メイン

インターネット選挙 アーカイブ

2007年04月07日

インターネット上での選挙活動は禁止されていない

 「公職選挙法でインターネット上での選挙活動が禁止されている」という「常識」とも闘ってきた。
 
  ● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
  ● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か  
 
 素朴に言って、公職選挙法にインターネットの利用を禁止する規定がある訳がない。
 大昔に作られた法律なのである。その時には、インターネットは存在しなかったのである。
 そんな昔にインターネットの出現を予想して法律を作っていたのか。日本にそんな超能力者がいたならば、法律ではなくてインターネットを作って欲しかった。(苦笑)
 それでは、禁止されているのは何か。規定枚数以上の「文書図画」(葉書・ビラなど)の「頒布」である。この〈「文書図画」の「頒布」〉と〈ホームページの公開〉とは全く違う。

 1 葉書・ビラは物である。「頒布」するとなくなってしまう。(だから、規定枚数が定められているのである。)たくさん「頒布」するにはお金がかかる。それに対して、〈ホームページの公開〉をしても、ホームページがなくなることはない。お金はかからない。
 2 ホームページは、見たい人だけが見るものである。ホームページを見るためには、アドレスをクリックする必要がある。つまり、ホームページを見るのは有権者の自発的行為なのである。それに対して、葉書・ビラは受け身である。望まなくても、ポストに入ってくる。

 このように両者は全く違うのである。
 だから、〈ホームページの公開〉は〈「文書図画」の「頒布」〉ではない。
 次のような比喩が分かりやすい。
 
  〈ホームページの公開は、選挙事務所内の資料室の公開である。〉
 
 選挙事務所内に資料室ある。そこに、自発的に閲覧希望者が来る。いろいろな資料を閲覧して、帰っていく。
 これと同じである。「ホームページ」には、資料を見たい有権者が自発的に見に行っているだけなのだ。このような自発的行為に対して、選管にとやかく言われる筋合いはない。
 詳しくは、上の二つの文章を読んでもらいたい。

 上の二つの文章は、この問題を考えるための定番的な文章になった。
 グーグルで「公職選挙法 インターネット」を検索してみよう。
 
  http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-15,GGLD:ja&q=%e5%85%ac%e8%81%b7%e9%81%b8%e6%8c%99%e6%b3%95%e3%80%80%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88
 
 二番目に私の文章が出てくる。だから、公職選挙法とインターネットの関係に興味を持った人は、私の文章を目にすることになるだろう。これは定番と言ってよいだろう。
 候補者が、選管に私の文章を示したという話も聞く。インターネット上での選挙活動をおこなう根拠として、選管に私の文章を示したのだ。
 だから、当然、総務省もこの文章の存在について知っているはずである。しかし、総務省からは何の反論もない。
 反論が無い以上、私としては、総務省は私の主張を認めていると解釈するしかない。(反論があるならば、文章を公開するべきであろう。)
 つまり、論理の問題としては、既に結論が出ている。インターネット上での選挙活動は禁止されていない。公職選挙法には、インターネットについての規定は存在しないのだ。

【結論】 インターネット上で選挙活動をしても「摘発」はされない

 選挙活動中もホームページを更新し続けた候補がいる。しかも、選管の警告を無視して、「選挙期間中もHP断固更新!」とホームページ上に明記して選挙活動を続けたのだ。それでも、「摘発」はされなかった。
 門真市議の戸田ひさよし氏である。

  ● 2003年 門真市議選情報
 
 また、前志賀町議の砂川次郎氏も「インターネットの選挙を広めるための選挙中毎日報告ページ」 と明記して、選挙活動を続けている。

  ● たぬきの薬屋さん環境ホームページ
    砂川君の議員報告  新規記載・ニュース

 これは前例である。(私の文章を激しく活用いただき、ありがとうございます。笑)
 選挙期間中に堂々と更新しているホームページが存在したのである。そして、選管も、それを知っていたのである。
 しかし、選管は何もしなかった。これほど明白な事例を「摘発」できなかったのである。
 このような前例がある以上、実際問題として、今後インターネット上での選挙活動を「摘発」することは難しいだろう。
 「戸田氏や砂川氏はよくて、なぜ俺は悪いんだ。」ということになるからである。

 実は、何度か、候補者の方から相談を受けたことがある。「『選管から公職選挙法に抵触している。』と言われている。」と言うのである。
 そのような場合、私は、上の前例をお教えしている。
 候補者の方の判断は様々である。
 しかし、「摘発」された例は一件もない。

 現実の問題としても、既に結論が出ている。

  【結論】 インターネット上で選挙活動をしても「摘発」はされない。

 私が知る限り、インターネット上で選挙活動をおこなって公職選挙法違反で「摘発」された例はない。(もし、「摘発」されたら、大きく報道されるはずである。「摘発」された例は全くないのだろう。)

 (もし、万が一、「摘発」されたとしても、それはそれで楽しいではないか。歴史に残る重要な仕事なのだから。私ならば、ぜひ、「摘発」してもらいのだが。笑)

2007年04月15日

しかし、実現しないインターネット選挙

 私は怒っている。
 いまだに、インターネット選挙が実現していないからである。ほとんどの候補者が「自主規制」しているからである。「インターネット上での選挙活動が公職選挙法で禁止されている」という間違った「常識」に従っているからである。
 かつて私は書いた。

 来年の参議院選挙までに、何とかなるならばまだよい。しかし、このままでは、何年もかかる可能性がある。インターネット選挙が、何年も実現しない可能性がある。
  ● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか

 日付を見てみる。「2000年7月6日」
 は?
 2000年7月?
 もう、約7年である。
 確かに「何年もかか」っている。
 もしかしたら、「何十年も」と書いておいた方がよかったのかもしれない。(苦笑)
 
 その後も、2001年と2003年に文章を書いた。
 
  ● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か
  ● インターネット上の選挙活動は自由である
 
 これらの文章は定番的な文章になった。
 そして、既にこのブログで書いたように現状は次の通りである。
 
  1 論理的には、総務省・選管はまともに反論できていない。
  2 現実的には、明白なインターネット上で選挙活動を「摘発」できない。
 
 このような現状であるにもかかわらず、インターネット上の選挙活動は一般的になっていない。
 依然として、選管・警察は次のように言い続けている。
 
  「公職選挙法に抵触する。」
 
 そして、ほとんどの候補者が、この根拠の無い「行政指導」に従っているのである。
 この不明朗な状態をどのように解釈するべきだろうか。
 「公職選挙法に抵触する」ならば、「摘発」すればよかったのである。「選挙期間中も毎日更新」と明示して更新を続けたホームページがあったのだから。
 そして、それほど明白な「抵触」を「摘発」できないのに、彼らは他のもっと穏やかなホームページに「警告」を続けている。そして、候補者は、その理不尽な「行政指導」に従っている。なぜ、このような不明朗な状態になっているのか。
 百歩譲って、公職選挙法がインターネット上の選挙活動を禁止していると認めてみよう。しかし、そうだとしても、なぜ、公職選挙法を改正できないのか。もう7年も経っているだ。
 
 私は怒っている。
 しかし、怒るだけではダメである。
 哲学の問題としては、これは大変興味深い事例である。
  
なぜ、世界は変わらないのか。
 
 読者の皆さんも、知っているだろう。世界は、なかなか変わらない。なぜ、世界は変わらないのだろうか。
 この事例を分析することで、この問いに対して答えを出すことが出来るだろう。
 次回、この問題を論ずる。

2007年04月19日

なぜ、世界は変わらないのか

 インターネット選挙が実現しない。
 しかも、もう7年も前から問題になっていたのにもかかわらずである。
 なぜ、インターネット上での選挙活動は実現しないのか。世界は変わらないのか。
 次のような簡単な原理で説明できる。 

 世界は、なるようになったものである。
  
 こう言い切っただけでは、誤解を招くであろう。
 次のように言いかえておこう。
 世界とは、関係者が影響を与え合い安定した一点である。

 安定した一点だから変わらない。
 多くの関係者がお互いに影響を与え合い、ある一点で安定する。一度、安定すると、変化させるのは難しい。
 インターネット選挙の場合、どのように安定しているのか。
 まず、候補者の立場から考えてみよう。なぜ、彼らは選管・警察の「公職選挙法に抵触する。」という「警告」に従うのか。面倒だからである。安全策を採るからである。
 それが原因で当選が無効になったら大変である。「そんな訳はない。」と思っても、念のため従っておく。

 次に、総務省・選管・警察の立場から考えてみよう。選管・警察は、なぜ、「警告」するのか。「警告」に従う候補者がほとんどだからである。
 では、なぜ、「選挙期間中もHP断固更新!」と書いて更新を続けるホームページを「摘発」しないのか。面倒だからである。
 裁判は面倒である。また、裁判になったら、負ける可能性がある。(総務省の法解釈は、一度も司法の判断を受けていないのである。)負けてしまっては、面子が丸つぶれである。法的根拠がない状態で、間違った「行政指導」をしていたことが明らかになってしまう。
 また、実は、彼ら自身もホームページの利用がそれほど悪いとは思っていないのである。警察官は、自分の子供に自信を持って言えるだろうか。

 「お父さんは、選挙期間中にホームページを更新した極悪人を取り調べているんだよ。」

 そんなことは、とても言えない。
 警察も重大事件を摘発したいのである。例えば、買収事件などを摘発したいのである。
 だから、明白なホームページ利用の事例も、見て見ぬふりをするのである。
 そして、彼らは、時間稼ぎをしているのであろう。公職選挙法が改正されるのを待っているのであろう。公職選挙法が改正されれば、問題自体がなくなるのである。

 最後に、国会議員の立場から考えてみよう。なぜ、彼らは公職選挙法を改正しないのか。なぜ、インターネットが選挙に利用できるという規定が明確にある法律にしないのか。実は、現在の議員の多くはインターネットが苦手なのである。選挙においても、インターネットを利用しないで議員になった者が多いのである。法律を改正すると、自分が不利になるのである。だから、そのような法律はあまり作りたくないのである。

 
 こう見てみると、この状態で安定していることが分かるであろう。このような安定した状態だから、7年の長きにわたって変わらなかったのである。
 お互いに影響を及ぼし合い、一点で安定する。
 それが世界である。
 この安定を崩すのは難しい。
 
 では、安定した一点を崩すためには何をしたらいいのか。このような安定は、どのように崩れるのか。
 次回以降、この論点を論ずる。

 
〔補〕

 この文章を書いている時に私が思い浮かべていたのは、山岸俊男氏の理論である。
 山岸氏は、文化を次のように捉える。 

 心と行動のあいだの相互依存関係が生み出す相補均衡
  (『心でっかちな日本人』日本経済新聞社、113ページ)
 
 一般に、私達は、文化の違いを「心」の違いと捉えている。
 それに対して、山岸氏は、文化の違いを「相補均衡」の違いと捉える理論を提唱したのである。
 詳しくは、上の本をお読みいただきたい。

2007年04月20日

【活用事例】インターネット上で政見を動画配信

 緊急速報である。(論述の途中ではあるが。)
 
 門真市議・戸田ひさよし氏は、インターネットを活用する先進的活動を続けてきた。今回の選挙でも、また斬新な活動をしている。
 インターネットによる政見の動画配信である。
 これは、動画を使った最初の事例ではないか。選挙期間中にインターネットを活用して政見を訴えた最初の事例ではないか。画期的な試みである。
 
  ● 戸田ひさよし 個人演説
 
 インターネットならば、戸田氏の政見をじっくり聞くことが出来る。好きな時間に聞くことが出来る。必要ならば、何度でも聞くことが出来る。
 この試みと、選挙カーでの選挙活動を比べて欲しい。街を選挙カーが走ってくる。有権者と候補者は、一瞬ですれちがう。有権者が候補者の話をじっくりと聞くことは不可能である。この状況では、候補者は一番重要な情報を繰り返し言うしかない。つまり、名前を連呼することになる。
 もちろん、候補者が駅前などの一カ所に止まって演説をしていることもある。しかし、駅前にいる有権者は、たいていどこかへ行こうとして歩いているのである。忙しいのである。だから、立ち止まって長時間話を聞くのは難しい。
 その前に、有権者が候補者の演説に偶然出会う確率は非常に低い。
 インターネットによる政見の動画配信では、これらの問題が全て解決されている。
 まさに、「選挙活動は、『本来』インターネット上でするべきもの」なのである。これについては、次の文章で論じた。
 ぜひ、お読みいただきたい。
 
  ● インターネット上の選挙活動は自由である
 
 有権者が、候補者の詳しい政策を知りたいと思っても、既存の「現実」世界では不可能に近かったのである。しかし、インターネットならば、それが出来る。

 戸田氏の政見の動画配信のよって、この事実を確認できた。
 戸田氏だけではなく、候補者全員が政策の動画配信をおこなえばいい。(もちろん、文章でのインターネット公開もすればいい。)
 これで、有権者は、各候補者の政策を知ることが出来る。候補者を比較することが出来る。自分が投票する候補者を選ぶことが出来る。
 
 インターネット上での選挙活動を禁止することは、実は有権者から〈候補者を選ぶ権利〉を奪うことなのである。知らなければ選べない。
 

〔補〕

 戸田ひさよし氏は、選管の「注意」を無視してホームページを「断固活用」中である。
 
  ● 2007年 門真市議選情報
  
 私と戸田氏の心温まる(笑)やり取りなども紹介されている。
 ぜひ、ご注目いただきたい。

2007年04月28日

【重要な前例】選挙戦にインターネットを「断固活用」してトップ当選

 緊急速報である。(ちっとも、「速報」になっていないが。笑)
 論述の途中ではあるが。
 
 前回の文章でご紹介した戸田ひさよし氏がトップ当選を果たした。

  ● 2007年 門真市議選情報

 戸田氏は、「選挙戦にHPを断固活用」と明言して選挙戦を戦った。 
 インターネットの「断固活用」は有権者にはっきりと支持された。次のように考えてみよう。
 

 もし、戸田氏が「選挙戦に買収資金を断固活用」と宣言していたなら、どうだったろうか。
 
 それでは、当選はしなかっただろう。
 しかし、戸田氏は「選挙戦にHPを断固活用」と宣言して、トップ当選した。
 この宣言は有権者に支持された。(少なくとも、多くの有権者が「選挙戦にHPを断固活用」を悪いこととは思わなかったのは確かである。)
 
 総務省・選管の解釈によれば、「選挙戦にHPを断固活用」は「公職選挙法違反」である。当然、選管は「注意」した。
 しかし、戸田氏は選管の「注意」を無視した。そして、トップ当選を果たした。

 これは民意である。
 この事実は重い。

2007年04月29日

議会の〈情報公開〉こそ「変革」の中心

 前回、次のように書いた。 

 インターネットの「断固活用」は有権者にはっきりと支持された。

 さらに言えば、戸田ひさよし氏の「インターネットの『断固活用』」を中心とした〈情報公開〉の姿勢が支持されたのである。
 次のページを見ていただきたい。
 
  ● 議会の日程と内容の記録
 
 このページを見れば、門真市議会の様子が分かる。
 戸田氏は、門真市議会の「議論」の内容を報告し続けているのである。有権者に〈情報公開〉を続けているのである。
 戸田氏は、漫画家・青木雄二氏との対談で次のように言う。 
 青木雄二   市会議員の戸田さん、あんたも大変なことをはじめたなあ。
       この本でもわかるけど、ハッキリ言うて、あんた一人でがん
       ばってもなーんも変わらんと思うよ、門真市は。
 戸田ひさよし ははは。しょっぱなからキツイですね。
 青木雄二   いや、ほんまやで。……〔略〕……あんたとこの議会の議員
       たちもひどいけど、そんな議員らを選んだんは結局、市民なん
       や。
 戸田ひさよし でも、そういう議会の実態が市民に詳しく知らされていない
       中で選挙やっている、という面もありますしね。だから議会や
       議員の実態を情報公開していきながら変革しようと思うんです
       よ。
       (戸田ひさよし『チホー議会の闇の奥』青林工藝舎、8ページ)
 
 これは、まさに卓見である。
 〈情報公開〉は「変革」の中心である。
 「情報」を知らなければ、判断(投票)できない。しかし、現状では、有権者は「情報」を知らない状態で判断を求められている。「実態」が分からないのに、判断を求められている。
 〈情報公開〉が必要である。市民が「実態」をよく知れば、変化が起こるはずである。

 あなたの地域の議員は、議会の〈情報公開〉をおこなっているだろうか。
 たぶん、それほどおこなってはいないであろう。
 

 門真市だけではなく、全国の全ての議会に「戸田ひさよし」議員が必要なのである。

 インターネットでの〈情報公開〉を中心とした活動を意図的におこなう議員が必要なのである。

2007年05月03日

【緊急提案】せっかくだから戸田ひさよし議員を逮捕したらどうか

 選管の「注意」を無視して「HPを断固活用」し、トップ当選を果たした議員がいる。
 そして、「摘発」もされていない。
 門真市議の戸田ひさよし氏である。
 戸田氏のホームページの掲示板を見る。

 門真署や大阪腐警は、宮崎親分〔宮埼学氏〕や諸野脇先生〔私。えっ?私?〕も敵に回して「日本初のHP選挙活用裁判」をやってみるかい? 「グローバルスタンダード」的に国際的事件になると思うよ。

 分かった。
 私も覚悟を決めた。(笑)
 門真署や大阪府警も、せっかくこう言ってもらったんだから、がんばってもらいたい。ぜひ、戸田ひさよし氏を逮捕してもらいたい。そして、世界に日本の異常なインターネット「規制」を知ってもらおう。一緒に歴史に残る判例を作ろう。
 
 堂々かつ過激にインターネットを活用して、トップ当選。
 これは重要な事例である。
 
 これほどの事例を「摘発」できないならば、今後は口を慎んでもらいたい。つまり、どちらかにするべきであろう。
 
 1 戸田ひさよし氏のインターネット活用を公職選挙法違反で「摘発」する。
 2 〈選挙期間中のインターネット活用は公職選挙法違反だ〉という法解釈を改める。(口を慎む。)
 
 現状の総務省・選管・警察の行動は、不明朗で筋が通っていない。
 総務省・選管・警察は、筋の通った行動をするべきである。

2007年06月03日

「安定した世界」は、「被害者」にも変えられない

 私は、次の文章で、〈世界は「安定した一点」だから変わらない〉という趣旨を述べた。〈インターネット選挙の現状は「安定」してしまっている〉という趣旨を述べた。

  ● なぜ、世界は変わらないのか

 しかし、不思議なことがある。この「安定」には「被害者」がいるのである。戸田氏の対立候補である。
 彼らは、「不当」な状態におかれている。戸田氏だけが選挙活動にインターネットを活用できる。自分達はインターネットを活用できない。これは「不公平」である。
 次のうちのどちらかであるはずだ。
 
 1 戸田候補のホームページ活用が違法である。
 2 違法だという選管の「指導」が間違っている。
 
 戸田氏の対立候補は何をしているのだろうか。こんな「不当」な状態で「安定」させてはいけない。言うならば、彼らは「安定」を壊す義務を負っているだ。
 白黒つけたくなるはずである。「正義感」があるならば。
 選管や警察に訴え続け、戸田氏の行為を「摘発」させるべきである。警察を現実に動かすことが出来たとすれば、見上げたものである。それほどの気骨が戸田氏の対立候補にあるのか。それが問題である。
 そのような気骨がある人物は、ある意味、味方のようなものである。
 物事をはっきりさせる同志である。(笑)
 
 仮に「正義感」に燃えて、戸田氏のホームページ活用を「摘発」させようとした候補者がいたとする。もし、インターネット選挙の現状が「安定」しているならば、彼はとても苦しい思いをするはずである。何しろ「安定」しているのだから、それを変えまいとする力が働くのである。
 彼がどのような目に遭う可能性があるのか。想像してみよう。
  
 ○ 突然、警察の担当者と連絡が取れなくなる。いつ電話しても留守だ。
 ○ 「『告発』を受けつけた事実はない。」・「書面で『告発』していないから無効だ。」などと言われる。
 ○ 提出した書面を書きかえられて無効にされている。
 ○ 自分が所属している政党の国会議員などに相談しても、「ああいうのは無視しておけばいいんだよ。」・「ああいうのに関わるのは君のためにならない。」などと言われる。
 
 これらは、あくまで想像である。この件の実際の手続きと合致しているかも分からない。
 しかし、これに類似した事例を読者の皆さんは思い浮かべることが出来るであろう。
 それは、「安定した一点」を変えまいとする力である。
 このような目にあっては、よほど「正義感」が強い人物でなければ耐えられないであろう。
 
 さらに、重要な事実がある。戸田氏の行為を「摘発」させたとしても、ほとんどの対立候補は得をする訳ではないのである。
 門真市の有力議員にとって、自分が当選することは決まったようなものである。また、戸田氏は連続トップ当選である。だから、「選挙戦にHPを断固活用」を止めさせたとしても、あまり意味がない。インターネットを「断固活用」しなくても、戸田氏は当選するのである。
 だから、問題は「不公平」だけである。これは、大筋で「損得」の問題ではなく、「正義」の問題なのである。
 このような状況でがんばれる人物は非常に少ない。
 「被害者」も黙ってしまい、「安定」は揺るがない。
 

 世界とは、関係者が影響を与え合い安定した一点である。
 
 「安定した一点」を変えるのは非常に難しいのである。
 「被害者」を踏みつけにしてまで、「安定」は維持される。
 

〔補〕

 以前、私は三菱地所の異常な顧客対応を批判した。
 
  ● 【三菱地所の情報隠蔽体質批判1】インターネットによる情報公開は社会をどう変えるか
  ● 【三菱地所の情報隠蔽体質批判2】〈反-対話戦略〉を破壊せよ
  ● 【三菱地所の情報隠蔽体質批判3】 情報公開は、だまされない権利を個人に保障するためのシステム
 
 この異常な顧客対応も、「安定した世界」を守ろうとする行為なのであろう。
 つまり、〈顧客に情報を公開しない〉という形で「安定した世界」になっていた。その「安定」を私が壊そうとした。だから、何が何でも「安定」を守ろうとして、異常な行為を繰り返したのであろう。
 その後、彼らの対応はさらに異常になった。嘘をつきまくり、いつ電話しても「留守」になり……。(苦笑)
 これも、おいおい論じていく。

2007年07月06日

なぜ、欧米ではインターネット選挙が実現しているのか

 それでは、なぜ、欧米ではインターネット選挙が実現しているのか。
 欧米諸国にも、インターネットの利用を規定する法律など無かった。法律を作った時には、インターネットなど無かったのだから。
 この点では、日本と欧米諸国とは同じである。

 しかし、現実のインターネット利用では大きな差がついている。
 日本では選挙活動にインターネットが利用されていない。(ごく一部の例外を除いて。)それに対して、欧米では選挙活動にインターネットが利用されている。米国でも、英国でも、ドイツでも、フランスでも、ほとんど自由にインターネットが利用されている。

 それはなぜか。
 人々の行動が違うからである。関係者の行動が違うからである。
 欧米では、規定がなければ、候補者が勝手にインターネットの利用を始める。また、市民も勝手に利用を始める。選管が「法律に觝触する。」と言っても、彼らは利用を止めない。インターネットについての規定はないのだから。
 その現状に合わせて、選管も行動を選ぶ。「法律に抵触する。」と言っても、誰も従わないのである。言っても、恥をかくだけである。だから、そんなことは言わない。
 インターネット利用を認めるしかないのである。
 
 こうして、インターネットを選挙で利用できる世界が出来あがる。
 世界が、別の一点で「安定」したのである。
 それは、候補者の行動が違うからである。市民の行動が違うからである。選管の行動が違うからである。

 世界とは、関係者が影響を与え合い安定した一点である。
 だから、関係者の行動が違えば、当然、それに応じて別の世界が現れる。別の一点で世界は「安定」する。  欧米諸国では、自由にインターネットを利用できる一点で世界が「安定」した。  日本では、インターネットを利用できない一点で世界が「安定」した。  日本と欧米とは全く違う世界になったのである。

 この違いの原因を法律の違いに求める考えがある。
 しかし、それは間違いである。
 原因は人々の行動の違いである。人々の行動が違ったため、別の世界が現れたのである。世界が別の一点で「安定」したのである。関係者が影響を及ぼし合い、そのような世界を作っているのである。

2007年07月20日

「お上」に「お伺い」を立てる愚

 日本では、「お上」に「お伺い」を立てた者がいた。新党さきがけである。
 〈インターネットの利用が公職選挙法に違反するかどうか〉を自治省(当時)に問い合わせたのである。(注)
 
  http://www.jsdi.or.jp/~y_ide/9610saki_qa.htm
 
 率直に感想を述べる。

 アホか!

