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2016年01月 アーカイブ

2016年01月22日

【いじめ論33】反いじめ行動を発生させることによって、いじめを抑止する

 顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。行動は見える。しかし、内面の「思い」は見えない。〈情報の非対称性〉があるのである。
 だから、いじめ行動が放置されれば、〈いじめ容認派〉が多数派に見える。いじめ行動が目立って見えるからである。多くの生徒が「いじめは悪い」と思っていたとしても、〈いじめ容認派〉が多数派に見える。内面の「思い」は見えないからである。
 顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。そのようなバイアスがある。
 このバイアスに対処する方法として次の二つを挙げた。

 1 いじめ行動を発生させない。
 2 反いじめ行動を発生させる。

 行動のレベルで変化を起こすのである。
 既に、1については説明した。いじめ行動の発生を適切に抑制すれば、バイアスの悪影響は防止できる。いじめ行動が抑制されれば、当然〈いじめ容認派〉が多数派には見えない。
 以下、2を説明する。これは1と逆の発想である。顕在的な行動が大きな影響を与えるのならば、反いじめ行動を顕在化させてしまえばよい。反いじめ行動を発生させることが、集団によい影響を与える。反いじめ行動を顕在化すれば、〈いじめ否定派〉が多数派に見える。
 実は、初期値においては、多くの学級で〈いじめ否定派〉が多数派なのである。だから、それを顕在化させればよいのである。行動の形にすればよいのである。
 次の小川幸男氏の実践を見ていただきたい。反いじめ行動を発生させる実践である。「いじめや暴力をしない」ことを生徒に宣言させるのである。(注1)


 できれば入学した当初に、生徒の思いを吸い上げる形で「決意文」「宣言文」を作らせる。そして、その「決意文」「宣言文」を集団で採択させる。
 教師が「いじめはやめよう」と思いを語るだけでは、余り効果はない。自分たちで決意をした形をつくることが重要である。
 他の生徒も「いじめや暴力をしないと宣言したこと」をお互いに確認しあうことが大きな目的である。だから、採択の際には挙手をする、起立をする、あるいは署名をするなど賛成したことが他の生徒にも見える形を必ずとる。……


 小川幸男氏は次のような「宣言文」を採択させた。
 生徒会として「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させた。(注2)


いじめ・暴力徹底追放宣言
            ―いじめ・暴力をなくし、住みよい学校を!―

私達、生徒会の基本方針は「住みよい学校をつくることです。私達生徒一人ひとりは、 誰もが「楽しい学校生活を送る権利」を持っています。 この「権〔原文のママ〕を侵害することは誰にもできません。
 しかし、“いじめ”や“暴力”という行為は、この「権利」を侵害するものです。これはいじめられた人の身になって考えれば、よく分かることだと思います。
ですから、“いじめ”や“暴力”を許してしまっては「住みよい学校をつくる」ことはできません。だからこそ、私達生徒は一人ひとりを互いに大切にし合い、「住みよい学校をつくる」ため、“いじめ”や“暴力”を徹底的に追放しなければなりません。
 よって、Y中学校生徒会は次の事を宣言します。
1 どんな理由があっても、“いじめ”・“暴力”を許さない学校をつくっていこう。
2 不正なことには、「やめよう」と言おう。
3 問題が起こった時は“暴力”・“力関係”で解決せず、クラスで討議し、自分達の力で解決していこう。

                 平成6年1月29日
                  Y中学校生徒会


 このような「いじめ・暴力徹底追放宣言」の採決は有効である。
 いじめに反対する宣言を生徒自身が採択したのである。挙手・起立・署名などの行動が「他の生徒に見える形」で採択したのである。
 これは反いじめ行動である。生徒集団はいじめに反対している。その事実を行動の形で顕在化したのである。
 反いじめ行動を発生させることは重要である。反いじめ行動を発生させることには次のような効果がある。

 〈いじめ否定派〉が多数派であることを見せる。

 いじめに反対する宣言が挙手・起立・署名など「他の生徒に見える形」で採択された。集団の大多数がいじめに反対している事実が示されたのである。
 通常、「いじめは悪い」という内面の「思い」は、行動として顕在化することはない。いじめを傍観する傍観者が大多数を占めるからである。しかし、宣言を採択する形式を取ることで、反いじめ行動が顕在化したのである。
 反いじめ行動が見えるようになった。それによって、学級の大多数が〈いじめ否定派〉にカウントされるようになる。〈いじめ否定派〉と見なされるようになる。生徒は「〈いじめ否定派〉が多数派である」と感じるだろう。
 このような宣言が採択されては、いじめをするのは困難である。
 いじめは社会的ジレンマ現象である。いじめる者は、自分たちの行動が集団に容認されていると感じるからいじめをおこうなうのである。それが、実際は少数派だったらどうだろうか。集団に容認されていないことが分かったらどうだろうか。いじめを続けるのは難しいだろう。
 〈いじめ否定派〉が多数を占める中では、いじめをおこなうのは困難である。だから、〈いじめ否定派〉が多数派であるという事実を見えるようにすることが重要である。
 「いじめや暴力をしない」という宣言を採択することによって、〈いじめ容認派〉が多数派に見えるバイアスに対処することが出来た。顕在的な行動が集団に与える影響が大きいというバイアスに対処することが出来た。〈情報の非対称性〉に対処することが出来た。
 反いじめ行動を発生させることによって、いじめを抑止できたのである。


