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2015年11月 アーカイブ

2015年11月20日

【いじめ論28】大多数を占める傍観者が〈いじめ容認派〉にカウントされてしまう

 いじめを予防するためには過半数以上の協力者を維持することが必要である。社会的ジレンマに陥らないためには一定数以上に協力者を維持することが必要である。図3のA点以上に協力者を維持することが必要である。
 しかし、いじめには〈情報の非対称性〉がある。いじめを容認する側の情報だけが入ってくる。いじめ行動は見える。しかし、「いじめは悪い」と思っている内面は見えない。
 つまり、いじめにおいては、協力者の数とは「協力者の予測数」なのである。この点で、いじめはクールビズ問題とは違う。クールビズ問題ならば、ネクタイをしている者の数は一目で分かる。協力者の実数が分かる。しかし、いじめに反対の立場である者の数は一目では分からない。協力者の数は一目では分からない。「予測」するしかない。だから、いじめにおいては「協力者の予測数」なのである。
 「予測」において問題になるのが傍観者である。傍観者をどちらの側と見るかで、結果が大きく変わってくる。
 傍観者の割合は大きいのである。(注1)
 深谷和子氏の調査によると、いじめを傍観した者は九割に達する。


 まず、「クラスのいじめをやめさせようとして、あなたは何かしましたか」と聞いてみた(表4ー1)。「いじめ」の解決に向けて何もしなかった者、すなわち全くの傍観者だった者は、小学校で六一%、中学校で六七%にものぼる。
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 むろん「多少働きかけれみたが、途中で断念した」と言っている者も二、三割いるが、個別に聞き取りをしてみると「やめなよ」ぐらいで、形勢不利とみてか、早々と断念しているケースが多く、これもほとんど傍観に近い。したがって、先の全然しなかった者と合わせると、九割にもなる。友だちの窮状に対して、何とかしようと懸命に働きかけた者は、たったの一割でしかない。
 傍観者はいじめっ子たちにとって、その行為を支持してくれている強い味方なのだから、当事者以外の九割から支持されている「いじめ」であれば、大人が何を言おうと彼らが勢いづくのは当然だろう。(注2)


 いじめを傍観した者は九割に及んでいる。
 傍観している者は、内面はいじめに否定的かもしれない。しかし、傍観している者の内面は見えない。
 だから、「いじめっ子」には「その行為を支持してくれている」ように思える。「強い味方」のように思える。また、傍観者にも、他の傍観者が「その行為を支持」しているように思える。
 いじめ行動は見える。しかし、傍観している者の内面は見えない。すると、いじめを「支持」している者が九割いるように見える。「いじめっ子」にもそう見えるし、傍観者にもそう見える。
 いじめ行動が発生している状況では、傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされる。そして、傍観者の割合は大きい。傍観者の割合は九割に及ぶ。
 つまり、いじめ行動が発生しそれを放置した場合、九割以上の〈いじめ容認派〉が存在するように思えてしまう。協力者が一割以下だと思えてしまう。
 これでは、いじめ状況に陥ってしまう。図3のBの状態になってしまう。社会的ジレンマに陥ってしまう。
 〈情報の非対称性〉によって、〈いじめ容認派〉の情報だけが伝わる。その結果、九割を占める傍観者が〈いじめ容認派〉にカウントされてしまう。それによって、加速度的にいじめが蔓延するようになる。いじめ状況に陥ってしまう。
 いじめ予防には過半数以上の協力者が必要である。しかし、いじめにおいては協力者の数とは、実際には「協力者の予測数」である。傍観者の内面は見えないからである。さらに、いじめには〈情報の非対称性〉がある。だから、「予測数」にはバイアスがかかる。いじめ行動だけが見えるため〈いじめ容認派〉が過大に見積もられる。大多数を占める傍観者が〈いじめ容認派〉にカウントされてしまうのである。


(注1)

 いじめを加害者・被害者・観衆・傍観者の「四層構造」と捉えたのは森田洋司・清水賢二氏である。『いじめ ――教室の病』(金子書房、1986年)を参照。


(注2)