 役人に「違反するかどうか」を聞けば、「違反する」と言うに決まっている。もちろん、新党さきがけも、そのように言われた。規制が彼らの権力の源なのである。
 次のような笑い話がある位である。

 賄賂を取り過ぎて、便所の番人に左遷された役人がいた。
 友人が心配して声をかけると、彼曰く。
 「なあに、大丈夫だ。入りたい奴を入れないようにして、出たい奴を出られないようにすればいいだけだ。」
 
 便所に「入れないように」規制すれば、金が取れる。「出られないように」規制しても、金が取れる。
 役人の権力は、このような規制があるから成立するのである。だから、彼らは出来るだけ規制を多くしようとする。(彼ら自身に、明確にそのような意識があるかどうかは分からないが。)
 「お上」に「お伺い」を立ててはいけなかったのである。聞かずに、インターネットの活用を始めればよかったのである。みんなで活用を始めればよかったのである。
 インターネットの活用が一般的になってしまえば、もう変えようがない。役人も「事後承認」せざるを得なくなる。
 人々の行動が違えば、世界が変わっていた可能性がある。別の一点で「安定」していた可能性がある。
 インターネット選挙が実現していたかもしれないのだ。
 
 
(注)

 新党さきがけの質問は、押し気味の質問である。つまり、大筋で質問の形をした批判である。質問としてはよく出来ている。
 しかし、現実には、逆効果になってしまった。役人に規制をするきっかけを与えてしまった。
 社会現象として、興味深い事例である。

2007年07月21日

〈問い合わせ〉行為自体が相手の行動を変えてしまう

 新党さきがけは、自治省(当時)に〈インターネットの利用が公職選挙法に違反するかどうか〉を〈問い合わせ〉た。
 〈問い合わせ〉ただけである。
 だから、論理的には、自治省の解釈に影響を与えないはずである。
 
 しかし、現実問題としては違う。
 〈問い合わせ〉があったという事実自体が、彼らの解釈に影響を与えるのである。次のような情報を彼らに与えているのである。
 
 1 〈問い合わせ〉が来るほど重要な問題である。
 2 公職選挙法に違反しているかもしれない問題である。

 
 〈問い合わせ〉をしたという事実が相手の解釈を変えてしまうのである。〈問い合わせ〉が無ければ、見逃していた問題に気がついてしまう。必要以上に、その問題を重要だと考えてしまう。
 〈問い合わせ〉は、単なる〈問い合わせ〉ではない。〈問い合わせ〉という行為をおこなっているのである。
 こちらが〈問い合わせ〉という行為をしたことが、相手の行動を変えてしまうのである。
 
 松井証券が「個人投資家の投資行動」の研究を「無期限で延期」したという報道があった。 

 顧客の株式売買データなどを匿名で一橋大に提供する計画だったが、提供に同意しない顧客からの問い合わせが3千件以上も寄せられたため。松井は「説明不足の面もあり、延期を決めた」としている。……〔略〕……松井によると、5月30日に顧客向けのホームページで研究について、拒否する人は連絡するようにと呼びかけた。〔『朝日新聞』2007.6.6.〕
 
 もう、読者の皆さんはお分かりであろう。
 「拒否する人は連絡するようにと呼びかけた」こと自体が、顧客に間違った情報を与えたのである。〈「拒否」が必要なほど問題のある計画だ〉という情報を与えたのである。
 「売買データ」を「匿名」で統計的に処理することは、顧客に何の被害も与えない。しかし、普通、何の被害も与えないような件で「呼びかけ」はおこなわない。このように「呼びかけ」られれば、〈何か問題があるのではないか〉と不安になるのは自然である。
 
 新党さきがけは、このような〈問い合わせ〉行為自体の影響について無自覚であった。記号活動の複雑性を理解していなかった。
 次のような区別が、この問題の理解の役に立つ。
 
  意味論 …… 言葉とその指示対象との関係の分析
  語用論 …… 言葉とその使用者との関係の分析

 
 〈問い合わせ〉行為は、語用論の範囲の問題である。言葉によって使用者が影響を受けるのである。その影響が問題なのである。
 新党さきがけは、その影響に無自覚であった。間違って意味論範囲の問題だと考えていたのである。
 意味論と語用論の区別が出来ていなかったのである。

2007年07月22日

ブログ規制は民主主義の否定

 ブログについても、「お上」に「お伺い」を立てた者がいる。〈ブログの利用が公職選挙法に違反するかどうか〉を〈問い合わせ〉たのである。
  
  http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2005/08/no_action_lette_3b49.html
  http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2005/09/election_ecb5.html
  
 率直に感想を述べる。
 

 アホか!
 
 まず、次の事実を確認しよう。
 
 あなたのブログを役人は読んでいない。

 
 役人が、全てのブログを確認するのは不可能である。ブログは数百万もあるのだ。
 まず、始めてしまえばいいのである。(既に詳しく論じたように、インターネットの利用を規定する法律など無いのだから。)

 向こうが気づいて何か言ってきたら、その時に対応を考えればいい。
 私ならば、インターネット上の選挙活動が「摘発」されなかった前例を挙げて、説明を求める。「戸田氏のサイトがよくて、なぜ自分のサイトが悪いのか」を文章で回答させる。
 面倒ならば、その時に、候補者名を伏せ字にすればよい。そして、ブログで選管・警察に規制された事実を伝えればよい。
 却って、注目度が上がってアクセスが増えるであろう。(笑)
 
 民主主義とは突き詰めれば、〈一人が一人を説得すること〉である。ある一人の人間が別の一人の人間の考えを変えようと働きかけることである。
 だから、〈一人が一人を説得する〉権利が認められていることが重要である。表現の自由が認められていることが重要である。
 特定の候補者をブログで応援するのは、民主主義の中核的行為である。必要不可欠の行為である。
 だから、ブログでの特定候補者の応援を規制するのは不当である。民主主義社会ではあってはならないことなのである。
 

2007年07月23日

【戸田ひさよし氏がブロガーへ呼びかけ】 「あなたのブログで『特定候補者への投票呼びかけ』を実行しよう」

 門真市議の戸田ひさよし氏は、インターネット活用の先駆者である。「選挙戦にHPを断固活用」と明言して選挙戦を戦い、トップ当選した。

 その戸田ひさよし氏が斬新な提案をしている。「ネット選挙活動規制」に従わないように呼びかけているのだ。 

あなたのHP・ブログで「特定候補者・団体への投票呼びかけ」を断固として実行しよう!「選挙演説の内容報道」も行おう!

 これは、ブロガーへの呼びかけである。
 既に述べたように「ブログ規制は民主主義の否定」である。
 だから、この呼びかけは、民主主義を守るための重要な呼びかけである。

 特集ページは次である。(なぜか、私の文章が満載である。笑)
 
  ● ネット選挙活動規制を今私達が突破する!「自由言論戦士」大特集
 
 ぜひ、ご注目いただきたい。

2007年07月24日

【戸田書簡への返信】 ブログで特定候補を応援するのが民主主義なのだ

 戸田ひさよし氏から次の公開書簡をいただいた。
 
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=1866;id=01
  
 下の文章は、それに対する返信である。
 民主主義の根本原理から、ブログ規制に反対する論を立てている。
 ぜひ、ご注目いただきたい。


● ブログで特定候補を応援するのが民主主義なのだ

戸田 ひさよし 様

 民主主義とは、突き詰めれば〈一人が一人を説得すること〉です。ある一人の人間が別の一人の人間の考えを変えようと働きかけることです。
 そのような働きかけによって、最初は少人数の者しか持っていなかった考えが広まって大きな力になる。そのようなダイナミックな過程が民主主義なのです。
 だから、ブログ・ホームページで次のような訴えをするのは、民主主義社会では必要不可欠のことです。
 
 「A候補に投票しよう。理由は……である。」

 しかし、総務省は、この必要不可欠な行為を禁止しようとしています。公職選挙法で禁止されていると言うのです。
 彼らは正気なのでしょうか。
 それは、次のように言っているも同然なのです。
 
 「日本は民主主義国ではありません。言論の自由などありません。」
 
 まず、インターネットの利用を禁止する規定は公職選挙法にはありません。これは、既に詳しく論じました。
 
  ◆ インターネット選挙 アーカイブ
  http://shonowaki.com/cat3/
 
 そして、仮にそんな法律があったとすれば、直ぐに撤廃するべきでしょう。民主主義の中核的な活動を禁止する法律が存在するのならば、そんな国は民主主義国ではありません。
 
 また、別の意味でも、彼らは正気とは思えません。
 彼らは、数百万もあるブログ・ホームページをどうやって監視するつもりなのでしょうか。総務省自身が発表したブログ・ホームページの作成者数が約466万人(2006年10月時点)なのです。数百万を監視できると考える方がどうかしています。
 監視しようがないのです。
 
 戸田さんは「誰もが実行できる戦術」を提案されています。
 ブログ・ホームページを持つ人間が、みんなで次のように書くという「戦術」です。
 
 「A候補に投票しよう。理由は……である。」
 
 これは実に簡単なことです。(そして、重要なことです。)
 そして、たぶん、総務省・選管はその書き込みを発見できません。

 世界は、行動の積み重ねで変わることがあります。何万人という人が、インターネットの利用を始めてしまえば、もう規制のしようがないのです。既成事実化してしまうのです。
 
 この戸田提案に賛成です。
 私は、この戸田提案を全面的にサポートしていくつもりです。
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                   諸野脇 正 (しょのわき ただし)
                 【Web Site】  http://www.irev.org/
                 【ブログ】   http://shonowaki.com/

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

2007年07月28日

【実験】 発見できるかな(笑)

 ブログで特定候補を応援したとしても、総務省・選管・警察は発見できない。
 発見したとしても、「摘発」は出来ない。
 既に、詳しく論じてきた通りである。
 
 それでは、実験をしてみよう。
 このブログで特定候補を応援してみるのである。
 彼らはこの書き込みを発見できるだろうか。(笑)
 

 東京選挙区は 鈴木 寛 に投票しよう。
 理由は、インターネットで〈情報公開〉を熱心にしているからである。
 Yahoo!みんなの政治を見てみる。
 
  参議院議員 民主党 鈴木 寛(スズキ カン)
   http://seiji.yahoo.co.jp/giin/minshu/000113/
  
 活動記録(597件)、議案コメント(649件)と表示される。
 これは驚異的な数である。
 別の議員を見てみよう。
 
  参議院議員 自民党 保坂 三蔵(ホサカ サンゾウ)
   http://seiji.yahoo.co.jp/giin/jimin/000190/
  
 活動記録・議案コメント、ともに0件である。
 どちらがインターネットでの〈情報公開〉に熱心かは一目瞭然である。
 
 東京選挙区は、インターネットによる〈情報公開〉に力を入れている鈴木寛に。
 「議会の〈情報公開〉こそ『変革』の中心」なのであるから。

 
 今、こっそりと(笑)特定候補を応援してみた。
 これは実験である。
 
 このブログは、インターネット選挙問題については目立っているブログである。このブログで問題なければ、普通のブログで問題が起こることはまず無いであろう。

 さあ、どうなるか。
 発見できるかな。(笑)

2007年08月09日

【実験結果】 ブログで特定候補への投票を呼びかけても「お咎め」なし

 ブログで特定候補への投票を呼びかけてみた。(この行為は、総務省の解釈によれば、公職選挙法違反である。)
 次の文章である。
 
  ● 【実験】 発見できるかな(笑)
 
 これは実験である。
 ブロガーが、特定候補への投票を呼びかけたら、どうなってしまうのか。(笑)
 何か恐ろしいことが起こるのか。
 選管・警察から「注意」が来るのか。「逮捕」されるのか。
 それでは実験結果の発表である。

  何の「お咎め」もなかった。
  
 選管からも、警察からも何の連絡もない。
 残念である。(笑)
 
 もちろん、これは予想通りの結果である。
 次の文章で予想した通りである。
 
  ● ブログ規制は民主主義の否定
 
 数百万もあるブログを監視するのは不可能なのである。現実問題として、投票を呼びかける書き込みを発見・「摘発」するのは不可能なのである。
 だから、一般のブロガーが、特定候補への投票を呼びかけても、特に「お咎め」はない。つまり、総務省による公職選挙法の解釈を無視しても、何の問題もないのである。(注)
 

(注)

 誤解があるといけないので、念のため書く。
 この文脈では、私は、法律に違反することを勧めている訳ではない。
 次の二点を確認してもらいたい。

 1 〈ブログで特定候補への投票を呼びかけること〉は合法である。
 2 総務省が違法と考えていても、実務上「摘発」は不可能である。

 違法だというのは、総務省の恣意的な解釈に過ぎない。〈ブログで特定候補への投票を呼びかけることが公職選挙法違反だ〉というのは、間違った解釈なのである。(これについては、既に詳しく説明した。)
 このような間違った解釈に従う必要はない。
 そして、従わなくても、何の問題も起こらないのだ。

2007年08月10日

【「解禁」宣言?】 「ネット選挙活動規制を突破する」運動にも「お咎め」なし

 今回の参院選で、門真市議の戸田ひさよし氏は斬新な運動を実行した。
 次の文章で紹介した。
 
  ● 【戸田ひさよし氏がブロガーへ呼びかけ】「あなたのブログで『特定候補者への投票呼びかけ』を実行しよう」 

 この「呼びかけ」に応えて、多くの人が「特定候補者への投票呼びかけ」をおこなった。
 
  ● ネット選挙活動規制を今私達が突破する!「自由言論戦士」大特集
 
 この結果はどうなったのか。 
 

 何の「お咎め」もなしである。
  
 総務省・選管・警察は、何をしているのだろうか。
 このような行為を「公職選挙法違反である」と主張し続けてきたのである。
 それならば、取り締まるべきであろう。
 なぜ、何の行動も起こさないのか。
 誠に不明朗である。
 
 この運動は次のような特徴を持っている。 
 1 意図性 …… 戸田氏は「ネット選挙活動規制を突破する」という意図を持って呼びかけている。参加者も、その意図に賛同した者である。
 2 公開性 …… この運動はホームページ上でおこなわれている。しかも、アクセス数ナンバー1の有力ホームページ上でおこなわれている。戸田氏のホームページは、市議ホームページの中でもっともアクセス数の多いホームページなのである。
 3 大規模性…… 戸田氏の呼びかけに応じて、多くの者が運動に参加した。
 
 この行為を取り締まらずに、何を取り締まるのか。
 当局の側から見れば、「意図性」は「悪質性」である。気づかずにおこなってしまった行為より、「意図」しておこなった行為の方が「悪質」なのである。
 「公開性」により、「知らなかった」という言い訳が使えなくなる。おおっぴらにおこなわれた行為なのである。「知らなかった」では済まされない。
 「大規模性」は「影響性」である。小規模の行為より、「大規模」な行為の方が、社会に対する影響が大きい。
 
 つまり、本来、取り締まる必要性が高い行為なのである。
 この行為を取り締まらないならば、何も取り締まれなくなる。 
 
 これは、事実上のネット選挙「解禁」宣言である。
 「ネット選挙活動の取り締まりはしません」と宣言したも同然なのである。
  
 当局は、「解禁」宣言を出すつもりなのだろうか。
 出すつもりが無いならば、今からでも遅くはない。
 きちんと取り締まったらどうだろうか。(笑)
 私も含めて。(笑)


〔補〕
 
 彼らには、取り締まれない理由がある。「摘発」できない理由がある。
 次の文章で詳しく説明した。
 
  ● なぜ、世界は変わらないのか
  
 現状で〈安定した世界〉が成立している。
 しかし、「摘発」することによって、〈安定した世界〉が壊れてしまう。
 「摘発」して裁判になったら、却って彼らは困るのである。〈安定した世界〉が壊れてしまうのである。

2007年08月30日

「道徳は法律よりエライ」

 私は、「お上」に「お伺い」を立てる行為を批判した。
 
  ● 「お上」に「お伺い」を立てる愚
  ● ブログ規制は民主主義の否定
 
 なぜ、彼らは「お伺い」を立てたのか。法律を守りたかったのであろう。
 
 私は「法律を守ろう」などと考えたことがない。常に「正しくあろう」としているだけだ。
 私以外の多くの人も同じであろう。自分がすることが「法律違反かどうか」などと考えたこともないであろう。
 「正し」ければ、結果的に「法律を守」ることになる。
 もし、「正しい」行為が「法律違反」になるならば、「法律」の方が間違っているのだ。
 次の標語を覚えていて欲しい。 

 道徳は法律よりエライ

 法律は、所詮、人間が作ったものである。当然、不当な法律・不適切な法律が存在する。それに対して、道徳は法律を作る基となるものである。
 例えば、殺人を考えてみよう。殺人は、法律で禁止されているから悪いのか。違う。それは逆立ちした論理である。
 殺人は、道徳的に悪い行為だから法律で禁止されているのである。道徳の方が先なのである。道徳が法律の基となっているのである。
 だから、道徳の方が法律よりエライのである。
 
 独裁国家の国民は、この違いを実感しているであろう。道徳と法律の違いを実感しているであろう。法律は、独裁者が自分が都合のよいように決めた恣意的なものなのである。
 例えば、北朝鮮の国民は、国外のラジオ放送を聴くことを禁じられている。しかし、それは独裁者が恣意的に決めた法律に過ぎない。
 だから、そんな法律には、国民は従う必要はない。
 次のような報道があった。 
 青森県の深浦港で北朝鮮から逃亡したとみられる一家4人が保護された事件で、一家の所持品の中に、ラジオがあったことが分かった。国外の放送も自由に聴くことができる仕様で、一家は脱北前から韓国の放送などを聴いていて、日本人拉致問題の存在も知っていたという。……〔略〕……
 調べでは、北朝鮮で購入できるラジオは特定の局しか受信できないように周波数帯が固定されているというが、発見されたラジオはチューニングを変えられる仕様だった。既製品ではなく、部品を集めて手作りで組み立てられた可能性があるという。
  http://www.dennougedougakkai-ndd.org/~cielo/tdiary/?date=20070606

 「国外の放送」を聴くことを禁止するのは、独裁者の恣意的な都合に過ぎない。そのような法律には従わない方が道徳的に正しい。「道徳は法律よりエライ」のである。

 特定候補をブログで応援するのもこれと同じである。特定候補を応援する方が道徳的に正しい。
 既に、次の文章で論じた通りである。
 
  ● ブログで特定候補を応援するのが民主主義なのだ
 
 だから、私ならば、「お上」に「お伺い」を立てたりはしないであろう。
 応援したい候補がいれば、直ぐに応援を始めるだろう。
 だって、それが正しいのだから。
 「道徳は法律よりエライ」のだから。

2007年09月01日

「法律を解釈する」という発想

 なぜ、多くの者が総務省に「お伺い」を立てるのか。
 法律で、何が禁止されているのか知りたいのであろう。
 しかし、それは危険である。次の文章で論じた。
 
  ● 〈問い合わせ〉行為自体が相手の行動を変えてしまう
 
 役人は、自分の得になるように法律を解釈する傾向があるのである。
 相手が神であるならば、「お伺い」を立ててもよい。神は公平無私である。(ということになっている。)
 しかし、役人はそうではない。
 
 総務省は次のように解釈する。 

 ホームページの公開は、公職選挙法の禁ずる「文書図画」の「頒布」である。
  
 実に、恣意的な解釈である。「ホームページを頒布(配布)した」などと言う人はいない。日本語として、不自然である。
 私は次のように解釈した。 
 ホームページの公開は「文書図画」の「頒布」ではない。
 「文書図画」を「頒布」すれば、減る。ビラ・葉書を「頒布」すれば、減る。
 しかし、ホームページは、アクセスされても減らない。
 また、ホームページにアクセスするのは、有権者の自発的行動である。
 それに対して、ビラ・葉書は、望まなくてもポストに入っている。
 だから、ホームページの公開は、選挙事務所内の資料室の公開と同様に考えるべきである。

 この解釈の方が、ずっと自然である。
 なぜ、総務省は、自然な解釈をしないのか。不自然な解釈をするのか。
 そう解釈した方が、自分が得をするからではないか。そう疑われても仕方ない。それ位、不自然な解釈なのである。
 
 上の「解釈」という語に注目してもらいたい。
 法律とは、解釈するものなのである。
 
 私は、この文章をキーボードで打っている。確かにキーボードは存在する。
 しかし、それと同じ意味では、法律は存在しない。
 法律は記号である。記号は、解釈されることによって、初めて意味が生ずるものである。解釈を離れて、固定的に意味が定まっているものではない。
 
 まず、自分で法律を解釈してみよう。
 「敵」に解釈をゆだねるようでは、その段階でもう負けである。(笑)
 自分で解釈して、なお心配ならば、弁護士・法学者の解釈を聞いてみよう。
 どの解釈が適切かを決めるのは法曹関係者なのである。
 
 おおまかに言って、どの解釈が適切かは、裁判において裁判官が決める。(裁判官の判断が間違いであるという立場はもちろんあり得るが。)
 総務省の解釈は、そのような司法の判断を一度も受けていない。
 つまり、総務省の解釈が適切であるという判断が下った訳ではない。
 
 なぜ、政治家が、たかが総務省ごときの恣意的な解釈に従っているのか。
 誠に不思議である。
 なぜ、マスコミが、総務省の恣意的な解釈に過ぎないものを事実として報道しているのか。
 誠に不思議である。
 もしかしたら、彼らの頭の中には〈「法律を解釈する」という発想〉自体が無いのかもしれない。間違って、「総務省が事実を伝えている」と誤解しているのかもしれない。「〈事実として存在する法律〉を伝えている」と誤解しているのかもしれない。
 しかし、総務省が伝えているのは事実ではない。彼らの解釈なのである。 
 
 法律は、解釈を離れて存在するものではない。
 解釈されて、初めて意味が生ずるものである。
 
 
 法律とは、解釈するものである。そして、我々は、複数の解釈のどれが適切かを争うのである。それなのに、自分で法律を解釈せず、「敵」に解釈をゆだねてしまえば、負けるに決まっている。
 法律は自分で解釈しよう。(注)
 その前に、〈「法律を解釈する」という発想〉を持とう。
 

(注)

