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2010年09月 アーカイブ

2010年09月01日

ネット哲学者、ツイッターを始める

 ツイッターを始めた。

   ● shonowakiのツイッター
 
 原口一博総務大臣に「嫌がらせ」をするために。
 いや、重要な事実をお知らせするためである。(笑)
 次のようにである。
 

【ツイッターから】

@kharaguchi 「ネット選挙」についての規定は現行法にはありません。総務省が禁止されていると解釈しているだけです。だから、原口一博総務大臣が「規定が無いのだから、自由である」と解釈を変えればいいだけです。詳しくは次の文章を。http://shonowaki.com/cat3/
 

@kharaguchi 総務省は公職選挙法の解釈を大きく変えています。以前はホームページを閉鎖させていたのです。現在は公開可能です。総務省は、恣意的に解釈を変えてきたのです。詳しくは次の文章を。http://shonowaki.com/2010/04/post_94.html
 
ホームページ・ブログを更新して、摘発され裁判になった人は一人もいない。刑事さんが「公職選挙法違反だ」と電話をくださったりするが。(笑)

だから、「お電話」さえ気にしなければ、ネット選挙は既に「解禁」されている。それが「ネット選挙解禁法案」で規制されてしまうのだ。

ちなみに、私のブログの政府関係のアクセストップは総務省! 読んでるじゃないか。(苦笑)

議員の皆さんも、私のネット選挙関係の文章を読んでいる。政府関係アクセスの第三位は衆議院。

アクセス第一位は総務省。第三位は衆議院。それでは第二位は?なんと財務省!なぜ財務省が私のブログを?研究?気晴し?総務省を叩くネタ探し?(笑)

それで、私のネット選挙関係の文章を読んだ総務省の皆さん。どうでした?

総務省の皆さん。どうでした?

ネット選挙は既に自由。法的にも、事実としても。ネット選挙で摘発された事実は一件もない。

ホームページを選挙に活用した前門真市議・戸田ひさよし氏は摘発されていない。 ブログを更新した阿久根市長・竹原信一氏も摘発されていない。

既に自由なネット選挙を「解禁」するとはどういう行為なのか?

「ネット選挙解禁」とは、実は「ネット選挙規制」なのである。

「ネット選挙解禁」によってホームページとブログだけが「解禁」されたら、ツイッターなどの他の方法が使えなくなる。

「ネット選挙解禁」という発想自体が間違っているのだ。「解禁」とは「原則全部がおこなってはいけない行為で、おこなっていい行為だけを決める」という発想である。これは論理が逆さまである。原則自由で、おこなっはいけない行為だけを決めればいいのだ。

これは「規制緩和」に似ている。本来「規制緩和」ではなく、「規制撤廃」なのだ。「緩和」ならば、「規制」があることが前提になってしまう。「ネット選挙解禁」も同様である。それでは、禁止されていることが前提になってしまうのである。原則禁止になってしまうのである。

ネット選挙において、「おこなっていいことを一つひとつ決めていく」という発想自体がものすごくイカれている。(苦笑) もし、アメリカが日本のような国だったら、オバマ氏は大統領になれなかっただろう。オバマ氏はネットをフルに活用して、選挙戦に勝ったのである。

世界中の「先進国」がネットをフルに使って政治的な意思決定をおこなっている。その中で、日本の議員は何を「解禁」するかを議論している。ものすごいイカれようである。(苦笑)

「ネット選挙解禁」という発想自体がイカれているという話をした。

「ネット選挙解禁法案」を審議している議員はイカれている。また、それを批判もせずに報道するマスコミもイカれている。

イカれた皆さん、オハヨウ。

今日も、イカれたことを考えているんでしょうね。

「ツィッターはなりすましが防止できない」とか。「誹謗中傷が防げない」とか。(笑)

でも、現実の選挙では、怪文章が飛びまくってますから。「なりすまし」・「誹謗中傷」が普通におこなわれてますから。

イカれた皆さん。まず、ビラを禁止した方がいいのではないですか。(苦笑)

