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哲学者のひらめき アーカイブ

2008年01月03日

「哲学者のひらめき」を始める

 新カテゴリー「哲学者のひらめき」(笑)を開設する。
 ここでは、ひらめき段階のものを発表する。精密な文章になる前の段階のものである。

 これは、いわばRFC(Request For Comments)である。インターネットでは、たたき台になる文章に「RFC」と注記して発表する文化がある。たたき台になる文章にコメントを求めるのである。
 ひらめき段階で発想を共有するのである。共有して、多くの人で検討するのである。

 この「哲学者のひらめき」がそのような機能を果たすことを望んでいる。

2008年01月04日

お前(法務大臣)は、既にロボットなのだ

 次のような報道があった。 

 鳩山邦夫法相は25日の閣議後会見で、死刑執行に関して「法務大臣が絡まなくても自動的に(執行が)進むような方法を考えたらどうかと思うことがある」と述べ、死刑執行に必要な法相のサインがなくても自動的に執行が行われるようなシステムをつくるべきとする考えを明らかにした。(『産経新聞』2007.9.25.)

 誠に奇妙な主張である。
 もう既に、法務大臣は自動ロボットなのである。「自動的に執行が行われる」「システム」なのだ。
 法務大臣には何の自由も無い。刑事訴訟法で「6箇月以内にこれをしなければならない」と決められているのだから。
 法務大臣機関説である。
 法務大臣ロボット説である。

                      諸野脇@ネット哲学者


● 「法務大臣に責任をおっかぶせない死刑執行を」鳩山法相
 (9月25日12時19分配信 産経新聞)

 鳩山邦夫法相は25日の閣議後会見で、死刑執行に関して「法務大臣が絡まなくても自動的に(執行が)進むような方法を考えたらどうかと思うことがある」と述べ、死刑執行に必要な法相のサインがなくても自動的に執行が行われるようなシステムをつくるべきとする考えを明らかにした。問題提起としたうえの発言で、法務省に検討は命じていないという。

 死刑執行については、刑事訴訟法475条で「法務大臣の命令による」と規定。さらに同法475条第2項は、執行は死刑判決の確定後6カ月以内に行わなければならないと定めているものの、実際は確定から執行まで数年かかるのが通例となっている。

 鳩山法相は法律の規定と死刑執行の現状との乖離(かいり)を指摘したうえで、「法務大臣に責任をおっかぶせるような形ではなく、半年以内に死刑執行されなければならないと自動的に進むような方法がないのかなと思う」と述べた。

  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070925-00000907-san-soci


● 刑事訴訟法

第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。

2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

死刑執行ロボット(法務大臣)に「責任」など無い

 法務大臣は死刑執行ロボットである。
 刑事訴訟法475条第2項で、六ヶ月以内に死刑執行の命令を下すように義務づけられているのである。
 しかし、鳩山邦夫法相は言う。

 法務大臣に責任をおっかぶせるような形ではなく、……〔略〕……(『産経新聞』2007.9.25.)
 
 鳩山邦夫氏は、法務大臣に「責任」があると考えている。
 しかし、それは間違いである。法務大臣に「責任」など無い。ロボットに「責任」など無い。
 現行法では、法務大臣は六ヶ月以内に命令を下すように義務づけられている。命令を下さないという選択肢は無い。つまり、法務大臣には選択の余地が無いのである。
 選択できないものに「責任」は無い。

 自分で選択できないものについて、「責任」を求められても困る。自分で選択できないロボットに「責任」など無いのである。
 
 鳩山邦夫氏の発言に対して、社民党の又市征治氏は言う。
 重大な使命を放棄する、あるまじき発言。(NIKKEI NET 2007.9.28.)
 
 「重大な使命」など無いのだ。
 ロボットなのだから。必ず署名することを義務づけられているのだから。
 法務大臣は死刑執行ロボットである。
 
 まず、この事実を確認しよう。
 多くの人がこの問題について発言している。しかし、その発言のほどんどが間違っている。
 それは、この事実を見落としているからだ。
 法務大臣のロボット性に気がついていないからだ。
 
                      諸野脇@ネット哲学者
 


● 死刑執行「自動的に」、法相発言に野党から批判
 (NIKKEI NET 2007.9.28.)
 
 鳩山邦夫法相が死刑執行を巡り「法相が絡まなくても自動的に進むような方法を考えたらどうか」とした発言に、野党から反発が相次いだ。民主党の簗瀬進参院国会対策委員長は28日の記者会見で「極めて無原則だ」と批判。社民党の又市征治幹事長も「重大な使命を放棄する、あるまじき発言。福田康夫首相の任命責任も含め、国会で追及しないといけない」と強調した。

 法相の兄である民主党の鳩山由紀夫幹事長は記者会見で「あの人と思い浮かべて(執行の)ボタンを押すようなことをしたくない、という弟の優しさから出ているのかもしれない」としつつ「軽率な部分もあった」と述べた。(20:01)

 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070928AT3S2801Y28092007.html


● 刑事訴訟法

第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。

2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

2008年01月06日

法治国家・三権分立の否定だと分からないのか

 法務大臣は六ヶ月以内に死刑執行の命令を下すように義務づけられている。しかし、現実には、7年半の時間がかかっている。極端な場合は、死刑囚が獄中で寿命まで生きることすらある。
 次の事実を確認してもらいたい。
 
 1 法律を守らせる立場の法務大臣が、法律を破っている。つまり、法治国家を否定している。
 2 司法で決定された判決を行政が変えている。つまり、三権分立を否定している。

 法務大臣が定められた期限を守っていない。つまり、法律を破っている。法律を守らせる立場の人間が自ら法律を破っている。これは、法治国家の根本を揺るがす大問題である。異常な状態である。これでは次のように考える者が出ても当然である。「法務大臣が法律を守らないんだから、法律は守らなくていいんだ。」
 死刑判決は司法が出したのである。それを法務大臣という行政の長が覆してしまっている。獄中で寿命まで生きた場合は、事実上、死刑を無期懲役に減刑したことになる。これは、三権分立の原則を否定する行為である。
 つまり、法務大臣は死刑について「責任」を感じてはいけないのである。「責任」を感じて「死刑を執行していいかどうか。」と考えること自体が三権分立の否定になるからである。裁判の判決を否定することになるからである。
 
 実は、私は、法務大臣が主義を持って行動することを認める。確信犯として、〈法務大臣という立場を占拠して、死刑の執行を意図的に止める〉という主義もあり得るだろう。
 しかし、主義は首尾一貫したものでなくてはならない。自分が何をしているかを知らずに、その行為をおこなうようではいけない。
 つまり、自分の行為が「法治国家を否定して、三権分立を否定してる」という事実を自覚しなくてはならない。
 また、主義を持ってした行為だということを公開できなければならない。「〈法治国家・三権分立より人命の方が大切だ〉という判断をして死刑執行を意図的に止めている。」と公の場で言い切らなくてはならない。
 主義には、首尾一貫性・公開性が必要なのである。そのような主義でなければ、大したものではない。尊重する必要はない。
 
                        諸野脇@ネット哲学者


2008年01月07日

死刑執行ロボット(法務大臣)を操作しているのは誰だ

 法務大臣は死刑執行ロボットである。
 ロボットには「責任」は無い。
 「責任」があるのは、ロボットを操作している者である。
 
 鉄人28号が東京タワーを破壊したとする。「責任」があるのは誰か。鉄人を操作している正太郎くんである。鉄人ではない。
 
 それでは、誰が、法務大臣を操作しているのか。
 次の法律によって、法務大臣は死刑執行ロボットにされている。

刑事訴訟法
第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。
 
 この法律を定めたのは立法府である。国会である。国会議員である。
 そして、この法律を変えることが出来るのも国会議員である。
 だから、まず「責任」があるのは国会議員である。
 
 さらに考えよう。
 その国会議員を選んでいるのは誰か。
 我々である。日本国民である。
 最終的には、「責任」は我々にある。
 
 法務大臣は死刑執行ロボットである。
 そして、そのロボットを操作してるのは我々なのである。
 
                         諸野脇@ネット哲学者

2008年02月09日

デイトレーダーは「バカで浮気で無責任」か

 デイトレーダーについて、経済産業省の北畑隆生事務次官が次のように述べた。

 経営にまったく関心がない。本当は競輪場か競馬場に行っていた人が、パソコンを使って証券市場に来た。最も堕落した株主の典型だ。バカで浮気で無責任というやつですから、会社の重要な議決権を与える必要はない。
 ● 経産次官「デイトレーダーはバカで無責任」 講演で発言 (asahi.com 2008.2.8.)

 デイトレーダーは「バカで浮気で無責任」なのか。
 経済産業省の次官が、このような観点でデイトレーダーを批判するのは適切か。
 適切ではない。
 デイトレーダーなしでは、経済も産業も成り立たないのだ。デイトレーダーは、経済・産業に必要不可欠なのである。
 なぜか。
 デイトレーダーは、市場に流動性を与えているのだ。

 長期投資家がある会社の株を買おうとしたとする。しかし、売ってくれる人がいなければ買うことは出来ない。その株を売ってくれるのはデイトレーダー(短期投資家)なのだ。
 長期投資家が株を売る場合も同様である。売るためには、買ってくれる人が必要なのだ。その時、偶然、長期投資家が株を買ってくれる確率はとても低い。何しろ、長期投資家は売買する回数が少ないのだ。買ってくれるのはデイトレーダーだ。
 
 さらに考えてみよう。デイトレーダーがいなければ、売りたい時に株を売れなくなる。売りたい時に売れないものを買う人がいるだろうか。流動性がなければ、市場自体が成立しなくなる。
 デイトレーダーがいなければ、株式を公開すること自体が不可能になる。株式を公開しようとしても、買う人がいなくなってしまう。産業界が資金を調達できなくなる。
 つまり、現在の経済・産業自体が成り立たなくなる。
 次のようなたとえが分かり易い。
 デイトレーダーは微生物なのだ。

 我々の世界は、微生物なしでは成り立たない。
 確かに、納豆菌は、大豆を納豆にしようとは思っていない。つまり、納豆菌は、大豆の「経営にはまったく関心」がない。だからと言って、納豆菌が「バカで浮気で無責任」だと批判する人がいたら、その人はどうかしているだろう。さらに、その人が納豆会社の社長だったら、正気を疑われるだろう。(笑)
 経済産業省の次官がデイトレーダーを「バカで浮気で無責任」と批判するのは、これと同じである。とても正気とは思えない。
 デイトレーダーは経済・産業に必要不可欠なのである。
 デイトレーダーは納豆菌なのである。
 納豆会社の社長ならば、納豆菌にはお礼を言うべきであろう。(笑)

                        諸野脇@ネット哲学者


2008年04月20日

江東区役所にはサービス精神とペンが無い

 江東区役所のお役所仕事に疲れている。(苦笑)
 
 1 江東区役所のK氏と約一時間話した。そして、最後に連絡先を伝えようとしたところ、「少々お待ち下さい。ペンを探しますから。」と言われた。江東区役所のK氏には、区民の話を真摯に聞いて、メモを取る習慣が無いらしい。ペンも無いらしい。
 2 私は、江東区の主張の根拠を示すように求めた。すると、法令集のコピーの束が送られてきた。しかし、それについて何の説明も無い。根拠になる条文にしるしをつけることすらしていない。私が条文を探し、どう根拠になるのか考えなければいけないらしい。
 3 上のような状態に対して抗議して、上司からの回答を求めた。しかし、具体的な弁解が無い。その前に、新しく現れた人物が上司かどうかすら分からない。上司だと名乗らないから。(苦笑)
 
 つまり、江東区役所には、区民と普通に話し合う姿勢が無い。まともに、会話が成り立たないのである。
 古くからの読者の方は、あの会社を思い出すであろう。
 そう。三菱地所である。
 
  【三菱地所の情報隠蔽体質批判1】
  ● インターネットによる情報公開は社会をどう変えるか
   
  【三菱地所の情報隠蔽体質批判2】
  ● 〈反-対話戦略〉を破壊せよ
   
  【三菱地所の情報隠蔽体質批判3】
  ● 情報公開は、だまされない権利を個人に保障するためのシステム
 
 江東区役所の対応は、この三菱地所の異常な顧客対応に似ている。
 あまりにひどい江東区役所の対応に疲れ果て、友人に次のように言う。
 
 「江東区役所の対応が三菱地所の異常な対応に似ていて、疲れる。」
 
 すると、笑いながら、次のように言われる。
 
 「三菱地所がお役所仕事なんですから、お役所の方が本家ですよ。」
 
 そうか。俺は今、お役所仕事の本家と闘っているのか。
 疲れるはずだ。(苦笑)
 

江東区役所は、お役所仕事をやめよ。(お役所にこう言うのも変な話だが。)

 これは、〈私の主張を認めよ〉という意味ではない。〈主張を認める認めないの前に、きちんと相手と向き合え〉という意味である。
 
 江東区役所にはサービス精神とペンが無いようである。
 サービス精神もペンも大切である。
 ちゃんと準備した方がいい。
 
                         諸野脇@ネット哲学者


〔補1〕
 サービス精神が無かった三菱地所は、その後どうなったか。
 社長が辞任せざるを得なくなった。(これは、土壌汚染隠しをしてマンションを売っていたからである。顧客に対して不誠実な対応をする体質に罰がくだったである。)
 異常な顧客対応を繰り返したI氏は、その後、会社を辞めたようである。(辞めさせられたのだろうと想像する。)
 
〔補2〕
 今のところ、江東区役所の担当者の名前は匿名にしている。武士の情けである。
 しかし、対応が改まらない場合は、実名で詳しく批判することも考えざるを得ない。
 江東区役所の異常な顧客(区民)対応の資料は十分に揃っている。
 役所という閉じた組織にいるから、その異常さに気がつかないのである。

2008年04月21日

欠点を自ら情報公開! 江東区役所はすばらしい!(苦笑)

 江東区のホームページを見る。
 次のような意見を発見し、「これはひどいな。」と思う。

ご意見
区政相談に行きました。
相談員はまあまあでしたが、「今日はどんな相談ですか?」と言い、メモをとることはしなかった。相手の気持ちになって、もっと親身になってもよいのでは。言われてから、メモを取った。頭に入っていると言っていた。
  http://www.city.koto.lg.jp/php/faq_detail.php?faqid=1740