 法律を自分で解釈するためには、法律の原文を読む必要がある。
 次のサイトで読むことが出来る。
 
  ◆ 法庫
  
 総務省の恣意的な解釈に従っている政治家は、原文を読んだのだろうか。また、その恣意的な解釈に過ぎないものを事実として報道しているマスコミ関係者は、原文を読んだのだろうか。
 読んではいないのだろう。
 まず、原文を読んで、自分で解釈しよう。
 「敵」に騙されないために。

2007年09月16日

どのように法律を解釈すればよいのか --文理解釈と論理解釈

 法律は自分で解釈しよう。
 では、どのように法律を解釈すればよいのか。
 法律の解釈を「文理解釈」と「論理解釈(体系的解釈)」に分けるのは、安定した考えである。(注) 

 1 文理解釈……法文を語・文法の通常の知識に基づき解釈する
 2 論理解釈……法文を法的文脈を考慮して解釈する。「法的文脈」とは、法文の意図などである。つまり、法文で何を実現しようとしているかなどである。

 法文の解釈においては、まず文理解釈をおこなう。日本語として普通に法文を解釈するのである。しかし、それだけでは、法文の意味が確定できないことがある。法文が二つの意味に解釈できる場合などである。その場合、論理解釈をおこなう。法文の意図などを考慮して、どの意味が正しいかを判断するのである。
 まず、この二種類の解釈を意識すればよい。 
 次の法文を見ていただきたい。
選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号に規定する通常葉書並びに第1号及び第2号に規定するビラのほかは、頒布することができない。(公職選挙法 第142条)

 この法文を総務省(当時は自治省)は次のように解釈した。 
 ホームページの公開は「文書図画」の「頒布」である。
 
 これは奇怪な解釈である。恣意的な解釈である。
 許し難い。
 では、どうすればいいのか。 
 総務省の解釈を覆す形で、上の二種類の解釈をおこなえばよい。文理解釈と論理解釈をおこなえばよい。
 それをおこなったのが、次の二つの文章である。 
 1 文理解釈……インターネット選挙になるべきだった選挙
              --あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
 2 論理解釈……インターネット選挙は公職選挙法違反か
              --「馬」は「自動車」か
 
 1の文章で、私は次のように書いた。 
 ホームページの公開と「文書図画」の「頒布」とは、どう違うのか。ビラは読みたくなくても、新聞に折り込まれている。葉書も読みたくなくても、ポストに届いている。しかし、ホームページは、本人が望まなくては見ることはない。ホームページを見た人は、アドレスを自分で打ち込んだのである。または、リンクを自分でクリックしたのである。ホームページは、自発的に行動しなくては見ることが出来ない。
 だから、「ホームページの頒布を受ける」という文言には、違和感があるのである。「頒布を受ける」のではなく、「ホームページにアクセスした」のである。「ホームページを見た」のである。
 次のような比喩が正しい。
 
 〈ホームページの公開は、選挙事務所内の資料室の公開である。〉
 
 選挙事務所内に資料室ある。さまざまな政策の資料がある。その資料室は、一般に公開されている。そこに、自発的に閲覧希望者が来る。いろいろな資料を閲覧して、帰っていく。
 おこなわれているのは、〈資料室の公開〉である。「文書図画」の「頒布」ではない。これは、公職選挙法に違反していない。
 
 これは、文理解釈をおこなっているのである。法文を日本語として普通に解釈しているのである。「ホームページの公開」は、「文書図画」の「頒布」と言えるかを検討しているのである。通常の日本語では、「ホームページの公開」は「文書図画」の「頒布」とは言えないことを論証しているのである。つまり、文理解釈をおこなったのである。
 
 私は、大筋でこの検討で十分だと考えていた。しかし、総務省は〈ホームページの公開が「文書図画」の「頒布」である〉という解釈を訂正しなかった。そして、なぜか、ほとんどの政治家がその恣意的な解釈に従っていた。
 仕方がないので、念押しの文章を書くことにした。
 2の文章である。 
 公職選挙法で規定外の「文書図画」の「頒布」を禁止したのはなぜか。「頒布」できる数を制限したのはなぜか。
 公平な選挙活動を望んだからであろう。数の制限がなければ、お金を持っている者だけがたくさんのビラを「頒布」できる。これを不公平と考えたのであろう。
 確かに、ビラをたくさん作るにはお金がかかる。たくさん作れば作るほど、お金がかかる。
 しかし、ホームページの場合は、どうであろうか。アクセスが増えれば増えるほど、お金がかかるのだろうか。大筋でそんなことはないであろう。
ホームページでは、お金を持っている人だけが有利になることはない。
 ……〔略〕……
 「文書図画」の「頒布」を禁止した意図は、〈公平な選挙の実現〉であろう。
 この意図を基準に解釈すると、どうなるであろうか。ホームページの公開は〈公平な選挙の実現〉の妨げにはならない。お金を持っている人だけが有利にはならない。つまり、ホームページの公開を「文書図画」の「頒布」と解釈することは出来ない。

 これは、論理解釈をおこなっているのである。法文の意図を解釈しているのである。
 〈公平な選挙の実現〉という意図を基準にした場合、法文がどう解釈できるかを論じている。意図を基準にした場合、ホームページの公開を「文書図画」の「頒布」と解釈するべきではないことを論証した。つまり、論理解釈をおこなったのである。

 既に、私は、文理解釈と論理解釈の両方をおこなった。
 そして、どちらの解釈においても、〈インターネット上の選挙活動は禁止されていない〉ことを示した。
 
 法律の解釈には、おおざっぱに言って、文理解釈と論理解釈の二種類がある。
 この二種類を意識しよう。
 
 この二種類の解釈をおこなっておけば、まず、だいじょうぶであろう。
 裁判になっても。(笑)
 
 
(注)

 例えば、碧海純一氏は次のように言う。 

 法の解釈については、伝統的に、「文理解釈」(grammatische oder buchstäbliche Auslegung)と「論理解釈」(logische Auslegung)とが区別されてきた。文理解釈とは、法文の意味を文法の知識およびその法文を構成する語の通常の意味の知識にもとづいて説明することであり、法文が十分に明晰で、複数の解釈の余地がないばあいには、解釈は原則として文理解釈に終始する。しかし、法文が不明晰であれば、その文理解釈上の可能な意味がなんらかの見地からさらに限定されねばならない。この限定操作は、まず、その法文のおかれている〈法的文脈〉の考慮によってなされる。「法的文脈」とは、その法文と他の関係諸法文との関連、法秩序全体のなかでその法文が占める相対的な位置、一般的にみとめられる法上の諸原理、法秩序に内在する統制目的、などである。このような法的文脈への考慮にもとづいて法文の文理上可能な意味に対して加えられる限定操作がいままで「論理解釈」とよばれてきたところのものにほかならない。しかし、文理解釈をふくめて、あらゆる解釈は当然論理的でなければならないから、「論理解釈」という名称は誤解をまねきやすい。むしろ、「体系的解釈」という名称のほうが適当であろう。〔傍点を山カッコに改めた。〕
 (『新版 法哲学概論 全訂第一版』弘文堂、148ページ)

2007年09月18日

〈法律は自分で解釈せよ〉という私の主張に中央官庁が賛意を表す(笑)

 〈法律は自分で解釈せよ〉と主張してきた私に大きな援軍が現れた。(笑)
 金融庁である。
 金融庁首脳は言う。 

 すべて行政に指示を仰ぐのではなく、法の趣旨を踏まえ自ら考えて行動できないのか
  (『日本経済新聞』 2007.9.14.)
 
 その通りである。
 「法の趣旨を踏まえ自ら考えて行動」すればいいのである。
 どうやら、金融庁には「指示を仰ぐ」問い合わせが殺到して、困っているらしい。(笑) 
 金融庁は金商法〔金融商品取引法〕の完全施行を目前に控え、金融機関からの問い合わせに追われている。ただ、どうすれば法違反にならないかなど、法解釈にかかわる例が多く、ひっきりなしにかかってくる電話に困惑気味だ。
 「顧客セミナーの日程を案内する資料は広告に含まれるか」「投資信託の基準価格の一覧データを顧客に送る際も、リスクの説明を明記する必要があるか」「商品を販売する時に配る資料の冒頭に、何を書かなければいけないか」--。
 (同上)
 
 金融機関は、自力でものを考えられないのか。
 このようなことは、「法の趣旨を踏まえ自ら考えて行動」すればよい。
 金融商品取引法の趣旨は〈利点だけを強調しての広告・販売の禁止〉であろう。〈利点を強調する際には、リスク・コストも同程度に強調すること〉であろう。
 上の「顧客セミナーの日程を案内する資料は広告に含まれるか」を考えてみよう。これが「広告」かどうかは、どのような「資料」かによる。ただの「日程の案内」ならば、「広告」ではない。だから、特に「リスクの説明」は必要ない。しかし、特定の商品の利点を強調する文言があった場合は、同程度に強調した「リスクの説明」が必要である。
 金融機関も、このように自力で法律を解釈すればよい。
 
 金融庁首脳はよいことを言ってくれた。
 もう一度、引用しよう。 
 すべて行政に指示を仰ぐのではなく、法の趣旨を踏まえ自ら考えて行動できないのか

 総務省にも、金融庁と同じように腹の太いところを見せてもらいたい。
 腹が太ければ、総務省は候補者やブロガーから問い合わせに次のように応えるはずである。 
 公職選挙法の趣旨を踏まえて、自ら考えて行動してください。
 
 やるな。総務省。(笑)

2008年01月27日

候補者をインターネットによる評価にさらそう

 選挙において、どの候補者を選ぶかはたいへん難しい問題である。
 例えば、車を選ぶよりも、たいへん難しい選択である。そして、たいへん重要な選択である。しかし、候補者の情報は非常に少ない。

 車の情報より、候補者の情報の方が少ない。

 車については、馬力等のさまざまなデーターが一覧表にされて比較されている。また、試乗記などの形で、実際にその車に乗って分かった事実が公表されている。これらはインターネット上で容易に見つけることが出来る。
 なぜ、インターネット上で、候補者の政策を一覧表にして比較しないのか。また、なぜ、候補者の今までの言動を評価しないのか。
 〈インターネットの利用が公職選挙法で禁止されている〉という間違った説に多くの人が従ってしまっているからである。
 この現状は私のブログで詳しく分析した。
 
  ● インターネット選挙 アーカイブ
  
 その中で、例外的にインターネットを活用し続けているのが戸田ひさよし氏のサイトである。今回は、インターネットを利用して、大阪府知事候補・橋下徹氏の言動を激しく批判している。
 
  ● 府知事選特集
  
 確かに、戸田ひさよし氏の後のチェ・ゲバラは気になる。(笑)
 戸田氏の発言が誹謗中傷だと思う人もいるかもしれない。
 しかし、それはそれでいいのだ。サイトを閲覧した人が自分で判断すればよい。(現に、戸田氏が公開したYouTube上の動画には否定的なコメントもついている。)
 また、橋本徹氏を支持する側も、反論・批判のサイトを作ればよい。
 多くの人の意見がインターネット上に公開されることによって、候補者のよし悪しが分かるのだ。
 候補者をインターネットによる多様な評価にさらすべきである。

 多様な評価こそが必要なのだ。
 しかし、現状では、候補者の評価がほとんどおこなわれていない。評価を妨害しているのが、総務省による公職選挙法の間違った解釈である。また、多くの人々がそれに従っていることにも問題があるだろう。
 車の情報よりも、候補者の情報が少ない事実を味わってみよう。
 不思議な私達の世界を味わってみよう。
 その中で、戸田ひさよし氏のサイトは一貫してインターネットを活用し続けている点でありがたい。
 そのありがたさと、チェ・ゲバラやサイトの内容の是非は別の問題である。(笑)

                         諸野脇@ネット哲学者

2008年01月28日

確信犯的構造

 選挙にインターネットを活用し続ける門真市議・戸田ひさよし氏に警察から「警告」が来た。公職選挙法違反の容疑である。
 
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=3041;id=
 
 しかし、戸田ひさよし氏は喜んでいる。
 
> 戸田HPの断固たる選挙活用をこの8年間無視していた警察が、ようやく「警
>告」を出して、面白くなってきました。私の「闘争アドレナリン」が湧き出て来
>ています。
 
 普通、警察から「警告」を受けて喜ぶことはない。
 なぜ、戸田氏は喜んでいるのか。
 戸田氏が「確信犯」だからである。

確信犯
 宗教的教義や政治的信念を貫徹するためにあえて法を犯す犯罪であり,社会の変動期に政治犯罪として表われることが多い。確信犯人は,自己の行動が現行の法秩序に違反するという自覚は有しながら,より高い次元の法の理念を実現しようとする点で,犯罪動機を抑止する反対動機の形成が期待できないところに特徴がある。〔『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版』〕
 
 確信犯とは、「信念を貫徹するためにあえて法を犯す」者である。「法を守ることは正しくない。法を犯す方が道徳的に正しい。」との信念を持つ者である。
 戸田氏は「確信犯」なのである。だから、「警告」が来ても喜んでいるのである。「警告」が来るのは、自分が正しい行為をした証拠なのである。
 厳密に言うと、戸田氏は確信犯ではない。インターネットの活用は公職選挙法に違反していないからである。総務省がそう解釈しているだけだからである。だから、「確信犯」とカッコを付けて表記した。
 しかし、戸田氏は、総務省・警察がそのような解釈をしていることを知っていた。知っていて、その解釈に従わなかった。「解釈に従わない方が道徳的に正しい。」という信念を持っていたからである。
 ここに確信犯的構造がある。
 
 実は、私も喜んでいる。
 次のような文章を書いたことがある。
 
  ● 【緊急提案】せっかくだから戸田ひさよし議員を逮捕したらどうか
   
 大阪府警も、やっと筋を通す気になったのであろう。
 「確信犯」を相手にするのは面倒なのである。
 その面倒をいとわず、大阪府警が頑張ってくださるのならば大変ありがたいことである。
 あえて火中の栗を拾おうとしてくださっているのである。
 大阪府警は「より高い次元の法の理念を実現」するための同志と言ってもいい。(笑)
 大阪府警の「英断」に期待する。
 
                         諸野脇@ネット哲学者


2008年12月15日

選挙期間中もブログを更新して、市長に当選!

 総務省は、選挙期間中のホームページ・ブログの更新を公職選挙法違反と解釈している。
 しかし、選挙期間中にブログを更新し続けて、市長に当選した方がいる。「選挙管理委員会の指摘」に反論して、ブログを更新し続けた方がいる。阿久根市長の竹原信一氏である。
 竹原信一氏のブログを見る。

2008/08/19 (火) インターネット選挙について

選挙管理委員の指摘に対する見解

ホームページの公開は「文書図画」の「頒布」ではない。ホームページ
の公開は、いわば選挙事務所内の資料室の公開である。これだけ違うもの
を同じとみなすのは無理である。日本語の解釈として無理である。
 つまり、総務省には「禁止」する法的な権限はない。権限もないのに、
無理強いをしているのである。
http://www.irev.org/shakai/isenkyo2.htm

  http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20080819

 私の主張が引用されている。(笑)
 これは「確信犯」だ。
 つまり、竹原信一氏は、総務省の解釈が間違っているという信念を持っていた。ブログの更新は、「文書図画」の「頒布」ではないという信念を持っていたのである。
 竹原信一氏は自分で法律を解釈した。そして、市長に当選した。
 素晴らしいことである。
 
                    諸野脇@ネット哲学者


〔補〕

 最終的には、竹原信一氏はブログの記事を削除した。いろいろあったのである。
 詳しくは、門真市議・戸田ひさよし氏の次の文章をご覧いただきたい。

  ● ついにネットの選挙使用候補者が市長に当選!8/31鹿児島県阿久根市長選・竹原さん祝!

2008年12月16日

ブログを更新して刑事告発される? オバマ大統領もびっくりだよ!

 驚くべきニュースが入ってきた。(注)
 選挙期間中もブログを更新した竹原信一氏を刑事告発しようとする動きがある。
 

ブログ問題県議、市議が連名で阿久根市長を告発へ

 8月の阿久根市長選で初当選した竹原信一市長(49)が市長選の告示後に自身のブログ(日記形式のホームページ)を更新した問題で、県議会会派・県民連合(代表・二牟礼正博県議)所属の7県議と同市議らが、竹原市長を公職選挙法違反(文書図画の頒布)の疑いで刑事告発する方針を固めた。

 告発は、民主党、社民党、無所属の県議でつくる県民連合所属の県議と、市議数人が連名で行うという。二牟礼県議らは「公選法は同じルールで戦うという選挙の手続きを定めた法律。捜査当局が摘発しなければ、選挙違反を公認したことになり、選挙の公平性は保たれなくなる」と指摘。「ネット利用に関して、改正すべき点もあるが、現行法を平然と破っていることは問題」と述べた。

 これに対して竹原市長は「総務省や市選管の見解が間違っているという考えに変わりはなく、ブログ更新が不公平とは思わない。(ブログ更新が違法かどうか)本質的な議論ができるかもしれないので『(告発を)やってみればいいじゃない』という感じだ」と話している。

 ……〔略〕……

 (『読売新聞』鹿児島地域版 2008年12月13日)
  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news/20081213-OYT8T00178.htm


 まず、次の事実を確認しておく。
 日本では、ブログを更新するだけで刑事告発される恐れがある。
 
 摩訶不思議な状態である。
 この事実が海外に報じられたと仮定しよう。外国人は、驚き、あきれるであろう。これは〈びっくり仰天おもしろニュース〉のジャンルである。(苦笑)
 しかも、「更新してはいけない」とされているのが政治家だと知ったら、彼らの驚きはさらに増すであろう。 
 ブログを更新しないで、どのように選挙活動をするのか。
 政治家がブログを更新してはいけないのはなぜか。
 
 当然の疑問である。
 日本の発想にとらわれているから、その異常さが分からないのである。諸外国から見れば、この状態は異常そのものである。オバマ氏はインターネットを活用して大統領に当選した。オバマ氏もびっくりであろう。
 刑事告発されたら、阿久根市長・竹原信一氏には、ぜひ外国人記者クラブで会見をおこなってもらいたい。
 日本が〈びっくり仰天おもしろ国家〉であることを世界に伝えよう。
 
 そして、総務省の担当者にも会見をおこなってもらおう。自分達の主張が、異質な他者を説得できるかを試してもらいたい。現在の総務省は内弁慶に過ぎない。立場が弱い者(候補者)に自分の主張を押しつけているだけである。そうではなく、外国人記者と戦えばいい。外国人記者の厳しい質問に耐えられるか、試してみればいい。
 
 日本では、政治家が選挙期間中にブログを更新すると刑事告発される。
 この事実をオバマ次期大統領に伝えたい。
 オバマ次期大統領は言うであろう。
 「チェンジ!」と。(笑)
 
                   諸野脇@ネット哲学者


〔追記 2008.12.17.〕

  オバマ氏は、インターネットを活用して大統領になった。 

インターネットの力が無かったら、オバマは大統領になれなかった―ハッフィントン女史はズバリこう語る。トリッピは、オバマのYouTube動画は全部で1450万時間分の視聴時間を集めている、と指摘。(トリッピ氏自身がネット選挙を仕掛けた)ハワード・ディーンの選挙活動を引き合いに出し、ネットはこれまでも選挙で使われてきたけども、オバマはオンライン動画からブログ、ソーシャルネットワーキング、選挙資金集めに至るまで、本当に選挙のあらゆる面でネットをテコにフル活用した、と評した。
  ● 「ネットが無かったらオバマ大統領はなかった」~政治勢力としてのインターネット

 これがアメリカの状態である。
 アメリカと日本を比べてみよう。「ネットをテコにフル活用」と「刑事告発」。
 少しめまいがする。(苦笑)
 総務省は自分が何をしているか分かっているのか。
 反省せよ。

 
(注)

 この〈びっくり仰天おもしろニュース〉は、ドラゴン氏からお教えいただいた。
 次の文章にコメントをいただいたのである。
 
  ● インターネット上での選挙活動は禁止されていない

 お礼申し上げる。
 

2008年12月17日

ブログ・ホームページも作っていない議員に「不公平だ」と言う資格があるのか

 阿久根市でオバマ大統領もびっくりの事態が起きている。
 選挙期間中にブログを更新した阿久根市長・竹原信一氏を刑事告発するというのだ。
 それでは、刑事告発しようとしている側の主張を見てみよう。
 二牟礼正博県議らは言う。 

 公選法は同じルールで戦うという選挙の手続きを定めた法律。捜査当局が摘発しなければ、選挙違反を公認したことになり、選挙の公平性は保たれなくなる。
  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news/20081213-OYT8T00178.htm

 これは、ある意味、筋の通った主張である。(注1)
 二牟礼正博県議らは「選挙期間中にブログ・ホームページが更新できずに悔しい思いをしたのだろう」と想像する。
 しかし、その想像は間違いであった。
 そうるふれんど氏は言う。 
各議員さんが、選挙期間だけはブログの更新を自粛していたというのなら、まだ話は分かる。
しかし調べてみたら、
今回の“議員連合”の皆様には、「もともと」ホームページもブログもないではあ~りませんか・・・。
  http://ossanndream.blog101.fc2.com/blog-entry-251.html

 ホームページもブログも無い?
 その状態では、どうがんばっても「更新」を「自粛」することは出来ない。ブログ・ホームページ自体が無いのだから。(苦笑)
 つまり、「議員連合」の皆さんは「自粛」した訳ではない。それでは、どのような被害を受けたのだろうか。「議員連合」の皆さんは当事者性に欠ける。これでは主張に説得力がなくなる。(注2)
 今からでも遅くない。
 「議員連合」の皆さんは、急いでブログ・ホームページを作ろう。そして、自分の政策をどんどん市民に伝えよう。
 その上で、次のように訴えるのである。 
 選挙期間中は、この活発なブログの更新を自粛する。その間にブログを更新する人がいると、その人だけが有利になる。このような現状は不公平である。私は被害者だ。
 
 これが強い論法である。
 「私は被害者だ」という形に持ち込むのである。 
 「私は被害者だ」という論法は強い。
 その形に持ち込むのが論戦の常道である。
 
 「議員連合」の行動は論戦の常道から外れている。だから、批判に弱い。
 「ブログ・ホームページも作っていない議員に『不公平だ』と言う資格があるのか」と批判される恐れがある。(注3)
 このような批判を受けないように、前もって守りを固めておく必要がある。論戦には、そのような生真面目さが必要である。
 「議員連合」の行動には、そのような生真面目さが無い。
 「議員連合」は本気なのか。
 本気でないならば、刑事告発をおこなうのは難しいであろう。
 
                   諸野脇@ネット哲学者


(注1)
 
 既に詳しく論じたように、選挙期間中のブログ更新は「法律違反」ではない。
 しかし、「法律違反」であると主張している捜査当局は「摘発」しなくてはならないであろう。
 この主張は、そのような原理論として正しい。
 
 
(注2)
 
 一番の当事者は、竹原信一氏に市長選で負けた対立候補である。対立候補が竹原信一氏を刑事告訴すればいいのである。なぜ、対立候補が刑事告訴しないのであろうか。
 

(注3)

 この批判だけで、「議員連合」が論戦に負ける訳ではないだろう。
 しかし、何らかの言い訳をしなくてはならなくなる。
 言い訳をしながらの主張は弱い。
 このような重大な問題に関わる時には、弱みは前もってなくしておくべきである。

2008年12月18日

竹原信一市長は、ブログ更新が公職選挙法違反でない理由を既に述べているのだ --刑事告発するなら、その理由を批判しなければならない

 選挙期間中にブログを更新した阿久根市長・竹原信一氏が刑事告発されそうになっている。
 告発側の二牟礼正博県議は言う。 

 現行法を平然と破っていることは問題
  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news/20081213-OYT8T00178.htm
 
