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2015年10月 アーカイブ

2015年10月02日

【いじめ論24】いじめの解決が難しい理由

 社会的ジレンマは、周りの人間の行動を環境として発生した状態である。お互いに影響を与え合った結果がその状態なのである。
 だから、非協力状態に陥ってしまった場合は、それを変えるのは難しい。いじめが横行する状態に陥った場合は、それを解決するのは難しい。
 もう一度、図3を見ていただきたい。
 
rinkai3.gif
 
 非協力状態は次のように発生する。

 悪循環  45%協力 → 35%協力 → 22%協力 → 7%協力

 周りの人間が45%しか協力していないのを見て10%が非協力に転ずる。それを見て11%が非協力に転ずる。そのような形で最終的には7%しか協力しない状態で安定する。これが社会的ジレンマ状態である。7%しか協力していない状態である。
 この社会的ジレンマ状態を変えるためにはどうすればいいのか。非協力状態から協力状態に変えたいのである。しかし、現状は7%で安定してしまっている。たとえ35%に協力者を増やしても、7%に戻ってしまう。
 図3から分かる結論は次の通りである。社会的ジレンマを解決するためには、協力者を一気に増やすしかない。7%しか協力していない状態から、協力者をA点(52%)以上に増やすのである。過半数を超える人間を協力者にしなくてはならない。
 もし、協力者を7%から65%に増やすことができれば、次のような好循環が起こる。

 好循環  65%協力 → 79%協力 → 91%協力

 周りの人間の65%が協力しているのを見て14%が協力に加わる。それを見て12%が協力に加わる。そのような形で最終的には91%が協力する状態に改善される。
 しかし、どのように協力者を7%から65%にするのか。7%に陥ってしまっている社会的ジレンマ状態をどのように変えるのか。非常に難しい。
 だから、解決には「爆発」が必要である。「大きな力」が必要である。
 既に、いくつかの「爆発」の例を挙げた。
 例えば、クールビズ問題である。夏に上着を着てネクタイを締めると苦しい。しかし、周りの人間がそうしているため自分もそうせざるを得なかった。この社会的ジレンマはどのように解決されたのか。
 東日本大震災で福島第一原発が爆発した。また、火力発電所が止まった。そのため、深刻な電力不足が起きた。停電になり、電気が止まった。冷房が止まった。
 その状況下では、上着を着てネクタイを締めていることは困難である。それでは、あまりにも暑い。だから、周りの人間がクールビズに協力するという「予測」が生じる。好循環が起きる。

 好循環 7%協力 ⇒ 65%協力 → 79%協力 → 91%協力

 爆発によって、協力者が7%から65%に増える。それを見て、協力者がさらに増える。そして、最終的には91%が協力する。大多数が、上着を脱ぎネクタイを外す。
 爆発によって、クールビズ問題が解決された。会社員が夏に適した服装をするようになった。社会的ジレンマが解決されたのである。逆に言えば、爆発が起きなければ社会的ジレンマは解決されなかっただろう。
 いじめを解決した事例も挙げた。向山洋一氏がいじめ行動を追及した事例である。

 ○○君、どうしたのですか。そうですか。言わないのですか。では、言うまで聞きましょう。
 ××君。あなたはさっき○○君をひやかしていました。あれは何のことですか。

 http://shonowaki.com/2015/09/22_1.html


 いじめをした当人だけでなく、傍観者(扇動者)も追及された。追及され苦しい思いをすることになった。
 この追及が「爆発」として機能した。「大きな力」として働いた。その結果、好循環が生じ、いじめが解決された。社会的ジレンマが解決された。
 つまり、社会的ジレンマを解決するために必要なのは「爆発」のような「大きな力」である。それによって協力者を一気に増やすことである。7%から半数以上に協力者を増やすことである。例えば、65%に協力者を増やすことである。
 まとめよう。

 社会的ジレンマ解決のために必要な変化 7%協力 ⇒ 65%協力

 こうまとめてみると、社会的ジレンマを解決する難しさが分かる。いじめを解決する難しさが分かる。
 7%協力を65%協力に変えなければならないのである。ほとんどの人間が協力していない状態を半数以上の人間が協力する状態に変えなくてはならないのである。
 そのような変化を生じさせるには「爆発」が必要である。「大きな力」が必要である。
 だから、「いじめは人間として絶対に許されないことだ」と説諭しても効果が無いのだ。言い聞かせても、いじめは解決しないのだ。そのような普通の方法では7%協力を65%協力に変えることが出来ない。
 いじめを解決するのは大変難しいことなのである。社会的ジレンマを解決するのは大変難しいことなのである。
 いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルを使って、いじめの解決が難しい理由を説明した。解決のためには「7%協力 ⇒ 65%協力」の変化が必要なのである。そのような大きな変化を起こすのは大変難しい。