 どうやら、江東区役所には「メモをとる」習慣が無いようである。
 私も同じ目に会っている。
 
  ● 江東区役所にはサービス精神とペンが無い
 
 これは「親身にな」っていることが感じられないお役所仕事である。もちろん、お役所仕事は悪い。
 しかし、注目していただきたい事実がある。
 この意見は江東区のホームページに載っているものである。江東区役所は、批判的な意見を自ら公開しているのである。欠点を自ら公開しているのである。
 この点で、江東区役所の情報公開は非常によい。
 江東区役所の情報公開の実例は次のページを見てもらいたい。
 
  ● いただいたご意見と回答
  
 批判的な意見も含めて、多くの意見が公開されている。(また、それに対する江東区役所の回答も公開されている。)
 すばらしい。
 批判的意見を情報公開することが必要である。
 自分に都合の悪い事実を情報公開することが必要である。

 江東区役所は、自分に都合の悪い事実を公表している。だから、私が江東区役所の言動を批判できたのである。逆に言えば、江東区役所は、私に批判してもらうことが出来たのである。批判は進歩の母である。
 しかし、このような情報公開は、なかなか出来ない。あなたが所属してる組織を考えて欲しい。あなたの会社はこのようなことが出来るであろうか。ホームページ上で意見を求め、批判的意見も含めて情報公開する。多くの会社は、そのようなことは出来ないだろう。

 このような観点で見ると、江東区役所は大変すばらしい。
 後は、お役所仕事を直すだけである。
 当面、まずメモを取ろう!(苦笑)
 

〔補〕
 ちなみに、上の意見に対する回答は下の通りである。
 これは、紋切り型の回答に過ぎない。だから、本当に「指導・監督を徹底」できているか疑問である。現に、私の時も、メモを取っていなかったのである。

回答
広報広聴課の区民相談窓口では、日頃から、区民の皆様からの様々な相談等に対して親切丁寧な対応に努めているところです。
また、相談内容については必ず記録をし対応をしておりますが、いただきましたご意見のように、職員の執務態度につき、区民の方から誤解を招くことのないよう、今後とも、本人をはじめ、他の職員にも改めて指導・監督を徹底してまいります。

2008年06月27日

山崎孝明 区長は、江東区役所のお役所仕事を改善できるか

〔追記 8月14日〕

 山崎孝明区長は、江東区役所のお役所仕事を改善できたか。
 改善できなかった。

 押田文子広報広聴課長から次のような手紙が届いたのである。 

 「区長へのメール」については、別紙1「区長への手紙の取扱いに関する要綱」の第3条(アンダーラインを引いてあるところです)に基づき実施しております。
 
 江東区の「要綱」など、どうでもいいのである。(苦笑)
 下の7月31日付の追記で、私は江東区の対応への不安を述べた。「担当課の上のレベルから指導」の必要性を述べた。
 普通ならば、相手の不安に応えようとするはずである。
 しかし、押田文子広報広聴課長は、それに一切応えず、次のように言ったのである。 
 江東区が決めた規則に従って、行動しています。
 
 相手の不安に一言も触れず、江東区の都合だけを述べたのである。
 正に、お役所仕事である。


〔追記 7月31日〕

 下の追記(7月7日付)の内容を「区長へのメール」に送った。
 すると、担当課長から「お詫びにお伺いしたい」との電話があった。
 しかし、会って大丈夫なのだろうか。(苦笑)
 今まで、お役所仕事を何度も繰り返してきたのである。今回だけが大丈夫であるとは信じがたい。我が家に来ても、またお役所仕事を繰り返すのではないか。とても不安である。
 通常、このような場合は、次のような対応をする。
 区長室長のような肩書きの人物から連絡がある。
 
 「ご指摘の事実を確認させていただきました。確かに、お役所仕事と言うしかない非常識な対応でした。ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。担当課を厳しく指導しておきました。」
 
 担当課の上のレベルから指導が入るのである。そして、その事実を相手に伝えるのである。このような形式ならば、私も比較的安心できる。〈今までの対応とは違うのだろう〉と期待できる。
 現在の形式では、お会いするのは不安である。
 また、「区長へのメール」を出したのに、担当課が返事をするのは筋が違う。区長(または区長の代理人)が返事をするのが筋であろう。
 実は、「区長へのメール」にはシステム上の問題がある。詳しくは、次の文章をご覧いただきたい。
 
 ● あなたの区では「区長へのメール」が区長に届いていますか?(苦笑)
 
 しかし、これは今までになかった対応である。「お詫びにお伺いしたい」と積極的に問題を解決しようとしているのである。この対応は率直に評価したい。
 山崎孝明区長は、江東区役所のお役所仕事を改善できたか。ある程度、改善できたのであろう。連絡が無いため想像するしかない。それが大きな問題なのであるが。(苦笑)


〔追記 7月7日〕

 山崎孝明区長は、江東区役所のお役所仕事を改善できたか。
 改善できなかった。

 一昨日、杉本健一課長からの手紙が届いた。次のような文言があった。
 
  「私の返事がなかったとのことで誠に申し訳ありませんでした。」
 
 なんと、これだけなのである。(苦笑)
 しかし、これだけでは済まないはずである。
 これは、「宿題をやらずに申し訳ありませんでした」と言うだけで宿題をやらないようなものである。「申し訳」ないと思ったら、その時に書くべきだった「返事」を今回の手紙で書くべきである。その時に書くべきだった謝罪(ないし反論)を今回の手紙で書くべきである。
 それを一言で済ましてしまっているのである。正にお役所仕事である。
 つまり、〈お役所仕事を止めよ〉という趣旨のメールに対して、お役所仕事をし続けているのである。
 「区長へのメール」で山崎孝明江東区長に直接訴えても何の変化もなかった。山崎孝明江東区長は、江東区役所のお役所仕事を改善できなかった。
 残念である。
 こちらとしては、後は、予告したことを粛々とおこなっていくまでである。
 

〔区長へのメール〕

江東区長 山崎孝明 様

 先日は、お手紙をいただき、ありがとうございました。
 一区民の要請に応じて、区長自らが手紙を出すというのは異例のことでしょう。
 もちろん、お手紙の内容には異論があります。しかし、意見の違いを越えて、山崎孝明区長の行為には敬意を表します。公権力を行使する責任者が、公権力を行使する理由を明示する姿勢には敬意を表します。
 
 しかし、不思議なことがあります。山崎孝明区長のお手紙は、江東区役所がお役所仕事で私に迷惑をかけていることに一言も触れていないのです。
 私は次の文章でお役所仕事の悪さを批判しました。
 
  ● 江東区役所にはサービス精神とペンが無い
   http://shonowaki.com/2008/04/post_36.html
 
 また、担当課にも再三お役所仕事を止めるように申し入れをしました。
 しかし、いまだにお役所仕事が改善されないのです。
 
 これは誠に不思議なことです。山崎孝明区長は、区民の意見に耳を傾ける姿勢がある方のようです。それなのに、私のお役所仕事批判に一言も応えない。また、お役所仕事自体も全く改善されない。不思議です。
 
 もしかしたら、江東区役所のお役所仕事の実態を山崎孝明区長はご存じないのかもしれません。つまり、杉本健一課長から、情報が山崎孝明区長に上がっていないのかもしれません。
 それならば分かります。この場合も、もちろん、山崎孝明江東区長には管理責任はあるでしょう。しかし、役所は大きな組織です。なかなか変えるのは難しいものです。私も、直接、江東区役所とやり取りして実感しました。実態が分かった時に、変えていけばよいのです。
 
 上のように考えましたので、この手紙は担当課を通してではなく、ホームページの「区長へのメール」からお送りさせていただきます。
 
 どうぞ、今までの経緯をご確認いただき、適切な対応をしていただけるようお願いいたします。
            
                                     2008.6.27.
                                          諸野脇 正
                    
〔補〕

 この文章は実験の文章です。政治家が、お役所のひどい対応を変えられるかどうかの実験です。
 なぜ、役人はお役所仕事を繰り返すのでしょうか。役人は、評価にさらされていないからです。区民に対してお役所仕事を繰り返しても、彼らは損をしないのです。言い換えれば、区民に向き合うインセンティブがないのです。ですから、担当課に何度言っても、対応が改善されないのです。
 しかし、政治家は役人とは違います。政治家は評価にさらされるからです。政治家には選挙があるのです。区民に向き合うインセンティブがあるのです。
 ですから、役人自身では解決できない問題も、政治家ならば解決できるはずなのです。山崎孝明江東区長に期待します。
 
 なお、対応が改善されたかどうかは「追記」で報告します。

2008年06月30日

あなたの区では「区長へのメール」が区長に届いていますか?(苦笑)

 山崎孝明江東区長にメールを送ろうとした。江東区のホームページの「区長へのメール」コーナーからである。
 次のような内容である。
 
  ● 山崎孝明 区長は、江東区役所のお役所仕事を改善できるか


 しかし、「区長へのメール」の説明には驚くべき事実が書いてあった。  

 (2)ご意見等の内容に応じて、広報広聴課から担当する所管課に送付いたします。

 「区長へのメール」が区長に届かないのである。「担当する所管課」に送られてしまうのである。そして、「処理内容」が「区長決裁文章」になるだけなのである。(注1) 
 江東区役所の「区長へのメール」は区長に届かない。
 これでは「区長へのメール」ではない。
 
 仕方がないので、担当者にメールを送った。
広聴担当者 様

 「区長へのメール」は、通常は担当課に回されるようです。
 しかし、先のメール(公開書簡も含む)は、早急に区長に直接お渡しください。
 次の理由によります。
 
 1 このメールは担当課の対応の改善を区長に求めるメールです。ですから、担当課に回されては意味がありません。
 2 既に、公開書簡は広く知られる文章になっています。グーグルで「山崎孝明」を検索すると4番目にこの文章が出てきます。
 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-15,GGLD:ja&q=%e5%b1%b1%e5%b4%8e%e5%ad%9d%e6%98%8e
 
 既に、区長の対応が必要な状態になっているのです。
 そして、広報広聴課が何もしなくても、山崎孝明区長はお気づきになるでしょう。
 早急に区長にお伝えください。(注2)


 「区長へのメール」が区長に届くようにするために努力が必要なのである。何かがおかしい。(苦笑)
 他の自治体はどうなっているのか。
 横浜市のホームページを見る。 
Q5:
「市民からの提案」や「市長陳情」は本当に市長が見ているのですか?
A5:
「市民からの提案」や「市長陳情」は、すべてデータベース化されており、市長はパソコンから常時、閲覧できます。……〔略〕……
 http://www.city.yokohama.jp/me/shimin/kouchou/qa.html#a5

 「すべてデータベース化されており、市長はパソコンから常時、閲覧できます」とある。(注3)
 市長が、「すべて」の「市民からの提案」・「市長陳情」を直接読むことが出来るのである。「市長陳情」を市長が読むことが出来る。当たり前のことである。
 もちろん、この方がよい。
 あなたの自治体のシステムは、どうなっているだろうか。 
 「区長へのメール」・「市長へのメール」を首長が直接読むことが可能なシステムになっているだろうか。
 
 ホームページから「区長へのメール」・「市長へのメール」などの名目でメールを受けつけることは簡単である。そのようなコーナーがあれば、〈開かれた自治体である〉という印象を住民に与えることが出来る。
 しかし、それは格好をつけただけに過ぎない。問題は中身である。そのメールをどのように扱うかである。
 
                       諸野脇@ネット哲学者 
 

〔追記 7月31日〕

 広聴広報課長から次のような手紙をいただいた。

 広報広聴課では、いただいたご意見(原文)と該当所管部署の回答を印刷し、月2回区長までの決裁を取っております。
 したがいまして、区長はいただいたご意見と、それに対する回答全てに目を通しております。
 
 区長が「全てに目を通して」いるのはよいことである。
 しかし、疑問がある。
 私の「区長へのメール」はどう扱われたのか。
 広報広聴課には、理由を述べて〈担当課ではなく、区長に直接渡して欲しい〉という趣旨を伝えた。広報広聴課は、私のメールを区長に直接渡したのか。渡さなかったのか。それが全く分からないのである。(当然、広報広聴課長は、手紙でそれを説明するべきであった。)
 この状態では、私は不安である。
 言い換えれば、次の二点が問題である。
 1 区長が「区長へのメール」を担当課が対応した後に見るシステムになっている。
 2 区長がどれほどの熱意で「区長へのメール」を見ているのかが分からない。

 「区長へのメール」と書いてあれば、多くの人は、そのメールが区長に直接届くことを想定する。区長がメールを読んで担当課に指示を出すシステムを想定する。しかし、江東区の「区長へのメール」はそのようなシステムになっていない。区長は、対応が終わった後に、結果を確認するだけのようである。(格好をつけずに「区役所へのメール」と名前を変えた方がよいのではないか。)
 やはり「『区長へのメール』は区長に届かない」のである。「区長へのメール」として送ったメールは、担当課に届いてしまうのである。
 だから、江東区の「区長へのメール」は、苦情を解決するシステムにはなっていない。苦情を訴えても、原則として、問題を起こした課に対応が任されるのである。区長(または区長室のような組織)が問題を起こした課を指導するシステムになっていないのである。
 独立した他者が担当課の対応を正すシステムが必要である。


(注1)

 念のため書く。
 江東区の「広聴」は比較的よい方なのである。
 次の文章で、そのよさを書いた。
 
  ● 欠点を自ら情報公開! 江東区役所はすばらしい!(苦笑)
     

 実は、「区長へのメール」がどのように扱われるのかを明確に説明しているのもよい。他の自治体と比較するとよい。
 どのように扱われるのかすら分からない自治体も多いのである。
 
 
(注2)

 このメールを受け取ったのは、広聴広報課のどなたなのか。
 受け取った方のお名前をお伝えいただけるようにお願いした。
 しかし、お返事がない。(苦笑)
 ご連絡、いただきたい。
 

(注3)

 横浜市の「広聴」はすごい。
 
  ● 「市民の声」の公表
  
 実に具体的な「投稿」と「回答」のやり取りが公開されている。さまざまな分野のやり取りが公開されている。
 中田宏市長が「すべて」の「市民からの提案」を「常時、閲覧」できるシステムが有効に機能しているのであろう。

2009年03月24日

有権者はそんなにバカなのか --公民権停止を考えるための論理

 戸田ひさよし議員が失職した。公民権停止2年間の罰を受けたのである。
 トップ当選を果たした議員が失職するのは前代未聞の事態である。
 重要な事実がある。 
 

戸田ひさよし氏は、有罪判決が出た後の選挙でトップ当選している。
 
 つまり、有権者は、戸田ひさよし氏がどのような罪に問われたかを知っていた。知った上でトップ当選という判断を下したのである。
 言わば、門真市民は戸田ひさよし氏に「無罪判決」を下したのだ。公民権停止を認めなかったのである。
 しかし、この「無罪判決」を否定する形で最高裁の判決が出たのである。
 つまり、次のような形になっている。 
 
有権者の判断より、裁判所の判断が優先されている。
 
 はたして、これでいいのだろうか。
 なぜ、裁判所は有権者の判断を否定できるのか。
 なぜ、公民権停止という罰があるのか。議員になることを禁止する罰があるのか。 
 
議員になる資格があるかどうかは有権者が判断すればいい。
 
 選挙という判断の機会があるのである。悪いことをすれば、有権者が議員の資格が無いと判断する。その候補者を落選させる。それでいいではないか。
 これが民主主義の原理である。
 なぜ、有権者の判断を否定する公民権停止という罰があるのか。
 それは、「有権者がバカだ」と考えているからである。 
  
公民権停止は「有権者はバカだ」という考えを含意する罰である。
  
 〈有権者はバカなので、落選させるべき議員を当選させてしまう〉と考えているのである。だから、有権者が選んだ議員を失職させるのである。また、立候補できないようにするのである。議員になる資格を停止するのである。〈有権者は適切な選択を出来ないので裁判所が助けてやる〉という訳である。
 
門真市民はバカ扱いされたのである。
 
 戸田ひさよし氏に投票した有権者はバカ扱いされたのである。
 怒るべきである。
 
 議員を自分で選ぶのは当然のことである。
 バカな選択をしたとしても、その結果を自分で引き受ければいい。
 民主主義とは〈自分達の責任でバカな選択肢を選ぶことが可能な制度〉なのである。前もって、誰かが選択肢を選んでくれる制度は民主主義ではない。

 確かに、私達はバカかもしれない。
 しかし、私達はバカ扱いされない権利を持っている。
 それが民主主義なのである。

                  諸野脇@ネット哲学者


〔関連リンク〕

 ● 門真市でも「政治資金規正法」悪用し市議逮捕
 ● 戸田ひさよし・連帯ユニオンへの不当弾圧糾弾!
 