 二牟礼正博氏が「平然と」このように言うことが大きな「問題」である。
 竹原信一氏は「現行法」を「破っている」のか。ブログ更新は違法なのか。それ自体が争点なのである。それにもかかわらず、二牟礼正博氏は「現行法を平然と破っている」と言う。「破っている」ことを前提にしてしまっているのである。(注1)
 これは〈酔っぱらいのおっさん〉レベルの発言である。
 次のような喩えが分かり易いであろう。 
 裁判で、ある人物が殺人をおこなったかどうかが争われている。(例えば、三浦和義氏の裁判を考えてもらいたい。)
 その裁判の被告について、酒場で酔っぱらったおっさんが言う。
 「ああいう風に平然と人を殺すのは問題だよね。」
 
 あのねえ。(苦笑)
 今、検察・弁護双方が懸命に「殺人をおこなったかどうか」を争っているのである。しかし、〈酔っぱらいのおっさん〉は、そんなことは全て無視である。いきなり「殺人をおこなった」と決めつけてしまうのである。〈酔っぱらいのおっさん〉は恐ろしい。(笑)
 上の二牟礼正博氏の発言はこれと同様である。今、「現行法」を「破っている」かどうかを争っているのである。それなのに、どうして「破っている」と決めつけるのか。
 二牟礼正博氏は酔っぱらっているのか。そうではないだろう。だとすれば、〈酔っぱらいのおっさん〉よりもっと恐ろしい。(苦笑)

 仕方ない。
 二牟礼正博氏にも分かるよう状況を説明しよう。
 既に、竹原信一氏は私の文章を引用して、「現行法」を「破って」いないことを主張している。ブログの選挙活動への利用が禁止されていない理由を述べている。 

2008/08/19 (火) インターネット選挙について

選挙管理委員の指摘に対する見解

ホームページの公開は「文書図画」の「頒布」ではない。ホームページ
の公開は、いわば選挙事務所内の資料室の公開である。これだけ違うもの
を同じとみなすのは無理である。日本語の解釈として無理である。
 つまり、総務省には「禁止」する法的な権限はない。権限もないのに、
無理強いをしているのである。
http://www.irev.org/shakai/isenkyo2.htm

  http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=200808

 
 だから、「現行法」を「破っている」と言うならば、二牟礼正博氏が発言するべき番なのである。「破っている」理由を述べる責任は、二牟礼正博氏にあるのである。
 上の文章の主張のどこが間違っているのか。
 引用して、詳しく論ずるべきである。私の文章より長く、徹底的に論ずるべきである。
 しかし、二牟礼正博氏は、この主張に一言もふれずに、「現行法を平然と破っている」と言うだけであった。〈酔っぱらいのおっさん〉レベルの発言をしただけであった。
 「議員連合」の皆さんは、また、論戦の常道から外れている。 
 相手の主張を踏まえて自分の考えを述べよ。相手の主張を必ず引用せよ。
 そして、相手より具体的に論じよ。相手より長く論じよ。
 
 引用し、相手の主張を踏まえなくてはいけない。そして、相手よりも具体的に論じなくてはならない。相手より長い文章を書かなくてはならない。(注2)
 それなのに、「議員連合」の皆さんは、「現行法を平然と破っていることは問題」と一言述べただけであった。
 これでは、「議員連合」が本気かどうかを疑われても仕方ない。
 気迫が感じられないのである。
 
                   諸野脇@ネット哲学者
  

(注1)
 
 これは〈結論を先取りする虚偽〉である。
 まだ「現行法」を「破っている」と結論が決まった訳ではない。それ自体が争点なのである。しかし、「破っている」と決めつけて論を進めてしまっているのである。


(注2)

 相手の主張を引用して徹底的に批判するよい例はこの文章である。
 私は、二牟礼正博氏の主張を引用して、徹底的に批判した。
 二牟礼正博氏は「現行法を平然と破っていることは問題」と一言述べただけである。
 その一言をこれだけ長く批判したのである。

2008年12月19日

そんなふぬけた姿勢ではブログ更新を刑事告発できないぞ!(笑)

 「議員連合」の皆さんは、本気で竹原信一氏を追いつめたいのか。本気でブログの更新を公職選挙法違反に問いたいのか。
 私には、そのような気迫が伝わってこない。
 次の文章で論じた。
 
  ● ブログ・ホームページも作っていない議員に「不公平だ」と言う資格があるのか
  ● 竹原信一市長は、ブログ更新が公職選挙法違反でない理由を既に述べているのだ  --刑事告発するなら、その理由を批判しなければならない

 
 「議員連合」の姿勢はふぬけている。
 この問題は、そんな姿勢で突破できるやわな問題ではない。
 だから、私は次のように予想している。 

 「議員連合」の皆さんは、刑事告発を実現できない。
 仮に、実現できたとしても、不起訴にされて諦めてしまう。
 
 「議員連合」の皆さんは、捜査当局を動かすのがどれほど大変かが分かっていない。
 メールマガジン『インターネット哲学』で私が発表した次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● なぜ、公職選挙法違反で逮捕してもらえないのでしょうか(苦笑)
 
 また、次の文章もお読みいただきたい。
 
  ● 確信犯的構造
   
 確認しよう。
 
 1 警察の警告を無視して、ホームページを更新し続けて当選した。しかし、刑事事件にしてもらえず。(門真市議・戸田ひさよし氏)
 2 〈特定候補をホームページで応援しよう〉という趣旨を呼びかけて、捜査2課の津田氏から「あなたのホームページは公職選挙法142条の違反である」とまで言っていただいた。しかし、刑事事件にしてもらえず。(門真市議・戸田ひさよし氏)
 3 〈選挙にインターネットを活用しても公職選挙法違反ではない〉という趣旨の文章でグーグルの検索結果1位になった論者が自分のブログで特定候補を応援した。しかし、刑事事件にしてもらえず。(私、笑)
 
 このように刑事告発を実現するのは大変なことなのである。(苦笑)
 「議員連合」の皆さんは、このような事実を知っていたか。知らなかったのであろう。インターネット上の選挙活動の現状を全く知らずに刑事告発ができるか。不勉強である。
 「議員連合」の皆さんは本気なのか。
 もし、「議員連合」の皆さんが本気ならば、まず、先に私が批判した点を直すべきである。防御力・攻撃力を高めるべきである。
 
 1 ブログ・ホームページを作る。
 2 竹原信一氏の論(私の論)を論破する。
 
 次に告発状を受理させなければならない。役人は、「いやがらせ」をしてくることがある。受理すると手間がかかる。だから、告発を諦めさせようとするのである。
 だから、専門家の知惠を借りよう。
 
 3 弁護士のアドバイスを受ける。
 
 仮に、告発が受理されたとしても、不起訴になる可能性が高い。
 不起訴になっても、不服申し立てをして徹底的に戦おう。
 ここまでする気迫があるのならば、「議員連合」の皆さんは本気である。「選挙でのインターネットの活用が公職選挙法違反かどうか」を裁判においてはっきりさせるためには本気の方が必要なのである。
 竹原信一氏自身も言っている。
 (ブログ更新が違法かどうか)本質的な議論ができるかもしれないので『(告発を)やってみればいいじゃない』という感じだ。
  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news/20081213-OYT8T00178.htm

 裁判で「本質的な議論」をするためには、本気で告発してくれる方が必要なのである。
 こう考えると、「議員連合」の皆さんは、物事をはっきりさせる同志であると言ってもいい。(笑)
 「議員連合」の皆さんに期待する。
 もちろん、竹原信一氏も皆さんに期待してる。
 「やってみればいいじゃない」と。(笑)
 
                  諸野脇@ネット哲学者
 

2009年01月17日

竹原信一市長は議会制民主主義を否定する独裁者なのか --どのようにメディアは事実を歪めるのか

 asahi.com(朝日新聞)に次のような記事が載った。

 竹原氏はブログに「議会は時間の無駄」と書き込み、議員を名指しで批判。……〔略〕……
  ● 「辞めてもらいたい市議は?」市長がネット投票募る

 これを素直に読むと、竹原信一氏が独裁者のように思える。議会制民主主義を否定しているように思える。〈議会は不要であり、市長が全て決める〉と考えているように思える。
 
 しかし、本当にそうなのか。「議会は時間の無駄」と言ったのか。竹原信一氏は独裁者なのか。
 竹原信一氏のブログを見る。(注1) 
 12月議会が終った。
 どうにもくだらない。私は「議会に対して不信任だ、私に対する不信任決議をして議会解散してもらいたい。」と言ったにもかかわらず、彼らは「不信任決議」を出せなかった。議会改選がある来年の12月までの400万円あまりが欲しいと見える。

 バカバカしいを超えて哀れ、彼等自身が有権者の意向とは関係なく、ひたすら議員を続けたい人たちであることを証明してしまった。

私は議会は時間の無駄という気もするが、議員たちはその本性を衆目に晒す必要が有るのかもしれない。
市民は、まだまだ市議会の現実を何も分かってはいない。

このムダは市民が世の中の仕組みに目覚める為の必要経費と受けとめるしかない。 
  ● 2008/12/23 (火) 時間と経費のムダ

 
 確かに「議会は時間の無駄」という文言がある。
 しかし、これは議会制民主主義の否定ではない。
 竹原信一氏は、現在開かれている阿久根市議会について「時間の無駄」と批判しただけなのである。
 次の二つを区別しなくてはいけない。
 1 議会A……議会制度
 2 議会B……開かれている個々の議会
 
 議会Bを否定したからといって、議会Aを否定することにはならない。
 つまり、竹原信一氏は、議会制民主主義を否定している訳ではない。
  
 確認しよう。
 竹原信一氏は自分に対する「不信任決議」を求めた。「不信任決議」が出た場合、竹原信一氏は「議会の解散」をするつもりだった。市民に信を問うつもりだったのである。しかし、議員達は「不信任決議」を出さなかった。竹原信一氏の提案に全て反対しているにもかかわらずである。
 このような状態で「来年の12月まで」議会を開くことについて、竹原信一氏は「議会は時間の無駄」と言ったのである。
 竹原信一氏は阿久根市議会の現状を批判しただけなのである。
 つまり、竹原信一氏は独裁者ではない。議会制民主主義を否定している訳ではない。
 
 しかし、asahi.com(朝日新聞)の記事を読むと、竹原信一氏が独裁者のように思える。議会制民主主義を否定しているように思える。(注2)
 つまり、asahi.com(朝日新聞)の記事は虚偽であった。
 この批判に対して、先の記事を書いた記者は何と弁解するだろうか。
 次のように弁解するであろう。 
 竹原信一市長が「議会は時間の無駄」と言ったのは事実である。
 
 もちろん、それは事実である。しかし、竹原信一氏が否定したのは議会Bである。現在の阿久根市議会の状態である。それにもかかわらず、asahi.com(朝日新聞)の記事では議会Aを否定しているように読める。議会制民主主義を否定しているように読めるのである。(注3) 
 これは〈文脈無視の虚偽〉なのである。
 
 現在のメディアは、存在しない発言を捏造することはほとんどない。しかし、発言の一部分だけを取り出すことによって、意味を変えてしまうことはある。文脈を無視することによって、虚偽の記事を作ってしまうことはある。
 記者は記事にする事実を選ぶ。その事実の選び方が問題なのである。不適切な選択をすれば、虚偽の記事が出来てしまう。
 現在のメディアは「正確に」発言を引用して虚偽の記事を作る。
 発言の一部分だけを取り出すことで意味を変えてしまう。
 このような〈文脈無視の虚偽〉に注意しよう。(注4)
 
                  諸野脇@ネット哲学者

 
(注1)

 ブログがあったから竹原信一氏の発言を確認できた。
 だから、記事の虚偽を発見できた。
 公人がブログを持つ意義は大きい。
 

(注2)

 asahi.com(朝日新聞)は、記事から竹原信一氏のブログにリンクを張っておくべきであった。
 ジャーナリストは〈自分の解釈が間違っているのではないか〉という恐れを持っているべきである。
 読者が自力で解釈できるようにしておくべきである。
 この論点は次の文章で論じた。
 
  ● リンクを張らないニュースサイトは役に立たない --東方神起「呪文」は「扇情的」か


(注3)

 実は、ある程度誤解が生じないようにするのは簡単であった。
 「(このような)議会は時間の無駄」と書けばよかったのである。「このような」と補えばよかったのである。
 こう書くだけで、「議会」の意味が明確になった。竹原信一氏が言っているのが、阿久根市議会の現状であることが明確になったのである。
 
 
(注4)

 私の解釈も間違っているかもしれない。
 しかし、それは読者が判断すればいい。そのために、asahi.com(朝日新聞)の記事にきちんとリンクを張ってある。
 だが、問題がある。ニュースサイトは記事を削除してしまうのである。
 
  ● ニュースサイトは記事を削除するな

 記事が無くなってしまえば、読者が判断できなくなってしまう。
 仕方がないので、引用しておこう。
 私が〈文脈無視の虚偽〉を犯していないかどうかを読者が判断できるようにしておこう。
 そのために最低限の引用をする。
 つまり、全文である。(笑)

 
〔以下、記事を引用する。ちなみに、この記事で「ある議員」は「このようなネット投票は議会制民主主義の否定だ」と主張している。この主張は意味不明である。なぜ、「議会制民主主義の否定」なのか。理由を述べるべきである。〕

 ● 「辞めてもらいたい市議は?」市長がネット投票募る(2009年1月14日15時0分)

 「最も辞めてもらいたい議員は?」。鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(49)が、自身のインターネット上の日記(ブログ)で「インターネット投票」を呼びかけている。昨夏の市長選で初当選して以来、議員定数削減案や教育委員人事案を市議会に否決され続けてきた竹原氏。「思いつき」で投票を考えたというが、議員からは「議会制民主主義を無視している」との批判が起きている。

 ネット投票は竹原氏の12日付のブログにある。市議会の名簿順に議員15人全員(欠員1)の氏名を挙げ、「阿久根市議会で最も辞めてもらいたい議員は?」と投票を呼びかけている。閲覧者が自由に投票でき、投票期間や投票結果を発表するかどうかは作成者が決める。発表しない場合、投票先の内訳は作成者しか分からない。

 市議から転身した竹原氏は昨年8月の市長選期間中にブログで他候補を批判し、市選管の指導などを受けて記述を削除。無所属新顔3人を破り、初当選した。市長就任後、市議会9月定例会に副市長と教育委員の人事案を提出したが、賛成少数で不同意。教育長も退任し、空席のままだ。公約に掲げた自身の給料の大幅削減案や議員定数を16から6に減らす条例改正案も否決されている。

 竹原氏はブログに「議会は時間の無駄」と書き込み、議員を名指しで批判。昨年11月から市議会の解散や自分自身の支持の是非をめぐり投票を呼びかけており、市議会解散では13日午後10時時点で約540人が投票している。ほかに市長としての活動の報告や家族の話題、式辞の全文掲載などもある。

 竹原氏は取材に対し「どのような場であっても、市長も市議も公職なのだから批判されるのは仕方がないものだ。ネット投票はお金もかからないし、思いつきで作っただけ。違法行為ではなく、投票結果が選挙や議会に影響しない」と主張し、市長の立場ではなく個人として投票を呼びかけているという。

 ある議員は「このようなネット投票は議会制民主主義の否定だ。市長の不信任案を検討する時期に来ているかもしれない」と反発。別の議員は「竹原市長が個人的な考えを述べているだけで別に気にする必要もないのでは……」と冷めた見方をしている。(三輪千尋、周防原孝司)

■市長も議員も対等の立場

 平井一臣・鹿児島大学法文学部教授(政治学)話 正確性のないネット投票は傾向を把握する参考材料にもならない。市長が市民の意見を聴く方法として、ただでさえ慎重さが求められるネット投票という手段を使うことに疑問を感じる。権力者である市長が、同じように公職選挙法による選挙の投票で選ばれた議員の去就を市民に問いかけるのはおかしいからだ。市長も議員も投票で選ばれたという点では対等の立場。こういうやり方をしていては、ますます信頼を損なうことになる。「思いつき」というが、思慮が欠けており、問題は非常に大きい。


2009年02月06日

祝・竹原信一市長 刑事告発! --ブログ更新が公職選挙法違反か白黒つけよう

 オバマ大統領もビックリの事態が現実化した。
 
  ● ブログを更新して刑事告発される? オバマ大統領もびっくりだよ!

 竹原信一市長がブログ更新で刑事告発されたのである。 

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(49)が昨年8月の市長選期間中にインターネットの日記(ブログ)を更新し続けた問題で、県議や市議ら28人が22日、竹原氏を公職選挙法違反(文書図画の頒布)の疑いで阿久根署に刑事告発した。県警は近く受理する見通し。警察庁によると、これまでブログの更新によって同法違反容疑で逮捕、立件された例はないという。

 竹原氏はこの日、記者会見を開き、「ホームページの更新は文書図画の頒布にあたらず、法律に違反していない。捜査していただいてよろしいのではないですか」と述べた。
   http://www.asahi.com/national/update/0122/SEB200901220022.html

 
 この告発には次のような問題点がある。(注)
 
 1 告発者が当事者ではない。竹原信一氏に負けた対立候補ではない。
 2 告発者がブログ・ホームページを持っていない。具体的な被害を受けていない。
 3 告発者は、「ホームページの更新は文書図画の頒布にあたら」ないという竹原信一氏の主張(私の主張)にまともに反論していない。
 4 選挙が終わってから、五ヵ月近くも経ってからの告発である。しかも、市議会選挙直前の告発である。

 このような告発は怪しい。〈自分達の選挙のための告発ではないか〉と疑われても仕方ない。〈ためにする告発〉と疑われても仕方ない。インターネット上でも次のような意見が公開さている。 

 市長の不信任議決を受けての議会解散を見据えて、市長のイメージダウンを狙っているのでしょうか?
  http://d.hatena.ne.jp/senshin5f/20090123
 
 これが多くの人の実感ではないか。
 全く当事者でない市議が、市議選の前に告発をしたのである。
 誠に怪しい。
 
 しかし、怪しい人物の怪しい告発であっても、告発は告発として処理されるべきである。
 竹原信一氏のブログ更新は公職選挙法違反なのか。いかに怪しい人物が告発したとしても、違法なら違法である。合法ならば合法である。
 司法の世界は、そのような事実の世界であるべきである。人間的な要素が入らない世界であるべきである。
 警察・検察は、このような面倒な案件に関わるのは嫌かもしれない。面倒なのは確かである。うやむやにしたくなるのは人情である。しかし、人間的な要素は一切考慮せずきちんと捜査するべきである。
 竹原信一市長も言っている。
 
  「捜査していただいてよろしいのではないですか」 

 警察庁は言う。
 
  「これまでブログの更新によって同法違反容疑で逮捕、立件された例はない」
 
 逮捕・立件されれば「画期的」である。
 さあ、逮捕・立件しよう。
 今まで、多くの候補者を「違法だ」と言って脅してきたのである。ホームページ・ブログの利用を妨害してきたのである。
 彼らには、逮捕・立件する義務がある。そうでなければ、「違法だ」と言ってきたことが「嘘」になってしまう。彼らには、白黒つける義務がある。
 竹原信一市長もそれを望んでいる。
 
                  諸野脇@ネット哲学者


(注)
 
 詳しくは次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● ブログ・ホームページも作っていない議員に「不公平だ」と言う資格があるのか
  ● 竹原信一市長は、ブログ更新が公職選挙法違反でない理由を既に述べているのだ --刑事告発するなら、その理由を批判しなければならない
  ● そんなふぬけた姿勢ではブログ更新を刑事告発できないぞ!(笑)

2009年02月07日

祝・竹原信一市長 不信任案可決! --選挙は総合的判断の場である

 竹原信一阿久根市長への不信任案が可決された。(注1) 

  ◆出席全議員が賛成、「全国に阿久根の恥さらした」◆

 ブログ(日記形式のホームページ)を使った選挙運動などで物議を醸している鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(49)に対する不信任案が、6日開かれた臨時市議会に議員提案された。

 出席した15議員全員が賛成し、可決した。地方自治法に基づき、市長は10日以内に市議会(定数16、欠員1)を解散しなければ失職するが、市長は議会解散を選択する意向で、3月にも出直し市議選が行われる。
  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090206-OYT1T00808.htm?from=nwlb

  
 木下孝行議員は、竹原信一氏を「全国に阿久根市の恥をさらした」と評した。
 これは、正に正確な表現である。
 阿久根市議会には大きな「恥」があり、それを竹原信一氏が明るみに出していたのである。(笑)
 阿久根市議会の状態を見ていただこう。(注2)
 
    ● スーパーモーニング「パック旅行で〝海外視察〟直撃! トンデモ市議会」

 政務調査費で温泉バスツアーに行った築地新公女議員。
 それを容認した京田道弘議長。
 領収証を偽造した的場眞一議員、山下孝男議員。
 
 これらの議員の言動は「阿久根市の恥」である。
 竹原信一氏は、その「恥」を追及し続けてきた。「さらし」続けてきた。議長をはじめとする多数派は「恥」を隠蔽しようとしてきた。(注3)

 市議達は、竹原信一氏の「選挙期間中のブログ更新」を刑事告発している。多くの議員が、このような「恥」に関わり、このような「恥」を容認してきたのにも関わらずである。「盗人猛々しい」とはこのことである。
 この告発について私は次のように書いた。 

 ……〔略〕……怪しい人物の怪しい告発であっても、告発は告発として処理されるべきである。
 竹原信一氏のブログ更新は公職選挙法違反なのか。いかに怪しい人物が告発したとしても、違法なら違法である。合法ならば合法である。
 司法の世界は、そのような事実の世界であるべきである。人間的な要素が入らない世界であるべきである。
  ● 祝・竹原信一市長 刑事告発! --ブログ更新が公職選挙法違反か白黒つけよう

 これは司法の世界の話である。
 選挙はそれとは違う。
 選挙では、「怪しい人物の怪しい告発」は割り引いて考えられる。「自分達の選挙を有利にするために竹原市長のイメージダウンを狙っているのだろう。」「竹原市長がいると自分達が好き勝手なことが出来ないので、嫌がらせをしているのだろう。」
 さまざまな人間的な要素が想定される。(注4)
 選挙は総合的な判断が下される場なのである。
 
 選挙の世界と司法の世界は違う。
 阿久根市の有権者の判断が楽しみである。
 
                  諸野脇@ネット哲学者 
 

(注1)

 竹原信一市長は自ら不信任案提出を求めていた。
 議会を解散して、議員を入れ換えるためである。
 これは、ずいぶん前からの竹原信一氏の信念である。 

 唯一の解決策
変えるには市民が自ら立ち上がるしかない。辞職、解散させこの市長、議会を全面的に作り変えなければ転落を止めることは出来ない。議員の過半数が自主的に心を入れ替えることなどありえない。万一、心を入れ替える事があったとしても、そもそも議会の仕事を考える力がない。職員が提案したものを選ばされる事以上の能力が決定的に欠落している。ひどい事に議会では論理的に組み立てた議論ができない。すぐに多数決に逃げ出す。本当に話しにならないのだ。私は、議員になって最初の一般質問で「阿久根市議会は不良債権ではないか」と発言した。私は今、確信している。
  ● 2007/03/18 (日) 議会報告3 問題の根源

 つまり、この不信任案可決は、竹原信一氏は狙い通りの展開なのである。
 しかし、この点の報道がほとんどない。
 残念である。

 
(注2)

