大阪と東京では女子高生のスカートの長さが違う。大阪の女子高生はロングスカート、東京の女子高生はミニスカートである。
大阪の女子高生は「冬は防寒、夏は日焼け対策」という理由でスカートを長くしていると言う。
しかし、それは「後づけの理由」に過ぎない。
先に挙げたウィトゲンシュタインの論をもう一度見てみよう。
広くゆきわたった一種の思考法の病気ある。それは、我々のすべての行為が、あたかも貯水池から湧きでてくるように、そこから湧きでてくる心的状態とも呼べようものを探し求め(そして見つけ出してしまう)病気である。例えば、「流行が変わるのは、人の趣味が変わるためである」、と言う。趣味が心的な貯水池なのだ。しかし、洋服屋が今日、服のカットを一年前のとは違うふうにデザインする場合、彼の趣味の変化と呼ばれるものは実は、そのデザインをするというそのこと、またはそれを一部として含んでいるものであってはならないのか。
(『ウィトゲンシュタイン全集6 青色本・茶色本 他』大修館書店、230ページ)
人々が以前とは異なったデザインの服を着るようになった事態を「趣味が変わった」と言うことがある。しかし、「趣味」という「心的状態」が変わったから、着る服が変わったのか。「流行が変わる」のは「趣味」という「心的な貯水池」が変わるからなのか。
違う。人々が着ている服のデザインが変わったのを見て、「趣味が変わった」と言っているだけなのである。着る服が変わったこと知る以外に「趣味が変わった」ことを知る方法はない。これは「後づけの理由」に過ぎない。
大阪の女子高生と東京の女子高生は着ている服のデザインが違う。大阪の女子高生はロングスカートで、東京の女子高生はミニスカートである。
これは大阪と東京で「趣味」が違うからなのか。何らかの「心的状態」の違いが理由なのか。
確かに、両者とも自分の意図(心的状態)が行動の理由だと思っていた。スカートの長さを決める理由だと思っていた。例えば、大阪の女子高生は「防寒」「日焼け防止」という意図がスカートを長くする行動の理由だと思っていた。
しかし、このような意図は行動の理由ではない。大阪の女子高生が東京に引っ越せば、周りの長さに合わせてスカートを短くするだろう。前回の文章で詳しく説明した通りである。
いじめをした子供がその理由を述べることがある。自分の意図を述べることがある。しかし、これも「後づけの理由」に過ぎない。いじめっ子本人が述べる意図も「後づけの理由」なのである。
実例を見てみよう。
私にはいじめをした体験があります。なぜ、人をいじめたのか、私なりの説明を試みたい。
だいたい、いじめられる子って、いつもオドオドしているでしょう。上目使いに人を見てさ。そんな〝姿〟を見てるだけで、非常にむかつく! 〝一発、いじめてやっか〟という気分にさせる子ばっかりなんですよ。
それと、私たち子どもって、勉強、受験のストレスがびっしりとたまってるでょ。なのに、ストレスの発散場所、方法がない。そういう意味で、いじめって手軽なストレス発散方法なんです。
そんな環境がつづく限り、いじめは絶対になくなりませんよ。ずっとつづきますよ。 (13歳・女性)
(土屋守監修『ジャンプ いじめリポート』集英社、201ページ)
もちろん、この「説明」も「後づけの理由」である。
このいじめっ子は言う。「いじめられる子って、いつもオドオドしている」
自分をいじめる相手の前で「オドオド」するのは当然である。別の相手の前ではのびのびしているかもしれない。自分が「オドオド」させているのを相手のせいにしている可能性がある。また、いじめの結果「オドオド」したのを、いじめのきっかけと勘違いしている可能性がある。
また、いじめっ子は言う。「勉強、受験のストレスがびっしりとたまってる」
「受験のストレス」が理由ならば、受験前の三年生の方がいじめが増えるはずである。そのような事実があるのか。
さらに、「オドオド」している者をいじめない者も多い。「受験のストレス」があってもいじめない者も多い。
これらの事実から次のことが分かる。このいじめっ子も、自分が「なぜ、人をいじめたのか」を知らない。私達と同じように、「第三者」として「なぜ、人をいじめたのか」を考えているのである。そして、「後づけの理由」を発見してしまったのである。
思い出していただきたい。大阪の女子高生はスカートを長くする理由を「防寒」と述べていた。「防寒」はもっともらしい理由である。しかし、「防寒」は「後づけの理由」に過ぎなかった。
いじめっ子がいじめをする理由を「受験のストレス」と述べるのも、これと同様である。「受験のストレス」はもっともらしい理由である。しかし、「受験のストレス」は「後づけの理由」に過ぎない。
そのような意図(心的状態)がいじめ行動を引き起こしたのではない。それは、「防寒」という意図がスカートの長さを決めていなかったのと同様である。
いじめ行動をおこなった後に、「受験のストレス」という意図によっていじめ行動を説明しているだけなのである。「心的状態」による行動の説明は、「後づけの理由」に過ぎないのである。