2009年04月15日

敵味方刑法 --戸田ひさよし議員失職を考えるための論理

 2005年12月8日、戸田ひさよし・門真市議は大阪府警に逮捕された。
 そして、接見禁止のまま三ヶ月間拘留されたのである。
 議員本人が逮捕されて、そのまま三ヶ月間拘留されるとは、大変な事態である。
 この事態からどのような容疑が想像されるか。 

 門真市に総工費200億円でダムを造ることになった。
 戸田議員は、○○建設から一億円の賄賂をもらい、○○建設が有利になるように働きかけていた。
 そして、○○建設が門真ダム工事を受注した。

 議員を三ヶ月間拘留するには、それなりの犯罪容疑が必要である。
 例えば、このような大規模な汚職である。
 しかし、門真市にダムを造るという話は聞かない。
 それでは、現実には戸田ひさよし議員はどのような容疑で三ヶ月間拘留されたのか。次のような「政治資金規正法違反」の容疑でである。
 1、全日本建設運輸連帯労組関西生コン支部(連帯ユニオン関生=かんなま=支部)の有志から90万円のカンパを受け取ったこと

 2、同労組近畿本部委員長として、同労組から報酬として毎月20万円を3年分、計720万円を受け取ったうち毎月10万円分、計360万円を政治献金として受け取っていたこと
  http://www.news.janjan.jp/government/0903/0903159406/1.php


 は?
 90万?
 毎月10万? 
 この程度の容疑で、どうして三ヵ月も拘留する必要があったのか。
 「政治資金規正法違反」の容疑ならば、通常、任意の取り調べで済むはずである。一度書類を押収してしまえば、証拠隠滅の恐れもない。
 大阪府警の行動は異常である。
 そして、判決も異常であった。 
 06年8月、大阪地裁で罰金110万円、追徴金計450万円、公民権停止2年の有罪判決を受けました。控訴審の大阪高裁は公判を1回開いたきりで、翌07年4月に地裁判決を基本的に踏襲する判決を出しました。
  〔同上
 
 最高裁は、控訴棄却によってこの判決を確定させた。
 問題は、「公民権停止」という罰をくだしたことである。
 議員にとって、「公民権停止」は「死刑判決」である。議員としての資格を失わせる判決である。
 これは、通常、罰金刑で済ませる案件である。
 なぜ、こんな小さい案件で「死刑判決」をくだすのか。「政治資金規正法違反」という形式犯で「死刑判決」をくだすのか。 
 このような事例で「死刑判決」をくだすことが前例になれば、大変なことになる。
 同様の事例はたくさんあるのである。 
 さて、容疑事実について検討します。まず、第1の90万円のカンパです。OBを民主党や社民党の地方議員として送り込んでいる労働組合は全国にごまんとあります。組合の現職幹部がカンパ帳を組合員に回してまとめ、それを議員サイドに(個人献金の合計として)渡しているわけです。それが違法として立件されたという事例は聞きません。戸田さんだけが狙い撃ちにされたわけです。

 第2の、戸田さんに対する組合役員としての報酬についてはどうか? 検察側は「近畿地方本部委員長としての報酬は10万円で十分。月20万円ももらっていたうちの10万円分は政治献金だ」と決め付けました。しかし、本来、報酬は組合内部で決める話です。組合幹部として20万円が高すぎる報酬とも思えません。

 会社員や会社経営者と兼務している市議など他にもたくさんいます。これらの人たちも、それぞれが属している企業から献金を受け取っていることになるのでしょうか。検察の平衡感覚はどうなっているのか? 理解に苦しみます。
  〔同上

 
 同じことをしている議員はたくさんいるのである。
 その全員を逮捕しなければならなくなる。(苦笑)
 そうでなければ、平等ではない。
 しかし、警察がどんどん議員を逮捕しているという話は聞かない。 
 戸田ひさよし氏だけが特別に逮捕されたのである。

 この「特別扱い」をどう解釈するべきか。
 戸田ひさよし氏だけが、厳しく扱われているのである。
 戸田ひさよし氏の弁護を担当した永嶋弁護士は次のように言う。 
 敵・味方刑法に向かいつつあるのではないか。
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=2337;id=01#2337
 
 国家の「味方」には甘く、「敵」には厳しくする法律の運用がおこなわれているというのである。「敵」と「味方」で扱いを変えているというのである。
 そのような不公平な扱いがおこなわれているのならば大きな問題である。
 不公平は正さなければならない。
 捜査当局・裁判所は次のうちのどちらかをおこなうべきである。(もちろん、どちらも出来ないであろうが。)
 
 1 戸田ひさよし議員と同様の行為をおこなっている議員を全員「三ヵ月拘留」のうえ「公民権停止」にする。
 2 戸田ひさよし議員を「三ヵ月拘留」し「公民権停止」にした合理的な根拠を示す。例えば、汚職の事実があったことなどを示す。
 
 戸田ひさよし氏が受けた扱いは、「政治資金規制法違反」の「犯人」への扱いではない。
 大規模な汚職事件の犯人への扱いである。または、殺人事件の犯人への扱いである。
 しかし、戸田ひさよし氏は、汚職もしていないし、殺人もしていないのである。
 何かがおかしい。
 これがこの国の現状である。 
 敵味方刑法
 
 この用語を覚えておくべきである。
 
                  諸野脇@ネット哲学者

2009年04月16日

国策捜査 --小沢一郎議員秘書の逮捕を考えるための論理

 小沢一郎議員の秘書が「政治資金規正法違反」の容疑で逮捕された。
 この逮捕は〈「国策捜査」ではないか〉と疑われている。逮捕が衆議院選挙の前の時期だったからである。〈民主党にダメージを与えるための捜査ではないか〉と疑われているのである。
 この問題をどう考えればいいのか。
 元東京地検特捜部長・宗像紀夫氏は言う。 

 ……〔略〕……検察の伝統的な考え方では、政治資金規制法違反というのは、例えば多額のウラ金を収得していたようなケースでない限り、事件の最終目的とはなりえないからです。第2、第3の、贈収賄や脱税などのより悪質、重大な犯罪の摘発が後に控えているときにのみ、政治資金規制法違反による強制捜査といった例外的な捜査手法が許されるのです。だから、「この時期にこんな事件で政治家の秘書を逮捕するのはおかしい」と言われたら、「最後まで見ていて下さい」と言えばいいのです。つまり、きちんとした捜査の結果を出すことがいちばん説明責任を果たすことになるのです。だからもし、仮に今回の事件が政治資金規制法違反だけで終わるようなことになるとすれば、あまりにも強引な捜査だったということになるでしょう。
  〔『朝日新聞』2009.4.1.〕
  
 宗像紀夫氏は特捜部長だった人である。だから、検察の「伝統的な考え方」はよく知っているはずである。
 検察では、「政治資金規制法違反」は「事件の最終目的」にはならない。逮捕というような「強引な捜査」が許されるのは、「贈収賄」などのより悪質な「犯罪の摘発」の場合である。
 さらに、宗像紀夫氏は次のような例を挙げる。 
 ……〔略〕……ちなみに、リクルート事件の時も、3人の自民党有力政治家の秘書や政治団体の会計責任者を政治資金規制法違反(虚偽記載、量的制限違反)で摘発しました。金額は数千万~数億円でしたが、いずれも在宅で調べて、略式起訴でした。
  〔同上〕
 
 億の単位でも、「在宅」捜査だったのである。
 政治家の秘書を逮捕したら、「結果」を出さなくてはならない。「結果」とは「贈収賄」などのより悪質な「犯罪の摘発」である。 
 検察が「贈収賄」を摘発できるか。
 
 これが「国策捜査」かどうかの判断の基準である。検察は「贈収賄」などの悪質な「犯罪の摘発」ができるか。「結果」を出せるか。
 「結果」を出せなかったら、「国策捜査」ではないかと疑われても仕方ない。
 
 読者の皆さんの頭の中には、当然、次の文章との比較が生じたはずである。
 
   ● 敵味方刑法 --戸田ひさよし議員失職を考えるための論理
  
 戸田ひさよし議員は「政治資金規制法違反」で逮捕された。
 しかも、総額450万円の事案である。
 このような事案で、議員本人を逮捕するのは著しく「検察の伝統的な考え方」に反する。リクルート事件では、億の事案でも逮捕はされなかったのである。秘書すら逮捕されなかったのである。
 しかも、戸田ひさよし氏の場合、検察が「結果」として考える「贈収賄」などのより悪質な「犯罪の摘発」も無かったのである。「結果」を出していないのである。 
 戸田ひさよし氏は権力の「敵」だから厳しい扱いを受けたのではないか。
 
 「結果」を出していないのだから、このように「敵味方刑法」が疑われるのも当然である。
 小沢一郎氏の秘書の逮捕も「敵味方刑法」が疑われる事案である。権力の「敵」だから厳しい扱いを受ているのではなかと疑われているのである。
 
 「国策捜査」・「敵味方刑法」の特徴は、〈ダブルスタンダード〉である。相手によって、基準を変えるのである。
 「敵」だから厳しくする。「国策」だから厳しくする。
 〈ダブルスタンダード〉である。
 
 だから、〈「国策捜査」ではないか〉という疑いを否定するのは簡単である。〈ダブルスタンダード〉ではないことを示せばいい。検察が「結果」を出せばいい。「贈収賄」などの「犯罪の摘発」をおこなえばいいのである。
 検察は、「贈収賄」をおこなった者は誰でも逮捕する。(これは検察の「伝統的な考え方」である。)これならば、〈ダブルスタンダード〉ではない。 
  その捜査が〈ダブルスタンダード〉でないかを検討しよう。
  
 「国策捜査」・「敵味方刑法」、どちらも〈ダブルスタンダード〉を主要な特徴とする行為だからである。
 
                  諸野脇@ネット哲学者
 

2009年04月17日

インターネット上で「問題」を起こすという広報活動 --竹原信一市長失職を考えるための論理

 竹原信一市長の失職が予想されている。本日、十時からの市議会で失職が決まるであろう。

 ブログを使った議会批判などで議会と対立し、不信任を受けた鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が議会を解散したことに伴う出直し市議選(定数16)が22日、投開票され、市長失職を目指す反市長派が過半数を確保した。
これにより、改選後の市議会で2度目の不信任案が可決されて市長が失職する公算が大きくなった。失職すると5月中にも出直し市長選が行われる。
  http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090322-OYT1T00958.htm?from=nwlb

 しかし、心配には及ばない。
 市議会選挙前に、既に竹原信一市長は言っている。 
今回は誰が議員としての仕事が出来るかというよりも、市民がどれだけ悪くないのを選べるかという選挙だ。これで粗大品は整理される。
私は議会を掃除する為に解散をさせた。次に私が片付けられる。
  ● 2009/03/13 (金) お掃除選挙
 
 「次に私が片付けられる」とある。
 既に、自分の失職は織り込み済なのである。
 そして、再度、竹原信一氏は市長選に立候補するのである。(これも予告済である。)
 
 一見、これは無駄なように思える。しかし、無駄ではない。
 その過程で、有権者に情報が伝わるのである。もめればもめるほど、有権者に情報が伝わっていく。
 竹原信一市長は失職した方がいいのだ。
 
 失職した方が有権者に情報が伝わる。
 竹原信一氏がインターネット上で「問題」を起こす度に、有権者に情報が伝わっていく。
 「問題」をマスコミが取り上げるからである。
 この構造が興味深い。

                 諸野脇@ネット哲学者

2009年04月18日

祝・竹原信一市長失職! --阿久根市民は「覚醒」するか

 不信任決議案が可決され、予定通り竹原信一市長が失職した。
 これは竹原信一氏の予定でもあった。
 そして、竹原信一氏は出直し市長選挙に出馬する。
 
   ● インターネット上で「問題」を起こすという広報活動 --竹原信一市長失職を考えるための論理
   
 竹原信一市長が「問題」を起こすたびに有権者に情報が伝わってきた。
 マスコミに取り上げられてきた。例えば、次のような文章である。
 
   ● ブログ市長の「切ない」思い
 
 
 今度の出直し市長選挙でも、情報が有権者に伝わるであろう。これは有権者への広報活動なのである。
 かつて、竹原信一市長は次のように言った。

 実は、議員定数削減案が今の市議会で成立できるとは考えていなかった。私は議会の本当の姿を市民に知ってもらう道具として提案した。

私が議員の時に提案した浄化槽管理費削減の決議案にまで反対した市議会である。今回は定数削減に反対、浄化槽管理費削減の規則改正にも反対、市民に駐車場を確保する事にも反対、手数料値下げ案にまで反対してくれた。
予想をはるかに超える反応をしてくれている。

