石油ショック当時、人々は買いだめに走った。その結果、社会全体で大きな損失が発生してしまった。既に論じた通りである。
一人ひとりが得をしようとした結果、社会全体では大きな損失が発生した。自分にとって得な行動した結果、結局、全員が損をすることになってしまった。
これは、「社会的ジレンマ」と呼ばれる状況である。
「社会的ジレンマ」をロビン・ドーズは次のように説明する。(注1)(注2)
(a)一人ひとりの個人は、社会の他の人々がたとえ何をしようとも、社会的に協力しない選択(例えば、子供を増やすこと、可能な限りエネルギーを使うこと、環境を汚染すること)をすることによって、社会的に協力する選択をした場合よりも多くの利益を得る。しかし、(b)もし、全員が協力したとすれば、全員が協力しないより、全員にとってよい結果になる。
「トイレットペーパーが無くなる」という噂を聞いた時、一人ひとりの人間は、トイレットペーパーを買いだめすることも出来るし、何もしないでいることも出来る。自分の得になる行動を「選択」することも出来るし、社会全体の得になる行動を「選択」することも出来る。「非協力」を「選択」することも出来るし、「協力」を選択することも出来る。
全員が「協力」を「選択」すれば、社会の成員全体が得をする。トイレットペーパー不足は起こらず、探し回る必要がなるなる。
しかし、全員が「非協力」を「選択」すれば全員が大きな損をする。トイレットペーパーは不足し、探し回らなければならなくなる。全員が苦労することになる。
一人ひとりが自分の得になる行動を「選択」すると、社会全体としては全員が損をする。
「社会的ジレンマ」とは、このような特徴を持つ状況である。
確認しよう。
a 一人ひとりの個人としては、協力を選択するより非協力を選択した方が得をする。
b しかし、全員が非協力を選択した場合は、全員が損をする。
「社会的ジレンマ」は様々な領域に存在する。ドーズは、人口問題、エネルギー問題、環境問題を例とした挙げた。
もちろん、「社会的ジレンマ」は教育にも存在する。いじめも「社会的ジレンマ」である。
個人がいじめを傍観するという得な「選択」をした結果、全体としていじめが荒れ狂う学級になってしまう。いじめが荒れ狂っていては、結果的に全員が損をする。
一人ひとりが自分にとって得な「選択」をした結果、全員が損をする。
それが「社会的ジレンマ」なのである。
(注1)
Robyn M. Dawes "Social dilemmas",1980,p.169
(注2)
日本における「社会的ジレンマ」研究の先駆者は山岸俊男氏である。
次の本を参照のこと。
山岸俊男『社会的ジレンマのしくみ』サイエンス社、1990年