2015年10月09日

【いじめ論25】いじめの予防を理論モデルで説明する

 前回、いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルを使って、いじめの解決が難しい理由を説明した。いじめの解決のためには「7%協力 ⇒ 65%協力」のような大きな変化が必要なのである。これは非常に大きな変化である。いわば学級で「革命」が起きたようなものである。
 いじめを解決するためには、7%しか協力していない状態を過半数が協力する状態に変える必要がある。しかし、そのような大きな変化を起こすのは大変難しい。それは「革命」を起こすようなものなのである。
 社会的ジレンマを解決するのは難しい。いじめを解決するのは難しい。「革命」は簡単には起こせない。
 だから、いじめの解決は難しい。それならば、最初からいじめを発生させなければよい。社会的ジレンマを発生させなければよい。
 つまり、いじめを予防すればよいのである。それでは、いじめの予防とはどのような状態なのか。前回と同じように、いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルを使って説明しよう。
 再度、図3を示す。

rinkai3.gif

 A点に注目いただきたい。
 A点より協力者が多ければ、協力状態に到る。A点より協力者が少なければ、非協力状態に到る。A点が、坂を登るか、坂を下るかの分岐点である。
 協力者がA点以下の場合は非協力状態に陥る。例えば、45%しか協力していない場合は次のような悪循環に陥る。

 悪循環  45%協力 → 35%協力 → 22%協力 → 7%協力

 45%しか協力していないのを見て10%が非協力に転ずる。それを見て11%が非協力に転ずる。最終的には7%しか協力しない状態になる。これが非協力状態である。7%しか協力せず、いじめが多発する状態である。
 それでは、協力者がA点以上の場合はどうなるか。協力状態になる。例えば、65%が協力している場合は次のような好循環が発生する。

 好循環  65%協力 → 79%協力 → 91%協力

 65%が協力しているのを見て14%が協力に加わる。それを見て12%が協力に加わる。最終的には91%が協力する状態になる。これが協力状態である。91%が協力し、いじめが無い状態である。
 A点が分岐点として、好循環になるか、悪循環になるかが分かれる。いじめが無い状態になるか、いじめが多発する状態になるかが分かれる。(注1)
 だとすれば、A点以上に協力者の数を維持すればよいのである。A点以上に協力者の数を維持することが、いじめの予防である。(注2)

 いじめの予防 = A点以上に協力者の数を維持すること

 A点以上に協力者の数を維持すれば、悪循環が起きない。非協力状態に陥らない。いじめ状態に陥らない。つまり、A点以上に協力者の数を維持することがいじめの予防である。
 A点以上に協力者の数を維持して、悪循環を起こさないようにするのである。
 くだけた言い方をすれば、いじめを予防するとは、いじめを起こさないことである。いじめを傍観する者(非協力者)を一定数以上に増やさないことである。逆に言えば、いじめを容認しない者(協力者)を一定数以上に維持することである。A点以上に維持することである。
 図3から分かるのはA点以上に協力者を維持すればよいという事実である。
 周りの人間の行動を見て、自分の行動を決める状況がある。周りの人間の行動が環境になるのである。「いじめの原因はいじめ」なのである。
 そのような状況下においては、いじめを傍観する人間を増やさないことが予防である。協力者を増やすことがいじめの予防である。いじめ行動を起こさせないことがいじめの予防である。
 以上、いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルを使って、いじめの予防を説明した。
 それでは、具体的にどのようにいじめを予防するのか。どのように協力者を増やすのか。A点以上に協力者数を維持するのか。それは次回以降に論ずる。


(注1)

 これは、あくまで理論モデルである。大筋の説明である。
 もちろん、現実はもっと複雑である。
 今後詳しく論ずる。

(注2)

 先の論文で小川幸男氏は言う。

 多くの生徒が協力するようになる相互協力状態になるか、多くの生徒が協力しない相互非協力状態になるかの境目はこの場合、A点だということになる。
 つまり、相互非協力状態に陥らないようにするためには、ある臨界点A以上にみんなが協力している状態をつくることなのである。逆に言えば、臨界点A以下に協力状態を下げないことが必要である。

