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【いじめ論19】クールビズ問題も社会的ジレンマだった

 結局、いじめは全員にとって損である。しかし、全員が損をするいじめをやめることが出来ない。それはいじめが社会的ジレンマだからである。
 同様の事例を見てみよう。全員が損をしている状態を変えられなかった事例である。
 日本の夏は暑い。しかし、数年前までは、多くの会社員が上着を着てネクタイを締めていた。これは明らかに夏に適した服装ではなかった。汗だくになりながら、全員が苦しい思いをしていた。快適性という点では不合理であった。
 また、エネルギーの無駄であった。上着を着て快適なように冷房を強くせざるを得なかった。
 だから、だいぶ前からクールビズが提唱されていた。夏は、涼しい服装をしようというのである。政府も旗を振った。古くは、1970年代の省エネルックである。
 しかし、会社員の服装はほとんど変わらなかった。それは、この問題が社会的ジレンマだったからである。
 全員が上着を着てネクタイをしている状態で、自分だけ軽装になる訳にはいかない。
 服装は相手に対する敬意の表現でもある。だから、自分だけ軽装になった場合、相手が敬意を表しているのに自分は表さないことになってしまう。
 だから、全員がネクタイをしている集団内で、一人だけネクタイをしないのは困難である。「失礼な奴」と思われる可能性が高いのである。「失礼な奴」と思われるくらいならば、ネクタイを締めた方が得である。
 つまり、ネクタイを締めるのは、一人ひとりにとっては得な選択だった。そして、一人ひとりが自分にとって得な行動をした結果、社会全体としては大きな損失になってしまった。
 これは社会的ジレンマである。

 a 一人ひとりの個人としては、ネクタイを締めた方が締めないより得をする。
 b しかし、全員がネクタイを締めた場合は、全員が損をする。

 上着を着てネクタイを締めたせいで、暑さで体調を崩す。上着を着た人を基準にオフィスの冷房の温度が設定されて、エネルギーの無駄になる。冷え性の人が冷房の寒さで体調を崩す。
 これは全員が損をしている。しかし、それをやめることは出来なかった。
 なぜか。全員が同時にネクタイを外すのならば、外せる。「いっせいのせ」で全員がネクタイを外すなら、外せる。しかし、一人だけ外すことは出来ない。「失礼な奴」と思われてしまうからだ。
 政府がクールビズを勧めようと、状況は同じである。政府の勧めに従って、みんながネクタイを外すなら、外せる。しかし、みんなが政府の勧めに従うことはありえない。それならば外さない「選択」をする方が得である。
 羽田孜元首相を思い出してみよう。羽田孜元首相は省エネルックを一人だけ着続けて、変人扱いされてた。変人扱いされても着続けるのは信念の人である。信念の人しか大多数と違う服装は出来なかった。
 政府の勧めに国会議員すら従わなかったのである。国会議員すら従わない政府の呼びかけに一般国民が従うはずがない。
 政府が呼びかけたくらいでは、クールビズ問題は解決しなかった。(注)
 それはクールビズ問題が社会的ジレンマだったからである。


(注)
 クールビズ問題は数年前にかなり改善された。
 なぜ、改善されたのか。それはこの先の文章で論ずる。

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2015年08月28日 23:26に投稿されたエントリーのページです。

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