 このビデオの存在は、そうるふれんど氏のブログで知った。
 
  http://ossanndream.blog101.fc2.com/blog-entry-267.html
 
 お礼申し上げる。
 

(注3)

 竹原信一氏は情報公開を求めていた。 

 政務調査費の使途について、資料を提出せよと私は要求しましたが、議長及び事務局がまた拒否をいたしました。(「阿久根市議会議事録 平成19年12月7日」 38ページ)

 しかし、議会の多数派はそれを拒否したのである。


(注4)

 竹原信一氏についても、これは同じである。「ただのパーフォーマンスではないか。」「少しいかれているのではないか。」
 さまざまな人間的な要素が想定される。
 その総合的な判断が選挙結果なのである。

2009年03月18日

落選運動はインターネット上で自由にしてよい

 竹原信一 阿久根市長は、阿久根市議選の立候補者について言う。 

 その他に○○などは領収書詐欺容疑(領収書偽造を本人も認めた)で送検された状態での立候補、他にも送検されなかっただけで同じ事をした人間も居る。
今回は誰が議員としての仕事が出来るかというよりも、市民がどれだけ悪くないのを選べるかという選挙だ。これで粗大品は整理される。
   ● 2009/03/13 (金) お掃除選挙
  
 確かに「粗大品は整理」した方がいい。
 公費の「領収書偽造」をおこなった前市議は「粗大品」である。
 落選させたい。
 しかし、上の文章では、前市議の名前が「○○」と匿名になっている。だから、この文章を読んでも、誰を落選させたらいいのかが分からない。残念である。 
 ここで、竹原信一市長によいお知らせがある。 
 落選運動は公職選挙法違反ではない。
  
 「○○」氏の実名を公表してもいいである。
 実名を公表したとしても、それは「落選運動」だからである。 
 公職選挙法は「選挙運動」について規定している。しかし、「落選運動」は「選挙運動」ではない。つまり、公職選挙法には「落選運動」についての規定は無い。
 「選挙運動」は〈特定の候補の当選を目的にする運動〉である。「落選運動」は〈当選を目的にする運動〉ではない。〈特定の候補の落選を目的にする運動〉である。公職選挙法の定める「選挙運動」に「落選運動」は含まれないのである。
 
 だから、「粗大品」の実名を挙げても問題はない。
 それでは、私が実名を挙げよう。
 「○○」氏とは的場真一氏である。
 「落選運動」ならば、実名を挙げても何の問題もない。「的場真一候補を落選させよう。」と書いても何の問題はない。
 太田光征氏は言う。 
 12日に、総務省選挙課に問い合わせたところ、公職選挙法には個人による落選運動を禁止する規定はない、ただし2人が立候補していて、結果的に一方の当選に利する行為であれば、選挙運動になることがある、という旨の回答をもらいました。
   ● 落選運動を禁止する規定は公職選挙法にない

 総務省も「落選運動を禁止する規定はない」と認めている。(注1)
 もちろん、総務省が認めようが認めまいが、「選挙運動」の意味は変わらない。「選挙運動」に「落選運動」は含まれない。
 しかし、総務省が認めているならば、心配性の人も安心であろう。(注2)
 
 せっかくの「お掃除選挙」である。
 「粗大品」はたくさんゴミに出した方がいい。
 そのために「落選運動」は有効な手段である。
 
                  諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 もちろん、総務省が法律の解釈を決める訳ではない。
 解釈は、最終的には司法が決めるのである。
 「落選運動」の場合は、次のような判例がある。(上の文章を参照。)

 単に特定候補のみの落選〔を〕はかる行為は選挙運動とはいえない
  (S5.9.23 大審院判決)
 
 これではっきりした。「落選運動」は「選挙運動」ではない。
 しかし、インターネット上の「選挙運動」については、司法において解釈が定まっていない。判例が無いのである。
 〈選挙期間中にブログを更新したら公職選挙法違反である〉というのは総務省の恣意的な解釈に過ぎない。
 詳しくは、次の文章をお読みいただきたい。
 
   ● インターネット上での選挙活動は禁止されていない
   
 
 〈公職選挙法でブログ更新は禁止されていない〉と解釈する方がずっと自然なのである。
 
 
(注2)
 
 「お上」に「問い合わせ」をする行為には悪い影響がある。
 次の文章で論じた。
 
   ● 「お上」に「お伺い」を立てる愚 
   ● 〈問い合わせ〉行為自体が相手の行動を変えてしまう


 しかし、「問い合わせ」には別の影響もある。太田光征氏は、総務省から「落選運動を禁止する規定はない」との見解を引き出した。
 これは有効である。「お上」の「お墨付き」があれば、心配性の人でも安心できるのである。
 

2009年03月23日

ブログの活用で阿久根市議会の「お掃除」が進む

 阿久根市議会選挙の結果が出た。
 竹原市長はこの選挙を「お掃除選挙」と名づけていた。
 「お掃除」は出来たのか。「粗大品」はかたづけられたのか。
 私は以前、次のように書いた。

 阿久根市議会の状態を見ていただこう。
 
   ● スーパーモーニング「パック旅行で〝海外視察〟直撃! トンデモ市議会」

 政務調査費で温泉バスツアーに行った築地新公女議員。
 それを容認した京田道弘議長。
 領収証を偽造した的場眞一議員、山下孝男議員。
   http://shonowaki.com/2009/02/post_64.html


 上のビデオを見れば、これらの候補は落選させたくなる。
 特に、取材から逃げ回る築地新公女候補は落選させたくなる。(苦笑)
 結果はどうなったか。
 確認しよう。 
 築地新公女 落選
 的場眞一   落選
 京田道弘   引退
 山下孝男   引退
 
 全員が落選・引退した。
 「お掃除」は確実に進んでいる。
 事実を知れば、落選させたくなるのが当然である。
 今までは、事実が有権者に伝わっていなかったのである。今回の選挙では、事実が有権者に伝わった。伝わったので、有権者が当然の判断をすることが出来た。
 有権者に事実が伝われば、議会は変わるのである。
 この論点は次の文章で論じた。
 お読みいただきたい。
 
   ● 議会の〈情報公開〉こそ「変革」の中心 
 
 事実を伝えるために竹原信一氏のブログは役に立った。
 ブログをてこにして、事実を有権者に伝えることで「お掃除」が進んだのである。

                  諸野脇@ネット哲学者

2009年03月24日

有権者はそんなにバカなのか --公民権停止を考えるための論理

 戸田ひさよし議員が失職した。公民権停止2年間の罰を受けたのである。
 トップ当選を果たした議員が失職するのは前代未聞の事態である。
 重要な事実がある。 
 

戸田ひさよし氏は、有罪判決が出た後の選挙でトップ当選している。
 
 つまり、有権者は、戸田ひさよし氏がどのような罪に問われたかを知っていた。知った上でトップ当選という判断を下したのである。
 言わば、門真市民は戸田ひさよし氏に「無罪判決」を下したのだ。公民権停止を認めなかったのである。
 しかし、この「無罪判決」を否定する形で最高裁の判決が出たのである。
 つまり、次のような形になっている。 
 
有権者の判断より、裁判所の判断が優先されている。
 
 はたして、これでいいのだろうか。
 なぜ、裁判所は有権者の判断を否定できるのか。
 なぜ、公民権停止という罰があるのか。議員になることを禁止する罰があるのか。 
 
議員になる資格があるかどうかは有権者が判断すればいい。
 
 選挙という判断の機会があるのである。悪いことをすれば、有権者が議員の資格が無いと判断する。その候補者を落選させる。それでいいではないか。
 これが民主主義の原理である。
 なぜ、有権者の判断を否定する公民権停止という罰があるのか。
 それは、「有権者がバカだ」と考えているからである。 
  
公民権停止は「有権者はバカだ」という考えを含意する罰である。
  
 〈有権者はバカなので、落選させるべき議員を当選させてしまう〉と考えているのである。だから、有権者が選んだ議員を失職させるのである。また、立候補できないようにするのである。議員になる資格を停止するのである。〈有権者は適切な選択を出来ないので裁判所が助けてやる〉という訳である。
 
門真市民はバカ扱いされたのである。
 
 戸田ひさよし氏に投票した有権者はバカ扱いされたのである。
 怒るべきである。
 
 議員を自分で選ぶのは当然のことである。
 バカな選択をしたとしても、その結果を自分で引き受ければいい。
 民主主義とは〈自分達の責任でバカな選択肢を選ぶことが可能な制度〉なのである。前もって、誰かが選択肢を選んでくれる制度は民主主義ではない。

 確かに、私達はバカかもしれない。
 しかし、私達はバカ扱いされない権利を持っている。
 それが民主主義なのである。

                  諸野脇@ネット哲学者


〔関連リンク〕

 ● 門真市でも「政治資金規正法」悪用し市議逮捕
 ● 戸田ひさよし・連帯ユニオンへの不当弾圧糾弾!
 

2009年04月15日

敵味方刑法 --戸田ひさよし議員失職を考えるための論理

 2005年12月8日、戸田ひさよし・門真市議は大阪府警に逮捕された。
 そして、接見禁止のまま三ヶ月間拘留されたのである。
 議員本人が逮捕されて、そのまま三ヶ月間拘留されるとは、大変な事態である。
 この事態からどのような容疑が想像されるか。 

 門真市に総工費200億円でダムを造ることになった。
 戸田議員は、○○建設から一億円の賄賂をもらい、○○建設が有利になるように働きかけていた。
 そして、○○建設が門真ダム工事を受注した。

 議員を三ヶ月間拘留するには、それなりの犯罪容疑が必要である。
 例えば、このような大規模な汚職である。
 しかし、門真市にダムを造るという話は聞かない。
 それでは、現実には戸田ひさよし議員はどのような容疑で三ヶ月間拘留されたのか。次のような「政治資金規正法違反」の容疑でである。
 1、全日本建設運輸連帯労組関西生コン支部(連帯ユニオン関生=かんなま=支部)の有志から90万円のカンパを受け取ったこと

 2、同労組近畿本部委員長として、同労組から報酬として毎月20万円を3年分、計720万円を受け取ったうち毎月10万円分、計360万円を政治献金として受け取っていたこと
  http://www.news.janjan.jp/government/0903/0903159406/1.php


 は?
 90万?
 毎月10万? 
 この程度の容疑で、どうして三ヵ月も拘留する必要があったのか。
 「政治資金規正法違反」の容疑ならば、通常、任意の取り調べで済むはずである。一度書類を押収してしまえば、証拠隠滅の恐れもない。
 大阪府警の行動は異常である。
 そして、判決も異常であった。 
 06年8月、大阪地裁で罰金110万円、追徴金計450万円、公民権停止2年の有罪判決を受けました。控訴審の大阪高裁は公判を1回開いたきりで、翌07年4月に地裁判決を基本的に踏襲する判決を出しました。
  〔同上
 
 最高裁は、控訴棄却によってこの判決を確定させた。
 問題は、「公民権停止」という罰をくだしたことである。
 議員にとって、「公民権停止」は「死刑判決」である。議員としての資格を失わせる判決である。
 これは、通常、罰金刑で済ませる案件である。
 なぜ、こんな小さい案件で「死刑判決」をくだすのか。「政治資金規正法違反」という形式犯で「死刑判決」をくだすのか。 
 このような事例で「死刑判決」をくだすことが前例になれば、大変なことになる。
 同様の事例はたくさんあるのである。 
 さて、容疑事実について検討します。まず、第1の90万円のカンパです。OBを民主党や社民党の地方議員として送り込んでいる労働組合は全国にごまんとあります。組合の現職幹部がカンパ帳を組合員に回してまとめ、それを議員サイドに(個人献金の合計として)渡しているわけです。それが違法として立件されたという事例は聞きません。戸田さんだけが狙い撃ちにされたわけです。

 第2の、戸田さんに対する組合役員としての報酬についてはどうか? 検察側は「近畿地方本部委員長としての報酬は10万円で十分。月20万円ももらっていたうちの10万円分は政治献金だ」と決め付けました。しかし、本来、報酬は組合内部で決める話です。組合幹部として20万円が高すぎる報酬とも思えません。

 会社員や会社経営者と兼務している市議など他にもたくさんいます。これらの人たちも、それぞれが属している企業から献金を受け取っていることになるのでしょうか。検察の平衡感覚はどうなっているのか? 理解に苦しみます。
  〔同上

 
 同じことをしている議員はたくさんいるのである。
 その全員を逮捕しなければならなくなる。(苦笑)
 そうでなければ、平等ではない。
 しかし、警察がどんどん議員を逮捕しているという話は聞かない。 
 戸田ひさよし氏だけが特別に逮捕されたのである。

 この「特別扱い」をどう解釈するべきか。
 戸田ひさよし氏だけが、厳しく扱われているのである。
 戸田ひさよし氏の弁護を担当した永嶋弁護士は次のように言う。 
 敵・味方刑法に向かいつつあるのではないか。
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=2337;id=01#2337
 
 国家の「味方」には甘く、「敵」には厳しくする法律の運用がおこなわれているというのである。「敵」と「味方」で扱いを変えているというのである。
 そのような不公平な扱いがおこなわれているのならば大きな問題である。
 不公平は正さなければならない。
 捜査当局・裁判所は次のうちのどちらかをおこなうべきである。(もちろん、どちらも出来ないであろうが。)
 
 1 戸田ひさよし議員と同様の行為をおこなっている議員を全員「三ヵ月拘留」のうえ「公民権停止」にする。
 2 戸田ひさよし議員を「三ヵ月拘留」し「公民権停止」にした合理的な根拠を示す。例えば、汚職の事実があったことなどを示す。
 
 戸田ひさよし氏が受けた扱いは、「政治資金規制法違反」の「犯人」への扱いではない。
 大規模な汚職事件の犯人への扱いである。または、殺人事件の犯人への扱いである。
 しかし、戸田ひさよし氏は、汚職もしていないし、殺人もしていないのである。
 何かがおかしい。
 これがこの国の現状である。 
 敵味方刑法
 
 この用語を覚えておくべきである。
 
                  諸野脇@ネット哲学者

2009年04月16日

国策捜査 --小沢一郎議員秘書の逮捕を考えるための論理

 小沢一郎議員の秘書が「政治資金規正法違反」の容疑で逮捕された。
 この逮捕は〈「国策捜査」ではないか〉と疑われている。逮捕が衆議院選挙の前の時期だったからである。〈民主党にダメージを与えるための捜査ではないか〉と疑われているのである。
 この問題をどう考えればいいのか。
 元東京地検特捜部長・宗像紀夫氏は言う。 

 ……〔略〕……検察の伝統的な考え方では、政治資金規制法違反というのは、例えば多額のウラ金を収得していたようなケースでない限り、事件の最終目的とはなりえないからです。第2、第3の、贈収賄や脱税などのより悪質、重大な犯罪の摘発が後に控えているときにのみ、政治資金規制法違反による強制捜査といった例外的な捜査手法が許されるのです。だから、「この時期にこんな事件で政治家の秘書を逮捕するのはおかしい」と言われたら、「最後まで見ていて下さい」と言えばいいのです。つまり、きちんとした捜査の結果を出すことがいちばん説明責任を果たすことになるのです。だからもし、仮に今回の事件が政治資金規制法違反だけで終わるようなことになるとすれば、あまりにも強引な捜査だったということになるでしょう。
  〔『朝日新聞』2009.4.1.〕
  
 宗像紀夫氏は特捜部長だった人である。だから、検察の「伝統的な考え方」はよく知っているはずである。
 検察では、「政治資金規制法違反」は「事件の最終目的」にはならない。逮捕というような「強引な捜査」が許されるのは、「贈収賄」などのより悪質な「犯罪の摘発」の場合である。
 さらに、宗像紀夫氏は次のような例を挙げる。 
 ……〔略〕……ちなみに、リクルート事件の時も、3人の自民党有力政治家の秘書や政治団体の会計責任者を政治資金規制法違反(虚偽記載、量的制限違反)で摘発しました。金額は数千万~数億円でしたが、いずれも在宅で調べて、略式起訴でした。
  〔同上〕
 
 億の単位でも、「在宅」捜査だったのである。
 政治家の秘書を逮捕したら、「結果」を出さなくてはならない。「結果」とは「贈収賄」などのより悪質な「犯罪の摘発」である。 
 検察が「贈収賄」を摘発できるか。
 
 これが「国策捜査」かどうかの判断の基準である。検察は「贈収賄」などの悪質な「犯罪の摘発」ができるか。「結果」を出せるか。
 「結果」を出せなかったら、「国策捜査」ではないかと疑われても仕方ない。
 
 読者の皆さんの頭の中には、当然、次の文章との比較が生じたはずである。
 
   ● 敵味方刑法 --戸田ひさよし議員失職を考えるための論理
  
 戸田ひさよし議員は「政治資金規制法違反」で逮捕された。
 しかも、総額450万円の事案である。
 このような事案で、議員本人を逮捕するのは著しく「検察の伝統的な考え方」に反する。リクルート事件では、億の事案でも逮捕はされなかったのである。秘書すら逮捕されなかったのである。
 しかも、戸田ひさよし氏の場合、検察が「結果」として考える「贈収賄」などのより悪質な「犯罪の摘発」も無かったのである。「結果」を出していないのである。 
 戸田ひさよし氏は権力の「敵」だから厳しい扱いを受けたのではないか。
 
 「結果」を出していないのだから、このように「敵味方刑法」が疑われるのも当然である。
 小沢一郎氏の秘書の逮捕も「敵味方刑法」が疑われる事案である。権力の「敵」だから厳しい扱いを受ているのではなかと疑われているのである。
 
 「国策捜査」・「敵味方刑法」の特徴は、〈ダブルスタンダード〉である。相手によって、基準を変えるのである。
 「敵」だから厳しくする。「国策」だから厳しくする。
 〈ダブルスタンダード〉である。
 
 だから、〈「国策捜査」ではないか〉という疑いを否定するのは簡単である。〈ダブルスタンダード〉ではないことを示せばいい。検察が「結果」を出せばいい。「贈収賄」などの「犯罪の摘発」をおこなえばいいのである。
 検察は、「贈収賄」をおこなった者は誰でも逮捕する。(これは検察の「伝統的な考え方」である。)これならば、〈ダブルスタンダード〉ではない。 
  その捜査が〈ダブルスタンダード〉でないかを検討しよう。
  
 「国策捜査」・「敵味方刑法」、どちらも〈ダブルスタンダード〉を主要な特徴とする行為だからである。
 
                  諸野脇@ネット哲学者
 

2009年04月17日

インターネット上で「問題」を起こすという広報活動 --竹原信一市長失職を考えるための論理

 竹原信一市長の失職が予想されている。本日、十時からの市議会で失職が決まるであろう。

 ブログを使った議会批判などで議会と対立し、不信任を受けた鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が議会を解散したことに伴う出直し市議選(定数16)が22日、投開票され、市長失職を目指す反市長派が過半数を確保した。
これにより、改選後の市議会で2度目の不信任案が可決されて市長が失職する公算が大きくなった。失職すると5月中にも出直し市長選が行われる。
  http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090322-OYT1T00958.htm?from=nwlb

 しかし、心配には及ばない。
 市議会選挙前に、既に竹原信一市長は言っている。 
今回は誰が議員としての仕事が出来るかというよりも、市民がどれだけ悪くないのを選べるかという選挙だ。これで粗大品は整理される。
私は議会を掃除する為に解散をさせた。次に私が片付けられる。
  ● 2009/03/13 (金) お掃除選挙
 
 「次に私が片付けられる」とある。
 既に、自分の失職は織り込み済なのである。
 そして、再度、竹原信一氏は市長選に立候補するのである。(これも予告済である。)
 
 一見、これは無駄なように思える。しかし、無駄ではない。
 その過程で、有権者に情報が伝わるのである。もめればもめるほど、有権者に情報が伝わっていく。
 竹原信一市長は失職した方がいいのだ。
 
 失職した方が有権者に情報が伝わる。
 竹原信一氏がインターネット上で「問題」を起こす度に、有権者に情報が伝わっていく。
 「問題」をマスコミが取り上げるからである。
 この構造が興味深い。

                 諸野脇@ネット哲学者

インターネットによる動画配信が議会を変える --竹原信一市長失職の様子がリアルタイムで確認できる!

 現在、阿久根市議会の様子が生中継されている。(注)
 
   ● 市議会中継  
  
 この中継により竹原信一市長の不信任案可決の様子をリアルタイムで見ることが出来る。どのような不当(または正当)な手続きで不信任案が可決されるかを確認することが出来る。
 また、「市議会中継記録」として過去の議会の様子も動画で見ることが出来る。議会の様子が動画配信されている。
 これは素晴らしいことである。
 
   ● 議会の〈情報公開〉こそ「変革」の中心   
 
 議会で何がおこなわれているかを知らなければ、有権者は議会を「変革」する必要性を感じない。
 〈情報公開〉こそ「変革」の中心なのである。
 
 多くの自治体が議会中継に取り組んでいる。グーグルで「議会中継」を検索するとたくさんのページがヒットする。

   http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1T4GGLD_jaJP311JP311&q=%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E4%B8%AD%E7%B6%99&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
 
 この〈情報公開〉が議会を変えていく。有権者が見ているところで、いいかげんなことは出来ないからである。アクビをする議員、マンガを読む議員は確実に減っているだろう。(苦笑)
 インターネットによる〈情報公開〉が世界を変えるのである。
 
                諸野脇@ネット哲学者


(注)

 この情報は、そうるふれんど氏のブログで知った。
  
   ● 臨時議会を傍聴しよう!!  
  
