誤解を恐れず、ズバリと言い切ってみよう。
いじめの原因は心ではない。
いじめの原因はいじめである。
スローガンとしてはこれでよい。(注)
スローガンなので、もちろん雑である。それは、今後の論述で精密にしていく。
「いじめの原因はいじめ」である。いじめは「女子高生のスカート長さ」と同様の現象である。
東京の女子高生のスカートは短い。
パンツが見えそうな位にスカートが短い女子高生がいる。あのように短くては、確かに冬は寒いだろう。必ずしも機能的とは言えない格好である。
なぜ、スカートがそんなに極端に短くなるのか。
そのような女子高生のありさまを思い浮かべて欲しい。スカートが短い女子高生が単独で存在することはない。スカートが極端に短い女子高生は集団で存在するのだ。仲間集団全体が短い状態なのだ。
スカートを短くするのは集団の他の成員が短くしているからだ。集団の他の成員が短くしている以上、短くせざるを得ないのだ。
だから、大阪では長いスカートを着ていた女子高生が、東京に引っ越したら短くせざるを得なくなる。
つまり、これは集団的現象なのである。ある生徒の行動が他の生徒の行動に影響を与える。その行動がまた他の生徒の行動に影響を与える。生徒同士が影響を与え合う。その結果、極端な状態が発生する。
いじめも同様の集団的現象である。「女子高生のスカートの長さ」と同様の集団的現象なのである。
もし、「短いスカートをやめたい」と思っても、一人では出来ない。スカートが短い仲間集団内で一人だけ長いスカートを着るのは困難である。
いじめも同様である。「いじめをやめたい」と思っても、一人ではやめられない。
具体例を見てみよう。
グループ内の交換日記に、順番にいじめがはじまり、次は誰をターゲットにするかというなかで、晶子さんがやめようと言い出したことでやられはじめたと書いていた。
(武田さち子『あなたは子どもの心と命を守れますか!』WAVE出版、65ページ)
晶子さんがいじめられたきっかけは「やめようと言い出した」ことである。一人でいじめをやめようとした結果、自分がいじめられるようになったのである。
「いじめをやめたい」と思っても、一人ではやめられない。「やめようと言い出した」者がいじめられる。
それは、いじめが集団的現象だからだ。
「いじめの原因はいじめ」なのである。
(注)
スローガンに頼っていては理論は出来ない。
だから、理論からはスローガンを排除するべきである。
しかし、現在、「いじめの原因は心である」という悪影響が大きいスローガンが信じられている。
それに対抗するため「いじめの原因はいじめである」というスローガンを対置してみた。方向性が正しいスローガンである。
また、このスローガンによって、今後の論述の方向性がはっきりしたはずである。