スローガンをもう一度書く。
いじめの原因は心ではない。
いじめの原因はいじめである。
いじめを一人でやめることは困難である。「やめようと言い出した」者がいじめられたりする。それは、いじめが集団的現象だからである。
いじめは〈女子高生のスカートの長さ〉と同様の集団的現象である。スカートの短い女子高生は東京では極端に多い。大阪では極端に少ない。同様に、いじめも、多いクラスでは極端に多い。少ないクラスでは極端に少ない。
この事実を示す調査結果がある。正高信男氏による調査である。
正高信男氏は、いじめの指標となる〈いじめを傍観する者の数〉が両極端になる事実を発見した。(注1)
(正高信男『いじめを許す心理』岩波書店、108ページ)
この図には山が二つある。5~15パーセントと30~35パーセントの二つである。
この調査によって、傍観者の数が二極化している事実が発見された。次の二つに大きく分かれている。
1 いじめを傍観する者が少ないクラス
2 いじめを傍観する者が多いクラス
つまり、傍観者は、少ないか、多いかのどちらかになっている。中間が少ない。傍観者の割合が5~15パーセント(いじめを傍観する者が少ないクラス)と30~35パーセント(いじめを傍観する者が多いクラス)とピークが二つになっている。
これは、いじめが集団的現象であることを示している。
集団の影響を受けない個人的現象ならば、ピークは一つのはずである。正規分布になるはずである。
例えば、身長である。身長の分布は次のような形になる。
http://www.geocities.jp/resultri/crankcho/height_j.html より
個々人の身長は、どのような集団に入ろうと変化しない。身長の分布は正規分布になる。中間が多くなる。(注2)
しかし、集団的現象はそれとは違う。集団が影響を与え合うからである。
スカートの短い生徒の分布は、正規分布にはならない。クラス内のスカートの短い生徒の割合は東京では多い。大阪では少ない。両極端になる。ピークは二つになる。それは、集団的現象だからである。
いじめは〈女子高生のスカートの長さ〉と同様の集団的現象である。だから、傍観者の分布は正規分布にならない。両極端になる。
それは、集団が影響を与え合いながら行動パターンを作るからである。
クラスにおいて、集団の行動パターンが作られる。いじめを容認する行動パターンが作られるか。容認しない行動パターンが作られるか。傍観するか。いじめを止めるか。
いじめが容認される行動パターンが作られれば、いじめが横行する。それは、集団が影響を与え合った結果なのである。
女子高生のスカートが短くなる「原因」は何か。それは、みんながスカートを短くしていることである。
では、いじめの「原因」は何か。それは、みんながいじめをしていることである。みんながいじめを容認していることである。傍観者が多いことである。
つまり、「いじめの原因はいじめ」である。
(注1)
正高信男氏は言う。
調査対象となったクラスの先生に改めていじめの有無を尋ねたところ、横軸の値が三〇のあたりにできたピークにあたるクラスの大半では、特定の生徒への暴力行為が常習化していることも、判明しました。もう一つの大きいピークを構成しているクラスでは同様の報告は一切、出てきませんでした。
(同上、108~109ページ)
〈いじめを傍観する者の数〉は、いじめの指標となる。
傍観者の多いクラスでは、いじめが「常習化」している。それに対して、傍観者の少ないクラスでは、そのような「報告」は無かった。
(注2)
これは「いじめの原因は心ではない」証拠である。
個人が持っている確固たる心(道徳意識)がいじめの「原因」であるならば、いじめの分布は正規分布になるはずである。身長と同じように中間が多くなるはずである。
しかし、実際には二極化しているのである。