 議員たちが自らの値打ちをとことん下げて市民に覚醒の機会を与えている。私は阿久根市議会議員達に感謝している。この市議会でなければ阿久根市民を変えることはできない。
   ● 2008/10/31 (金) 阿久根を変えるということ


 今回も、竹原信一氏は阿久根市議会に「感謝」しているであろう。(笑)
 阿久根市議会が、また「本当の姿」を現してくれたのである。
 阿久根市議会は、議員定数削減・市職員の給与の削減を主張する竹原信一市長を失職に追い込んだ。
 これによって、出直し市長選がおこなわれる。出直し市長選は、マスコミに注目されるであろう。だから、竹原信一氏の主張も、対立候補の主張も有権者に伝わるであろう。(注)
 阿久根市議会は、阿久根市民に「覚醒」の機会を与えてくれたのである。阿久根市の現状について深く考える機会を与えてくれたのである。
 ありがたいことである。(笑)
 
               諸野脇@ネット哲学者


(注)

 竹原信一氏の目標は市民の「覚醒」である。
 だから、竹原信一氏にとっては、出直し市長選挙での勝敗はどうでもいいことである。「覚醒」した市民が対立候補を選ぶならば、それはそれでいいのである。
 

2009年05月29日

なぜ、議長は「無能」なのか

 阿久根市議会は議会の態をなしていない。まともに議論が成立していないのである。
 議論を成立させるのは議長の仕事である。阿久根市議会の浜之上大成議長は「無能」である。 

 なぜ、浜之上議長は「無能」なのか。
 
 以下、この論点を論じる。
 竹原信一市長はまともな議論なしで失職させられた。まともな質疑なしで失職させられた。これについては既に詳しく述べた。
 
   ● インターネット議会中継で分かった議員の異常な言動 ―― 竹原信一市長不信任決議可決の不当な手続き
   ● 議会は議論をする場所ではないらしい(苦笑)  ―― 奇妙な規則「質問は三回まで」   
 
 議論を成立させるのは議長の仕事である。
 浜之上大成議長は、質問にまともに答えない木下孝行議員を指導するべきであった。
 例えば、次のように言えばよかったのである。 
 牟田学君は〈竹原信一市長のブログのどこが公職選挙法の何条に違反しているのか〉を質問したのです。質問にきちんと答えなさい。
 
 しかし、議長は何もしなかった。
 なぜ、議長は、議長としての仕事をしないのか。
 なぜ、議長は「無能」なのか。  
 議会が議論をする場所ではないからである。
 
 もともと多数派は、竹原信一市長不信任決議案に賛成することを決めているのである。議論によって、その結論は変わらないのである。だから、議論など必要ないのである。
 このような状態では、議長がきちんと仕事しなくても、それで済んでしまう。また、このような状態では、議長としての能力が無い人間が議長になっても「問題」はない。だから、議長は「無能」なのである。
 議論する必要がないから、議長は「無能」なのである。
 
 議長は「無能」でも務まる。いや、「有能」であっては困るのである。多数派の議員は、〈議論などせずに、強引に決めてしまおう〉としているのである。「有能」な議長に議論などさせられたら、却って面倒なのである。
 議長は「無能」である。それは、議会が議論をする場所ではないからである。
 
 もちろん、これは阿久根市だけの傾向ではない。全国的に、ほとんどの議長が「無能」なのである。それは、ほとんどの議会が議論をする場所ではないからである。(苦笑)
 次回の文章でその証拠を示す。
 
              諸野脇@ネット哲学者

2009年05月30日

議長「たらい回し」スキャンダル

 議長は「無能」でも務まる。
 この事実を端的に表す事態が発覚した。
 世田谷区議会が議長職を「たらい回し」にしていたのである。このスキャンダルはテレビ番組「スーパーモーニング」で大きく報道された。(注1) 

 おととい(5月20日)東京・世田谷区議会で議長選挙が行われた。これまでの大場議長が、任期途中で「一身上の都合で」辞任したためだったが、これがとんでもないことになった。

 まだ議長が辞任していない段階で、次の議長の名前と議長公印が押された文書が議場に配布されていたのだった。一部議員が、「不正だ」として追及したため投票は無効となり、きのう再投票になった。選挙の結果は2度とも、まさしく文書の名前の人が選ばれたのだが、これっていったい何なの?

 ……〔略〕……
 
 同会派の山口幹事長は、「たらい回しというのは理解できない」ととぼけてみせたが、議長を辞任した当の大場やすのぶ議員は「2年で替わるというのは慣例か?」との問いに、「そう、私に限らず、ハイ」とあっさりと認めた。

 さらに、「たらい回しがいいかは別にして、事実としては1年ごとに辞表を出して代わってきた。もし議長を辞めなかったら、自民党の会派から出されますよね」とまことに正直。

 事実世田谷区では、初代から56代まで62年間、議長は「一身上の都合」で任期途中で辞任している。……〔略〕……
   ● 「スーパーモーニング」 金と名誉の「共有」堕落か美談か 地方議会の議長「たらい回し」


 62年にわたる堂々たる「たらい回し」の伝統である。(苦笑)
 彼らにとっては〈議長は誰でも出来る〉ものなのである。だから、「1年ごとに」議長職を「たらい回し」にしていたのである。
 議員達は、これをスキャンダルと思っていないのであろう。議会の常識だと思っているのであろう。
 それでは、彼らは、なぜ「たらい回し」にしていたのか。「スーパーモーニング」のコメンテーター達は次のように語っている。 
 山口一臣は、「議長だと選挙で有利でしょうし、歳をとってからもらえる勲章もワンランク上がるかもしれない」

 大谷昭宏が、「何とかの会ってのがあるでしょう。あれに呼ばれるのが、地方なんかでは名誉なんですよ」(あっはっはと赤江珠緒の声)

 小木逸平が、「じゃあ500万円だけじゃなくて、名誉もみんなで分かち合おうということですか」
 〔同上〕

 
 金と名誉を分けあっていたのである。
 議長職には、500万円の手当が付く。また、名誉も付いてくる。そのようなうまみがあるものを独り占めするのは「不公平」である。「福利厚生」の一環として、みんなで分けあっていたのである。(苦笑)

 しかし、市民から見れば、これはスキャンダルである。議員達は、市民の普通の感覚から大きくズレている。
 市民は〈議会は議論をする場所である〉と思っている。
 議論を成立させるためには、高い能力が必要である。本来、議長には高い能力が必要なのである。それは、誰にでも出来るものではない。(注2)
 例えば、テレビ番組の司会者を想像してもらいたい。例えば、みのもんた氏である。 

 みのもんた氏が高給取りだからといって、司会の仕事をアシスタントと「たらい回し」にする訳にはいかない。
 
 みのもんた氏は、みのもんた氏の司会能力ゆえに高給を取っているのである。みのもんた氏ではなくアシスタントが司会をしたら、視聴率が落ちてしまうだろう。司会の仕事を「たらい回し」することは不可能なのである。誰にでも出来る仕事ではないのである。
 本来、議長もこれと同じである。議論を成立させるためには、高い能力が必要なのである。「たらい回し」できる仕事ではないのである。 
 本来、議長は「たらい回し」できるような仕事ではない。
 
 それにもかかわらず、世田谷区は議長を「たらい回し」にしてきた。世田谷区では、議長には特別な能力は必要なかったのである。議長に専門的な高い能力が必要なかったのである。それは、〈議会が議論をする場所ではなかった〉からである。
 議会が議論する場でなければ、議長職がただの「うまみ」に見えても仕方ないだろう。(苦笑) 何もせずに、高い給与と名誉が手にはいるのである。
 注目するべき事実がある。 
 世田谷だけかと思って23区に聞いたところ、20の区から回答があって、全部が1年ないし2年で交代している。
 〔同上〕
 
 23区のうち、少なくとも20区が「たらい回し」をしているのである。(残りの3区も回答が無かっただけある。その3区も、とても怪しい。笑)
 回答を寄せた自治体は全て「たらい回し」をおこなっていたのである。
 前回の文章の最後に私は次のように書いた。 
 もちろん、これは阿久根市だけの傾向ではない。全国的に、ほとんどの議長が「無能」なのである。それは、ほとんどの議会が議論をする場所ではないからである。(苦笑)
 次回の文章でその証拠を示す。
   ● なぜ、議長は「無能」なのか

 この事実が「証拠」である。
 調査結果が判明した全ての自治体で議長が「たらい回し」にされていた。つまり、議長は「無能」だったのである。特別な能力が必要とされていなかったのである。
 全国全ての自治体を調べても、この傾向は変わらないであろう。
 
 議長の「たらい回し」はスキャンダルである。しかし、それはもっと大きなスキャンダルの表れに過ぎない。
 それは〈ほとんどの議会が議論をする場所になっていない〉というスキャンダルなのである。
 
              諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 この事実は、戸田ひさよし氏の次の文章で知った。

   ● 門真市も他人事じゃない! 議長「たらい回し」、世田谷区で不正発覚し大問題に!
 
 お礼申し上げる。
 

(注2)

 議長には高い能力が必要である。議論を成立させるためには、高い能力が必要なのである。
 例えば、質問にまともに答えない議員には次のように指導しなくてはならない。 

  牟田学君は〈竹原信一市長のブログのどこが公職選挙法の何条に違反しているのか〉を質問したのです。質問にきちんと答えなさい。
   ● なぜ、議長は「無能」なのか

 議論を理解し、議論に介入し、議論を整理する能力が必要なのである。
 このような能力は、議員全員が持っているものではない。
 特別な能力なのである。

2009年05月31日

このような議会には適応しない方が正しいのだ

 現状の議会は、〈議論をする場所〉になっていない。
 既に、詳しく論じた。
 「質問にきちんと答えない」・「質問は三回までという規則がある」・「議長が何もしない」・「議長職をたらい回しにする」。
 これは、議論をしようとする姿勢ではない。
 現状の議会は不正な状態なのである。不正は改善しなくてはならない。このような不正な議会に適応してはならない。 

 不正な議会には適応するべきではない。
 
 適応しなかった例を見てみよう。
 元阿久根市長・竹原信一氏である。
 竹原信一氏は言う。 
皆さんは全議員が集まって、議会としての阿久根の施政方針などを議論しているとお思いでしょう。しかし、そのような話し合いをした事は、いままでただの一度もありません。市長が召集した時にだけ来て、議案にケチをつけて賛成、反対の多数決をするだけです。年間30回ぐらいの仕事で415万円も貰っています。アルバイト程度の仕事振りです。本来ならば、議会も市長もそれぞれがまっすぐ市民の方を向いて、あるべき阿久根を議論すべき所です。……〔略〕……
   ● 竹原信一の市政報告 1

 竹原信一氏は、現状の議会を「議案にケチをつけて賛成、反対の多数決をするだけ」と批判する。「本来なら……あるべき阿久根を議論する所です」と批判する。
 竹原信一氏は議会に全く適応しなかった。逆に、不正な議会を変えようとした。
 その結果、竹原信一氏は不信任案を二度可決され、失職させられたのである。 
 不正な議会に適応するより、不信任案を可決される方がよいのだ。
 
 不正な議会から不信任を突きつけられるのは、望ましい状態である。それは、自分が正しい道を進んでいる証拠である。
 竹原信一氏は、不正な議会に全く適応しなかった。  
 適応力ではなく、不適応力こそ必要なのである。(笑)
 
 多くの議員は、「議案にケチをつけて賛成、反対の多数決をするだけ」という現状に疑問を感じなかった。疑問を感じずに適応してきた。
 しかし、竹原氏は疑問を感じたのである。不適応を起こしたのである。改善を目指したのである。このような不適応力こそ必要なのである。
 「多数決をするだけ」という現状を変えなくてはならない。議会を「あるべき阿久根を議論する所」に変えなくてはならない。

 多くの自治体において、現状はさほど変わらないであろう。既に述べたように議会は〈議論をする場所〉になっていないのである。
 「質問にきちんと答えない」・「質問は三回までという規則がある」・「議長が何もしない」・「議長職をたらい回しにする」。
 あきれた現状なのである。
 このような現状に適応してはならない。気を確かに持たなくてはならない。
 議会は〈議論をする場所〉なのである。
 
               諸野脇@ネット哲学者
 

2009年06月02日

祝・竹原信一氏再選! ―― さあ、心ゆくまで「対立」しよう

 不信任決議によって失職した竹原信一氏が出直し市長選挙で再選された。
 当然、気になるのが議会との関係である。
 もちろん、竹原信一市長と阿久根市議会の「対立」は続く。
 まず、竹原信一氏は、現状の阿久根市議会と妥協するつもりはない。
 不正な議会には適応できないのである。次の文章で詳しく論じた。
 
   ● このような議会には適応しない方が正しいのだ
 
 竹原信一氏は、阿久根市議会を「議案にケチをつけて賛成、反対の多数決をするだけ」と批判する。「本来なら……あるべき阿久根を議論する所です」と批判する。竹原信一氏は、不正な議会を改善しようとしているのだ。
 さらに、竹原信一市長は、市議時代から次のように言っていた。

 唯一の解決策
変えるには市民が自ら立ち上がるしかない。辞職、解散させこの市長、議会を全面的に作り変えなければ転落を止めることは出来ない。議員の過半数が自主的に心を入れ替えることなどありえない。万一、心を入れ替える事があったとしても、そもそも議会の仕事を考える力がない。職員が提案したものを選ばされる事以上の能力が決定的に欠落している。ひどい事に議会では論理的に組み立てた議論ができない。すぐに多数決に逃げ出す。本当に話しにならないのだ。私は、議員になって最初の一般質問で「阿久根市議会は不良債権ではないか」と発言した。私は今、確信している。
   ● 議会報告3 問題の根源

 竹原信一氏は言う。「議員の過半数が自主的に心を入れ替えることなどありえない」・「万一、心を入れ替える事があったとしても、そもそも議会の仕事を考える力がない。」
 竹原信一氏は、現状の議員では問題は「解決」しないと考えている。現状の議員は「不良債権」だと考えている。
 つまり、「市民が自ら立ち上が」り、議員を入れ替えるのが「唯一の解決策」と考えているのである。不正な議会に全く適応しない首長が議員の大半を入れ替えようとしている。これは、誠に興味深い事態である。実験的な事態なのである。
 
 議員の方はどうだろうか。もちろん、竹原信一氏と妥協する気などない。自分達を「不良債権」と考え、議会から消そうと考えている相手なのである。彼らにとって、もともと妥協できる相手ではないのだ。
 