 深谷和子『「いじめ世界」の子どもたち』金子書房、1996年、52ページ

2015年11月27日

【いじめ論29】行動レベルでの変化を起こすことで傍観者を〈いじめ否定派〉にする

 いじめ行動が発生している状況では、傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされる。〈いじめ容認派〉と見なされる。そして、傍観者の割合は九割に及ぶ。傍観者は圧倒的な多数派なのである。
 その九割が〈いじめ容認派〉にカウントされては、いじめ状態に陥ってしまう。図3のBの状態になってしまう。社会的ジレンマに陥ってしまう。
 しかし、傍観者が〈いじめ否定派〉にカウントされれば、落ち着いた状態になる。図3のCの状態になる。
 傍観者の内面は不明なのだから、傍観者はどちらにもカウントされる可能性がある。傍観者は〈いじめ容認派〉と見なされる可能性がある。逆に、〈いじめ否定派〉と見なされる可能性もある。傍観者がどちらにカウントされるかで大きな違いが生じる。いじめ状態になるか、それとも落ち着いた状態になるかの違いが生じる。
 しかし、いじめには〈情報の非対称性〉が存在する。いじめ行動は見える。しかし、いじめに否定的な内面は見えない。そのため傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされてしまう。バイアスがかかるのである。
 このバイアスに対処する方法は原理的に次の二つである。

 1 いじめ行動を発生させない。
 2 反いじめ行動を発生させる。

 顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。はっきと見える行動によって、集団の状態が大きく変わる。だから、行動レベルでの変化を起こせばよいのである。
 いじめ行動の発生を抑止すれば、いじめ行動が見えなくなる。それによって、傍観者は〈いじめ容認派〉にカウントされなくなる。〈いじめ容認派〉と見なされなくなる。
 また、反いじめ行動の発生を促進すれば、反いじめ行動が見えるようになる。それによって、傍観者は〈いじめ否定派〉にカウントされるようになる。〈いじめ否定派〉と見なされるようになる。
 顕在的な行動が傍観者の解釈を変える。傍観者が〈いじめ容認派〉に入れられるか、〈いじめ否定派〉に入れられるかを変える。「協力者の予測数」を変える。
 つまり、いじめを予防するためには、傍観者が〈いじめ容認派〉にカウントされるのを防止すればよい。〈いじめ否定派〉にカウントされるようにすればよい。「協力者の予測数」を過半数以上にすればよい。図3のA点以上にすればよい。
 そのためには、上の1・2の状況を作ればよい。いじめ行動を発生させず、反いじめ行動を発生させるのである。
 ここまでの論述をまとめよう。

 1 いじめは社会的ジレンマである。
 2 いじめを予防するためには過半数以上の「協力者」が必要である。
 3 しかし、いじめには〈情報の非対称性〉がある。
 4 いじめ行動を放置すると傍観者が〈いじめ容認派〉と見なされ、過半数以上の「協力者」が維持できなくなる。いじめ状態に陥ってしまう。
 5 だから、いじめ行動を抑制する必要がある。また、反いじめ行動を促進する必要がある。

 いじめにおいては、大多数を占める傍観者の内面は不明である。だから、顕在的な行動の影響が大きくなる。そのような状況下では、いじめ行動が発生すること自体が協力者数の「予測」を大きく左右する。いじめ行動が放置されていれば、子供は集団内でいじめ行動が容認されていると「予測」する。〈いじめ容認派〉が多数派であると「予測」する。いじめ行動が多発する。結果として、いじめ状態に陥ってしまう。だから、いじめ行動が適切に抑制される必要がある。
 スローガンとして述べれば次のようになる。

 いじめの原因はいじめである。
 だから、いじめ行動が適切に抑制されなければならない。

 いじめ状態の「原因」はいじめ行動である。いじめ行動が放置されていると、子供はいじめが容認されていると思ってしまう。〈いじめ容認派〉が多数派だと思ってしまう。〈情報の非対称性〉があるからである。
 その結果、「協力者予測数」が図3のA点以下になってしまう。そして、坂を転げ落ちるようにいじめ状態に陥ってしまう。
 それを防止するためには、行動レベルの変化が必要である。いじめ行動を抑制し、反いじめ行動を促進するのである。
 行動レベルの変化を起こすことが〈情報の非対称性〉のバイアスへの対処である。〈いじめ否定派〉が多数派であることを傍観者に「見せる」のである。

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