注目していただきたい事実がある。それは「いじめの〈発生のメカニズム〉」を説明するために心的な用語を全く使っていない事実である。「いじめの解決が難しい理由」「いじめの予防」を論ずるために心的な用語を全く使っていない事実である。「心」「道徳意識」などの用語を全く使っていない事実である。
この連載の最初で、私は次のように述べた。
いじめについて広く信じられている考えがある。それは「悪い心がいじめを引き起こす」という考えである。「悪い道徳的意識がいじめを引き起こす」という考えである。
この考えはあまりにも一般的すぎて、教育界で疑われることはなかった。その考えを信じている者も、特定の考えを「信じている」と自覚すらしていないだろう。……〔略〕……
この考えは、広く信じられている。いじめは心・道徳意識の問題であるという考えは、多くの人が信じ、疑いすらしない考えなのである。
しかし、この一般的な考えは、正しいのだろうか。いや、正しくない。……〔略〕……
いじめが、心・道徳意識の問題であるという考えは間違っているのだ。それは部分的な間違いではない。根本的な間違いである。
だから、「悪い心がいじめを引き起こす」・「悪い道徳的意識がいじめを引き起こす」という考えは、全く別の考えに変えなくてはならない。
ここまでの論述で「全く別の考え」を示した。
それは〈いじめは社会的ジレンマである〉という考えである。
いじめを止めるのは危険である。それは、自分がいじめのターゲットになるかもしれないからである。だから、個人としてはいじめを傍観する方が得である。しかし、全員が傍観していじめが横行する学級になっては全員が損をする。
一人ひとりが個人として得な「選択」した結果、全体としては全員が損をする状態になってしまう。これが社会的ジレンマである。
いじめを社会的ジレンマと捉え、詳しく説明した。いじめを社会的ジレンマの〈発生メカニズム〉の理論モデルで説明した。いわゆる「臨界質量」の理論モデルで説明した。
概略をもう一度述べよう。
協力者の数が臨界点(図3のA点)以下の場合は、次のような悪循環に陥る。
悪循環 45%協力 → 35%協力 → 22%協力 → 7%協力
45%しか協力していないのを見て10%が非協力に転ずる。それを見て11%が非協力に転ずる。最終的には7%しか協力しない状態になる。
いじめとはこのような状態である。7%しか協力していない状態である。
この状態を変えるのは難しい。なぜか。それはお互い影響を与え合って陥った状態だからである。
もし、協力者を35%に増やしたとしても、また同じ原理で7%に戻ってしまう。7%は安定した状態なのである。
だから、いじめ状態の解決は難しい。いじめの解決のためには臨界点を超える協力者が必要になる。7%の協力者を過半数以上に増やさなくてはならない。
そのようにいじめの解決は難しいのだから、予防が重要になる。予防とは臨界点以上に協力者を維持することである。逆に言えば、非協力者(いじめを傍観する者)を一定数以上に増やさないことである。協力者を一定数以上に増やすことである。図3のA点以上に増やすことである。
ある一定数以上に協力者を維持することが大切である。いじめ状態に陥ることを予防するためには、傍観者を増やさないことが大切である。いじめ行動を起こさせないことが大切である。
私は、既に次のようなスローガンを掲げていた。
いじめの原因は心ではない。
いじめの原因はいじめである。
より正確言えば、いじめ状態の「原因」はいじめ行動の発生である。いじめは周りの人間の行動を環境として生じる状態である。いじめは社会的ジレンマである。
そう考えるから、いじめ予防のイメージがわく。いじめ対策のイメージがわく。それは、過半数以上に協力者を増やすというイメージである。A点以下にしてはまずいというイメージである。
そのようなイメージは、いじめを「心」「道徳意識」の問題と考えていては出てこない。
先の引用に続いて私は次のように述べていた。
間違ったいじめ観を基にしていては、有効ないじめ対策を作ることは出来ない。間違ったいじめ観は、歪んだ基礎のようなものである。歪んでいるので、その上に建物を建てることは出来ない。建てようとすると倒れてしまう。
有効な対策のためには、正しいいじめ観が必要である。
つまり、いじめ観のパラダイム転換が必要なのである。
以下の論述で私がおこないたいのは、そのようなパラダイム変換である。いじめを捉える枠組み自体を変えることである。いじめを心・道徳意識の問題と捉える枠組みに代わる新しい枠組みを提供することである。
ここまでの論述で、「いじめ観のパラダイム転換」をおこなった。「間違ったいじめ観」を正した。「新しい枠組みを提供」した。
それによって、「いじめ対策を作る」ことが出来るようになった。「建物を建てる」ことが出来るようになった。
どのように「建物を建てる」のか。
今後、詳しく論じていく。