 これは、心ゆくまで「対立」するしかない。「不良債権」である議員達が議会から消えるか。竹原信一市長が消えるか。どちらかが消えるまで「対立」は続くであろう。(注)
 どのような「対立」が考えられるか。不信任案を提出した議員に対するリコール、再度の市長不信任決議、議会解散など、さまざまな「対立」が考えられる。

 マスコミは、このような事態を「不毛な対立」・「泥仕合」と呼ぶだろう。しかし、「対立」の中身を検討しなければならない。中身を検討しない罵り言葉は無意味である。全ての「対立」が悪い訳ではない。
 「対立」によって、情報が伝わる。阿久根市民は阿久根市の現状についてより深く知ることができる。
 これは阿久根市民が「覚醒」するために必要な過程なのである。
 
                 諸野脇@ネット哲学者


(注)

 前回の市議選で「不良債権」の整理は少し進んだ。
 
   ● ブログの活用で阿久根市議会の「お掃除」が進む 
 
 政務調査費で温泉バスツアーに行った築地新公女議員。それを容認した京田道弘議長。領収証を偽造した的場眞一議員、山下孝男議員。
 全員が議会から消えた。落選・引退したのである。
 また、竹原信一市長も一度消えた。しかし、復活した。(笑)

2010年02月16日

哲学者、ブルーレディオドットコム(インターネットラジオ)に出演する

 インターネットラジオのブルーレディオドットコムに出演してきた。
 端的に言う。
 
   悪夢であった。(苦笑)
  
 パーソナリティーの烏賀陽弘道氏、ディレクターの岡田伸也氏にとっても悪夢であったろう。
 私は哲学者である。だから、言葉が見つかるまで考える。つまり、見つかるまで、黙り続けるのだ。沈黙し続けるのだ。
 その沈黙が頻繁に起こるのである。言葉が見つかるまで、話さないので。
 生放送であったら、間違いなく放送事故である。(苦笑)
 
   私の沈黙連続の「しやべり」が、果たして番組になっているか。
  
 ラジオの常識を超越した私の「しやべり」がどう処理されたのか。現代の編集技術はどこまで進歩しているのか。別の意味で非常に興味深い。(苦笑)
 実にスリリングな番組なのである。
 ぜひ、お聞きいただきたい。 

 明日(17日夜8時)公開
 
  ● 烏賀陽弘道のU-NOTE
  
 第一週のテーマは「オリコン訴訟とインターネット」。
 何しろ、パーソナリティーが烏賀陽弘道氏で、ゲストが私なのである。
 当然の展開である。(笑)
 
 もし、私が自然に話していたら、ディレクターの岡田伸也氏の神業的編集のおかげである。
 もし、私が面白い内容を話していたら、パーソナリティーの烏賀陽弘道氏の神業的対応のおかげである。
 もし、めちゃくちゃになっていたら、全て私のせいである。
 すみません。すみません。

 今度は、ぜひ、生放送で呼んで欲しい。
 その方が、よりスリリングである。
 さあ、悪夢を楽しもう!
 
                      諸野脇@ネット哲学者
 

2010年02月24日

哲学者、リベンジか?(笑) ――インターネットラジオ出演、二週目

 「悪夢」のインターネットラジオ出演から一週間が経った。
 
   ● 哲学者、ブルーレディオドットコム(インターネットラジオ)に出演する
 
 本日から、第二週の放送が始まった。
 現在、再びブルーレディオドットコム(インターネットラジオ)出演中である。

   ● 烏賀陽弘道のU-NOTE

 私は、リベンジできただろうか。
 さすがに、二回目になると慣れてきた。
 立て板に水の「しゃべり」である……などということはなく、やはり沈黙してきた。(苦笑)
 編集で何とかなりますように。
 何とかなりますように。
 
 今週のテーマは「インターネットと選挙」である。
 私は、総務省の〈公職選挙法がホームページの利用を禁止している〉という解釈を批判してきた。
 この批判は大きな影響を与えた。次期門真市議・戸田ひさよし氏の活動、ブログ市長・竹原信一氏の活動にも繋がっているのである。
 詳しくは、次のアーカイブをお読みいただきたい。
 
   ● インターネット選挙 アーカイブ
 
 なぜ、このような大きな影響を与えられたのか。
 インターネットには〈重要なコンテンツを浮かび上がらせる機能〉があるからである。
 私は、インターネット上に文章を発表しただけである。
 それが大きな影響力を持つようになるのである。
 それは、多くの人がリンクを張ってくれるからである。リンクが私の文章を浮かび上がらせたのである。グーグルの検索上位に浮かび上がらせたのである。

   何でもいいからコンテンツをインターネット上にアップしよう。
 
 あなたがアップした情報が重要なものであるなら、それは自然と浮かび上がってくる。
 インターネットは巨大な情報評価システムなのだ。
 あなたが第二のスーザン・ボイルになるかもしれない。
 
 こんな話を詳しくしてきた。
 ぜひ、お聴きいただきたい。
 きっと、先週よりスムーズに話しているはずである!(苦笑)
 
                      諸野脇@ネット哲学者
                      

2010年04月24日

「覚醒剤は使用してはならない」という奇妙な校則を分析する

 私の入学した高校には奇妙な校則があった。
 次のものである。 

 覚醒剤は使用してはならない。
  
 この校則は、どう奇妙なのか。
 「覚醒剤は使用してはならない」のは当たり前のことである。当たり前のことをわざわざ書く必要はない。誠に奇妙である。
 このような当たり前のことを取り立てて校則で書くのは問題である。次のように解釈される恐れがあるからである。 
 このような当たり前のことをわざわざ書くところを見ると、書いていないことはしていいのだろう。例えば、万引きなどはしてもいいのだろう。
 
 校則とは学校の「法律」である。一般社会の法律に反することをしてはいけないのは、既に前提とされている。前提は書く必要はない。
 書く必要の無いものを書くと、上のような解釈が生じてしまう。つまり、「書いていないことはしていい」という解釈である。
 一つだけを「してはならない」と強調すると、他のことは「してもいい」という解釈を生じさせてしまう。
 
 実は、現行法にも同様の事例がある。法曹関係者にはよく知られた事例である。
 日本国憲法第三十六条である。(注1) 
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
 
 この条文には「絶対に」とある。しかし、他の条文にはそのような文言は無いのである。
 例えば、第二十九条である。 
 財産権は、これを侵してはならない。
 
 この条文には「絶対に」とは書いていない。
 つまり、第三十六条だけが強調されているのである。当然、次のような解釈が生じてしまう。 
 財産権は少しくらい侵してもいいんだ。万引き(窃盗)などはしてもいいのだろう。
  
 一部だけを強調すると、他の部分は重要でないという解釈が生じる。
 「解釈」と書いたことに注目いただきたい。
 法律は解釈するものなのである。
 どのように法律を解釈するか。(注2)
 それが問題である。

                     諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 日本国憲法の原文は次のページで読める。
 
  http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&H_NAME=%8c%9b%96%40&H_NAME_YOMI=%82%a0&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S21KE000&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1
  

(注2)

 古くからの読者は「文理解釈」・「論理解釈」を思い出したであろう。

  ● どのように法律を解釈すればよいのか --文理解釈と論理解釈

 その想像は正しい。


2010年04月25日

略称「日本」問題を分析する 1 ――法律が無いという理由で同一略称を受け入れる総務省に、現実の問題を訴えても無駄である

 政党の略称が問題になっている。
 〈たちあがれ日本〉が「日本」という略称を届け出ようとしているのだ。
 しかし、「日本」という略称は〈新党日本〉が使ってきた略称なのだ。 

 新党「たちあがれ日本」が、夏の参院選の比例代表で用いる略称を「日本」と届け出る方針を固めたことが波紋を広げている。過去3回の国政選挙で略称を「日本」としてきた新党日本は当然、反発。さらに、公職選挙法に同一呼称を禁ずる規定がなく、論理的には、今後結成される新党が略称「民主」や「自民」などを名乗ることも可能だという。

 「同一の略称は混乱をもたらす。大変憂慮している」。新党日本の田中康夫代表は14日の記者会見で不快感を表明。さらに、比例代表票の案分を懸念して、「憲政史上初めて、同一略称で国政選挙に臨みかねない状況を放置するのか」とする質問状を総務省に提出したことを明らかにした。

 田中氏は「『本物の民主』とか『まともな民主』という党を(政党要件を満たすため5人以上の)国会議員が作って、略称『民主』で届けられるかと総務省に聞いたら、『その通りだ』という驚くべき見解だった。2党だけの問題ではない」と訴えた。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100414/stt1004142050014-n1.htm

 
 田中康夫代表は「同一の略称は混乱をもたらす」と言う。
 当然、「混乱」が起こるであろう。

 しかし、総務省側にはそんなことは関係ないのだ。
 彼らの論理はこうだ。 

 私達は法律に基づき行動する。
 法律に規定が無い以上どうしようもない。
 
 総務省側はハードボイルドの世界なのである。現実にどんな大問題が起こっても彼らには関係ない。「民主」や「自民」を名乗る政党が現れても彼らには関係ない。法律に基づき行動するのだから、法律が無ければ何もしない。法律ハードボイルドの世界なのだ。
 このようなハードボイルドな総務省に現実の問題を訴えても無駄である。
 総務省の行動を変えるためには、法律の問題として論ずる必要がある。
 「法律が『同一略称』を禁止しているのだ」と主張する必要がある。
 田中康夫氏はそのような論を立てるべきであった。 
 法律が無いことを理由にする相手に、現実の問題を訴えても無駄である。
 
 そのような相手には、法律が有ると訴えるべきである。
 上の記事には次のようにある。 
 公職選挙法に同一呼称を禁ずる規定がなく……
 
 これは本当か。
 実は、「同一呼称を禁ずる既定」はあるのである。
 公職選挙法はもっと複雑である。
 そして、公職選挙法の解釈はさらに複雑なのである。〔……続く……〕

                     諸野脇@ネット哲学者


2010年04月26日

略称「日本」問題を分析する 2 ――総務省の公職選挙法の解釈は正しいか

 公職選挙法に「同一略称を禁ずる規定」はある。(注1) 

 ……〔略〕……名称及び略称は、第86条の6第6項の規定による告示に係る政党その他の政治団体にあつては当該告示に係る名称及び略称でなければならないものとし、同項の告示に係る政党その他の政治団体以外の政党その他の政治団体にあつては同項の規定により告示された名称及び略称並びにこれらに類似する名称……〔略〕……以外の名称及び略称でなければならない。
 (公職選挙法 第86条の2 3)

 非常に分かりにくい。
 簡単にまとめると次の通りである。 
 1 政党は、届け出た略称を使わなくてはならない。
 2 その他の団体は、それと同一の略称を使ってはならない。
 
 政党以外の団体については、「同一略称を禁ずる規定」があるのである。しかし、政党についてはそのような規定は明文化されていない。(注2)
 この条文をどう解釈するべきか。 
 弱小政治団体が大政党と同じ略称を使って利益を得ようとすることを禁じたのである。
 
 それでは、政党については、なぜ「同一略称を禁ずる規定」が明文化されていないのか。 
 政党が別の略称を使うのは当たり前だからである。

 政党が他の政党とは別の略称を使うのは当たり前である。政党ならば、他の政党との混同を避けたいと願うのが普通である。だから、別の略称を使う。
 それため、「同一略称を禁ずる規定」が明文化されていないのである。
 
 それでは、明文化されていないからといって、政党が「同一略称」を使ってよいのか。
 既に、政党でない政治団体については禁じられているのである。
 それが、政党にだけ認められるのは誠に不自然である。政党だけに「同一略称」を認める理由が思いつかない。

 つまり、公職選挙法の趣旨との関係で条文を解釈するべきなのである。文理解釈だけでなく、論理解釈をおこなうべきなのである。(注3)
 公職選挙法の趣旨を見てみよう。第1条「この法律の目的」を見てみよう。 

 この法律は、日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。
 
 「公明且つ適正に行われることを確保し」とある。つまり、投票する人の意志が「公明」「適正」に表せる「制度」を「確保」することが公職選挙法の趣旨である。
 この趣旨に照らせば、「同一略称」は認めるべきではない。「同一略称」では、その略称を書いた人の意志が分からなくなる。どの党に投票したかが分からなくなる。それでは、投票する人の意志が「公明」「適正」に表せる「制度」ではなくなる。
 それは、公職選挙法の趣旨に反する状態である。
 
 公職選挙法の趣旨との関係で条文を解釈した。
 政党についても、公職選挙法によって「同一略称」の使用は禁じられている。
 明文の規定が無いのは、当たり前だからである。
 こう解釈する方が自然なのである。
 

                     諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 公職選挙法の原文は次のページで読める。
 
  ● 公職選挙法(法庫)


(注2)

 政党についての条文は次の通りである。 

 ……〔略〕……当該政党その他の政治団体の名称及び一の略称を中央選挙管理会に届け出るものとする。この場合において、当該名称及び略称は、その代表者若しくはいずれかの選挙区において衆議院名簿登載者としようとする者の氏名が表示され、又はそれらの者の氏名が類推されるような名称及び略称であつてはならない。
 (公職選挙法第86条の6)


(注3)

 文理解釈と論理解釈については、次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● どのように法律を解釈すればよいのか --文理解釈と論理解釈
  

2010年04月27日

略称「日本」問題を分析する 3 ――政治主導とは役所から法律の解釈権を奪うことなのである

 二つの政党が同じ略称を使うのは問題である。有権者の意志が正確に選挙結果に反映されなくなる。もちろん、これは公職選挙法の趣旨に反する。
 そして、現在の公職選挙法においても「同一略称」は禁じられていると解釈した方が自然なのである。
 次の文章で詳しく論じた。
 
  ● 略称「日本」問題を分析する 2 ――総務省の公職選挙法の解釈は正しいか
 
 
 現在の公職選挙法も「同一略称」を禁じていると解釈できるのである。
 しかし、4月16日の会見で原口一博総務相は次のように言った。 

 今の法律では止める手だてはない。
 
 疑問がある。
 原口一博総務相は、自分で公職選挙法の原文を読んだのか。自力で法律を解釈したのか。
 次のような状態なのではないか。 
 総務相の役人が、原口一博総務相に「今の法律では止める手だてはありません。」と言う。
 そして、原口一博総務相は、それを信じて会見で同じように発言する。
 