 お礼申し上げる。

2009年04月18日

祝・竹原信一市長失職! --阿久根市民は「覚醒」するか

 不信任決議案が可決され、予定通り竹原信一市長が失職した。
 これは竹原信一氏の予定でもあった。
 そして、竹原信一氏は出直し市長選挙に出馬する。
 
   ● インターネット上で「問題」を起こすという広報活動 --竹原信一市長失職を考えるための論理
   
 竹原信一市長が「問題」を起こすたびに有権者に情報が伝わってきた。
 マスコミに取り上げられてきた。例えば、次のような文章である。
 
   ● ブログ市長の「切ない」思い
 
 
 今度の出直し市長選挙でも、情報が有権者に伝わるであろう。これは有権者への広報活動なのである。
 かつて、竹原信一市長は次のように言った。

 実は、議員定数削減案が今の市議会で成立できるとは考えていなかった。私は議会の本当の姿を市民に知ってもらう道具として提案した。

私が議員の時に提案した浄化槽管理費削減の決議案にまで反対した市議会である。今回は定数削減に反対、浄化槽管理費削減の規則改正にも反対、市民に駐車場を確保する事にも反対、手数料値下げ案にまで反対してくれた。
予想をはるかに超える反応をしてくれている。

 議員たちが自らの値打ちをとことん下げて市民に覚醒の機会を与えている。私は阿久根市議会議員達に感謝している。この市議会でなければ阿久根市民を変えることはできない。
   ● 2008/10/31 (金) 阿久根を変えるということ


 今回も、竹原信一氏は阿久根市議会に「感謝」しているであろう。(笑)
 阿久根市議会が、また「本当の姿」を現してくれたのである。
 阿久根市議会は、議員定数削減・市職員の給与の削減を主張する竹原信一市長を失職に追い込んだ。
 これによって、出直し市長選がおこなわれる。出直し市長選は、マスコミに注目されるであろう。だから、竹原信一氏の主張も、対立候補の主張も有権者に伝わるであろう。(注)
 阿久根市議会は、阿久根市民に「覚醒」の機会を与えてくれたのである。阿久根市の現状について深く考える機会を与えてくれたのである。
 ありがたいことである。(笑)
 
               諸野脇@ネット哲学者


(注)

 竹原信一氏の目標は市民の「覚醒」である。
 だから、竹原信一氏にとっては、出直し市長選挙での勝敗はどうでもいいことである。「覚醒」した市民が対立候補を選ぶならば、それはそれでいいのである。
 

2009年05月16日

インターネット議会中継で分かった議員の異常な言動  ―― 竹原信一市長不信任決議可決の不当な手続き

 竹原信一市長に対する二度目の不信任案が可決された。これによって、竹原信一市長は失職させられた。
 私は、この不信任決議可決の様子をインターネットによる議会中継で見ていた。
 阿久根市議会は異常であった。不当な手続きで不信任決議を可決してしまったのである。
 不信任決議案の提案者である木下孝行議員が質問にまともに答えないのである。例えば、木下孝行議員は提案理由の一つとして「国の法律に矛盾する独裁主義」と述べた。それに対して、牟田学議員が次のような質問をした。 

 〔竹原市長のブログの〕 どの部分がどの法律に矛盾しているのかお答え下さい。
 
 これに対して、木下孝行議員は次のように話し出した。 
 えーと、阿久根市は三割自治の町でございます。……

 〈財源を確保するためには国との関係が大切である〉という趣旨を話したのである。これでは全く質問に答えていない。
 当然、牟田学議員は、再度、どこがどう違法なのかを問いつめた。すると、木下孝行議員はとんでもないこと言ったのである。 
 資料を持っていないので……
 
 これには、さすがに傍聴席から失笑が起こった。「バカにすんな。」という怒りの声も聞こえた。
 結局、木下孝行議員は根拠を示せなかった。「資料」すら持ってきていなかったのである。これは、市長を失職させるという重大な提案をおこなう者の態度ではない。異常である。(注1)
 残念ながら、牟田学議員はここで追及を止めてしまった。しかし、さらに追及するべきであった。
 次のように言えばよかったのである。 
 それでは資料を持ってきてください。いつまででもお待ちします。木下議員は、〈竹原市長が現行法に違反した〉と批判した訳です。木下議員には、その根拠を示す義務があります。違反したのか。違反していないのか。それが分からなければ、木下議員が提案されている市長不信任決議案が正当かどうか判断が出来ません。
 
 ここは、木下孝行議員が資料を持ってくるまで待つしかないのである。根拠を示すまで待つしかないのである。根拠が示されるまでは、不信任決議案への賛否は決められない。
 しかし、木下孝行議員は「資料を持っていないので……」で済まそうとしている。これは異常な事態である。
 また、本来、このような異常事態の解決は議長の責任である。議長は、このような事態を許すべきではない。
 市長不信任決議案の主要な主張について、提案者が根拠を示していないのである。議長が根拠を示すように命ずるべきである。
 しかし、阿久根市議会は根拠が示されないまま質疑を終えてしまった。そして、根拠が示されないまま不信任決議を可決してしまったのである。 
 竹原信一市長は、根拠を示されないまま失職させられたのである。
 
 このような手続きは不当である。阿久根市議会は、不当な手続きで不信任決議という重大な議案を可決したのである。不当な手続きで市長を失職させたのである。これは異常である。
 この異常さは裁判と比較すると分かり易い。死刑を求刑する検察官が根拠を問われて「資料を持っていないので」と言うか。そんな求刑で死刑が認められるか。認められる訳がない。
 
 阿久根市議会は歴史を作ったのである。議会が首長を失職させるのは、ほとんど前例が無い事態である。(この十年で二度目だそうである。)
 阿久根市議会は、その重い意思決定を実に軽くおこなった。不当な手続きでおこなった。これは歴史上の汚点である。
 阿久根市議会は恥を知るべきである。

 インターネットの議会中継のおかげで、誰でも阿久根市議会の様子を見ることが出来る。現在、上のやり取りは次の動画で公開されている。(注2)(注3)
 
   ● 竹原信一市長不信任決議 
 
 この動画によって、誰でも歴史的な不信任決議可決を検討できる。
 少数の人間を「ごまかす」ことは出来る。しかし、多くの人間を「ごまかす」ことは出来ない。日本中の人間を「ごまかす」ことは出来ない。
 インターネット上に公開することによって、議会は多くの人間の検討にさらされる。これは誠に画期的なことである。
 
               諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 木下孝行議員は不勉強である。
 私の文章を読んでいれば、総務省の主張くらい分かるはずである。
 
   ● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か 
 
 竹原信一氏も、ブログ更新が違法でない根拠としてこの文章を挙げている。
 読んでいて当然の文章なのである。
 
 
(注2)

 次の部分を見ていただきたい。
 木下議員が牟田議員の質問にまともに答えていないことが確認できる。

  25分43秒~ 木下議員 「えーと、阿久根市は三割自治の町でございます。……」
  30分50秒~ 木下議員 「資料を持っていないので……。」
  
 この部分を見れば、阿久根市議会の現状がよく分かる。


(注3)

 この動画は、審議の一部分である。
 全ての審議は次のページから見ることが出来る。
 
   ● 平成21年第2回阿久根市議会臨時会 中継記録  
  
 「竹原信一市長不信任決議」の動画ファイルをクリックすれば見ることが出来る。
 

2009年05月23日

議会は議論をする場所ではないらしい(苦笑)  ―― 奇妙な規則「質問は三回まで」

 竹原信一市長不信任決議案を提案した木下孝行議員は、ほとんどの質問にまともに答えなかった。質問と全く関係ない内容を話し始めるのである。
 次の文章で実例を示した。
 
   ● インターネット議会中継で分かった議員の異常な言動 ―― 竹原信一市長不信任決議可決の不当な手続き
 
 どうして、木下孝行議員は質問にまともに答えないのか。
 二つの可能性がある。 

 1 木下孝行議員はバカである。
 2 木下孝行議員は腹黒い。
 
 木下孝行議員は、質問を理解し答える能力がないのか。つまり、バカなのか。
 それとも、はぐらかしごまかそうとしているのか。つまり、腹黒いのか。
 この疑問を解く鍵は、阿久根市議会の規則にある。 
 質問は三回までしか出来ない。

 「質問は三回まで」と定められている。それならば、関係ないことを話し、回数を稼げばいい。「三回」関係ない内容を話せば、質問は終わる。
 現に、牛之浜由美議員は、質疑の途中で次のように嘆いている。 
 どうも私がお尋ねしていることとは違う答えが返ってきているようなんですけど。もう三回目ですね。(注1)

 牛之浜由美議員は全く質問に答えてもらえなかった。木下孝行議員からは「違う答えが返ってき」ただけであった。それで、「三回」の質問機会が終わってしまったのである。
 常識的に考えて、木下孝行議員は腹黒い可能性が非常に高い。意図せずに、ほとんどの質問に対して関係ない話をするのは難しいからである。(苦笑)
 なぜ、木下孝行氏は、なぜこのような「姑息な手段」を使うのか。また、なぜ、阿久根市議会では、このような「姑息な手段」が通用するのか。(注2) 
 議会が議論をする場ではないからである。
 
 多数派議員は、既に不信任案に賛成することを決めているのである。議会での議論と関係なく決めているのである。
 だから、木下孝行議員がどんな質疑をしようと関係ない。不信任案に賛成するだけである。
 このような状態だから、木下孝行議員の「姑息な手段」が通用するのである。質問にまともに答えなくても大丈夫なのである。質問に答える必要がないのである。
 
 議会の理想状態を想定してみよう。〈議会は議論をする場である〉と想定してみよう。
 そのような議会ならば、議論によって賛成者の数が変わってくる。木下孝行議員がきちんと質問に答えれば、賛成者が増える。そうでなければ、賛成者が減る。もし、このような状態ならば、木下孝行議員はきちんと質問に答えたであろう。「資料」くらい持ってきただろう。(苦笑)
 
 木下孝行議員は「姑息な手段」を使ったことに問題を感じていないのであろう。
 しかし、木下孝行議員は次の事実に気づくべきである。木下孝行議員の行為は、みんなに見られている。インターネットによる議会中継によって、日本中の人に見られている。

   ● 竹原信一市長不信任決議
  
 日本中の人に見られているのである。牛之浜由美議員の質問にまともに答えなかったことも、牟田学議員の質問にまともに答えなかったことも。
 阿久根市議会は公開されている。だから、長期的には、このような「姑息な手段」は通用しない。「姑息な手段」を使う議員には、市民からの罰がくだるであろう。

 もちろん、市民は〈議会は議論をする場である〉と思っている。だから、議論せずに「姑息な手段」を使うのはスキャンダルである。恥ずかしい行為である。
 木下孝行議員はスキャンダルを見られたのである。この事実に気がつくべきである。
 インターネットによる議会中継によって、議会のスキャンダルが暴かれた。議会の現状があらわになったのである。
 
               諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 次の動画の23分55秒を見ていただきたい。
 
   ● 竹原信一市長不信任決議
  
 牛ノ浜由美議員が「もう三回目ですね。」と嘆いている。
 ちなみに、牛ノ浜由美議員の質問は14分13秒から始まっている。
 ここから見ると、木下孝行議員がきちんと答えていないことが分かる。


(注2)
 
 木下孝行議員の名誉のために付記する。
 木下孝行議員がバカである可能性はゼロではない。
 道徳的には、腹黒いより、バカの方がいい。ウソつきより、能力が低い方がいいのである。
 意図せずに間違ってしまっただけである可能性もゼロではない。
 だから、「姑息な手段」とカッコを付けた。

2009年05月29日

なぜ、議長は「無能」なのか

 阿久根市議会は議会の態をなしていない。まともに議論が成立していないのである。
 議論を成立させるのは議長の仕事である。阿久根市議会の浜之上大成議長は「無能」である。 

 なぜ、浜之上議長は「無能」なのか。
 
 以下、この論点を論じる。
 竹原信一市長はまともな議論なしで失職させられた。まともな質疑なしで失職させられた。これについては既に詳しく述べた。
 
   ● インターネット議会中継で分かった議員の異常な言動 ―― 竹原信一市長不信任決議可決の不当な手続き
   ● 議会は議論をする場所ではないらしい(苦笑)  ―― 奇妙な規則「質問は三回まで」   
 
 議論を成立させるのは議長の仕事である。
 浜之上大成議長は、質問にまともに答えない木下孝行議員を指導するべきであった。
 例えば、次のように言えばよかったのである。 
 牟田学君は〈竹原信一市長のブログのどこが公職選挙法の何条に違反しているのか〉を質問したのです。質問にきちんと答えなさい。
 
 しかし、議長は何もしなかった。
 なぜ、議長は、議長としての仕事をしないのか。
 なぜ、議長は「無能」なのか。  
 議会が議論をする場所ではないからである。
 
 もともと多数派は、竹原信一市長不信任決議案に賛成することを決めているのである。議論によって、その結論は変わらないのである。だから、議論など必要ないのである。
 このような状態では、議長がきちんと仕事しなくても、それで済んでしまう。また、このような状態では、議長としての能力が無い人間が議長になっても「問題」はない。だから、議長は「無能」なのである。
 議論する必要がないから、議長は「無能」なのである。
 
 議長は「無能」でも務まる。いや、「有能」であっては困るのである。多数派の議員は、〈議論などせずに、強引に決めてしまおう〉としているのである。「有能」な議長に議論などさせられたら、却って面倒なのである。
 議長は「無能」である。それは、議会が議論をする場所ではないからである。
 
 もちろん、これは阿久根市だけの傾向ではない。全国的に、ほとんどの議長が「無能」なのである。それは、ほとんどの議会が議論をする場所ではないからである。(苦笑)
 次回の文章でその証拠を示す。
 
              諸野脇@ネット哲学者

2009年05月30日

議長「たらい回し」スキャンダル

 議長は「無能」でも務まる。
 この事実を端的に表す事態が発覚した。
 世田谷区議会が議長職を「たらい回し」にしていたのである。このスキャンダルはテレビ番組「スーパーモーニング」で大きく報道された。(注1) 

 おととい(5月20日)東京・世田谷区議会で議長選挙が行われた。これまでの大場議長が、任期途中で「一身上の都合で」辞任したためだったが、これがとんでもないことになった。

 まだ議長が辞任していない段階で、次の議長の名前と議長公印が押された文書が議場に配布されていたのだった。一部議員が、「不正だ」として追及したため投票は無効となり、きのう再投票になった。選挙の結果は2度とも、まさしく文書の名前の人が選ばれたのだが、これっていったい何なの?

 ……〔略〕……
 
 同会派の山口幹事長は、「たらい回しというのは理解できない」ととぼけてみせたが、議長を辞任した当の大場やすのぶ議員は「2年で替わるというのは慣例か?」との問いに、「そう、私に限らず、ハイ」とあっさりと認めた。

 さらに、「たらい回しがいいかは別にして、事実としては1年ごとに辞表を出して代わってきた。もし議長を辞めなかったら、自民党の会派から出されますよね」とまことに正直。

 事実世田谷区では、初代から56代まで62年間、議長は「一身上の都合」で任期途中で辞任している。……〔略〕……
   ● 「スーパーモーニング」 金と名誉の「共有」堕落か美談か 地方議会の議長「たらい回し」


 62年にわたる堂々たる「たらい回し」の伝統である。(苦笑)
 彼らにとっては〈議長は誰でも出来る〉ものなのである。だから、「1年ごとに」議長職を「たらい回し」にしていたのである。
 議員達は、これをスキャンダルと思っていないのであろう。議会の常識だと思っているのであろう。
 それでは、彼らは、なぜ「たらい回し」にしていたのか。「スーパーモーニング」のコメンテーター達は次のように語っている。 
 山口一臣は、「議長だと選挙で有利でしょうし、歳をとってからもらえる勲章もワンランク上がるかもしれない」

 大谷昭宏が、「何とかの会ってのがあるでしょう。あれに呼ばれるのが、地方なんかでは名誉なんですよ」(あっはっはと赤江珠緒の声)

 小木逸平が、「じゃあ500万円だけじゃなくて、名誉もみんなで分かち合おうということですか」
 〔同上〕

 
 金と名誉を分けあっていたのである。
 議長職には、500万円の手当が付く。また、名誉も付いてくる。そのようなうまみがあるものを独り占めするのは「不公平」である。「福利厚生」の一環として、みんなで分けあっていたのである。(苦笑)

 しかし、市民から見れば、これはスキャンダルである。議員達は、市民の普通の感覚から大きくズレている。
 市民は〈議会は議論をする場所である〉と思っている。
 議論を成立させるためには、高い能力が必要である。本来、議長には高い能力が必要なのである。それは、誰にでも出来るものではない。(注2)
 例えば、テレビ番組の司会者を想像してもらいたい。例えば、みのもんた氏である。 

 みのもんた氏が高給取りだからといって、司会の仕事をアシスタントと「たらい回し」にする訳にはいかない。
 
 みのもんた氏は、みのもんた氏の司会能力ゆえに高給を取っているのである。みのもんた氏ではなくアシスタントが司会をしたら、視聴率が落ちてしまうだろう。司会の仕事を「たらい回し」することは不可能なのである。誰にでも出来る仕事ではないのである。
 本来、議長もこれと同じである。議論を成立させるためには、高い能力が必要なのである。「たらい回し」できる仕事ではないのである。 
 本来、議長は「たらい回し」できるような仕事ではない。
 
 それにもかかわらず、世田谷区は議長を「たらい回し」にしてきた。世田谷区では、議長には特別な能力は必要なかったのである。議長に専門的な高い能力が必要なかったのである。それは、〈議会が議論をする場所ではなかった〉からである。
 議会が議論する場でなければ、議長職がただの「うまみ」に見えても仕方ないだろう。(苦笑) 何もせずに、高い給与と名誉が手にはいるのである。
 注目するべき事実がある。 
 世田谷だけかと思って23区に聞いたところ、20の区から回答があって、全部が1年ないし2年で交代している。
 〔同上〕
 
 23区のうち、少なくとも20区が「たらい回し」をしているのである。(残りの3区も回答が無かっただけある。その3区も、とても怪しい。笑)
 回答を寄せた自治体は全て「たらい回し」をおこなっていたのである。
 前回の文章の最後に私は次のように書いた。 
 もちろん、これは阿久根市だけの傾向ではない。全国的に、ほとんどの議長が「無能」なのである。それは、ほとんどの議会が議論をする場所ではないからである。(苦笑)
 次回の文章でその証拠を示す。
   ● なぜ、議長は「無能」なのか

 この事実が「証拠」である。
 調査結果が判明した全ての自治体で議長が「たらい回し」にされていた。つまり、議長は「無能」だったのである。特別な能力が必要とされていなかったのである。
 全国全ての自治体を調べても、この傾向は変わらないであろう。
 
 議長の「たらい回し」はスキャンダルである。しかし、それはもっと大きなスキャンダルの表れに過ぎない。
 それは〈ほとんどの議会が議論をする場所になっていない〉というスキャンダルなのである。
 
              諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 この事実は、戸田ひさよし氏の次の文章で知った。

   ● 門真市も他人事じゃない! 議長「たらい回し」、世田谷区で不正発覚し大問題に!
 
 お礼申し上げる。
 

(注2)

 議長には高い能力が必要である。議論を成立させるためには、高い能力が必要なのである。
 例えば、質問にまともに答えない議員には次のように指導しなくてはならない。 

  牟田学君は〈竹原信一市長のブログのどこが公職選挙法の何条に違反しているのか〉を質問したのです。質問にきちんと答えなさい。
   ● なぜ、議長は「無能」なのか

 議論を理解し、議論に介入し、議論を整理する能力が必要なのである。
 このような能力は、議員全員が持っているものではない。
 特別な能力なのである。

2009年05月31日

このような議会には適応しない方が正しいのだ

 現状の議会は、〈議論をする場所〉になっていない。
 既に、詳しく論じた。
 「質問にきちんと答えない」・「質問は三回までという規則がある」・「議長が何もしない」・「議長職をたらい回しにする」。
 これは、議論をしようとする姿勢ではない。
 現状の議会は不正な状態なのである。不正は改善しなくてはならない。このような不正な議会に適応してはならない。 

 不正な議会には適応するべきではない。
 
 適応しなかった例を見てみよう。
 元阿久根市長・竹原信一氏である。
 竹原信一氏は言う。 
皆さんは全議員が集まって、議会としての阿久根の施政方針などを議論しているとお思いでしょう。しかし、そのような話し合いをした事は、いままでただの一度もありません。市長が召集した時にだけ来て、議案にケチをつけて賛成、反対の多数決をするだけです。年間30回ぐらいの仕事で415万円も貰っています。アルバイト程度の仕事振りです。本来ならば、議会も市長もそれぞれがまっすぐ市民の方を向いて、あるべき阿久根を議論すべき所です。……〔略〕……
   ● 竹原信一の市政報告 1

 竹原信一氏は、現状の議会を「議案にケチをつけて賛成、反対の多数決をするだけ」と批判する。「本来なら……あるべき阿久根を議論する所です」と批判する。
 竹原信一氏は議会に全く適応しなかった。逆に、不正な議会を変えようとした。
 その結果、竹原信一氏は不信任案を二度可決され、失職させられたのである。 
 不正な議会に適応するより、不信任案を可決される方がよいのだ。
 
 不正な議会から不信任を突きつけられるのは、望ましい状態である。それは、自分が正しい道を進んでいる証拠である。
 竹原信一氏は、不正な議会に全く適応しなかった。  
 適応力ではなく、不適応力こそ必要なのである。(笑)
 
 多くの議員は、「議案にケチをつけて賛成、反対の多数決をするだけ」という現状に疑問を感じなかった。疑問を感じずに適応してきた。
 しかし、竹原氏は疑問を感じたのである。不適応を起こしたのである。改善を目指したのである。このような不適応力こそ必要なのである。
 「多数決をするだけ」という現状を変えなくてはならない。議会を「あるべき阿久根を議論する所」に変えなくてはならない。

 多くの自治体において、現状はさほど変わらないであろう。既に述べたように議会は〈議論をする場所〉になっていないのである。
 「質問にきちんと答えない」・「質問は三回までという規則がある」・「議長が何もしない」・「議長職をたらい回しにする」。
 あきれた現状なのである。
 このような現状に適応してはならない。気を確かに持たなくてはならない。
 議会は〈議論をする場所〉なのである。
 
               諸野脇@ネット哲学者
 

2009年06月02日

祝・竹原信一氏再選! ―― さあ、心ゆくまで「対立」しよう

 不信任決議によって失職した竹原信一氏が出直し市長選挙で再選された。
 当然、気になるのが議会との関係である。
 もちろん、竹原信一市長と阿久根市議会の「対立」は続く。
 まず、竹原信一氏は、現状の阿久根市議会と妥協するつもりはない。
 不正な議会には適応できないのである。次の文章で詳しく論じた。
 
   ● このような議会には適応しない方が正しいのだ
 
 竹原信一氏は、阿久根市議会を「議案にケチをつけて賛成、反対の多数決をするだけ」と批判する。「本来なら……あるべき阿久根を議論する所です」と批判する。竹原信一氏は、不正な議会を改善しようとしているのだ。
 さらに、竹原信一市長は、市議時代から次のように言っていた。

 唯一の解決策
変えるには市民が自ら立ち上がるしかない。辞職、解散させこの市長、議会を全面的に作り変えなければ転落を止めることは出来ない。議員の過半数が自主的に心を入れ替えることなどありえない。万一、心を入れ替える事があったとしても、そもそも議会の仕事を考える力がない。職員が提案したものを選ばされる事以上の能力が決定的に欠落している。ひどい事に議会では論理的に組み立てた議論ができない。すぐに多数決に逃げ出す。本当に話しにならないのだ。私は、議員になって最初の一般質問で「阿久根市議会は不良債権ではないか」と発言した。私は今、確信している。
   ● 議会報告3 問題の根源

 竹原信一氏は言う。「議員の過半数が自主的に心を入れ替えることなどありえない」・「万一、心を入れ替える事があったとしても、そもそも議会の仕事を考える力がない。」
 竹原信一氏は、現状の議員では問題は「解決」しないと考えている。現状の議員は「不良債権」だと考えている。
 つまり、「市民が自ら立ち上が」り、議員を入れ替えるのが「唯一の解決策」と考えているのである。不正な議会に全く適応しない首長が議員の大半を入れ替えようとしている。これは、誠に興味深い事態である。実験的な事態なのである。
 
 議員の方はどうだろうか。もちろん、竹原信一氏と妥協する気などない。自分達を「不良債権」と考え、議会から消そうと考えている相手なのである。彼らにとって、もともと妥協できる相手ではないのだ。
 
 これは、心ゆくまで「対立」するしかない。「不良債権」である議員達が議会から消えるか。竹原信一市長が消えるか。どちらかが消えるまで「対立」は続くであろう。(注)
 どのような「対立」が考えられるか。不信任案を提出した議員に対するリコール、再度の市長不信任決議、議会解散など、さまざまな「対立」が考えられる。

 マスコミは、このような事態を「不毛な対立」・「泥仕合」と呼ぶだろう。しかし、「対立」の中身を検討しなければならない。中身を検討しない罵り言葉は無意味である。全ての「対立」が悪い訳ではない。
 「対立」によって、情報が伝わる。阿久根市民は阿久根市の現状についてより深く知ることができる。
 これは阿久根市民が「覚醒」するために必要な過程なのである。
 
                 諸野脇@ネット哲学者


(注)

