教師が「いじめは人間として絶対に許されない行為だ」などと言う。道徳の授業で語る。しかし、それに子供は従わないだろう。
それは、クールビズを提唱した政府に会社員が従わなかったのと同じである。会社員は自分だけネクタイを外す訳にはいかなかった。政府の呼びかけに集団の成員全員が従うならばネクタイを外すことが出来る。しかし、政府の呼びかけにそのようなものすごい影響力があるとは思えない。それならば、ネクタイは外さない方が安全である。
同様に、教師が「いじめは人間として絶対に許されない行為だ」などと言っても、子供はその言葉に従わないだろう。子供も自分だけいじめをやめる訳にはいかない。いじめを容認するのをやめる訳にはいかない。
教師の言葉でみんながいじめをやめるか。それが問題なのだ。みんながやめるならば、やめられる。しかし、みんながいじめをやめない状態で、自分だけやめるのは危険である。
いじめは社会的ジレンマである。みんながいじめをやめるならば、自分もやめられる。みんながいじめをやめないなら、自分もやめられない。
いじめを解決するためには他者の行動の「予測」が変わることが必要である。「いじめを全員がやめる」という予測を子供が持つことが必要である。
政府が呼びかけても解決しなかったクールビズ問題は「爆発」によって解決した。福島第一原発が爆発し、電力不足が深刻化したことによって解決した。
「爆発」が他者の行動の「予測」を変えた。「爆発」による深刻な電力不足によって、「みんながネクタイを外す」という「予測」が生じた。みんなが外すなら、自分も外せるのである。
それでは、いじめの場合の「爆発」とはどのような事態か。
「爆発」の例を挙げよう。
向山洋一氏の実践である。
クラスで席がえをします。すると、ある女の子のとなりになった男の子を、まわりの子がはやしたてます。本人も、いやがります。
これは、クラスの男の子の間で、暗黙のうちに、時には公然と差別をされてきた女の子がいたということです。
これに近いことは、けっこう生じます。
注意深く見ていると見つかるものです。これをほうっておくと、その子から給食を受けとらないという事態にまで発展します。
このようなことは、小さなうちに教師がとりあげ、とりあえず毅然と対処することが必要となります。
これは、闘いです。闘いですから勝たなくてはなりません。
まずは、現象をとりあげます。○○君。となりの人と机を離してはいけません。つけなさい。
子供は、しぶしぶつけます。
ここから、「闘い」は始まります。……〔略〕……
○○君、どうして机を離したのですか。理由を聞かせて下さい。
毅然と言います。
こんなことを許してはならないという教師の気迫こそ大切です。
まわりの子はシーンとしてます。
しぶしぶ机をつけた男の子は、何も言いません。黙って下を向いています。(多くの場合、このようになります)○○君、どうしたのですか。理由を聞かせて下さい。
教師は、更に追いうちをかけます。
教室はシーンとなっています。……〔略〕……
男の子は黙っています。
絶対、中途にしてはいけないのです。○○君、どうしたのですか。そうですか。言わないのですか。では、言うまで聞きましょう。
このように言います。
……〔略〕……
ここらあたりで、多くの子は、べそをかきます。
べそをかいたら、一応はしおどきです。○○君。自分から、いけないことをしたと思っているのですね。
(○○君はうなずきます)
先生は、こんなことが大嫌いなのです。二度と言わないで下さい。こうやって、○○君から離れます。教室は少し、ほっとします。
が、二の矢がとびます。
さっき、野次をとばしていた△△君や××君をそのままにしてはおけません。
でも、この段階で、はやした全員をとりあげるのは考えものです。
中心になった、一人か二人をとりあげます。△△君、立ちなさい。あなたはさっき○○君をひやかしてました。あれは何のことですか?