悪い影響があることは、その行為を禁止する理由にはならない。例えば、包丁の利用である。毎年、多くの人が包丁で殺されている。しかし、包丁の利用は禁止されない。


 この文章を読みかえして、興味深い事実に気がついた。
 複雑な内容なのに、分かり易いのである。
 ツイッターの形式で書くことで、却って分かり易くなっている。
 短い文章を積み重ねる形式に分かり易くする効果があるのだろう。
 
 これは、複雑な内容を分かり易く伝える実験である。
 また、インターネットで原口一博総務大臣を追いつめることが出来るかの実験である。(笑)
 
   ● shonowakiのツイッター   
   
 ご注目いただきたい。
 
                     諸野脇@ネット哲学者


2010年09月16日

竹原信一市長、専決処分「乱発」問題を考えるための論理

 竹原信一市長が、議会を開かず重要な事柄を独断で決めている。市職員のボーナスを半減したり、議員報酬を日当制にしたりしてる。
 なぜ、竹原信一市長はこのような専決処分を「乱発」しているのか。 

 市長に解散権が無いからである。
 制度上の問題があるからである。
 
 ツイッターで詳しく論じた。(http://twitter.com/shonowaki
【ツイッターから】

 竹原信一市長は、なぜ「独裁者」になったのか。なぜ、議会に諮らずに、独断で物事を決めたのか。それは、市長に議会を解散する権限が無いからである。

 竹原信一市長が提案した重要法案の全てを阿久根市議会は否決した。これは、実質的に阿久根市議会は竹原信一市長に対して不信任なのである。

 竹原信一市長と阿久根市議会は全く主張が対立しているのである。それならば、阿久根市議会は竹原信一市長に対して不信任決議をするべきなのである。しかし、阿久根市議会は不信任決議をしなかった。なぜ、不信任決議をしなかったのか。不信任決議を可決すると、竹原市長が議会を解散するからである。

 阿久根市議会が竹原信一市長に対して不信任決議を可決すれば、竹原信一市長は議会を解散できる。もちろん、その解散選挙で反竹原派が勝てば、竹原信一市長を失職に追い込むことが出来る。しかし、反竹原派にはその自信がない。だから、不信任決議をしないのである。

 これで全てのピースがはまった。 1市長と議会が完全に対立している。 2それにも関わらず、議会が不信任決議をしない。 3不信任決議が可決されない限り、市長の側からは議会を解散する方法がない。 この状態では何も決めることが出来ない。これが竹原信一市長が専決処分をおこなった構造である。

 市長には議会を解散する権限がない。だから、自分の提案に全て反対する市議会が存在した場合、何も決められなくなる。(専決処分を除く。)しかし、それは筋が通らない。全てに反対ならば、不信任決議を可決するのが筋である。阿久根市議会も竹原信一市長に対して不信任決議を可決するべきなのである。

 【まとめ1】竹原信一市長が専決処分を「乱発」したのは、市長に議会の解散権が無いからである。阿久根市議会は、市長と議会との対立で何も決まらない状態だった。しかし、竹原信一市長の側からそれを打開する手段がなかった。つまり、議会を解散して民意を問う手段が無かった。

 【まとめ2】打開する手段があったのは、阿久根市議会の側だった。市議会が、竹原信一市長に対して不信任決議をすればよかったのだ。そうすれば、竹原信一市長は議会を解散できた。民意を問うことが出来た。しかし、議会側は何もしなかった。

 【まとめ3】市長と議会とが完全に対立した状態であるにも関わらず、議会側が何もしなければ、市政は痲痺してしまう。何も決まらなくなってしまう。これは制度上の問題である。

