【いじめ論10】間違った〈いじめ認識〉が間違った〈いじめ対策〉を導く
何か問題が起こった時に、「心・意識」に「原因」を求めるのは簡単なことである。それは、飲み屋の野球談義に似ている。飲み屋で、贔屓のチームが負けた理由を「気合いが足りなかった」「向かっていく気持ちが足りなかった」など話すのである。つまり、「心・意識」に問題があることにするのである。このような発言は非常に簡単に出来る。現実を詳しく検討しなくても、いくらでも出来る。
これは野球ファンのストレス発散なのである。「心・意識」に「原因」を求めて、ファンがストレス発散をするのはあまり害は無い。
しかし、そのようなことをいくら言っても、チームが負けた理由ははっきりしない。そして、チームを強くする方法も分からない。
だから、チームの監督やコーチが飲み屋レベルの野球談義をしていたら大きな問題である。監督やコーチが「気合いが足りなかった」「向かっていく気持ちが足りなかった」などと言っていたら大きな問題である。
同様に文部科学省が飲み屋談義レベルであるのは大きな問題である。「『いじめは人間として絶対に許されない』という認識を徹底できなかった」などと言っているのは大きな問題である。それでは、〈いじめの事実〉が明らかにならない。いじめを解決する方法も分からない。
そして、文部科学省は飲み屋の談義レベルの認識に基づき、対策を立ててしまう。
教育再生実行会議は「いじめの問題等への対応について」で言う。
1.心と体の調和の取れた人間の育成に社会全体で取り組む。道徳を新たな枠組みによって教科化し、人間性に深く迫る教育を行う。 いじめの問題が深刻な事態にある今こそ、制度の改革だけでなく、本質的な問題解決に向かって歩み出さなければなりません。 (「いじめの問題等への対応について(第一次提言)抜粋」平成25年2月26日 教育再生実行会議)
「いじめの問題等への対応」のために「道徳」を「教科化」せよ、と首相直属の諮問機関である教育再生実行会議が提言したのである。
この提言を受け、現実に「道徳」が「教科化」されようとしている。
つまり、「心・意識」がいじめの「原因」であるという認識が、間違った対策を導いたのである。文部科学省は飲み屋の談義レベルの認識に基づき、アホらしい対策を立てしまったのである。
教育再生実行会議は先の提言において言う。
○ 子どもが命の尊さを知り、自己肯定感を高め、他者への理解や思いやり、規範意識、自主性や責任感などの人間性・社会性を育むよう、国は、道徳教育を充実する。
これは、飲み屋で「気合いが足りなかった」「向かっていく気持ちが足りなかった」などと言うのと同じレベルである。
このように文部科学省や首相直属の諮問機関の認識が飲み屋の野球談義レベルであるのは大きな問題である。それでは、〈いじめの事実〉が明らかにならず、有効な対策が立てられないからである。
間違った〈いじめ認識〉を基にしていては、有効な〈いじめ対策〉を作ることは出来ない。有効な対策のためには、正しいいじめ認識が必要である。
次回以降の論述で〈いじめの事実〉を明らかにする。〈いじめの過程〉をい明らかにする。〈いじめの発生メカニズム〉を明らかにする。
つまり、私がおこないたいのは、〈いじめ認識〉のパラダイム転換である。いじめを捉える枠組み自体を変えることである。いじめを「心・道徳意識」の問題と捉える枠組みに代わる新しい枠組みを提供することである。