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【いじめ論34】反いじめ行動の顕在化が協力者を雪崩れ的に増やす

 生徒会が「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択する。挙手・起立・署名など「他の生徒に見える形」で採択する。
 このような宣言が採択されては、いじめをおこなうのは困難である。集団の大多数がいじめに反対を表明しているのである。その状態で、いじめをおこなうのはとても困難である。
 なぜ、困難なのか。それはいじめが社会的ジレンマだからである。
 もう一度、図3を見ていただきたい。
 
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 協力者の初期値がA点以上ならば、好循環が起きる。協力者が増えることによって、さらに協力者が増える。そして、最終的にはC点まで協力者が増える。
 逆に、A点以下ならば、悪循環が起きる。協力者が減ることによって、さらに協力者が減る。そして、最終的にはB点まで協力者が減る。
 最初の小さな違いが、最終的には大きな違いになる。それは、他人の行動を見て自分の行動を決めるからである。社会的ジレンマだからである。
 だから、初期値が重要なのである。小川幸男氏は「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させた。「入学した当初」に採択させた。これによって、協力者の初期値はA点以上になる。協力者がA点以上なのだから、好循環が起きる。協力者はC点まで増える。雪崩れ的に落ち着いた状態になる。
 既に論じたように、いじめには協力者(いじめ否定派)の数が目に見える形では分からない構造がある。これは、いじめと掃除とを比べてみると分かる。掃除では、掃除をしている者が協力者である。掃除をしていない者が非協力者である。〈掃除をしてるか、していないか〉は見て分かる。掃除では、目で見える形で協力・非協力が分かる。行動の形で協力・非協力が分かる。
 しかし、いじめでは、目で見える形で協力・非協力が分からない。行動の形で協力・非協力が分からない。いじめでは、いじめをする者やいじめを止める者は少ない。行動をしている者は少ない。大多数の者が傍観者なのである。傍観者は行動をしていない。行動をしていないので、目で見える形で協力・非協力が分からない。
 つまり、いじめでは協力者の実数は分からない。「予測」するしかないのだ。だから、「協力者の予測数」が問題なのである。生徒がどう「予測」しているかが問題なのである。
 そして、この「予測」には特定のバイアスがかかっている。「協力者の予測数」は、少なく見積もられがちなのである。それは、いじめ行動だけが発生するからである。いじめている様子だけが見えるからである。いじめ行動が発生し、それが咎められていない。そのような状態では、集団内でいじめが認められているように感じられる。傍観者が「いじめを容認」しているように感じられる。
 このように、「協力者の予測数」は目に見える行動によって大きく左右される。いじめ行動が発生していれば、「協力者の予測数」は少なくなる。〈いじめ容認派〉が多く見積もられる。
 これが〈情報の非対称性〉である。顕在的な行動の影響が大きくなるバイアスである。内面で「いじめは許せない」という「思い」を持っていても、それは見えないのである。
 「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させる実践は、このバイアスの悪影響を防止するものであった。さらに、バイアスを逆に利用するものであった。小川幸男氏は反いじめ行動を発生させたのである。宣言文の採択という形で発生させたのである。(注)
 宣言文の採択によって、「いじめは許せない」という「思い」が顕在化した。行動の形になった。この行動によって、「協力者の予測数」は多くなる。〈いじめ否定派〉が多く見積もられる。他者の行動の「予測」が大きく変わる。
 宣言の採択によって、生徒は「みんなはいじめをしないであろう」と「予測」するようになる。この「予測」が自分の行動を変える。生徒はいじめ行動をしないようになる。もともと、多くの生徒は、いじめを「自発的」におこなう訳ではないのだ。他者の行動に合わせているだけなのだ。
 「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させる影響は大きい。反いじめ行動を起こす影響は大きい。それはいじめが社会的ジレンマであるからである。いじめに〈情報の非対称性〉があるからである。宣言の採択によって〈情報の非対称性〉の悪影響を防止できるからである。
 反いじめ行動の顕在化によって、協力者を雪崩れ的に増やすことが出来たのである。


(注)

 「いじめ・暴力徹底追放宣言」を採択させる実践は以前からあった。
 しかし、小川幸男氏はいじめを社会的ジレンマと捉え、〈情報の非対称性〉に対処することを意図して実践をおこなったのである。A点以上に協力者を維持することを意図して実践をおこなったのである。この点で小川幸男氏の実践は新しい。
 また、いじめを社会的ジレンマと捉える論理は、小川幸男氏が既に次の論文で論じている。
 
  明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法」『千葉大学教育学部研究紀要』第45巻 、1997年
 
 もちろん、私は小川幸男氏の論文を引用して論じている。しかし、長い文章の複数箇所に引用が分かれているので、解りにくくなっている。
 だから、この事実を特に注記しておく。


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2016年01月29日 23:26に投稿されたエントリーのページです。

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