 【まとめ4】その制度上の問題を無理やり解決しようとする試みが専決処分の「乱発」である。


 竹原信一市長は、議会に諮らずに重要な事柄を次々と決めた。市職員のボーナスを半減し、議員報酬を日当制にした。まさに「独裁者」である。しかし、その行為には理由があった。制度上の問題があるのである。市長の側から議会を解散する権限が無いのである。この状態を打開する手段を持っていたのは、市議会側だったのである。
 この構造を理解することが重要である。

                    諸野脇@ネット哲学者


2010年09月28日

なぜ、竹原信一市長は「独裁者」になるのか

 阿久根市では、竹原信一市長と議会の対立が続いている。
 私は、こうなることを既に予測していた。
 
   ● 祝・竹原信一氏再選! ―― さあ、心ゆくまで「対立」しよう
 
 阿久根市議会は議会のていをなしてない。議員を全員入れ替えなくてはいけない。竹原信一市長はそのように考えていた。
 対立が続くに決まっている。
 
 現在、阿久根市は興味深い状態にある。
 阿久根市議会は、竹原信一市長が提出する重要議案をほとんど全て否決してきた。議会と市長は完全な対立状態にある。
 それならば、阿久根市議会は竹原信一市長への不信任案を決議するのが筋である。
 しかし、阿久根市議会はそれをしない。
 なぜか。 

 不信任案を決議すると、議会を解散されるからである。
 
 これでは、議員全員の入れ替えを狙う竹原信一市長の思う壺である。
 しかし、自分たちに自信があれば、議会の解散は恐くないはずである。民意が自分たちの側にあるならば、再選挙で竹原信一市長を支持する議員が減るはずである。そして、最終的には、竹原信一市長を失職に追い込めるはずである。
 しかし、阿久根市議会には、自分達の側に民意があるという自信がない。
 だから、不信任案を決議できない。 
 阿久根市議会が竹原信一市長の不信任案を決議しないのが事態が変わらない原因である。
 
 全ての重要議案に反対ならば、不信任案を決議するべきである。市長と議会が完全に対立しているならば、不信任案を決議するべきである。
 当たり前の原理である。
 
 さらに興味深い事態がある。
 この事態を竹原信一市長から打開する方法がないのである。
 竹原信一氏は言う。 
 ……〔略〕……自治体の首長が提出した条例案や予算案が議会に反対されたとき、首長の側には実質的な対抗手段がないのが現実です。
 議院内閣制を取る国政の場なら、反対する議会に対して内閣総理大臣は衆議院の解散権を行使して対抗することができますが、地方政治においては、首長に「一応」の解散権は認められているものの、順序として、議会が首長の不信任案を可決しなければ、首長は議会を解散できない決まりとなっています。〔竹原信一『独裁者 “ブログ市長”の革命』扶桑社、23ページ〕(注1)
 
 市長の側から議会を解散する権限がないのである。
 つまり、議会に「不信任案を可決」させるしか議会を解散する方法がないのである。
 もうお分かりであろう。
 なぜ、竹原信一市長は「独裁者」になるのか。 
 市長が議会を解散する方法がないからである。
 
 市長と議会とが完全に対立した状態では、市政が麻痺してしまう。そして、議会が「不信任案を可決」しなければ、この状態は変わらない。(注2)
 だから、竹原信一市長の行動を次のように解釈することも出来る。竹原信一市長は、「独裁者」になることで、「不信任案を可決」させようとしているのである。議会の皆さんに特別な形で「お願い」しているのである。
 このような特別な形の「お願い」をしなくてはならないのは、阿久根市議会が筋を通していないからである。阿久根市議会が、堂々と「不信任案を可決」すれば事態は変わる。
 
                     諸野脇@ネット哲学者
                     

(注1)

 次の本である。
 
   竹原信一 『独裁者 “ブログ市長”の革命』 扶桑社
  
 反市長派の人は、ぜひ、読むべきである。(笑)
 竹原信一市長の考えを知ることで、市長の行動が予測できるからである。
 ちなみに、この本には、私の「インターネット選挙」関係の文章が引用されている。
 