 前回の市議選で「不良債権」の整理は少し進んだ。
 
   ● ブログの活用で阿久根市議会の「お掃除」が進む 
 
 政務調査費で温泉バスツアーに行った築地新公女議員。それを容認した京田道弘議長。領収証を偽造した的場眞一議員、山下孝男議員。
 全員が議会から消えた。落選・引退したのである。
 また、竹原信一市長も一度消えた。しかし、復活した。(笑)

2009年06月03日

尼崎市議候補・古賀しげる氏が選挙期間中もブログを活用すると宣言

 尼崎市議候補・古賀しげる氏はブログで次のように述べた。

 私は、ホームページやブログは、電子資料館でありそこを意志をもって訪れてはじめて見れるものを展示するのであるから選挙法上の「文書図画の頒布」には該当しないと信念を持っています。
 http://blog.livedoor.jp/hfcgg791/archives/50936734.html
 
 これは堂々たる宣言である。
 次の原理を宣言したのである。 
 1 ブログは電子資料館である。
 2 だから、『文書図画の頒布』には該当しない。
 
 多くの候補者は選挙期間中のブログ更新を停止する。選管による根拠の無い「指導」に従ってしまう。〈違法だ〉という根拠の無い「指導」に従ってしまうのである。(注1)
 しかし、古賀しげる候補はブログを更新している。〈合法である〉と堂々と宣言をした上で活用している。
 これは素晴らしいことである。
 
 宣言をした上でのブログ活用は特別な意味を持つ。
 宣言をすれば、公然とブログを活用したことになる。当然、当局はそのブログを「摘発」しなくてはならなくなる。もし、公然たる行為を「摘発」しなければ、今後ブログの活用を「摘発」できなくなる。
 公然たる行為は前例としての効果を持つのである。
 古賀しげる候補の公然たるブログ活用は、後に続く人達のための道を作ることになるであろう。(注2)
 
                諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 選管の「指導」に根拠が無いことは、次の文章で詳しく論じた。
 
   ● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
   ● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か
  
 ぜひ、お読みいただきたい。
 
 
(注2)

 インターネット上での選挙活動の道を切り開いてきたのは前門真市議の戸田ひさよし氏である。
 戸田ひさよし氏は多くの前例を作ってきた。
 
   ● 【結論】 インターネット上で選挙活動をしても「摘発」はされない
   ● 【「解禁」宣言?】 「ネット選挙活動規制を突破する」運動にも「お咎め」なし

 古賀しげる候補の活動が、その後に続くものになることを期待している。

2009年07月15日

古賀しげる候補のブログ更新に「感銘」を受けた刑事が訪ねて来てくださる

 既に述べたように古賀しげる候補は選挙期間中にブログを更新していた。
 
   ● 尼崎市議候補・古賀しげる氏が選挙期間中もブログを活用すると宣言
 
 その後、古賀しげる候補は、さらにブログ活用を強化した。
 ブログの冒頭に次のように書いたのである。 

・古賀しげるは現在、6/7投票の尼崎市議選挙に立候補し、「公明・自民とも市長とも闘う」事を明言して闘っています。
・「選挙でブログを使う」事は全く合法な事であり、政府・マスコミの誤った宣伝に誤魔化されてはなりません。
・「勇気ある真の改革者」、古賀しげるにぜひ投票して下さい。
 
 タイトルの直ぐ下にこのように書いたのである。
 だから、古賀しげる氏のブログを見に来た人は、必ずこの文言を見ることになる。
 特に次の文言にご注目いただきたい。 
・「勇気ある真の改革者」、古賀しげるにぜひ投票して下さい。
 
 古賀しげる候補は、端的にブログで投票を呼びかけたのである。
 総務省が違法と解釈している行動をズバリとおこなったのである。(笑)
 正に、真っ正面からの堂々たる「攻撃」である。
 古賀しげる候補のこの堂々たる姿勢に「感銘」を受けたのか、刑事が三人ほど訪ねて来てくださったようである。(笑)
 ……〔略〕……「〔刑事が〕今そちらに向かっているから待っていてくれ」と突然トンデモない事を言い出した。
 古賀さんが「これから大事な選挙会議等があし、こちらのブログ使用の根拠はブログで公表しているから勝手の来られても困る。投票日の夜9時以降なら時間を取るから、話はその時にして下さい。」と何度も求めたのに、警察は「今行くから会ってくれ」の一点張り。

 とうとう、8:45頃「マツオ」など3人の刑事が事務所にやって来たので、万やむなく古賀さんとスタッフが事務所のドアの外で対応。記録をするためにデジカメと録音機を作動させた。
 古賀さんは、再度ブログ使用の正当性を説明し、「投票日の夜9時以降なら時間を取るから、話はその時にして下さい。」と繰り返す。
 「マツオ」刑事達は、「ブログ記事の更新はともかくとしても、冒頭書きの3行は削除してもらわないとダメだ」と言っていたようである。
 http://www.asyura2.com/09/senkyo64/msg/864.html


 刑事は、先の三行を削除するように求めたようである。
 誠に興味深い。
 よほど先の三行が「痛かった」のであろう。「痛かった」から、わざわざ三人でいらっしゃってくださったのである。(笑)
 古賀しげる氏は警察を追いつめたのである。
 
 古賀しげる氏は、この刑事達にも堂々と「ブログ更新は違法ではない」と主張した。そして、丁重にお引き取りいただいた。
 その結果、どうなったか。
 もちろん、何の「お咎め」も無しである。
 
 古賀しげる氏は、すばらしい前例を作った。「古賀しげるにぜひ投票して下さい」と書いても大丈夫なのである。次のことをはっきりさせたのである。 
 
明確に投票呼びかけをして、刑事が三人いらしても、特に気にする必要はない。

 ブログ上で選挙活動をおこなっても、実際上は「摘発」されることはない。「脅し」を受けるだけである。インターネット上の選挙活動現状は安定してしまっているのである。その原理は既に次の文章で書いた。
 
   ● なぜ、世界は変わらないのか
   

 選挙は終わった。
 古賀しげる候補は当選できなかった。古賀しげる候補が当選すれば、当然、議会の様子をブログで公開したであろう。インターネットによる情報公開を重視したであろう。そのような議員が誕生しなかったという点で誠に残念である。
 しかし、現在も、古賀しげる氏は前例を作り続けている。タイトル下に次のような文言を表示している。

「選挙でブログを使う」事は全く合法な事であり、政府・マスコミの誤った宣伝にだまされてはなりません。HPやブログが文書図画に当たるという条文は全く無い、それは選管も警察も承知しています
ネット活用で選挙にかかる費用が節約できると主張する人も出てきていますし、解禁を明文化する動きは政府与党にもあるのです。「選挙改革者」の1人になろうとした古賀しげるに諸野脇先生をはじめ多くの皆さんがご支援をいただいたことに感謝します。これからもがんばりますのでよろしくお願いします!
参照:
★HPの選挙活用合法の法理論(1)
http://www.irev.org/shakai/isenkyo2.htm
http://www.irev.org/shakai/isenkyo1.htm
★インターネット上での選挙活動は禁止されていない
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=1775;id=01#1775
★「諸野脇 正の闘う哲学」
http://shonowaki.com/
★2000年以降ずっとHP選挙運動をしてきた議員の実例
http://www.hige-toda.com/_mado05/sigisen/sigisen07/sigisen2007.htm
 
   ◆ 古賀しげる「青空の会」ブログ 選挙期間中も断固更新.選挙後も更新継続!

 そして、政治について意見を述べ続けているのだ。
 ムーミンのようなかわいらしい姿からは想像できない毅然とした姿勢である。
 古賀しげる氏のこの活動に注目するべきである。

                諸野脇@ネット哲学者

2009年07月16日

【本日放送】古賀しげる候補の断固たるブログ活用がテレビニュースに!

 古賀しげる候補は、選挙活動にブログを活用した。
 その断固たる姿勢に「感銘」を受けた刑事が三人もいらしてくださった。
 
   ● 古賀しげる候補のブログ更新に「感銘」を受けた刑事が訪ねて来てくださる
  
 その他にも、感銘を受けた方が現れたようである。
 テレビ局が古賀しげる氏を取材にきたのである。
 
   ● ブログの選挙活用で一大事が
   
   
 ほとんどの候補がインターネットを選挙に活用していない。選管・警察の「指導」に従ってる。
 その中で、古賀しげる候補だけが断固としてインターネットを選挙に活用した。ブログを選挙に活用した。しかも、何の「お咎め」も受けていない。
 これはニュースである。
 
 警察がしているのは、「オレオレ詐欺」のような行為である。次のように名づけよう。
 
   摘発するぞ、摘発するぞ詐欺
  
 警察は「摘発するぞ」とは言う。しかし、インターネットの活用を続けても「摘発」はしない。警察を信じて従った者がバカをみるのである。
 この「摘発するぞ、摘発するぞ詐欺」に、ほとんどの候補者が引っかかっている。しかし、引っかかってはいけない。実際にはインターネットの活用を続けても「摘発」はされないのである。「摘発」された例は一件も無いのである。(注1)
 
 テレビニュースになれば、この詐欺的構造が白日の下にさらされるであろう。
 放送時間は次の通りである。
 
   16日17時ごろ放送 8チャンネル (関西テレビ系列 関東はフジテレビ?)
 
 このニュースが、多くの候補者がインターネットを利用するきっかけになることを期待する。不当な状態での安定を崩す第一歩になることを期待する。(注2)
 
                諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 警察は、次のような明白な行為も「摘発」できなかった。

   ● 【「解禁」宣言?】 「ネット選挙活動規制を突破する」運動にも「お咎め」なし
 
 
 戸田ひさよし氏のホームページに「感銘」を受けた警察の方が電話をかけてきてくださったこともあった。
 
   ● 確信犯的構造


 この時は「〔公職選挙法違反であるというのは〕捜査2課の見解だ」とまで言い切ったのに、その後、何の音沙汰もない。
 やはり、「摘発するぞ、摘発するぞ詐欺」であったのであろう。
 大阪府警は、この言に反感を感じるかもしれない。それなら、今からでも遅くはない。「摘発」すればいいのである。「捜査2課の見解」なのだから。
 

(注2)

 なぜ、不当な状態で安定してしまっているのか。
 次の文章で論じた。
 
   ● なぜ、世界は変わらないのか

2009年09月29日

祝・竹原信一市長 書類送検! ――ブログの選挙利用が公職選挙法違反か裁判で白黒つけよう

 竹原信一市長が公職選挙法違反の容疑で書類送検された。

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が、市長選の期間中にインターネットの自身のブログ(日記式のホームページ)を更新したのは公職選挙法違反にあたるとして、地元の県議、市議らが鹿児島県警に告発した問題で、県警が竹原市長を同法違反(文書図画の頒布)容疑で鹿児島地検に書類送検していたことが26日分かった。
(2009年9月26日13時34分 読売新聞)
  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090926-OYT1T00544.htm?from=nwlb
 
 これは画期的なことである。ブログの更新に対する日本初の書類送検ではないか。
 今まで警察は「公職選挙法に違反する」と候補者を脅して、ブログの更新を止めさせていた。しかし、無視して更新する者には、何の行動も起こさなかった。何の「お咎め」も無かった。
 
   ● 【「解禁」宣言?】 「ネット選挙活動規制を突破する」運動にも「お咎め」なし
 
 警察の警告を無視して更新しても何の「お咎め」もなかったのである。さらに、「ネット選挙活動をしよう」と呼びかけても何の「お咎め」もなかったのである。
 私はこの状態を次のように名づけた。 
 摘発するぞ、摘発するぞ詐欺

 警察の警告に従った者が損をしたのである。いわゆる「正直者がバカをみる」状態だったのである。実に不明朗な状態であったのである。
 このような詐欺的行為を繰り返してきた警察がついに行動を起こしたのである。
 「摘発する」と言った行為を摘発するという当たり前の行動を行ったのである。(苦笑)
 
 次は検察である。
 検察には、ぜひ、きちんと起訴してもらいたい。起訴すれば、インターネットの選挙利用の是非を問う初めての裁判になる。初めて裁判所の判断が下されることになる。
 総務省の公職選挙法の解釈が正しいのか。それとも、私や竹原信一市長の解釈が正しいのか。裁判の場で、はっきりさせることが出来る。
 竹原信一市長も、次のように言っている。 
告示後のブログ更新の件では
警察の取調べはあったし、書類送検したはずだ。
検察と裁判所の皆様、今後、いったいどうしてくださるのでしょうか。理屈の通らない理由で犯罪者扱いされて票が減り、ずいぶん迷惑でしたが、私が犯罪者でなければマスコミとこの件に関する告発者、おそらく警察などが加害者ではないかと思うのですが。
無理な理屈を通すためにも逮捕、投獄してみますか?
  http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20090906
 
 竹原信一市長を起訴するのが筋である。
 警察はさんざん「公職選挙法に違反する」と言ってきたのだ。
 もし、これが起訴できないようであれば、警察は口を慎むべきである。
 起訴すら出来ないものを違法だと言い張るのは止めるべきである。
 「摘発するぞ、摘発するぞ詐欺」は止めるべきである。
 
                     諸野脇@ネット哲学者

 
〔補〕

 今までの詳しい経緯については以下の文章をお読みいただきたい。

   ● 選挙期間中もブログを更新して、市長に当選!
   ● ブログを更新して刑事告発される? オバマ大統領もびっくりだよ!
   ● ブログ・ホームページも作っていない議員に「不公平だ」と言う資格があるのか
   ● 竹原信一市長は、ブログ更新が公職選挙法違反でない理由を既に述べているのだ --刑事告発するなら、その理由を批判しなければならない
   ● そんなふぬけた姿勢ではブログ更新を刑事告発できないぞ!(笑)

   ● 祝・竹原信一市長 刑事告発! --ブログ更新が公職選挙法違反か白黒つけよう
   

2010年02月24日

哲学者、リベンジか?(笑) ――インターネットラジオ出演、二週目

 「悪夢」のインターネットラジオ出演から一週間が経った。
 
   ● 哲学者、ブルーレディオドットコム(インターネットラジオ)に出演する
 
 本日から、第二週の放送が始まった。
 現在、再びブルーレディオドットコム(インターネットラジオ)出演中である。

   ● 烏賀陽弘道のU-NOTE

 私は、リベンジできただろうか。
 さすがに、二回目になると慣れてきた。
 立て板に水の「しゃべり」である……などということはなく、やはり沈黙してきた。(苦笑)
 編集で何とかなりますように。
 何とかなりますように。
 
 今週のテーマは「インターネットと選挙」である。
 私は、総務省の〈公職選挙法がホームページの利用を禁止している〉という解釈を批判してきた。
 この批判は大きな影響を与えた。次期門真市議・戸田ひさよし氏の活動、ブログ市長・竹原信一氏の活動にも繋がっているのである。
 詳しくは、次のアーカイブをお読みいただきたい。
 
   ● インターネット選挙 アーカイブ
 
 なぜ、このような大きな影響を与えられたのか。
 インターネットには〈重要なコンテンツを浮かび上がらせる機能〉があるからである。
 私は、インターネット上に文章を発表しただけである。
 それが大きな影響力を持つようになるのである。
 それは、多くの人がリンクを張ってくれるからである。リンクが私の文章を浮かび上がらせたのである。グーグルの検索上位に浮かび上がらせたのである。

   何でもいいからコンテンツをインターネット上にアップしよう。
 
 あなたがアップした情報が重要なものであるなら、それは自然と浮かび上がってくる。
 インターネットは巨大な情報評価システムなのだ。
 あなたが第二のスーザン・ボイルになるかもしれない。
 
 こんな話を詳しくしてきた。
 ぜひ、お聴きいただきたい。
 きっと、先週よりスムーズに話しているはずである!(苦笑)
 
                      諸野脇@ネット哲学者
                      

2010年04月24日

「覚醒剤は使用してはならない」という奇妙な校則を分析する

 私の入学した高校には奇妙な校則があった。
 次のものである。 

 覚醒剤は使用してはならない。
  
 この校則は、どう奇妙なのか。
 「覚醒剤は使用してはならない」のは当たり前のことである。当たり前のことをわざわざ書く必要はない。誠に奇妙である。
 このような当たり前のことを取り立てて校則で書くのは問題である。次のように解釈される恐れがあるからである。 
 このような当たり前のことをわざわざ書くところを見ると、書いていないことはしていいのだろう。例えば、万引きなどはしてもいいのだろう。
 
 校則とは学校の「法律」である。一般社会の法律に反することをしてはいけないのは、既に前提とされている。前提は書く必要はない。
 書く必要の無いものを書くと、上のような解釈が生じてしまう。つまり、「書いていないことはしていい」という解釈である。
 一つだけを「してはならない」と強調すると、他のことは「してもいい」という解釈を生じさせてしまう。
 
 実は、現行法にも同様の事例がある。法曹関係者にはよく知られた事例である。
 日本国憲法第三十六条である。(注1) 
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
 
 この条文には「絶対に」とある。しかし、他の条文にはそのような文言は無いのである。
 例えば、第二十九条である。 
 財産権は、これを侵してはならない。
 
 この条文には「絶対に」とは書いていない。
 つまり、第三十六条だけが強調されているのである。当然、次のような解釈が生じてしまう。 
 財産権は少しくらい侵してもいいんだ。万引き(窃盗)などはしてもいいのだろう。
  
 一部だけを強調すると、他の部分は重要でないという解釈が生じる。
 「解釈」と書いたことに注目いただきたい。
 法律は解釈するものなのである。
 どのように法律を解釈するか。(注2)
 それが問題である。

                     諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 日本国憲法の原文は次のページで読める。
 
  http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&H_NAME=%8c%9b%96%40&H_NAME_YOMI=%82%a0&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S21KE000&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1
  

(注2)

 古くからの読者は「文理解釈」・「論理解釈」を思い出したであろう。

  ● どのように法律を解釈すればよいのか --文理解釈と論理解釈

 その想像は正しい。


2010年04月25日

略称「日本」問題を分析する 1 ――法律が無いという理由で同一略称を受け入れる総務省に、現実の問題を訴えても無駄である

 政党の略称が問題になっている。
 〈たちあがれ日本〉が「日本」という略称を届け出ようとしているのだ。
 しかし、「日本」という略称は〈新党日本〉が使ってきた略称なのだ。 

 新党「たちあがれ日本」が、夏の参院選の比例代表で用いる略称を「日本」と届け出る方針を固めたことが波紋を広げている。過去3回の国政選挙で略称を「日本」としてきた新党日本は当然、反発。さらに、公職選挙法に同一呼称を禁ずる規定がなく、論理的には、今後結成される新党が略称「民主」や「自民」などを名乗ることも可能だという。

 「同一の略称は混乱をもたらす。大変憂慮している」。新党日本の田中康夫代表は14日の記者会見で不快感を表明。さらに、比例代表票の案分を懸念して、「憲政史上初めて、同一略称で国政選挙に臨みかねない状況を放置するのか」とする質問状を総務省に提出したことを明らかにした。

 田中氏は「『本物の民主』とか『まともな民主』という党を(政党要件を満たすため5人以上の)国会議員が作って、略称『民主』で届けられるかと総務省に聞いたら、『その通りだ』という驚くべき見解だった。2党だけの問題ではない」と訴えた。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100414/stt1004142050014-n1.htm

 
 田中康夫代表は「同一の略称は混乱をもたらす」と言う。
 当然、「混乱」が起こるであろう。

 しかし、総務省側にはそんなことは関係ないのだ。
 彼らの論理はこうだ。 

 私達は法律に基づき行動する。
 法律に規定が無い以上どうしようもない。
 
 総務省側はハードボイルドの世界なのである。現実にどんな大問題が起こっても彼らには関係ない。「民主」や「自民」を名乗る政党が現れても彼らには関係ない。法律に基づき行動するのだから、法律が無ければ何もしない。法律ハードボイルドの世界なのだ。
 このようなハードボイルドな総務省に現実の問題を訴えても無駄である。
 総務省の行動を変えるためには、法律の問題として論ずる必要がある。
 「法律が『同一略称』を禁止しているのだ」と主張する必要がある。
 田中康夫氏はそのような論を立てるべきであった。 
 法律が無いことを理由にする相手に、現実の問題を訴えても無駄である。
 
 そのような相手には、法律が有ると訴えるべきである。
 上の記事には次のようにある。 
 公職選挙法に同一呼称を禁ずる規定がなく……
 
 これは本当か。
 実は、「同一呼称を禁ずる既定」はあるのである。
 公職選挙法はもっと複雑である。
 そして、公職選挙法の解釈はさらに複雑なのである。〔……続く……〕

                     諸野脇@ネット哲学者


2010年04月26日

略称「日本」問題を分析する 2 ――総務省の公職選挙法の解釈は正しいか

 公職選挙法に「同一略称を禁ずる規定」はある。(注1) 

 ……〔略〕……名称及び略称は、第86条の6第6項の規定による告示に係る政党その他の政治団体にあつては当該告示に係る名称及び略称でなければならないものとし、同項の告示に係る政党その他の政治団体以外の政党その他の政治団体にあつては同項の規定により告示された名称及び略称並びにこれらに類似する名称……〔略〕……以外の名称及び略称でなければならない。
 (公職選挙法 第86条の2 3)

 非常に分かりにくい。
 簡単にまとめると次の通りである。 
 1 政党は、届け出た略称を使わなくてはならない。
 2 その他の団体は、それと同一の略称を使ってはならない。
 
 政党以外の団体については、「同一略称を禁ずる規定」があるのである。しかし、政党についてはそのような規定は明文化されていない。(注2)
 この条文をどう解釈するべきか。 
 弱小政治団体が大政党と同じ略称を使って利益を得ようとすることを禁じたのである。
 
 それでは、政党については、なぜ「同一略称を禁ずる規定」が明文化されていないのか。 
 政党が別の略称を使うのは当たり前だからである。

 政党が他の政党とは別の略称を使うのは当たり前である。政党ならば、他の政党との混同を避けたいと願うのが普通である。だから、別の略称を使う。
 それため、「同一略称を禁ずる規定」が明文化されていないのである。
 
 それでは、明文化されていないからといって、政党が「同一略称」を使ってよいのか。
 既に、政党でない政治団体については禁じられているのである。
 それが、政党にだけ認められるのは誠に不自然である。政党だけに「同一略称」を認める理由が思いつかない。

 つまり、公職選挙法の趣旨との関係で条文を解釈するべきなのである。文理解釈だけでなく、論理解釈をおこなうべきなのである。(注3)
 公職選挙法の趣旨を見てみよう。第1条「この法律の目的」を見てみよう。 

 この法律は、日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。
 
 「公明且つ適正に行われることを確保し」とある。つまり、投票する人の意志が「公明」「適正」に表せる「制度」を「確保」することが公職選挙法の趣旨である。
 この趣旨に照らせば、「同一略称」は認めるべきではない。「同一略称」では、その略称を書いた人の意志が分からなくなる。どの党に投票したかが分からなくなる。それでは、投票する人の意志が「公明」「適正」に表せる「制度」ではなくなる。
 それは、公職選挙法の趣旨に反する状態である。
 
 公職選挙法の趣旨との関係で条文を解釈した。
 政党についても、公職選挙法によって「同一略称」の使用は禁じられている。
 明文の規定が無いのは、当たり前だからである。
 こう解釈する方が自然なのである。
 

                     諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 公職選挙法の原文は次のページで読める。
 
  ● 公職選挙法(法庫)


(注2)

