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【いじめ論35】いじめを知っていたにも関わらず教師は解決できなかった

 顕在的な行動が集団に大きな影響を与える。それは、行動だけが意識されるという〈情報の非対称性〉があるからである。このようなバイアスに対処する方法として次の二つを挙げた。

 1 いじめ行動を発生させない。
 2 反いじめ行動を発生させる。

 前回までで、この二つを詳しく説明した。
 この論述は、読者の皆さんにはあまりにも「当たり前のこと」に思えたかもしれない。
 しかし、その「当たり前のこと」が当たり前になっていないのである。
 例えば、大津市のいじめ自殺事件を受けて、平野博文文部科学大臣(当時)は次のように言う。

 いじめが背景事情として認められる生徒の自殺事案が発生していることは大変遺憾です。子どもの生命を守り、このような痛ましい事案が二度と発生することのないよう、学校・教育委員会・国などの教育関係者が担うべき責務をいまいちど確認したいと思います。
 いじめは決して許されないことですが、どの学校でもどの子どもにも起こりうるものであり、その兆候をいち早く把握し、迅速に対応しなければなりません。文部科学省からの通知等の趣旨をよく理解のうえ、平素より、万が一の緊急時の対応に備えてください。(注1)

 平野大臣は「その兆候をいち早く把握し」と言う。「兆候」の「把握」を強調する。これは〈いじめの「兆候」を「把握」できなかったから、対応できなかった〉という「いじめの兆候」論である。(注2)
 しかし、大津市のいじめ自殺事件の実体はそのようなものではない。既に分かっていたいじめを解決できなかったのである。教師がいじめ行動を適切に抑制できなかったのである。
 第三者調査委員会の調査報告書には次のようにある。

 ア担任は.複数回,AがBから暴行を受けている場面を見ており.その度にBを制止しているし.クラスの生徒から「いじめちゃうん。」という言葉を聞いたり.Aがいじめられているので何とかして欲しいという訴えも聴いている。また,Aが.Bから暴行を受けたことについては.養護教諭をはじめとして他の教員から担任に報告か入っている。そして.担任自身も10月3日に養護教諭からBがAを殴ったことの報告を受けた際.「とうとうやりましたか。」と発言している……(注3)

 担任は「暴行を受けている現場を見て」いた。「いじめられているので何とかして欲しい」と生徒からの訴えを受けていた。「兆候」どころか、教師はいじめの明白な事実を知ってた。知っていたにも関わらず、解決できなかった。
 いじめ行動を適切に抑制できなかったのである。
 別の事例を見てみよう。鹿川裕史君が自殺した事件である。

 担任はトイレに捨てられていた裕史くんのスニーカーを洗ってやりながら、「ぼくにできるのこれだけだ」と言った。
 教師でも「バリケード遊び」〔椅子や机を積み上げ人を閉じこめる「遊び」〕をやられて泣きそうになるものもいた。担任もBに殴られて肋骨を痛めたことがあった。それから生徒になめられる。授業中に乱闘騒ぎがあっても知らんふりをしていた。(注4)

 教師は鹿川君がいじめられていることを知っている。スニーカーがトイレに捨てられていたことを知っている。洗いながら「ぼくにできるのはこれだけだ」と言ったのである。
 つまり、教師は知っていたにも関わらず、いじめを解決できなかった。教師自身が「殴られて肋骨を痛め」ても適切な手が打てない。「授業中に乱闘騒ぎがあ」っても止めることが出来ない。(注5)
 いじめ行動を適切に抑制できなかったのである。
 このように、知っていたにも関わらず、いじめを解決できなかった例は多い。
 深谷和子氏の調査では次のような結果が出ている。

 小学校でも中学校でも、「担任は『いじめ』を知っていた」とする者が三分の一、「たぶん知っていた」とする者を合わせると、八割を越える者が「担任はいじめを知っていた」と答えている。担任の知らない「いじめ」は一五%前後であり、「いじめ」は見えにくいと言っても、クラス内の「いじめ」の大半は担任の視野に入るものだ、ということになる。(注6)

 「八割を越える者が『担任はいじめを知っていた』と答えている」のである。
 教師はいじめを知っていた。しかし、それを解決できなかった。いじめ行動を適切に抑制できなかった。そのような事例が多くある。
 それにも関わらず、文部科学省は「兆候」の「把握」を強調する。〈いじめを知っていたにも関わらず、解決できなかった〉という事実は「無視」される。
 やはり、いじめ論において、「当たり前の考え」は当たり前になっていない。
 もう一度、述べる。いじめ行動を発生させないことが重要である。反いじめ行動を発生させることが重要である。それはいじめが集団の問題だからである。心の問題では無いからである。
 この「当たり前の考え」が当たり前になっていない。中核的な問題だと意識されていない。だから、詳しく論ずる必要があったのである。


(注1)

 「すべての学校・教育委員会関係者の皆様へ[文部科学大臣談話]」平成24年7月13日

(注2)

 「いじめの兆候を把握できなかった」は虚偽の論法
  http://shonowaki.com/2015/03/post_121.html

(注3)

 大津市立中学校におけるいじめに対する第三者調査委員会『調査報告書』

(注4)

 武田さち子『あなたは子どもの心と命を守れますか!』WAVE出版、2004年、21~22ページ

(注5)

 「無法地帯」では、いじめが多発する
  http://shonowaki.com/2015/05/post_119.html

(注6)

 深谷和子『「いじめ世界」の子どもたち』金子書房、1996年、40ページ


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2016年02月05日 23:48に投稿されたエントリーのページです。

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