いじめについて広く信じられている考えがある。それは「悪い心がいじめを引き起こす」という考えである。「悪い道徳的意識がいじめを引き起こす」という考えである。
この考えはあまりにも一般的すぎて、教育界で疑われることはなかった。その考えを信じている者も、特定の考えを「信じている」と自覚すらしていないだろう。
例えば、文部科学省は「学校におけるいじめ問題に関する基本的認識とポイント」で言う。
① 「いじめは人間として絶対に許されない」という意識を一人一人の児童生徒に徹底させなければならないこと。……
国立教育政策研究所が発行した「いじめ問題に関する取組事例集」には次のような授業の「ねらい」がある。
・いじめの意味を理解し、いじめを絶対に許さない心を育てる。
これらは、いじめを心・道徳意識の問題と捉えているのである。「『いじめは人間として絶対に許されない』という意識」が無いからいじめが起こると捉えているのである。「いじめを絶対に許さない心」が無いからいじめが起こると捉えているのである。「悪い道徳的意識がいじめを引き起こす」・「悪い心がいじめを引き起こす」と考えているのである。
この考えは、広く信じられている。いじめは心・道徳意識の問題であるという考えは、多くの人が信じ、疑いすらしない考えなのである。
しかし、この一般的な考えは、正しいのだろうか。いや、正しくない。
反例を挙げよう。担任の教師が変わっただけで、いじめがなくなることがある。子供達は変わっていないのに、いじめがなくなるのだ。これは心・道徳意識の問題なのか。教師が変わると一瞬で、子供の心がよくなり、道徳意識がよくなるのか。それは不自然である。
このような現象は、心・道徳意識では説明できない。
いじめが、心・道徳意識の問題であるという考えは間違っているのだ。それは部分的な間違いではない。根本的な間違いである。
だから、「悪い心がいじめを引き起こす」・「悪い道徳的意識がいじめを引き起こす」という考えは、全く別の考えに変えなくてはならない。
また、いじめ観は、いじめ対策と結びついている。いじめ観が間違っていれば、いじめ対策も間違ったものになる。当然、現状のいじめ対策を批判し、新しいいじめ観に基づくいじめ対策を示すことになる。
間違ったいじめ観を基にしていては、有効ないじめ対策を作ることは出来ない。間違ったいじめ観は、歪んだ基礎のようなものである。歪んでいるので、その上に建物を建てることは出来ない。建てようとすると倒れてしまう。
有効な対策のためには、正しいいじめ観が必要である。
つまり、いじめ観のパラダイム転換が必要なのである。
以下の論述で私がおこないたいのは、そのようなパラダイム変換である。いじめを捉える枠組み自体を変えることである。いじめを心・道徳意識の問題と捉える枠組みに代わる新しい枠組みを提供することである。
【追記】
十週連続ブログ更新に挑戦中。
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第一週目、成功である。