(注1)

  小川幸男「社会的アプローチによる世論づくり」『楽しい学級経営』明治図書、1994年10月


(注2)

  明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法」『千葉大学教育学部研究紀要』第45巻 、1997年


2016年01月29日

【いじめ論34】反いじめ行動の顕在化が協力者を雪崩れ的に増やす

 生徒会が「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択する。挙手・起立・署名など「他の生徒に見える形」で採択する。
 このような宣言が採択されては、いじめをおこなうのは困難である。集団の大多数がいじめに反対を表明しているのである。その状態で、いじめをおこなうのはとても困難である。
 なぜ、困難なのか。それはいじめが社会的ジレンマだからである。
 もう一度、図3を見ていただきたい。
 
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 協力者の初期値がA点以上ならば、好循環が起きる。協力者が増えることによって、さらに協力者が増える。そして、最終的にはC点まで協力者が増える。
 逆に、A点以下ならば、悪循環が起きる。協力者が減ることによって、さらに協力者が減る。そして、最終的にはB点まで協力者が減る。
 最初の小さな違いが、最終的には大きな違いになる。それは、他人の行動を見て自分の行動を決めるからである。社会的ジレンマだからである。
 だから、初期値が重要なのである。小川幸男氏は「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させた。「入学した当初」に採択させた。これによって、協力者の初期値はA点以上になる。協力者がA点以上なのだから、好循環が起きる。協力者はC点まで増える。雪崩れ的に落ち着いた状態になる。
 既に論じたように、いじめには協力者(いじめ否定派)の数が目に見える形では分からない構造がある。これは、いじめと掃除とを比べてみると分かる。掃除では、掃除をしている者が協力者である。掃除をしていない者が非協力者である。〈掃除をしてるか、していないか〉は見て分かる。掃除では、目で見える形で協力・非協力が分かる。行動の形で協力・非協力が分かる。
 しかし、いじめでは、目で見える形で協力・非協力が分からない。行動の形で協力・非協力が分からない。いじめでは、いじめをする者やいじめを止める者は少ない。行動をしている者は少ない。大多数の者が傍観者なのである。傍観者は行動をしていない。行動をしていないので、目で見える形で協力・非協力が分からない。
 つまり、いじめでは協力者の実数は分からない。「予測」するしかないのだ。だから、「協力者の予測数」が問題なのである。生徒がどう「予測」しているかが問題なのである。
 そして、この「予測」には特定のバイアスがかかっている。「協力者の予測数」は、少なく見積もられがちなのである。それは、いじめ行動だけが発生するからである。いじめている様子だけが見えるからである。いじめ行動が発生し、それが咎められていない。そのような状態では、集団内でいじめが認められているように感じられる。傍観者が「いじめを容認」しているように感じられる。
 このように、「協力者の予測数」は目に見える行動によって大きく左右される。いじめ行動が発生していれば、「協力者の予測数」は少なくなる。〈いじめ容認派〉が多く見積もられる。
 これが〈情報の非対称性〉である。顕在的な行動の影響が大きくなるバイアスである。内面で「いじめは許せない」という「思い」を持っていても、それは見えないのである。
 「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させる実践は、このバイアスの悪影響を防止するものであった。さらに、バイアスを逆に利用するものであった。小川幸男氏は反いじめ行動を発生させたのである。宣言文の採択という形で発生させたのである。(注)
 宣言文の採択によって、「いじめは許せない」という「思い」が顕在化した。行動の形になった。この行動によって、「協力者の予測数」は多くなる。〈いじめ否定派〉が多く見積もられる。他者の行動の「予測」が大きく変わる。
 宣言の採択によって、生徒は「みんなはいじめをしないであろう」と「予測」するようになる。この「予測」が自分の行動を変える。生徒はいじめ行動をしないようになる。もともと、多くの生徒は、いじめを「自発的」におこなう訳ではないのだ。他者の行動に合わせているだけなのだ。
 「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させる影響は大きい。反いじめ行動を起こす影響は大きい。それはいじめが社会的ジレンマであるからである。いじめに〈情報の非対称性〉があるからである。宣言の採択によって〈情報の非対称性〉の悪影響を防止できるからである。
 反いじめ行動の顕在化によって、協力者を雪崩れ的に増やすことが出来たのである。


(注)

 「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させる実践は以前からあった。
 しかし、小川幸男氏はいじめを社会的ジレンマと捉え、〈情報の非対称性〉に対処することを意図して実践をおこなったのである。A点以上に協力者を維持することを意図して実践をおこなったのである。この点で小川幸男氏の実践は新しい。
 また、いじめを社会的ジレンマと捉える論理は、小川幸男氏が既に次の論文で論じている。
 
  明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法」『千葉大学教育学部研究紀要』第45巻 、1997年
 
 もちろん、私は小川幸男氏の論文を引用して論じている。しかし、長い文章の複数箇所に引用が分かれているので、解りにくくなっている。
 だから、この事実を特に注記しておく。


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