除選挙
  
 確かに「粗大品は整理」した方がいい。
 公費の「領収書偽造」をおこなった前市議は「粗大品」である。
 落選させたい。
 しかし、上の文章では、前市議の名前が「○○」と匿名になっている。だから、この文章を読んでも、誰を落選させたらいいのかが分からない。残念である。 
 ここで、竹原信一市長によいお知らせがある。 
 落選運動は公職選挙法違反ではない。
  
 「○○」氏の実名を公表してもいいである。
 実名を公表したとしても、それは「落選運動」だからである。 
 公職選挙法は「選挙運動」について規定している。しかし、「落選運動」は「選挙運動」ではない。つまり、公職選挙法には「落選運動」についての規定は無い。
 「選挙運動」は〈特定の候補の当選を目的にする運動〉である。「落選運動」は〈当選を目的にする運動〉ではない。〈特定の候補の落選を目的にする運動〉である。公職選挙法の定める「選挙運動」に「落選運動」は含まれないのである。
 
 だから、「粗大品」の実名を挙げても問題はない。
 それでは、私が実名を挙げよう。
 「○○」氏とは的場真一氏である。
 「落選運動」ならば、実名を挙げても何の問題もない。「的場真一候補を落選させよう。」と書いても何の問題はない。
 太田光征氏は言う。 
 12日に、総務省選挙課に問い合わせたところ、公職選挙法には個人による落選運動を禁止する規定はない、ただし2人が立候補していて、結果的に一方の当選に利する行為であれば、選挙運動になることがある、という旨の回答をもらいました。
   ● 落選運動を禁止する規定は公職選挙法にない

 総務省も「落選運動を禁止する規定はない」と認めている。(注1)
 もちろん、総務省が認めようが認めまいが、「選挙運動」の意味は変わらない。「選挙運動」に「落選運動」は含まれない。
 しかし、総務省が認めているならば、心配性の人も安心であろう。(注2)
 
 せっかくの「お掃除選挙」である。
 「粗大品」はたくさんゴミに出した方がいい。
 そのために「落選運動」は有効な手段である。
 
                  諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 もちろん、総務省が法律の解釈を決める訳ではない。
 解釈は、最終的には司法が決めるのである。
 「落選運動」の場合は、次のような判例がある。(上の文章を参照。)

 単に特定候補のみの落選〔を〕はかる行為は選挙運動とはいえない
  (S5.9.23 大審院判決)
 
 これではっきりした。「落選運動」は「選挙運動」ではない。
 しかし、インターネット上の「選挙運動」については、司法において解釈が定まっていない。判例が無いのである。
 〈選挙期間中にブログを更新したら公職選挙法違反である〉というのは総務省の恣意的な解釈に過ぎない。
 詳しくは、次の文章をお読みいただきたい。
 
   ● インターネット上での選挙活動は禁止されていない
   
 
 〈公職選挙法でブログ更新は禁止されていない〉と解釈する方がずっと自然なのである。
 
 
(注2)
 
 「お上」に「問い合わせ」をする行為には悪い影響がある。
 次の文章で論じた。
 
   ● 「お上」に「お伺い」を立てる愚 
   ● 〈問い合わせ〉行為自体が相手の行動を変えてしまう


 しかし、「問い合わせ」には別の影響もある。太田光征氏は、総務省から「落選運動を禁止する規定はない」との見解を引き出した。
 これは有効である。「お上」の「お墨付き」があれば、心配性の人でも安心できるのである。
 

2009年03月23日

ブログの活用で阿久根市議会の「お掃除」が進む

 阿久根市議会選挙の結果が出た。
 竹原市長はこの選挙を「お掃除選挙」と名づけていた。
 「お掃除」は出来たのか。「粗大品」はかたづけられたのか。
 私は以前、次のように書いた。