前よりもっと教室は緊張します。△△君は黙っています。
もう一人くらい立たせます。××君。あなたはさっき○○君をひやかしていました。あれは何のことですか。
時には、とてもいいことを言う子も出ます。
「ごめんなさい。ぼくは悪いことをしました。もうしません」……〔略〕……
こういう子が一人出れば、他の子も次に続きます。
でも、多くは立ったままでしょう。
そんな時、教師は聞いてやります。△△君、あなたは良いことをしたのですか。
ふつうの子なら、がぶりをふります。
△△君、悪いことをしたのですね。
△△君は、頭をこくりとします。
そうしたら「もう二度としないで下さい」と言ってすわらせます。××君も同じにします。ここまでやって、更につけ加えます。○○君のことを、はやした人全員立ちなさい。
こんな時、みんな立つものです。
……〔略〕……
立った子は、短くしかります。
「正しいことをしたと思う人は手をあげてごらんなさい」
誰も手はあげません。
「先生は、こういうことが大嫌いです。今度やったら許さないですよ」
こう言ってすわらせます。(注)
(向山洋一『いじめの構造を破壊せよ』明治図書、1991年、29~38ページ)
教師はいじめを厳しく追及した。これは「爆発」である。
このような教師がいる学級でいじめをするのは「自殺行為」である。いじめをすれば、厳しく追及をされる。この状況下では、いじめをするのは著しく困難である。そのような困難を乗り越えて、いじめをする子供はほとんどいないだろう。
だから、子供は「みんながいじめをやめる」という「予測」を持つ。みんながいじめをやめるなら、いじめをやめることが出来る。教師の追及が「爆発」として機能したのだ。
この事例と対照的な事例を先に挙げた。
同様のいじめに対して、教師が説諭した事例である。
「君たち。君たちは、人を差別したり、いじめたりすることは、とっても悪いことだって知ってるネ」
「……」
「君たち、自分が、リカと同じようにされたらどんな気がする? 嬉しい? 学校へくるのが楽しくなる?……〔略〕……」
「……」
「……〔略〕……こんなふうに毎日毎日、リカをいじめている。このことの方が、二年や三年のツッパッてる子よりうんと悪い、ものすごく悪い、人間として許せないくらい悪い!! って思ってる。人間には、許せる誤ちと許せない誤ちってものがあるのよ。服装違反をしてることは許せても、人間をバカにする、いじめる、差別するってことは許せない。……〔略〕……」
http://shonowaki.com/2015/02/post_116.html
教師が話していて、子供は黙っているだけである。教師の話を黙って聞いていれば、それで済むのだ。楽なものだ。
これでは恐くない。「みんながいじめをやめる」という「予測」が生じない。みんながいじめをやめないなら、いじめをやめる訳にはいかない。
社会的ジレンマを解決するためには「爆発」が必要である。「大きな力」が必要である。教師の説諭はそのような「大きな力」にはならない。
この教師は言う。「いじめる、差別するってことは許せない」
「許せない」ならば、直ぐに「罰」を与えるべきである。いじめた者に苦しい思いをさせるべきである。
しかし、この教師は「許せない」と言うだけなのだ。いじめた者は「許せない」と言うのを聞くだけで済む。これでは、〈いじめをしても教師の説教を聞くだけで済む〉と教えているようなものである。〈いじめはたいしたことではない〉と教えているようなものである。〈人間として最低の行為をして説教されるだけ〉という構造が間違っているのだ。
この事例と向山洋一氏の事例を比べて欲しい。向山洋一氏の実践では、いじめをした子供が追及される。いじめをした子供が苦しい思いをする。
次のようにである。
○○君、どうしたのですか。そうですか。言わないのですか。では、言うまで聞きましょう。
原理的に、この追及は子供が「理由」を言うまで続く。
しかし、「理由」を言う訳にはいかないのだ。「理由」を言うとその内容をさらに追及される。隣の子供と机をつけない「理由」を正直に言ったら、怒られるに決まっている。だから、子供は黙るしかなくなる。子供は窮地に陥ったのだ。
さらに、傍観者(扇動者)も追及される。
△△君、立ちなさい。あなたはさっき○○君をひやかしてました。あれは何のことですか?
「ひやかし」がいけないのならば、学級の成員の多くが追及を受ける可能性がある。だから、「前よりもっと教室は緊張」するのだ。
重要なのは、その追及を学級の全員が見ている事実である。いじめをすると、教師に追及され窮地に陥る。さらに、傍観者(扇動者)も窮地に陥る。そして、その事実を学級の全員が見ている。
向山洋一氏は「いじめる、差別するってことは許せない」などと言わなかった。言葉では言わなかった。
向山洋一氏は子供を追及したのである。机をつけない「理由」を訊いたのである。「理由」を言うまで許さないという厳しい姿勢を見せたのである。つまり、行動で「いじめは許さない」姿勢を見せたのである。
この教師の行動が「爆発」として機能した。子供に「みんながいじめをやめる」という「予測」を持たせた。みんながいじめをやめるから、いじめをやめることが出来た。「爆発」によって、いじめが解決された。
「爆発」の一例を示した。社会的ジレンマを解決するためには「爆発」が必要である。「大きな力」が必要である。それは「いじめは許さない」と言うことではない。実際に「いじめは許さない」姿勢を見せることである。いじめが許されていない事実を見せることである。
(注)
次のように引用した文章の表記を変えた。
囲みを段下げにした。
これは、私のコンピューターで書籍通りの表記が出来なかったためである。