 よくあることである。
 しかし、そうでない可能性もある。原口一博総務相自身が公職選挙法を解釈した可能性もある。その場合、原口一博総務相は自分が公職選挙法をどう解釈したかを示すべきであろう。(注1)
 次の批判に答えるべきであろう。 
 1 政党ではない政治団体は「同一略称」を禁じられている。それなのに、なぜ政党には認められるのか。
 2 政党が「同一略称」を使ってはいけないのは当たり前のことである。明文規定が無いのは、当たり前だから書かなかっただけである。(注2)
 3 公職選挙法の趣旨は、「公明」「適正」な選挙制度の確立である。その趣旨から見て、政党についても「同一略称」は禁じられていると解釈するのが自然である。
 
 このような批判に前もって答えておくべきなのである。
 しかし、原口一博総務省は何もしなかった。
 もしかしたら、原口一博総務相は法律を解釈するという発想自体をもっていないのかもしれない。
 それならば、次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● 「法律を解釈する」という発想
   
 法律とは解釈するものなのである。
 自分に都合よく法律を解釈することで、現実を操作することが可能なのである。だから、法律は自力で解釈しなくてはならない。そして、どちらの解釈が正しいのかを争わなくてはならない。
 役人は法律の解釈を独占することによって、権力を持っているのである。影響力を持っているのである。
 「政治主導」という概念がある。しかし、政治家が役人の法解釈をうのみにしている限り、そのような状態は実現しない。 
 政治主導とは、政治家が法律を解釈することである。
 法律の解釈を通して、現実を変えることである。
 
 政治主導とは役所から法律の解釈権を奪うことなのである
 政治家は、役人から「今の法律では出来ない」と言われるであろう。しかし、それは本当か。自力で法律を解釈しなくてはならない。別の解釈で役人の解釈を圧倒しなくてはならない。その解釈によって現実を変えなくてはならない。
 原口一博総務相は正にそれをするべき立場にいるのである。
 原口一博総務相には私の文章の存在を「つぶやいて」おいた。私の解釈をよく読んでもらいたい。そして、自分の解釈で判断をくだしてもらいたい。(注3)

                     諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 原口一博総務相が役人の解釈をうのみにしたかどうかは分からない。
 しかし、自分の解釈であるのならば、その解釈を示す責任がある。
 
 
(注2)

 条文に書いていないからといって、おこなってよいとは限らない。
 校則に「万引はしてはいけない」と書いていなくても、万引はしてはいけないのである。
 次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● 「覚醒剤は使用してはならない」という奇妙な校則を分析する  
 
 この文章の事例と「同一略称」の事例とを比較すると発想が広がるはずである。
 しかし、今はその時間がない。


(注3)

 この文章を書き終わってから、政府が「同一略称」を「受理せざるを得ない」と判断したという事実が報道された。これで二つの政党が「日本」という同じ略称になってしまった。残念である。
 
  ● 参院選で2党が「日本」名乗る 政府、同一略称を受理   
 
 さらに残念なのは、政府や原口一博総務相が自分の解釈を全く述べていないことである。(私にも読み落としがあるかもしれない。述べている事実があればお教えいただきたい。)


2010年04月29日

略称「日本」問題を分析する 4 ――総務省・原口一博大臣は本当に法律ハードボイルドなのか

 二つの政党が同じ略称「日本」を使う事態となった。
 異常な事態である。
 私は、次のように書いた。 

 田中康夫代表は「同一の略称は混乱をもたらす」と言う。
 当然、「混乱」が起こるであろう。

 しかし、総務省側にはそんなことは関係ないのだ。
 彼らの論理はこうだ。
 
   私達は法律に基づき行動する。
   法律に規定が無い以上どうしようもない。

 
 総務省側はハードボイルドの世界なのである。現実にどんな大問題が起こっても彼らには関係ない。「民主」や「自民」を名乗る弱小政党が現れても彼らには関係ない。法律に基づき行動するのだから。法律が無ければ何もしない。法律ハードボイルドの世界なのだ。
  ● 略称「日本」問題を分析する 1 ――法律が無いという理由で同一略称を受け入れる総務省に、現実の問題を訴えても無駄である


 今回の問題に対して、総務省・原口一博大臣はこのような姿勢を取った。法律ハードボイルドな姿勢を取った。
 これは、いわば次のような姿勢である。 
 校則に「万引き禁止」と書いていないから、学生が万引きをしても容認する。
 
 誠にアホらしい。ごく普通の市民はあきれるであろう。
 しかし、観点を変えて考えてみよう。法律ハードボイルドな姿勢にどのような意味があるのかを考えてみよう。
 法律ハードボイルドな姿勢の意義は何か。恣意的な公権力の行使を避けることである。恣意的な公権力の行使は危険である。だから、明文化された法律に基づいて公権力を行使する。出来るだけ公権力を行使しないようにする。
 このような点で、法律ハードボイルドな姿勢には一理ある。

 しかし、総務省・原口一博大臣は本当に法律ハードボイルドなのか。
 本当に法律ハードボイルドであるならば、いつもそのような姿勢を取っているはずである。総務省・原口一博大臣はいつもそのような姿勢を取っているか。
 いや、取っていない。
 インターネットの選挙利用について総務省は恣意的に法律を拡大解釈している。それによって、インターネット上の選挙活動を十年も妨害し続けているのだ。
 
 公職選挙法にはインターネットという語は一語もない。当たり前である。大昔に出来た法律なのである。
 だから、総務省(当時は自治省)は次のように言えばよかったのだ。 

 今の法律では止める手だてはない。

 総務省がこう言っていれば世界は変わったのである。
 選挙におけるインターネット利用が進んだのである。選挙でインターネットを利用するのは世界の常識である。(注1)
 それにもかかわらず、総務省はインターネットの選挙利用を妨害してしまった。〈ホームページが文書図画である〉と恣意的な解釈をしてしまった。
 ホームページは見たい者がアクセスするものである。言わば、選挙事務所の資料室のようなものである。望まなくてもポストに入ってくるビラ(文書図画)とは全く違う。(注2)
 なぜ、総務省は法律ハードボイルドな姿勢を取らなかったのか。「インターネットについては規定が無い」と言わなかったのか。
 なぜ、原口一博大臣は、総務省の姿勢を変えようとしないのか。
 
 やはり、総務省・原口一博大臣は、法律ハードボイルドではない。
 十年間もインターネットの使用を妨害しているのである。公権力を行使し続けているのである。公権力の行使に慎重な訳ではない。
 ある時は、〈法律に規定が無いから禁止できない〉と言う。
 別の時は、法律を恣意的に解釈して禁止する。
 これでは次のように疑われても仕方ない。自分の都合のよいように法律を解釈しているだけではないか。または、法律を解釈する能力が無いのではないか。(注3)
 総務省は、十年間もインターネットの選挙利用を妨害してきたのである。
 
                     諸野脇@ネット哲学者


(注1)

 次の文章をお読みいただきたい。
 
  ● ブログを更新して刑事告発される? オバマ大統領もびっくりだよ!
 
 
(注2)

 詳しくは次の文章をお読みいただきたい。

  ● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
  ● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か
 
 総務省の解釈がいかに恣意的かを詳しく論じている。
 
 
(注3)

 役所が出生届を不受理にしたことがある。親が子供に「悪魔」と名づけようとしたのである。
 しかし、戸籍法には次のような文言しかない。 

 第50条 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。
  
 これで不受理に出来るのならば、今回の政党の名前(略称)も不受理に出来るはずである。なぜ、不受理にしないのか。不思議である。
 また、この条文で不受理にするためには、「ものすごい」論理解釈が必要だったはずである。それなのに、なぜ今回は普通の論理解釈すらしないのであろうか。不思議である。
 

2010年05月01日

「ゾンビ集団」(在特会)が戸田ひさよし前門真市議を襲って大ピンチ

 戸田ひさよし前門真市議が「ゾンビ集団」(在特会)に襲われた。
 襲撃の様子を戸田ひさよし氏は次のように語る。 

 歩道橋の上を通ると、在特会・主権回復会(以下、「在特会ら」と呼ぶ)の連中が戸田を見つけて「戸田だ!」、「戸田だ、この野郎!」と喚きつつ、明らかに殴りつけ、蹴り付けて集団暴行しようとして襲いかかって来た。
 大勢の警官が警備している目の前でである!

 ……〔略〕……

 戸田が下りエスカレーターを降りる間、戸田を後ろの警官らの後ろから襲いかかる者、上りエスカレーターを駆け下る者、隣の階段を駆け下る者と、まるで映画のゾンビ集団みたいに在特会らは戸田襲撃に大騒ぎ。

 そうして戸田がエスカレーターを降りて地面に立った時には、戸田の回りの警官らを在特会らが取り囲んで2方向3方向から戸田に襲いかかる事態になった。
 警官の体の隙間から手を出して戸田をこづこうとする者、蹴りを入れようとする者、デジカメを奪おうとする者、そしてメガネに手をかけて意図的に落としてしまう者まで現れた。
 http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6388;id=01#6388

 
 その時の映像が次のものである。
 
   ● 4・7在特会らが戸田を襲撃!1:1:56.MP4
  
 集団で戸田ひさよし氏を追いかけ、襲いかかっている。手を伸ばして襲いかかり、眼鏡を落としたりしている。膝蹴りをした者もいるらしい。
 まさに「ゾンビ集団」である。

 さあ、これは大ピンチである。
 「ゾンビ集団」が。(笑) 

 一般社会においては暴力を振るった方が負けなのである。
  
 「ゾンビ集団」は、多くの人が見ている前で、警察官もいるのにもかかわらず暴力を振るった。そして、それをビデオで録画されているのである。
 これは「ゾンビ集団」にとって圧倒的に不利な状況である。
 この状況で戸田ひさよし氏が刑事告訴したら、「ゾンビ集団」はひとたまりもない。
 そして、ついに昨日、戸田ひさよし氏が「ゾンビ集団」に対して刑事告訴をおこなった。
 次のようにである。 
 被告訴人達の下記所為は、刑法第208条(暴行罪)および刑法第261条(器物損壊罪) に該当し、かつ今後も繰り返される危険性が極めて高いと思料されるので、被告訴人達の厳重な処罰を求めるため告訴する。
 http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6438;id=01#6438

 「ゾンビ集団」には「厳重な処罰」がくだされるべきである。
 集団で一人の人間を追いかけ暴力を振るうのは、ゾンビとしては普通のことであろう。しかし、人間社会では暴力は認められていない。
 それを「ゾンビ集団」に思い知らしてやらなくてはならない。 
 人間社会はゾンビの存在を認めていない。
 
 だから、彼らには、人間社会の一般的な基準で罰がくだされるであろう。
 「ゾンビ集団」は人間になるべきである。
 
                     諸野脇@ネット哲学者
 

2010年05月06日

「ゾンビ集団」の一部(主権回復会)が人間化を宣言する ――在特会も人間化せよ

 戸田ひさよし氏を襲った「ゾンビ集団」について、私は次のように書いた。 

  「ゾンビ集団」は人間になるべきである。
 ビッグ・ニュースが入ってきた。(注1)
 さっそく「ゾンビ集団」の一部が人間化を宣言したのである。
 「ゾンビ集団」は、戸田ひさよし氏だけでなく徳島日教組も襲撃していた。この襲撃について、主権回復会の西村修平代表は言う。 
 ……〔略〕……徳島日教組糾弾に関わった西村 斉、荒巻靖彦、永山 嵩の各氏、会の承諾を得ないで記者会見に出席した山道哲也氏を除名とします。
 http://www.shukenkaifuku.com/info/main.cgi?mode=thr&no=15

 つまり、「ゾンビ集団」化して違法行為をおこなった者を「除名」したのである。
 これは当然の判断である。ゾンビを除外することによって、主権回復会は人間集団になろうとしているのである。
 さらに、西村修平代表は次のような分析をしている。
 3・28カウンターデモと徳島日教組糾弾は警察がまともであれば逮捕者が出た行動であった。

 前者に関して言えば、デモ隊の行進ルートに躍り出て妨害を加える、機動隊の盾をつかんで揺さぶる、体当たりをを加えるなどなど、本来なら全てが威力業務妨害若しくは公務執行妨害に該当する現行犯で逮捕されていた。

 後者は私的施設に押し入り、制止を無視してトラメガで咆吼する、受話器を取り上げ通話を妨害する、書類などをまき散らすなどなど、全て現行犯で逮捕されていたはずである。

 よくぞ逮捕されなかったが何故か。警察の能力が想像を絶するほど低下しているだけの話である。

 これらの映像は無編集でネット上にYouTube等で紹介されているが、刑事事件の取り調べではまたとない証拠資料として採用され、妨害事実を証明することになる。自らの映像で自らが起訴される格好の証拠を自慢げにネットに挙げたままにしているのは笑止の沙汰でしかない。愚かの限りである。

 以上は、もし逮捕者が出た場合、不当逮捕にはあたらない。れっきとした現行犯逮捕である。この点を深刻に考えなければならない。
 〔同上

 
 全く正しい分析である。(苦笑)
 もう一度、確認してみよう。 
 ……〔略〕……自らの映像で自らが起訴される格好の証拠を自慢げにネットに挙げたままにしているのは笑止の沙汰でしかない。愚かの限りである。

 代表自ら、よくぞ言った。(注2)
 私も、そう思っていた。
 これがその「映像」である。
 
   ● 4 月14日②募金詐欺組織のネコババ日教組を許さない!
   