 
(注2)

 最近、竹原信一市長に対するリコール運動がおこなわれている。実は、この文章を書いたのはリコール運動が始まる前なので、その事実は考慮されていない。
 確かに、住民によるリコールでも「状態は変わ」る。しかし、非常に手間のかかる方法である。例外的な方法である。
 大きな疑問がある。
 リコールを始めた市民は、反市長派議員に「不信任案を可決」するように要求したのか。要求はしなかったのであろう。なぜ、当たり前の要求をしないのか。
 「不信任案を可決」すれば簡単に民意が問えるのである。民意を問わない(問えない)反市長派の議員の問題を不問にしたリコール運動は不自然である。

2010年09月29日

「竹原信一市長と議会がよく話し合うべき」という一般論を批判する

 〈竹原信一市長と阿久根市議会とがよく話し合うべきだった〉という趣旨の意見をもらった。この意見はもっともに思える。しかし、この意見は現実離れした一般論に過ぎない。 

 事実をよく見よ。
 
 これは一般論に対する厳しい批判である。一般論が通用するように思うのは、事実をよく見ていないからである。事実をよく見れば、問題がそう簡単でないことが分かる。
 それでは事実を見ていこう。


【ツイッターから】http://twitter.com/shonowaki

 〈竹原信一市長と阿久根市議会とがよく話し合うべきだった〉という趣旨の意見をもらった。しかし、事実をよく見るべきである。既に説明したように、阿久根市議会は議論する場ではない。ゆえに、話し合いも成立しない。残念ながら。

  さらに、具体的な事実を見よう。山田勝議員の証言である。

 (山田勝議員の証言1) 現在の阿久根市議会に「話し合いなど存在しない」議員の話し合いや休憩をする議員控室に集まる事は殆どない。委員会や本会議開催中も多数派は議長室、広い控え室は市長の改革を支持する4人議員だけ。

 (山田勝議員の証言2) 現在での議会の重要なことは議長室で多数派で協議し決定して本会議でいきなり提案して決定している。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525778&log=20100608

 「議会の重要なこと」は多数派が「本会議でいきなり提案して決定して」しまうのである。山田勝議員自身も言う。「話し合いなど存在しない」 話し合い論者は、この事実をよく見るべきである。

 つまり、これは「独裁」と「独裁」との戦いである。議会の多数派と市長との戦いである。議会の多数派は話し合い無しで議決をする。竹原信一市長も話し合い無しで専決処分をする。

 もちろん、〈話し合うべき〉という一般論は正しい。しかし、このような阿久根市の具体的な事実を踏まえない一般論は虚しい。役に立たない。問題は、この状態で次の一手をどう打つかなのだ。

 議会は議論をする場ではない。http://shonowaki.com/2009/05/post_69.htmlそう論じたところ、多くの人が驚いた。「えっ?議会って酷すぎ」しかし驚かない人がいた。議員達である。「うちの議会もそうだよ」結論。あなたの議会もたぶん無事ではない。(苦笑

 議員にとっては、議会で議論がおこなわれないのは常識らしい。http://shonowaki.com/2009/05/post_73.html確かに、この「はぐらかし」を見ると、議論を期待するのが虚しくなる。

 〈議会の可視化〉が必要である。議会のインターネット中継が必要である。http://shonowaki.com/2009/04/post_71.html我々は、我々の議会の異常な状態を知る必要がある。状態を知れば、変えたくなる。〈情報公開〉こそ「変革」の中心なのである。


 議会は、誠にひどい状態なのである。この事実を確認しよう。
 多数派の議員は「議員控室」にいない。「議長室」にこもっているのである。そこで、密室の密談をしている。(苦笑)
 そして、多数派は「重要なこと」を「本会議でいきなり提案して決定して」しまうのである。
 このような状態では「話し合い」は成立しない。「議論」は成立しない。
 さらに具体的に事実を見よう。
 今日、次のような事態が起こった。
 
