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【いじめ論27】〈情報の非対称性〉によって、いじめが発生する

 いじめは社会的ジレンマである。しかし、いじめは一般的な社会的ジレンマではない。いじめには特殊な傾向がある。どのような特殊性があるのか。まず、それをはっきりさせよう。
 そのために、いじめとクールビズ問題とを比べる。クールビズ問題は一般的な社会的ジレンマである。一般的な社会的ジレンマと比較すると、いじめの特殊性が分かりやすくなる。
 クールビズ問題においては協力・非協力が一目で分かる。その人がネクタイを締めていれば、クールビズに非協力である。締めていなければ協力である。ネクタイを締めているか、いないかは一目で分かる。それによって、クールビズに非協力か、協力かが一目で分かる。つまり、協力者の割合は一目で分かる。
 それに対して、いじめにおいては協力・非協力が一目で分からない。いじめをしている者がいたとする。もちろん、いじめをしている者はいじめに賛成の立場である。しかし、その他の大多数はどうなのか。多くの場合、大多数の者は何もしないであろう。この大多数の者はいじめに賛成の立場なのか。そうとは限らない。いじめに批判的である場合も多い。「いじめは悪い」と思っている場合も多い。しかし、それは他の者には分からない。いじめに対する賛否が一目では分からないのである。つまり、いじめにおいては協力者の割合が一目で分からない。いじめに対して批判的な者の割合は一目で分からない。
 誰かがいじめをしている行動は見える。しかし、いじめに批判的な内面の「思い」は見えない。いじめを扇動する声は聞こえる。しかし、いじめに批判的な内面の「声」は聞こえない。
 つまり、いじめ状況においては、いじめを容認する側の情報だけが伝わるのである。いじめに批判的な側の情報は伝わらないのである。「いじめは悪い」と思っている側の情報は伝わらないのである。
 まとめよう。


 クールビズ問題 → 協力者、非協力者の両方の情報が伝わる
 いじめ       → 非協力者の情報だけが伝わる


 クールビズ問題においては、クールビズに協力している側の情報も、協力していない側の情報も両方伝わる。しかし、いじめにおいては、協力していない側の情報だけが伝わる。
 いじめには、このような〈情報の非対称性〉がある。いじめを容認する側(非協力者)の情報しか伝わらないのである。「いじめは悪い」と思っている側(協力者)の情報は伝わらないのである。(注1)(注2)
 この〈情報の非対称性〉がいじめの特殊性である。いじめは特殊な社会的ジレンマなのである。
 いじめには〈情報の非対称性〉がある。この事実から、次の重要な原理を導き出すことが出来る。

 大多数の子供が「いじめは悪い」と思っている状況下でも、いじめは発生しうる。

 子供は不完全な情報を基に行動を「選択」している。いじめを容認する側の情報だけを基に行動を「選択」している。非協力者の情報だけを基に行動を「選択」している。
 いじめ行動だけが見える。いじめを容認する行動だけが見える。しかし、「いじめは悪い」と思っている内面は見えない。つまり、本当は「いじめは悪い」と思っている方が多数派であっても、それは分からない。傍観者が「いじめは悪い」と思っていても、それは見えない。
 このような状況下では、いじめを容認する側の割合が過大に見積もられる。現実において見えているのは、いじめ行動がおこなわれ、それを咎める者がいない状況である。その状況では、子供はいじめが容認されていると判断するだろう。何もしない傍観者は、いじめを容認する側にカウントされるだろう。
 このような不完全な情報を基に行動を「選択」すれば、偏りが出る。いじめを容認する側の情報を基に行動を「選択」すれば、いじめを容認する「選択」をすることになる。非協力を「選択」することになる。
 だから、集団内の大多数の子供が「いじめは悪い」と思っていても、いじめは発生しうる。「いじめは悪い」と思っている多数派の「思い」は見えず、いじめ行動だけが見えるのだから。
 このような構造によって、いじめが発生する。それは情報が不完全だからである。一方の情報だけが入るからである。その情報を基に行動を「選択」しているからである。
 〈情報の非対称性〉によって、いじめが発生するのである。


(注1)

 もちろん、いじめを止めようとする者がいれば、それは見える。協力者の情報は伝わる。
 しかし、そのような行動をしない状態では、「いじめは悪い」と思っている事実は伝わらない。協力者の情報は伝わらない。


(注2)

 先の論文で小川幸男氏は次のように述べている。

 「暴力」や「いじめ」をしないという行為が意識されずに、「暴力」や「いじめ」をするという行為のみ意識されるため、少数の非協力者が「暴力」や「いじめ」の行為をしただけで、実際よりも多くの者が「暴力」や「いじめ」の行為を感じとってしまう。そのことが、非協力状態が広がりやすくなる原因となっている。

 小川幸男氏は、これを「一面性のできごと」という用語で説明している。


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2015年10月23日 23:38に投稿されたエントリーのページです。

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