 「ゾンビ集団」が成果だと思って公開している動画が、犯罪の証拠になってしまっている。「愚かの限り」である。
 この文章を読む限り、主権回復会には「ゾンビ集団」ではなくなる意志があるようである。人間化しようという意志があるようである。
 
 問題は在特会である。在特会は非を認めていないのである。
 在特会の桜井誠会長は上の襲撃について次のように述べている。
 この告訴については今後徳島県警の判断が下されると思いますが、そもそも抗議されるべき問題を起こしたのは誰なのかという点について考えれば、全国規模の募金詐欺という前代未聞の組織的犯罪行為を行った者こそが糾弾されるべきものであると思います。
 ● 日教組という闇
   
 日教組が「募金詐欺」をしていたかどうかなどどうでもいい。
 桜井誠会長が〈悪い奴だから襲撃しても当然〉という原理を主張している方が大きな問題なのである。 
 〈悪い奴だから襲撃しても当然〉はテロリストの原理である。
 
 桜井誠会長は『週刊金曜日』誌上で「小沢一郎暗殺計画」を公言している。(注3)
 だから、テロリストの原理を主張するのは当然である。
 
   ● 在特会「桜井誠」が小沢一郎暗殺計画を認める
  
 しかし、テロリストやゾンビは日本社会では認められていない。桜井誠会長は、このことを理解するべきである。
 さらに、在特会の立場は、「友好団体」である主権回復会からも支持されていない。主権回復会は、既に人間になろうとしているのである。
 在特会も早く人間になるべきである。
 もし、人間にならなければ、その行動に応じた罰を受けることになるであろう。
 
                     諸野脇@ネット哲学者
 
 
(注1)

 この事実は次の文章で知った。
 
   ● 矢野・朝木両「市議」がいつまでも「襲撃する運動」と公式に絶縁しない中、主権回復を目指す会が「チーム関西」を完全に切り捨て
 
 three_sparrows 氏にお礼申し上げる。
 
 
(注2)

 西村修平代表は会員の違法行為に対して「除名」という毅然とした対応を取った。この対応を率直に評価する。
 しかし、次の二つの疑問がある。
 
 1 なぜ、西村修平代表は謝罪しないのか。代表には、会員の管理責任があるのである。
 2 西村修平代表じしんが違法行為をおこなったという報告がある。なぜ、西村修平代表は、自分を「除名」処分にしないのか。
 
 1は当たり前である。
 だから、2を詳しく説明する。
 次のような事実が報告されている。 

 ところが、終盤になって宝塚方面から来た「在特会」関係者約30名が、警察の制止を振り切り、集会中のロータリーになだれ込んだ。彼らは「朝鮮人帰れ」「慰安婦は売春婦だ」「外国人参政権反対」「売国奴・小沢一郎」などとわめきながら、女性に体当たりし、展示パネルを剥ぎ取り、足で踏みにじった。

その際彼らは、写真を撮っていた人らを羽交い絞めにし、フィルムを出せと脅したという。なお、慰安所の地図と、妊娠した被害者のセットのパネルを剥ぎ取って持ち帰ったのは、「主権回復を目指す会」代表・西村修平であることがわかっている。
 ● 暴力化する民族排外主義

  
 西村修平代表は「慰安所の地図と、妊娠した被害者のセットのパネルを剥ぎ取って持ち帰った」のである。
 これは窃盗である。(また、暴行・器物破損をおこなっている可能性もある。)
 自ら違法行為をおこなったのだから、自分を「除名」処分にするべきである。
  
  
(注3)

 なぜ、これで桜井誠会長が逮捕されないのか不思議である。
 『週刊金曜日』という著名な雑誌で、堂々と「小沢一郎の首を取る」・「ある程度のプランは立ててますけど」と述べているのである。
 2ちゃんねるに「国会に突入して、小沢一郎を殺す」と落書きしただけで、逮捕されるのである。2ちゃんねるの落書きより、雑誌誌上で「プランは立ててます」と言う方が危険性が高い。
 桜井誠会長は逮捕されて当然なのである。
 

2010年09月16日

竹原信一市長、専決処分「乱発」問題を考えるための論理

 竹原信一市長が、議会を開かず重要な事柄を独断で決めている。市職員のボーナスを半減したり、議員報酬を日当制にしたりしてる。
 なぜ、竹原信一市長はこのような専決処分を「乱発」しているのか。 

 市長に解散権が無いからである。
 制度上の問題があるからである。
 
 ツイッターで詳しく論じた。(http://twitter.com/shonowaki
【ツイッターから】

 竹原信一市長は、なぜ「独裁者」になったのか。なぜ、議会に諮らずに、独断で物事を決めたのか。それは、市長に議会を解散する権限が無いからである。

 竹原信一市長が提案した重要法案の全てを阿久根市議会は否決した。これは、実質的に阿久根市議会は竹原信一市長に対して不信任なのである。

 竹原信一市長と阿久根市議会は全く主張が対立しているのである。それならば、阿久根市議会は竹原信一市長に対して不信任決議をするべきなのである。しかし、阿久根市議会は不信任決議をしなかった。なぜ、不信任決議をしなかったのか。不信任決議を可決すると、竹原市長が議会を解散するからである。

 阿久根市議会が竹原信一市長に対して不信任決議を可決すれば、竹原信一市長は議会を解散できる。もちろん、その解散選挙で反竹原派が勝てば、竹原信一市長を失職に追い込むことが出来る。しかし、反竹原派にはその自信がない。だから、不信任決議をしないのである。

 これで全てのピースがはまった。 1市長と議会が完全に対立している。 2それにも関わらず、議会が不信任決議をしない。 3不信任決議が可決されない限り、市長の側からは議会を解散する方法がない。 この状態では何も決めることが出来ない。これが竹原信一市長が専決処分をおこなった構造である。

 市長には議会を解散する権限がない。だから、自分の提案に全て反対する市議会が存在した場合、何も決められなくなる。(専決処分を除く。)しかし、それは筋が通らない。全てに反対ならば、不信任決議を可決するのが筋である。阿久根市議会も竹原信一市長に対して不信任決議を可決するべきなのである。

 【まとめ1】竹原信一市長が専決処分を「乱発」したのは、市長に議会の解散権が無いからである。阿久根市議会は、市長と議会との対立で何も決まらない状態だった。しかし、竹原信一市長の側からそれを打開する手段がなかった。つまり、議会を解散して民意を問う手段が無かった。

 【まとめ2】打開する手段があったのは、阿久根市議会の側だった。市議会が、竹原信一市長に対して不信任決議をすればよかったのだ。そうすれば、竹原信一市長は議会を解散できた。民意を問うことが出来た。しかし、議会側は何もしなかった。

 【まとめ3】市長と議会とが完全に対立した状態であるにも関わらず、議会側が何もしなければ、市政は痲痺してしまう。何も決まらなくなってしまう。これは制度上の問題である。

 【まとめ4】その制度上の問題を無理やり解決しようとする試みが専決処分の「乱発」である。


 竹原信一市長は、議会に諮らずに重要な事柄を次々と決めた。市職員のボーナスを半減し、議員報酬を日当制にした。まさに「独裁者」である。しかし、その行為には理由があった。制度上の問題があるのである。市長の側から議会を解散する権限が無いのである。この状態を打開する手段を持っていたのは、市議会側だったのである。
 この構造を理解することが重要である。

                    諸野脇@ネット哲学者


2010年09月28日

なぜ、竹原信一市長は「独裁者」になるのか

 阿久根市では、竹原信一市長と議会の対立が続いている。
 私は、こうなることを既に予測していた。
 
   ● 祝・竹原信一氏再選! ―― さあ、心ゆくまで「対立」しよう
 
 阿久根市議会は議会のていをなしてない。議員を全員入れ替えなくてはいけない。竹原信一市長はそのように考えていた。
 対立が続くに決まっている。
 
 現在、阿久根市は興味深い状態にある。
 阿久根市議会は、竹原信一市長が提出する重要議案をほとんど全て否決してきた。議会と市長は完全な対立状態にある。
 それならば、阿久根市議会は竹原信一市長への不信任案を決議するのが筋である。
 しかし、阿久根市議会はそれをしない。
 なぜか。 

 不信任案を決議すると、議会を解散されるからである。
 
 これでは、議員全員の入れ替えを狙う竹原信一市長の思う壺である。
 しかし、自分たちに自信があれば、議会の解散は恐くないはずである。民意が自分たちの側にあるならば、再選挙で竹原信一市長を支持する議員が減るはずである。そして、最終的には、竹原信一市長を失職に追い込めるはずである。
 しかし、阿久根市議会には、自分達の側に民意があるという自信がない。
 だから、不信任案を決議できない。 
 阿久根市議会が竹原信一市長の不信任案を決議しないのが事態が変わらない原因である。
 
 全ての重要議案に反対ならば、不信任案を決議するべきである。市長と議会が完全に対立しているならば、不信任案を決議するべきである。
 当たり前の原理である。
 
 さらに興味深い事態がある。
 この事態を竹原信一市長から打開する方法がないのである。
 竹原信一氏は言う。 
 ……〔略〕……自治体の首長が提出した条例案や予算案が議会に反対されたとき、首長の側には実質的な対抗手段がないのが現実です。
 議院内閣制を取る国政の場なら、反対する議会に対して内閣総理大臣は衆議院の解散権を行使して対抗することができますが、地方政治においては、首長に「一応」の解散権は認められているものの、順序として、議会が首長の不信任案を可決しなければ、首長は議会を解散できない決まりとなっています。〔竹原信一『独裁者 “ブログ市長”の革命』扶桑社、23ページ〕(注1)
 
 市長の側から議会を解散する権限がないのである。
 つまり、議会に「不信任案を可決」させるしか議会を解散する方法がないのである。
 もうお分かりであろう。
 なぜ、竹原信一市長は「独裁者」になるのか。 
 市長が議会を解散する方法がないからである。
 
 市長と議会とが完全に対立した状態では、市政が麻痺してしまう。そして、議会が「不信任案を可決」しなければ、この状態は変わらない。(注2)
 だから、竹原信一市長の行動を次のように解釈することも出来る。竹原信一市長は、「独裁者」になることで、「不信任案を可決」させようとしているのである。議会の皆さんに特別な形で「お願い」しているのである。
 このような特別な形の「お願い」をしなくてはならないのは、阿久根市議会が筋を通していないからである。阿久根市議会が、堂々と「不信任案を可決」すれば事態は変わる。
 
                     諸野脇@ネット哲学者
                     

(注1)

 次の本である。
 
   竹原信一 『独裁者 “ブログ市長”の革命』 扶桑社
  
 反市長派の人は、ぜひ、読むべきである。(笑)
 竹原信一市長の考えを知ることで、市長の行動が予測できるからである。
 ちなみに、この本には、私の「インターネット選挙」関係の文章が引用されている。
 
 
(注2)

 最近、竹原信一市長に対するリコール運動がおこなわれている。実は、この文章を書いたのはリコール運動が始まる前なので、その事実は考慮されていない。
 確かに、住民によるリコールでも「状態は変わ」る。しかし、非常に手間のかかる方法である。例外的な方法である。
 大きな疑問がある。
 リコールを始めた市民は、反市長派議員に「不信任案を可決」するように要求したのか。要求はしなかったのであろう。なぜ、当たり前の要求をしないのか。
 「不信任案を可決」すれば簡単に民意が問えるのである。民意を問わない(問えない)反市長派の議員の問題を不問にしたリコール運動は不自然である。

2010年09月29日

「竹原信一市長と議会がよく話し合うべき」という一般論を批判する

 〈竹原信一市長と阿久根市議会とがよく話し合うべきだった〉という趣旨の意見をもらった。この意見はもっともに思える。しかし、この意見は現実離れした一般論に過ぎない。 

 事実をよく見よ。
 
 これは一般論に対する厳しい批判である。一般論が通用するように思うのは、事実をよく見ていないからである。事実をよく見れば、問題がそう簡単でないことが分かる。
 それでは事実を見ていこう。


【ツイッターから】http://twitter.com/shonowaki

 〈竹原信一市長と阿久根市議会とがよく話し合うべきだった〉という趣旨の意見をもらった。しかし、事実をよく見るべきである。既に説明したように、阿久根市議会は議論する場ではない。ゆえに、話し合いも成立しない。残念ながら。

  さらに、具体的な事実を見よう。山田勝議員の証言である。

 (山田勝議員の証言1) 現在の阿久根市議会に「話し合いなど存在しない」議員の話し合いや休憩をする議員控室に集まる事は殆どない。委員会や本会議開催中も多数派は議長室、広い控え室は市長の改革を支持する4人議員だけ。

 (山田勝議員の証言2) 現在での議会の重要なことは議長室で多数派で協議し決定して本会議でいきなり提案して決定している。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525778&log=20100608

 「議会の重要なこと」は多数派が「本会議でいきなり提案して決定して」しまうのである。山田勝議員自身も言う。「話し合いなど存在しない」 話し合い論者は、この事実をよく見るべきである。

 つまり、これは「独裁」と「独裁」との戦いである。議会の多数派と市長との戦いである。議会の多数派は話し合い無しで議決をする。竹原信一市長も話し合い無しで専決処分をする。

 もちろん、〈話し合うべき〉という一般論は正しい。しかし、このような阿久根市の具体的な事実を踏まえない一般論は虚しい。役に立たない。問題は、この状態で次の一手をどう打つかなのだ。

 議会は議論をする場ではない。http://shonowaki.com/2009/05/post_69.htmlそう論じたところ、多くの人が驚いた。「えっ?議会って酷すぎ」しかし驚かない人がいた。議員達である。「うちの議会もそうだよ」結論。あなたの議会もたぶん無事ではない。(苦笑

 議員にとっては、議会で議論がおこなわれないのは常識らしい。http://shonowaki.com/2009/05/post_73.html確かに、この「はぐらかし」を見ると、議論を期待するのが虚しくなる。

 〈議会の可視化〉が必要である。議会のインターネット中継が必要である。http://shonowaki.com/2009/04/post_71.html我々は、我々の議会の異常な状態を知る必要がある。状態を知れば、変えたくなる。〈情報公開〉こそ「変革」の中心なのである。


 議会は、誠にひどい状態なのである。この事実を確認しよう。
 多数派の議員は「議員控室」にいない。「議長室」にこもっているのである。そこで、密室の密談をしている。(苦笑)
 そして、多数派は「重要なこと」を「本会議でいきなり提案して決定して」しまうのである。
 このような状態では「話し合い」は成立しない。「議論」は成立しない。
 さらに具体的に事実を見よう。
 今日、次のような事態が起こった。
 
   ● 阿久根議会、副市長選任取り消し可決 市長派が議場封鎖
 
 多数派は、もともと「話し合い」をする気はない。「話し合い」なしで、最初から決めていた結論を多数決で押しつけようとする。それに対抗して、少数派は「議場封鎖」をする。
 「話し合い」論者は、阿久根市に行って両者を説得してみるといい。「話し合い」をするように説得してみるといい。
 問題がもっと複雑であることを実感するであろう。
 
                     諸野脇@ネット哲学者

2010年09月30日

議会で多数派による「独裁」がおこなわれていることこそ問題である

 山田勝議員は次のように言う。 

 現在の阿久根市議会に「話し合いなど存在しない」議員の話し合いや休憩をする議員控室に集まる事は殆どない。委員会や本会議開催中も多数派は議長室、広い控え室は市長の改革を支持する4人議員だけ。

 現在での議会の重要なことは議長室で多数派で協議し決定して本会議でいきなり提案して決定している。
   http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525778&log=20100608

 
 多数派は「重要なこと」を「本会議でいきなり提案して決定して」しまうのである。
 議会は、多数派が自分達が決めたいことを決める場になっている。議論もせずに決める場になっている。
 つまり、議会は、多数派による「独裁」の場なのだ。まず、議会側が「独裁」体質を持っているのだ。多数派議員は、話し合いによって考えを変えない。初めから決めている結論を議決によって少数派に押しつけるだけである。
 