 政党についての条文は次の通りである。 

 ……〔略〕……当該政党その他の政治団体の名称及び一の略称を中央選挙管理会に届け出るものとする。この場合において、当該名称及び略称は、その代表者若しくはいずれかの選挙区において衆議院名簿登載者としようとする者の氏名が表示され、又はそれらの者の氏名が類推されるような名称及び略称であつてはならない。
 (公職選挙法第86条の6)


(注3)

 文理解釈と論理解釈については、次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● どのように法律を解釈すればよいのか --文理解釈と論理解釈
  

2010年04月27日

略称「日本」問題を分析する 3 ――政治主導とは役所から法律の解釈権を奪うことなのである

 二つの政党が同じ略称を使うのは問題である。有権者の意志が正確に選挙結果に反映されなくなる。もちろん、これは公職選挙法の趣旨に反する。
 そして、現在の公職選挙法においても「同一略称」は禁じられていると解釈した方が自然なのである。
 次の文章で詳しく論じた。
 
  ● 略称「日本」問題を分析する 2 ――総務省の公職選挙法の解釈は正しいか
 
 
 現在の公職選挙法も「同一略称」を禁じていると解釈できるのである。
 しかし、4月16日の会見で原口一博総務相は次のように言った。 

 今の法律では止める手だてはない。
 
 疑問がある。
 原口一博総務相は、自分で公職選挙法の原文を読んだのか。自力で法律を解釈したのか。
 次のような状態なのではないか。 
 総務相の役人が、原口一博総務相に「今の法律では止める手だてはありません。」と言う。
 そして、原口一博総務相は、それを信じて会見で同じように発言する。
 
 よくあることである。
 しかし、そうでない可能性もある。原口一博総務相自身が公職選挙法を解釈した可能性もある。その場合、原口一博総務相は自分が公職選挙法をどう解釈したかを示すべきであろう。(注1)
 次の批判に答えるべきであろう。 
 1 政党ではない政治団体は「同一略称」を禁じられている。それなのに、なぜ政党には認められるのか。
 2 政党が「同一略称」を使ってはいけないのは当たり前のことである。明文規定が無いのは、当たり前だから書かなかっただけである。(注2)
 3 公職選挙法の趣旨は、「公明」「適正」な選挙制度の確立である。その趣旨から見て、政党についても「同一略称」は禁じられていると解釈するのが自然である。
 
 このような批判に前もって答えておくべきなのである。
 しかし、原口一博総務省は何もしなかった。
 もしかしたら、原口一博総務相は法律を解釈するという発想自体をもっていないのかもしれない。
 それならば、次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● 「法律を解釈する」という発想
   
 法律とは解釈するものなのである。
 自分に都合よく法律を解釈することで、現実を操作することが可能なのである。だから、法律は自力で解釈しなくてはならない。そして、どちらの解釈が正しいのかを争わなくてはならない。
 役人は法律の解釈を独占することによって、権力を持っているのである。影響力を持っているのである。
 「政治主導」という概念がある。しかし、政治家が役人の法解釈をうのみにしている限り、そのような状態は実現しない。 
 政治主導とは、政治家が法律を解釈することである。
 法律の解釈を通して、現実を変えることである。
 
 政治主導とは役所から法律の解釈権を奪うことなのである
 政治家は、役人から「今の法律では出来ない」と言われるであろう。しかし、それは本当か。自力で法律を解釈しなくてはならない。別の解釈で役人の解釈を圧倒しなくてはならない。その解釈によって現実を変えなくてはならない。
 原口一博総務相は正にそれをするべき立場にいるのである。
 原口一博総務相には私の文章の存在を「つぶやいて」おいた。私の解釈をよく読んでもらいたい。そして、自分の解釈で判断をくだしてもらいたい。(注3)

                     諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 原口一博総務相が役人の解釈をうのみにしたかどうかは分からない。
 しかし、自分の解釈であるのならば、その解釈を示す責任がある。
 
 
(注2)

 条文に書いていないからといって、おこなってよいとは限らない。
 校則に「万引はしてはいけない」と書いていなくても、万引はしてはいけないのである。
 次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● 「覚醒剤は使用してはならない」という奇妙な校則を分析する  
 
 この文章の事例と「同一略称」の事例とを比較すると発想が広がるはずである。
 しかし、今はその時間がない。


(注3)

 この文章を書き終わってから、政府が「同一略称」を「受理せざるを得ない」と判断したという事実が報道された。これで二つの政党が「日本」という同じ略称になってしまった。残念である。
 
  ● 参院選で2党が「日本」名乗る 政府、同一略称を受理   
 
 さらに残念なのは、政府や原口一博総務相が自分の解釈を全く述べていないことである。(私にも読み落としがあるかもしれない。述べている事実があればお教えいただきたい。)


2010年04月29日

略称「日本」問題を分析する 4 ――総務省・原口一博大臣は本当に法律ハードボイルドなのか

 二つの政党が同じ略称「日本」を使う事態となった。
 異常な事態である。
 私は、次のように書いた。 

 田中康夫代表は「同一の略称は混乱をもたらす」と言う。
 当然、「混乱」が起こるであろう。

 しかし、総務省側にはそんなことは関係ないのだ。
 彼らの論理はこうだ。
 
   私達は法律に基づき行動する。
   法律に規定が無い以上どうしようもない。

 
 総務省側はハードボイルドの世界なのである。現実にどんな大問題が起こっても彼らには関係ない。「民主」や「自民」を名乗る弱小政党が現れても彼らには関係ない。法律に基づき行動するのだから。法律が無ければ何もしない。法律ハードボイルドの世界なのだ。
  ● 略称「日本」問題を分析する 1 ――法律が無いという理由で同一略称を受け入れる総務省に、現実の問題を訴えても無駄である


 今回の問題に対して、総務省・原口一博大臣はこのような姿勢を取った。法律ハードボイルドな姿勢を取った。
 これは、いわば次のような姿勢である。 
 校則に「万引き禁止」と書いていないから、学生が万引きをしても容認する。
 
 誠にアホらしい。ごく普通の市民はあきれるであろう。
 しかし、観点を変えて考えてみよう。法律ハードボイルドな姿勢にどのような意味があるのかを考えてみよう。
 法律ハードボイルドな姿勢の意義は何か。恣意的な公権力の行使を避けることである。恣意的な公権力の行使は危険である。だから、明文化された法律に基づいて公権力を行使する。出来るだけ公権力を行使しないようにする。
 このような点で、法律ハードボイルドな姿勢には一理ある。

 しかし、総務省・原口一博大臣は本当に法律ハードボイルドなのか。
 本当に法律ハードボイルドであるならば、いつもそのような姿勢を取っているはずである。総務省・原口一博大臣はいつもそのような姿勢を取っているか。
 いや、取っていない。
 インターネットの選挙利用について総務省は恣意的に法律を拡大解釈している。それによって、インターネット上の選挙活動を十年も妨害し続けているのだ。
 
 公職選挙法にはインターネットという語は一語もない。当たり前である。大昔に出来た法律なのである。
 だから、総務省(当時は自治省)は次のように言えばよかったのだ。 

 今の法律では止める手だてはない。

 総務省がこう言っていれば世界は変わったのである。
 選挙におけるインターネット利用が進んだのである。選挙でインターネットを利用するのは世界の常識である。(注1)
 それにもかかわらず、総務省はインターネットの選挙利用を妨害してしまった。〈ホームページが文書図画である〉と恣意的な解釈をしてしまった。
 ホームページは見たい者がアクセスするものである。言わば、選挙事務所の資料室のようなものである。望まなくてもポストに入ってくるビラ(文書図画)とは全く違う。(注2)
 なぜ、総務省は法律ハードボイルドな姿勢を取らなかったのか。「インターネットについては規定が無い」と言わなかったのか。
 なぜ、原口一博大臣は、総務省の姿勢を変えようとしないのか。
 
 やはり、総務省・原口一博大臣は、法律ハードボイルドではない。
 十年間もインターネットの使用を妨害しているのである。公権力を行使し続けているのである。公権力の行使に慎重な訳ではない。
 ある時は、〈法律に規定が無いから禁止できない〉と言う。
 別の時は、法律を恣意的に解釈して禁止する。
 これでは次のように疑われても仕方ない。自分の都合のよいように法律を解釈しているだけではないか。または、法律を解釈する能力が無いのではないか。(注3)
 総務省は、十年間もインターネットの選挙利用を妨害してきたのである。
 
                     諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● ブログを更新して刑事告発される? オバマ大統領もびっくりだよ!
 
 
(注2)

 詳しくは次の文章をお読みいただきたい。

  ● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
  ● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か
 
 総務省の解釈がいかに恣意的かを詳しく論じている。
 
 
(注3)

 役所が出生届を不受理にしたことがある。親が子供に「悪魔」と名づけようとしたのである。
 しかし、戸籍法には次のような文言しかない。 

 第50条 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。
  
 これで不受理に出来るのならば、今回の政党の名前(略称)も不受理に出来るはずである。なぜ、不受理にしないのか。不思議である。
 また、この条文で不受理にするためには、「ものすごい」論理解釈が必要だったはずである。それなのに、なぜ今回は普通の論理解釈すらしないのであろうか。不思議である。
 

2010年04月30日

総務省は、十年間もインターネットの選挙利用を妨害した責任を取るべきである ――総務省はこっそり公職選挙法の解釈を変えている

 驚くべき事実がある。
 総務省は公職選挙法の解釈を大きく変えているのである。(注1)
 いかに総務省の解釈がいいかげんであるかが分かる。
 
 2000年の段階では、総務省(当時は自治省)はとんでもないことをしていた。選挙期間中、議員のホームページを閉鎖させていたのである。ホームページを閉鎖して、音声だけにした議員がいたくらいである。
 総務省(当時は自治省)の解釈は次の通りであった。 

 ……〔略〕……インターネットのホームページを開設することは「頒布」にあたると解しております。
 ● 新党さきがけ への自治省行政局選挙部選挙課の回答 平成8年10月28日付
 
 「ホームページを開設すること」を公職選挙法で禁じられている「頒布」と解釈していたのである。これでは、ホームページを閉鎖する議員が出るのも当然である。 
 しかし、現在では、〈ホームページを選挙期間中に更新しなければよい〉ことになっている。ホームページを閉鎖しなくてもよくなっている。(注2) 
 十年前は閉鎖させられていたホームページが公開できるようになった。
 
 大変な変化である。なぜ、このような変化が起こったのか。
 法律は変わっていない。
 総務省が解釈を変えたのである。どうして、こんなに大きく解釈を変えたのだろうか。このような形で法律の解釈を変えるべきではない。 
 総務省は、全ての候補者のホームページを閉鎖させるべきである。
 
 総務省は「ホームページを開設すること」が「頒布」だと解釈したのである。違法だと解釈したのである。その解釈を貫くのが筋である。
 総務省の解釈を信じてホームページを閉鎖した議員がいたのである。
 総務省は、その議員にどう弁解するのか。
 弁解の仕様がないのである。
 次のように謝るしかないであろう。 
 本当は、閉鎖しなくてもよかったのです。
 総務省の公職選挙法の解釈が間違っていました。
 申し訳ありません。
   
 しかし、総務省は謝罪すらしない。
 総務省は大きく解釈を変えた。それは自分の解釈が大きく間違っていたことに気がついたからであろう。それにもかかわらず、総務省はこっそり解釈を変えただけである。
 
 総務省は、間違った公職選挙法の解釈で議員のホームページを閉鎖させた。選挙活動を妨害した。言い換えれば、市民の投票活動を妨害したのである。
 これだけの非行をおこなっていならがら、謝罪すらしない。
 総務省は謝罪するべきである。
 そして、その責任を取るべきである。
 
 当時ホームページを閉鎖した議員は当然、総務省に謝罪を求める権利がある。
 また、総務省は、組織としてこの問題の責任を取るべきである。誰がどのように間違ったため、このような大きな間違いが生じたのか。はっきりさせるべきである。
 ホームページを閉鎖させられた議員は総務省を相手に訴訟を起こせばよい。そうすれば、問題がはっきりする。そして、問題をはっきりさせなければならないのである。
 これは言わば、総務省の「薬害エイズ問題」なのである。
 
 事実ははっきりしている。十年前はホームページを閉鎖させていた。そして、今はホームページを閉鎖しなくてもいいのである。
 被害は甚大である。十年もの間、インターネットの利用が妨害されたのである。
 これだけの非行の責任を取らなくていいならば、役人というのはずいぶん楽な仕事である。 
 役人の責任を問おう。
 
 公権力の行使には責任が伴うことを自覚させよう。
 間違ったら責任を取る。
 当たり前のことである。
 
                     諸野脇@ネット哲学者

(注1)

 それに対して、私の解釈は最初から変わっていない。

  ● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
  ● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か

 総務省の解釈と比較してもらいたい。


(注2)

 近年、総務省の解釈がさらに大きく変わっている。ホームページ・ブログの更新すら問題にしないようになってきている。次のような解釈である。
 〈選挙活動としての更新してはいけない。しかし、政治活動としての更新は問題ない。〉
 古賀しげる氏の例を思い出していただきたい。
 
  ● 古賀しげる候補のブログ更新に「感銘」を受けた刑事が訪ねて来てくださる
  
 
 古賀しげる氏は選挙期間中にブログの更新をおこなっていた。
 しかし、警察が削除を求めてきたのは次の文言を含む三行だけなのである。 

 ・「勇気ある真の改革者」、古賀しげるにぜひ投票して下さい。
 
 警察は、明確な投票呼びかけ以外は問題にしなかったのである。ブログの更新自体は問題にしなかったのである。
 政治活動としての更新は問題ない。
 それならば、十年前に〈政治活動としてならば、ホームページの開設も更新も問題ありません。〉と言えばよかったのである。
 

2010年09月01日

ネット哲学者、ツイッターを始める

 ツイッターを始めた。

   ● shonowakiのツイッター
 
 原口一博総務大臣に「嫌がらせ」をするために。
 いや、重要な事実をお知らせするためである。(笑)
 次のようにである。
 

【ツイッターから】

@kharaguchi 「ネット選挙」についての規定は現行法にはありません。総務省が禁止されていると解釈しているだけです。だから、原口一博総務大臣が「規定が無いのだから、自由である」と解釈を変えればいいだけです。詳しくは次の文章を。http://shonowaki.com/cat3/
 

@kharaguchi 総務省は公職選挙法の解釈を大きく変えています。以前はホームページを閉鎖させていたのです。現在は公開可能です。総務省は、恣意的に解釈を変えてきたのです。詳しくは次の文章を。http://shonowaki.com/2010/04/post_94.html
 
ホームページ・ブログを更新して、摘発され裁判になった人は一人もいない。刑事さんが「公職選挙法違反だ」と電話をくださったりするが。(笑)

だから、「お電話」さえ気にしなければ、ネット選挙は既に「解禁」されている。それが「ネット選挙解禁法案」で規制されてしまうのだ。

ちなみに、私のブログの政府関係のアクセストップは総務省! 読んでるじゃないか。(苦笑)

議員の皆さんも、私のネット選挙関係の文章を読んでいる。政府関係アクセスの第三位は衆議院。

アクセス第一位は総務省。第三位は衆議院。それでは第二位は?なんと財務省!なぜ財務省が私のブログを?研究?気晴し?総務省を叩くネタ探し?(笑)

それで、私のネット選挙関係の文章を読んだ総務省の皆さん。どうでした?

総務省の皆さん。どうでした?

ネット選挙は既に自由。法的にも、事実としても。ネット選挙で摘発された事実は一件もない。

ホームページを選挙に活用した前門真市議・戸田ひさよし氏は摘発されていない。 ブログを更新した阿久根市長・竹原信一氏も摘発されていない。

既に自由なネット選挙を「解禁」するとはどういう行為なのか?

「ネット選挙解禁」とは、実は「ネット選挙規制」なのである。

「ネット選挙解禁」によってホームページとブログだけが「解禁」されたら、ツイッターなどの他の方法が使えなくなる。

「ネット選挙解禁」という発想自体が間違っているのだ。「解禁」とは「原則全部がおこなってはいけない行為で、おこなっていい行為だけを決める」という発想である。これは論理が逆さまである。原則自由で、おこなっはいけない行為だけを決めればいいのだ。

これは「規制緩和」に似ている。本来「規制緩和」ではなく、「規制撤廃」なのだ。「緩和」ならば、「規制」があることが前提になってしまう。「ネット選挙解禁」も同様である。それでは、禁止されていることが前提になってしまうのである。原則禁止になってしまうのである。

ネット選挙において、「おこなっていいことを一つひとつ決めていく」という発想自体がものすごくイカれている。(苦笑) もし、アメリカが日本のような国だったら、オバマ氏は大統領になれなかっただろう。オバマ氏はネットをフルに活用して、選挙戦に勝ったのである。

世界中の「先進国」がネットをフルに使って政治的な意思決定をおこなっている。その中で、日本の議員は何を「解禁」するかを議論している。ものすごいイカれようである。(苦笑)

「ネット選挙解禁」という発想自体がイカれているという話をした。

「ネット選挙解禁法案」を審議している議員はイカれている。また、それを批判もせずに報道するマスコミもイカれている。

イカれた皆さん、オハヨウ。

今日も、イカれたことを考えているんでしょうね。

「ツィッターはなりすましが防止できない」とか。「誹謗中傷が防げない」とか。(笑)

でも、現実の選挙では、怪文章が飛びまくってますから。「なりすまし」・「誹謗中傷」が普通におこなわれてますから。

イカれた皆さん。まず、ビラを禁止した方がいいのではないですか。(苦笑)

悪い影響があることは、その行為を禁止する理由にはならない。例えば、包丁の利用である。毎年、多くの人が包丁で殺されている。しかし、包丁の利用は禁止されない。


 この文章を読みかえして、興味深い事実に気がついた。
 複雑な内容なのに、分かり易いのである。
 ツイッターの形式で書くことで、却って分かり易くなっている。
 短い文章を積み重ねる形式に分かり易くする効果があるのだろう。
 
 これは、複雑な内容を分かり易く伝える実験である。
 また、インターネットで原口一博総務大臣を追いつめることが出来るかの実験である。(笑)
 
   ● shonowakiのツイッター   
   
 ご注目いただきたい。
 
                     諸野脇@ネット哲学者


2011年04月22日

【戸田ひさよし書簡への返信】 インターネット選挙に対する選管・警察の「摘発するぞ詐欺」を止めさせよう ――裁判に追い込もう

 戸田ひさよし氏から次の公開書簡をいただいた。
 今回の選挙でも、戸田ひさよし氏はホームページを活用し続けている。

   http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6731;id=01#6731

 以下の文章が、私の公開返信である。


● インターネット選挙に対する選管・警察の「摘発するぞ詐欺」を止めさせよう ――裁判に追い込もう

戸田ひさよし様

 インターネット上の選挙活動は合法であると主張し続けて十年になります。
 
   http://www.irev.org/shakai/isenkyo1.htm
   http://www.irev.org/shakai/isenkyo2.htm
  
 この間、選管・警察は「公職選挙法に違反する」と候補者に「警告」をし続けています。しかし、そのままインターネット上で選挙活動を続けても「摘発」はされません。起訴された候補者は一人もいません。
 戸田ひさよしさんも、古賀しげるさんも、警察の「警告」を無視したのに何の「お咎め」もありませんでした。
 この不明朗な現状をどう考えたらいいのでしょうか。「公職選挙法に違反する」ならば、きちんと「摘発」すればいいのです。しかし、全く「摘発」はしないのです。私はこのような状況を「摘発するぞ詐欺」と呼びました。
 「摘発するぞ」と脅されて多くの候補者が「警告」に従いました。しかし、従わなくても何の問題も無かったのです。
 結局、選管・警察は自信が無いのです。面倒に関わりたくないのです。
 この十年は、「摘発するぞ詐欺」が横行した十年でした。
 候補者の皆さんは、選管・警察に騙されてきたのです。
 
 私の現状認識は次の通りです。
 「摘発するぞ詐欺」が横行する状態は不当である。この状態を解消する必要がある。
 そのためには、彼らが候補者を「摘発」し、起訴しなくてはならないように追い込む必要がある。裁判になれば、いやでも世論は喚起される。(私は、食管法を変えた川崎磯信氏の事例を思い浮かべています。川崎氏は、自分が「有罪」である証拠書類を揃えて、国を裁判に追い込んだのです。)
 
 このように考えていたので、戸田さんも〈起訴してもらいたい〉という意向をお持ちであることをうれしく思いました。
 
> 戸田のような豊富な実践例を持つ議員・候補者は、2度と再び現れるはずがあ
>りませんから、「今、起訴してもらって裁判に持ち込まなければ、2度と有利な
>実践例を持つ当事者による裁判は起こらない」のです。
>
> 「権力弾圧による公民権停止2年」がやっと開けてすぐの市議選で、今度は
>「HPの選挙活用が公選法違反に問われる日本初の当事者被告」の座を与えられ
>るなんて、今後「社会科の教科書」や「現代用語の基礎知識」、「判例集」に戸
>田の闘いが掲載されて後生に語り継がれるわけで、しがない一市議体験者として
>これほどの栄誉はありません。
>
> ……〔略〕……
>
> 「大阪府門真(かどま)市」の名前もまた、超有名になり後生まで語り継がれ
>るし、「その時歴史は動いた」にも取り上げられたりして観光名所になる可能性
>も大です。
> そうすると門真市のまち起こしに大きな貢献が出来るわけで、市議会議員とし
>て嬉しい限りです。
 
 戸田ひさよしさんこそインターネット上の選挙活動で被告になる栄誉が与えられるに相応しい方です。もっともインターネット選挙の実践を積み重ねてきたのが戸田さんだからです。
 「社会科の教科書」・「現代用語の基礎知識」・「判例集」に載るのが楽しみですね。
 以前、私は次のように書きました。
 
> 民主主義とは、突き詰めれば〈一人が一人を説得すること〉です。ある一人の
>人間が別の一人の人間の考えを変えようと働きかけることです。
> そのような働きかけによって、最初は少人数の者しか持っていなかった考えが
>広まって大きな力になる。そのようなダイナミックな過程が民主主義なのです。
> だから、ブログ・ホームページで次のような訴えをするのは、民主主義社会では
>必要不可欠のことです。
> 
> 「A候補に投票しよう。理由は……である。」
>
> しかし、総務省は、この必要不可欠な行為を禁止しようとしています。公職選挙
>法で禁止されていると言うのです。
> 彼らは正気なのでしょうか。
> それは、次のように言っているも同然なのです。
> 
> 「日本は民主主義国ではありません。言論の自由などありません。」
   http://shonowaki.com/2007/07/post_20.html

 日本の現状を知れば、世界が「インターネットを使わないで、日本ではどう選挙をするのだ?」と驚くでしょう。日本が民主主義国家ではないという印象を持つでしょう。
 自由報道協会や外国人記者クラブで会見をしましょう。
 戸田さんをきちんと書類送検してもらいましょう。裁判にしてもらいましょう。
 今回も、戸田さんは「HPの選挙活用バリバリ実施」しているのですから。
 そして、選管・警察・総務省・検察には自分達のしたことの責任を取ってもらいましょう。
 世界からの批判を受けてもらいましょう。
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                   諸野脇 正 (しょのわき ただし)
              【Web Site】  http://www.irev.org/
              【ブログ】   http://shonowaki.com/
              【ツイッター】 http://twitter.com/shonowaki

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 

About インターネット選挙

ブログ「諸野脇 正の闘う哲学」のカテゴリ「インターネット選挙」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリはインターネット論です。

次のカテゴリはオリコンVS.烏賀陽 訴訟です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34