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【いじめ論37】子供集団の影響力を使って、いじめ行動を抑制する

 教師がいくら言っても、女子校生はミニスカートを着るのをやめない。
 教師に従うことより、仲間集団に従うことの方が重要なのである。一人だけミニスカートを着るのをやめては「浮」いてしまう。集団内での位置を失ってしまう。
 いじめも同様である。子供は教師ではなく子供集団に従う。
 いじめは社会的ジレンマなのである。社会的ジレンマであるいじめ状況を発生させないためには、次の二点が重要である。既に詳しく説明した通りである。

 1 いじめ行動を発生させない。
 2 反いじめ行動を発生させる。

 いじめ行動を発生させないことが重要である。発生したいじめ行動は適切に抑制することが重要である。しかし、いじめ行動を抑制できていない例が多い。
 なぜ、抑制できないのか。
 それは「教師が抑制しようとしている」からである。より正確に言えば、「教師が一人で抑制しようとしている」と子供が「解釈」しているからである。子供にとって、教師は「意味のある他者」ではない。
 子供は教師ではなく子供集団に従う。教師に従うことより、子供集団に従うことの方が重要なのである。だから、教師に従って、一人だけでいじめ行動をやめる訳にはいかない。それでは、一人だけ「浮」いてしまう。集団内での位置を失ってしまう。
 だから、いじめの抑制のためには、「子供集団がいじめに反対している」と子供が「思う」ことが重要である。そう「思う」から子供はいじめ行動をやめるのである。
 つまり、2によって1が容易になる。「反いじめ行動が発生」していると「いじめ行動の抑制」が容易になる。子供が反いじめ行動を起こしている事実が、教師の指導の「解釈」を変えるのである。
 例えば、先に示した「いじめ・暴力徹底追放宣言」の採択である。(注1)

いじめ・暴力徹底追放宣言
            ―いじめ・暴力をなくし、住みよい学校を!―

私達、生徒会の基本方針は「住みよい学校をつくることです。私達生徒一人ひとりは、 誰もが「楽しい学校生活を送る権利」を持っています。 この「権〔原文のママ〕を侵害することは誰にもできません。
 しかし、“いじめ”や“暴力”という行為は、この「権利」を侵害するものです。これはいじめられた人の身になって考えれば、よく分かることだと思います。
ですから、“いじめ”や“暴力”を許してしまっては「住みよい学校をつくる」ことはできません。だからこそ、私達生徒は一人ひとりを互いに大切にし合い、「住みよい学校をつくる」ため、“いじめ”や“暴力”を徹底的に追放しなければなりません。
 よって、Y中学校生徒会は次の事を宣言します。
1 どんな理由があっても、“いじめ”・“暴力”を許さない学校をつくっていこう。
2 不正なことには、「やめよう」と言おう。
3 問題が起こった時は“暴力”・“力関係”で解決せず、クラスで討議し、自分達の力で解決していこう。

                 平成6年1月29日
                  Y中学校生徒会

 この「いじめ・暴力徹底追放宣言」は反いじめ行動である。生徒集団がいじめに反対している事実を行動の形で示したのである。
 このような反いじめ行動が発生していれば、いじめ行動を抑制しようとする教師の指導は「子供集団の意思」と「解釈」される。「子供集団の意思」だと「解釈」するから、子供は従う。
 だから、子供が「いじめ・暴力徹底追放宣言」をしている状況では、教師によるいじめ行動の抑制は容易である。「いじめ・暴力徹底追放宣言」は「子供集団の意思」である。教師はそれに従うように子供を促すだけでよい。
 つまり、いじめ行動の抑制に成功した事例は次のような構造になっている。

 子供集団(教師) → 子供

 それに対して、いじめ行動の抑制に失敗した事例は次のような構造になっている。

 教師 → 子供集団

 教師 対 子供集団という構造になっている。例えば、先の野口良子氏の事例は、教師一人が子供集団と戦う構造になっている。(注2)
 これではいじめ行動の抑制は成功しない。教師と子供集団が対立した場合、子供は子供集団に従うのである。
 例えば、向山洋一氏は同様の場面で次のように指導する。(注3)

 私はクラス全員に聞きます。クラス全員を教師の側につけることは大切です。

 みんな聞いたでしょう。○○君は、何となく机を離したそうです。先生は違うと思ってます。○○君は、何となく机を離したと思う人は手をあげてごらんなさい。

 子供たちは手をあげません。あげても一人か二人でしょう。
 私は言います。

 ○○君。みんなは君の言うことがおかしいって。先生もおかしいと思う。
 どうして机を離したのですか。

 教師が「何となく机を離した」という答えを否定しているのではない。子供集団が否定しているのだ。「子供集団の意思」なのだ。教師はそれをはっきりさせただけである。
 向山洋一氏は「クラス全員を教師の側につけることは大切です」と言う。いじめ行動の抑制において、意図的に子供集団を味方につけているのである。
 子供集団が反いじめの「意思」を示している。反いじめ行動を起こしている。そのような状況下で、教師はいじめ行動の抑制に成功することが出来る。
 だから、1のためにも2が重要になる。子供集団が反いじめ行動を起こすことが重要になる。
 つまり、子供の行動を変えるためには子供集団を変えることが重要になる。子供集団を変えることによって、子供の行動を変えるのである。子供集団が反いじめ行動を起こしているという状況下で、教師による指導が可能になる。いじめ行動の抑制が可能になる。
 子供集団の影響力を使って、いじめ行動を抑制するのである。


(注1)

 明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法」『千葉大学教育学部研究紀要』第45巻 、1997年

(注2)

 熱血教師が「いじめは絶対に許されない」と言っても効果は無かった
  http://shonowaki.com/2015/02/post_116.html

(注3)

 向山洋一『いじめの構造を破壊せよ』明治図書、1991年、39~40ページ
 なお、原文では囲みの部分を段下げで表記した。


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2016年02月19日 23:51に投稿されたエントリーのページです。

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