 これに対して、竹原信一市長は議会を召集しなかった。召集すれば、多数派による「独裁」を許すことになる。そして、竹原信一市長は専決処分で次々と自分の公約を実現していった。もちろん、これも「独裁」である。 
 1 議会は多数派による「独裁」の場になっている。
 2 だから、竹原信一市長は議会を召集しなかった。
 3 そして、竹原信一市長は専決処分による「独裁」をおこなった。
   
 つまり、これは「独裁」対「独裁」の闘いなのである。
 一般に、竹原信一市長の「独裁」だけが問題にされている。しかし、その前に、議会の「独裁」がある。
 そして、議会の「独裁」を市長側から解決する手段が無いのだ。既に、述べた通りである。
 
   ● なぜ、竹原信一市長は「独裁者」になるのか 
 
 これは多くの「改革派」首長が直面している問題である。自分の公約を実現しようとしても、議会で多数を取れなくては実現できない。しかし、首長には議会の解散権が無い。(注1)
 これは、言わば〈ねじれ市政〉である。首長と議会が完全に対立していても、首長の側からはその状態を解決する方法が無い。

 実は、議会による「独裁」の方が大きな問題なのである。竹原信一市長は一人しかいない。しかし、議会は日本中に無数にある。そのほとんどで多数派による「独裁」で物事が決まっていることが想定される。
 何しろ、議会は議論をする場ではない。(苦笑)
 
   ● 議会は議論をする場所ではないらしい(苦笑)  ―― 奇妙な規則「質問は三回まで」

 「奇妙な規則」によって、議会は議論をする場ではなくなっている。このような議論を実質的に禁止する規則がほとんどの議会にある。「質問は三回まで」・「申込みしておかないと討論できない」などなど。(注2)
 つまり、ほとんどの議会で「独裁」がおこなわれていることが想定できる。
 これは重大な問題である。
 
                     諸野脇@ネット哲学者

 
(注1)

 これは、〈首長の公約が必ず全て実現されるべきである〉と主張している訳ではない。〈首長の側に民意を問う手段が無い〉と指摘しただけである。民意を問うた結果、議会で多数を取れず、首長の公約が実現できないことはあり得る。
 
 
(注2)

 次の本に「奇妙な規則」の実例が紹介されている。
 
   戸田ひさよし 『チホー議会の闇の奥』 青林工藝舎
   
 特に「『言論の府』を自ら否定している議会の実態」(37ページ)をお読みいただきたい。

2010年10月02日

【哲学者ブログ相談室】にわやま由紀議員のご相談にどう答えたらいいでしょうか ――情報公開を拒む議会をどうするか

 にわやま由紀議員のブログを見て吹き出す。吹き出してはいけない。いや、たぶん吹き出していい。「議員ブログ相談室:おしえて!諸野脇先生!」って。(笑)


■2010/10/01 (金) 議員ブログ相談室:おしえて!諸野脇先生!

諸野脇先生は、『〈情報公開〉こそ「変革」の中心』・・・と書いていらしゃいますが、本当にその通りと思います。ただ、「職員が仕事をしたく無い(忙しいらしい)」という理由と「情報公開されると都合が悪い」ということから情報公開さえ拒んたり(きちんと条例で拒めるようになっています)、自分たちに都合の悪い情報は議長権限で公開しない(例えば、庭山の資料請求だけ1年以上保留したり、「議会だより」に庭山の発言部分だけのせないとか、庭山が議員の実態を明言したためにケーブルテレビ放映を中止する)など、こういう自治体、議会はどうしたらいいのでしょうか?

おしえて、諸野脇先生。
   http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=201010


 確かに、そう書いた。次の文章である。
 
   ● 議会の〈情報公開〉こそ「変革」の中心 
 
 そういう議会は「どうしたらいいの」か。
 うーん。困った。私は哲学者だから、実務にはうといのである。
 そうだ。こうすればいいのだ。


■2010/10/02 (土) 哲学者ブログ相談室:おしえて!みなさん!

にわやま由紀議員から質問を受けました。

   http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20101001

情報公開を目指すと、それを妨害する議会があります。このような議会はどうしたらいいでしょうか?

おしえて、みなさん!

 
 多くの議会で、改革派議員が同様の「被害」にあっている。議会が情報公開に応じない。情報公開をしたために、「嫌がらせ」を受ける。
 にわやま由紀議員の相談は重要である。
 ぜひ、ご回答をお願いしたい。(注)
 
                    諸野脇@ネット哲学者

 
(注)

 ツイッターでも回答を募集してる。
 
   ● shonowakiのツイッター
  
 こちらもご注目いただきたい。
 

2010年10月18日

にわやま由紀議員は桐生市議会を引き続き「こらしめて」やりなさい(笑)

 にわやま由紀議員から質問をいただいた。
 
   ● 【哲学者ブログ相談室】にわやま由紀議員のご相談にどう答えたらいいでしょうか ――情報公開を拒む議会をどうするか

 答えは次の通りである。 

 にわやま由紀議員は桐生市議会を引き続き「こらしめて」やりなさい。(←水戸黄門風に読んで欲しい。偉そうで恥ずかしいが。笑)
 
 桐生市議会は「情報隠蔽」をしたいのである。それならば、どんどん「情報公開」をしてやればよい。それが彼らにとって一番痛いはずである。
 桐生市議会がにわやま由紀議員に「嫌がらせ」をしてくるのは、痛いところを突かれているからである。
 詳しくは以下の「連続ツイート」ご覧いただきたい。
 
【ツイッターから】http://twitter.com/shonowaki

 にわやま由紀議員、登場! これまでの経緯を説明する。

 にわやま由紀議員は桐生市議会の「腐敗」を明るみに出した。そして、議会から「問責決議」をいただいた。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100923「腐敗」を指摘した議員に嫌がらせをする。不正な議会の特徴。

 にやわま由紀議員作「桐生市議会のブラックジョーク的政務調査費の使い方一覧表」http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100917やはり、心を打つのは佐藤光好議員の「アンプ」。(苦笑)「アンプ」で何を調査するのか。

 にわやま由紀議員は、男性市議が「二次会で卑わいなダンスを踊った」と議会で発言。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100918 河原井始議員が「二次会で卑猥なダンス」踊ったと主張した。

 「政務調査費不正流用」疑惑と「セクハラ」疑惑である。議会はどうしたか。ケーブルテレビに放送しないよう申し入れた。(苦笑)http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100921 結局、その回の議会中継は中止になった。

 疑惑があれば、それを解明するのが筋である。「アンプ」を買った佐藤光好議員の言い分を聞き、「卑わいなダンス」を踊ったとされる河原井始議員の言い分を聞くのである。疑惑の解明が必要である。そして、疑惑が事実ならば、両議員に「問責決議」「懲罰」を下す必要がある。それが真っ当な議会である。

 しかし、桐生市議会は真っ当ではないので、疑惑を解明しようとはしない。逆に、告発したにわやま由紀議員に「問責決議」「懲罰」を下した。滅茶苦茶である。(実は、このような真っ当でない議会の方が多いのである。苦笑)

 桐生市議会は真っ当ではないので、ケーブルテレビの議会中継まで止めてしまう。「情報隠蔽」をしてしまう。もし、にわやま議員の主張が間違いならば、にわやま議員が恥をかくのだ。堂々と放送させればいい。議会の行動は異常である。市民は次のように思うだろう。「よほど、やましいことがあるんだな」

 これが桐生市議会の現実である。にわやま由紀議員はその議会の一員である。(お疲れさまです。苦笑) それで、次の質問になった訳である。

 【再ヒ】 ブログ更新! 「【哲学者ブログ相談室】にわやま由紀議員のご相談にどう答えたらいいでしょうか ――情報公開を拒む議会をどうするか」 http://shonowaki.com/2010/10/post_104.html

 大変ですね。桐生市議会はケーブルテレビの議会中継を中止させました。にわやま由紀議員の発言が広まらないようにです。これはあまりに突出しています。突出したところを叩くのが原則です。「不正を隠蔽するためにテレビ放送を中止させた桐生市議会」と批判が出来ます。

 実は、桐生市議会がケーブルテレビの議会中継を中止させたことはチャンスなのです。ピンチは裏を返せばチャンスです。例えば、戸田ひさよし議員は、門真市議会に議場内へのカバン持ち込を禁止されました。これはあまりに突出していたためマスコミの注目の的になりました。

 カバン持ち込み禁止」と同様に「議会中継中止」も突出しています。突出してバカバカしいです。桐生市議会の「情報隠蔽体質」を端的に表す素晴らしい行為です。そこまで突出してバカバカしいと、マスコミも注目します。桐生市民も議会の異常さに気がつき易いはずです。

 ピンチこそチャンス。相手がやりすぎたところ、突出したところを叩くのです。ですから、にわやま由紀議員はチャンスだらけとも言えます。(苦笑) 続きはまた。



 「ピンチこそチャンス」である。「議会中継中止」は端的に桐生市議会の「情報隠蔽体質」を表している。この事実をどんどん広めてあげよう。マスコミにも広めてあげよう。
 「政務調査費不正流用」の問題も同じである。佐藤光好議員は「アンプ」をどんな調査に使ったのか。不思議である。この事実もどんどん広めてあげよう。
 「セクハラ」の問題も同じである。どんどん広めてあげよう。また、「セクハラ」は労働環境の問題でもある。そちらから攻める手もある。
 次の事実を確認いただきたい。
 
   ● ブログの活用で阿久根市議会の「お掃除」が進む
   
 「政務調査費で温泉バスツアーに行った築地新公女議員」は落選したのである。やはり、有権者は見ているのである。
 事実をどんどん有権者に伝えよう。
 それが桐生市議会を「こらしめ」ることになる。

                    諸野脇@ネット哲学者

2015年01月11日

コミットメットが世界を変える ――烏賀陽弘道氏のフクシマ取材に寄付してダイエットしませんか

■ 原稿が書けない

 本の原稿を書いている。
 3カ月で出来るはずだった。
 しかし、もう3年が経ってしまった。
 何かがいけないのだ。
 私は、雑誌原稿等を落としたことはない。締め切りは守る人間だ。
 それなのに、なぜ、本の原稿は完成しないのか。
 答えは簡単だ。締め切りが無いからだ。締め切りが無いといつまでも、原稿を直し続けてしまうのだ。


■ コミットメントを活用しよう

 答えが分かれば、対策も簡単だ。締め切りを作ればいいのだ。
 締め切りを作って、コミットメットすればいいのだ。
 例えば、次のように。
 

 2015年3月31日までに本の原稿を完成させる。
 完成できなかった場合は、罰として在特会に1万円寄付をする。
 
 これならば、絶対に原稿は完成するだろう。
 在特会に寄付するのは、人間として最低の行為だ。在特会のホームページのトップページに名前を挙げて感謝してもらえれば、さらにいい。
 そんな辱めを受けるくらいならば、原稿を完成させるだろう。
 しかし、それほどの大技を繰り出さなくても、原稿は完成できるのではないか。大技はもっと凄い目標のためにとっておこう。
 もう少し楽しいコミットメントはないか。
 目標が達成できたら、ご褒美がもらえるようにコミットメントを設計すればいい。
 
 2015年3月31日までに本の原稿を完成させる。
 完成できた場合は、ご褒美として烏賀陽弘道氏に1万円寄付できる。
 
 これならば楽しい。
 烏賀陽弘道氏のフクシマ取材記事は貴重な情報である。

   ● 烏賀陽弘道氏のフクシマ取材記事(JBpress)

 そのフクシマ取材を応援するために寄付が出来るのである。
 これをネット上で公言しておけば、コミットメントとして機能する。つまり、達成できなかった場合は、恥をかくことになる。締め切りを守る人間という私の評判ががた落ちになる。それが原稿を完成させるインセンティブになる。


■ ダイエットに活用も可能

 この「楽しい企画」には、多くの人が参加することが出来る。
 例えば、相乗りである。
 

 諸野脇さんが原稿を完成できたら、私も5千円寄付する。

 相乗りして、私に圧力をかけるのである。これは怖い。完成できなかったら、「諸野脇さんのせいで寄付できなかった」と責められるのである。
 また、自分の目標をコミットメットすることも出来る。例えば、ダイエットをコミットメントすることも出来る。
 
 2015年3月31日までに10キロやせる。
 やせることが出来た場合は、ご褒美として烏賀陽弘道氏に1万円寄付できる。
 
 10キロやせたら、烏賀陽弘道氏に寄付できるのだ。
 目標を達成したら、自分がご褒美がもらえるという形でコミットメントを設計するのである。ご褒美は各自が設定すればよい。「奈良に行ける」でもよいし、「アナログシンセを買える」でもよい。これならば意欲がわく。


■ 達成しやすい小さい目標に

 目標は、本の原稿の完成だ。
 しかし、それでは目標が大きすぎる。遠すぎる。途中で力尽きる可能性がある。
 小さい目標を作った方がよい。目標達成への過程をスモールステップで構成するのである。
 

 毎週ブログに文章をアップする。
 それを十回おこなう。
 アップする度に、千円を烏賀陽弘道氏に寄付できる。

 
 これならば、達成は容易である。小さい目標を達成することで、結果的に大きな目標を達成できる。


■ ジャッジをどうするか

 目標にコミットメントをしたら、目標を達成したかどうかを判定する必要がある。
 この点で、ブログへの文章アップという目標には強みがある。誰でもブログを見ることが出来る。誰でも私が目標を達成したかどうかを判定できる。特定のジャッジは必要ないだろう。
 しかし、ぜひジャッジをしたいという方がいれば言って欲しい。それはそれで楽しい。
 ダイエット・禁煙を目標にした場合は、これと対照的である。ネット上では目標を達成したかどうか分からない。このような場合、ジャッジが必要かもしれない。しかし、自分をジャッジにしても問題が起こらない場合が多いことが知られている。嘘をつけない人が多いのだ。自分は、自分が目標を達成したかを知っている。


■ それでは、始めましょう

 幸い烏賀陽弘道氏にはPayPalで簡単に送金できる。

   ● 「投げ銭のやり方」です

 それでは、私は、私のコミットメットを実行する。

 毎週ブログに文章をアップする。(日曜が締め切り)

 それを十回おこなう。
 アップする度に、千円を烏賀陽弘道氏に寄付できる。

 私はブログ十回連載をコミットメントした。
 みなさんも、烏賀陽弘道氏のフクシマ取材に寄付をコミットメントしてダイエットしてみませんか。(もちろん、寄付先は自分の興味に合わせて選べばよい)

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