 阿久根市議会の状態を見ていただこう。
 
   ● スーパーモーニング「パック旅行で〝海外視察〟直撃! トンデモ市議会」

 政務調査費で温泉バスツアーに行った築地新公女議員。
 それを容認した京田道弘議長。
 領収証を偽造した的場眞一議員、山下孝男議員。
   http://shonowaki.com/2009/02/post_64.html


 上のビデオを見れば、これらの候補は落選させたくなる。
 特に、取材から逃げ回る築地新公女候補は落選させたくなる。(苦笑)
 結果はどうなったか。
 確認しよう。 
 築地新公女 落選
 的場眞一   落選
 京田道弘   引退
 山下孝男   引退
 
 全員が落選・引退した。
 「お掃除」は確実に進んでいる。
 事実を知れば、落選させたくなるのが当然である。
 今までは、事実が有権者に伝わっていなかったのである。今回の選挙では、事実が有権者に伝わった。伝わったので、有権者が当然の判断をすることが出来た。
 有権者に事実が伝われば、議会は変わるのである。
 この論点は次の文章で論じた。
 お読みいただきたい。
 
   ● 議会の〈情報公開〉こそ「変革」の中心 
 
 事実を伝えるために竹原信一氏のブログは役に立った。
 ブログをてこにして、事実を有権者に伝えることで「お掃除」が進んだのである。

                  諸野脇@ネット哲学者

2009年03月24日

有権者はそんなにバカなのか --公民権停止を考えるための論理

 戸田ひさよし議員が失職した。公民権停止2年間の罰を受けたのである。
 トップ当選を果たした議員が失職するのは前代未聞の事態である。
 重要な事実がある。 
 

戸田ひさよし氏は、有罪判決が出た後の選挙でトップ当選している。
 
 つまり、有権者は、戸田ひさよし氏がどのような罪に問われたかを知っていた。知った上でトップ当選という判断を下したのである。
 言わば、門真市民は戸田ひさよし氏に「無罪判決」を下したのだ。公民権停止を認めなかったのである。
 しかし、この「無罪判決」を否定する形で最高裁の判決が出たのである。
 つまり、次のような形になっている。 
 
有権者の判断より、裁判所の判断が優先されている。
 
 はたして、これでいいのだろうか。
 なぜ、裁判所は有権者の判断を否定できるのか。
 なぜ、公民権停止という罰があるのか。議員になることを禁止する罰があるのか。 
 
議員になる資格があるかどうかは有権者が判断すればいい。
 
 選挙という判断の機会があるのである。悪いことをすれば、有権者が議員の資格が無いと判断する。その候補者を落選させる。それでいいではないか。
 これが民主主義の原理である。
 なぜ、有権者の判断を否定する公民権停止という罰があるのか。
 それは、「有権者がバカだ」と考えているからである。 
  
公民権停止は「有権者はバカだ」という考えを含意する罰である。
  
 〈有権者はバカなので、落選させるべき議員を当選させてしまう〉と考えているのである。だから、有権者が選んだ議員を失職させるのである。また、立候補できないようにするのである。議員になる資格を停止するのである。〈有権者は適切な選択を出来ないので裁判所が助けてやる〉という訳である。
 
門真市民はバカ扱いされたのである。
 
 戸田ひさよし氏に投票した有権者はバカ扱いされたのである。
 怒るべきである。
 
 議員を自分で選ぶのは当然のことである。
 バカな選択をしたとしても、その結果を自分で引き受ければいい。
 民主主義とは〈自分達の責任でバカな選択肢を選ぶことが可能な制度〉なのである。前もって、誰かが選択肢を選んでくれる制度は民主主義ではない。

 確かに、私達はバカかもしれない。
 しかし、私達はバカ扱いされない権利を持っている。
 それが民主主義なのである。

                  諸野脇@ネット哲学者


〔関連リンク〕

 ● 門真市でも「政治資金規正法」悪用し市議逮捕
 ● 戸田ひさよし・連帯ユニオンへの不当弾圧糾弾!
 

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