   ● 阿久根議会、副市長選任取り消し可決 市長派が議場封鎖
 
 多数派は、もともと「話し合い」をする気はない。「話し合い」なしで、最初から決めていた結論を多数決で押しつけようとする。それに対抗して、少数派は「議場封鎖」をする。
 「話し合い」論者は、阿久根市に行って両者を説得してみるといい。「話し合い」をするように説得してみるといい。
 問題がもっと複雑であることを実感するであろう。
 
                     諸野脇@ネット哲学者

2010年09月30日

議会で多数派による「独裁」がおこなわれていることこそ問題である

 山田勝議員は次のように言う。 

 現在の阿久根市議会に「話し合いなど存在しない」議員の話し合いや休憩をする議員控室に集まる事は殆どない。委員会や本会議開催中も多数派は議長室、広い控え室は市長の改革を支持する4人議員だけ。

 現在での議会の重要なことは議長室で多数派で協議し決定して本会議でいきなり提案して決定している。
   http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525778&log=20100608

 
 多数派は「重要なこと」を「本会議でいきなり提案して決定して」しまうのである。
 議会は、多数派が自分達が決めたいことを決める場になっている。議論もせずに決める場になっている。
 つまり、議会は、多数派による「独裁」の場なのだ。まず、議会側が「独裁」体質を持っているのだ。多数派議員は、話し合いによって考えを変えない。初めから決めている結論を議決によって少数派に押しつけるだけである。
 
 これに対して、竹原信一市長は議会を召集しなかった。召集すれば、多数派による「独裁」を許すことになる。そして、竹原信一市長は専決処分で次々と自分の公約を実現していった。もちろん、これも「独裁」である。 
 1 議会は多数派による「独裁」の場になっている。
 2 だから、竹原信一市長は議会を召集しなかった。
 3 そして、竹原信一市長は専決処分による「独裁」をおこなった。
   
 つまり、これは「独裁」対「独裁」の闘いなのである。
 一般に、竹原信一市長の「独裁」だけが問題にされている。しかし、その前に、議会の「独裁」がある。
 そして、議会の「独裁」を市長側から解決する手段が無いのだ。既に、述べた通りである。
 
   ● なぜ、竹原信一市長は「独裁者」になるのか 
 
 これは多くの「改革派」首長が直面している問題である。自分の公約を実現しようとしても、議会で多数を取れなくては実現できない。しかし、首長には議会の解散権が無い。(注1)
 これは、言わば〈ねじれ市政〉である。首長と議会が完全に対立していても、首長の側からはその状態を解決する方法が無い。

 実は、議会による「独裁」の方が大きな問題なのである。竹原信一市長は一人しかいない。しかし、議会は日本中に無数にある。そのほとんどで多数派による「独裁」で物事が決まっていることが想定される。
 何しろ、議会は議論をする場ではない。(苦笑)
 
   ● 議会は議論をする場所ではないらしい(苦笑)  ―― 奇妙な規則「質問は三回まで」

 「奇妙な規則」によって、議会は議論をする場ではなくなっている。このような議論を実質的に禁止する規則がほとんどの議会にある。「質問は三回まで」・「申込みしておかないと討論できない」などなど。(注2)
 つまり、ほとんどの議会で「独裁」がおこなわれていることが想定できる。
 これは重大な問題である。
 
                     諸野脇@ネット哲学者

 
(注1)

 これは、〈首長の公約が必ず全て実現されるべきである〉と主張している訳ではない。〈首長の側に民意を問う手段が無い〉と指摘しただけである。民意を問うた結果、議会で多数を取れず、首長の公約が実現できないことはあり得る。
 
 
(注2)

 次の本に「奇妙な規則」の実例が紹介されている。
 
   戸田ひさよし 『チホー議会の闇の奥』 青林工藝舎
   
 特に「『言論の府』を自ら否定している議会の実態」(37ページ)をお読みいただきたい。

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