 「相互非協力状態に陥らないようにするため」には、「A点以上」の協力が必要だという原理を述べていた。

2015年10月16日

【いじめ論26】いじめ観のパラダイム転換

 注目していただきたい事実がある。それは「いじめの〈発生のメカニズム〉」を説明するために心的な用語を全く使っていない事実である。「いじめの解決が難しい理由」「いじめの予防」を論ずるために心的な用語を全く使っていない事実である。「心」「道徳意識」などの用語を全く使っていない事実である。
 この連載の最初で、私は次のように述べた。

 いじめについて広く信じられている考えがある。それは「悪い心がいじめを引き起こす」という考えである。「悪い道徳的意識がいじめを引き起こす」という考えである。
 この考えはあまりにも一般的すぎて、教育界で疑われることはなかった。その考えを信じている者も、特定の考えを「信じている」と自覚すらしていないだろう。

 ……〔略〕……

 この考えは、広く信じられている。いじめは心・道徳意識の問題であるという考えは、多くの人が信じ、疑いすらしない考えなのである。
 しかし、この一般的な考えは、正しいのだろうか。いや、正しくない。

 ……〔略〕……

 いじめが、心・道徳意識の問題であるという考えは間違っているのだ。それは部分的な間違いではない。根本的な間違いである。
 だから、「悪い心がいじめを引き起こす」・「悪い道徳的意識がいじめを引き起こす」という考えは、全く別の考えに変えなくてはならない。

 ここまでの論述で「全く別の考え」を示した。
 それは〈いじめは社会的ジレンマである〉という考えである。
 いじめを止めるのは危険である。それは、自分がいじめのターゲットになるかもしれないからである。だから、個人としてはいじめを傍観する方が得である。しかし、全員が傍観していじめが横行する学級になっては全員が損をする。
 一人ひとりが個人として得な「選択」した結果、全体としては全員が損をする状態になってしまう。これが社会的ジレンマである。
 いじめを社会的ジレンマと捉え、詳しく説明した。いじめを社会的ジレンマの〈発生メカニズム〉の理論モデルで説明した。いわゆる「臨界質量」の理論モデルで説明した。
 概略をもう一度述べよう。
 協力者の数が臨界点(図3のA点)以下の場合は、次のような悪循環に陥る。

 悪循環  45%協力 → 35%協力 → 22%協力 → 7%協力

 45%しか協力していないのを見て10%が非協力に転ずる。それを見て11%が非協力に転ずる。最終的には7%しか協力しない状態になる。
 いじめとはこのような状態である。7%しか協力していない状態である。
 この状態を変えるのは難しい。なぜか。それはお互い影響を与え合って陥った状態だからである。
 もし、協力者を35%に増やしたとしても、また同じ原理で7%に戻ってしまう。7%は安定した状態なのである。
 だから、いじめ状態の解決は難しい。いじめの解決のためには臨界点を超える協力者が必要になる。7%の協力者を過半数以上に増やさなくてはならない。
 そのようにいじめの解決は難しいのだから、予防が重要になる。予防とは臨界点以上に協力者を維持することである。逆に言えば、非協力者(いじめを傍観する者)を一定数以上に増やさないことである。協力者を一定数以上に増やすことである。図3のA点以上に増やすことである。
 ある一定数以上に協力者を維持することが大切である。いじめ状態に陥ることを予防するためには、傍観者を増やさないことが大切である。いじめ行動を起こさせないことが大切である。
 私は、既に次のようなスローガンを掲げていた。

 いじめの原因は心ではない。
 いじめの原因はいじめである。

 より正確言えば、いじめ状態の「原因」はいじめ行動の発生である。いじめは周りの人間の行動を環境として生じる状態である。いじめは社会的ジレンマである。
 そう考えるから、いじめ予防のイメージがわく。いじめ対策のイメージがわく。それは、過半数以上に協力者を増やすというイメージである。A点以下にしてはまずいというイメージである。
 そのようなイメージは、いじめを「心」「道徳意識」の問題と考えていては出てこない。
 先の引用に続いて私は次のように述べていた。

 間違ったいじめ観を基にしていては、有効ないじめ対策を作ることは出来ない。間違ったいじめ観は、歪んだ基礎のようなものである。歪んでいるので、その上に建物を建てることは出来ない。建てようとすると倒れてしまう。
 有効な対策のためには、正しいいじめ観が必要である。
 つまり、いじめ観のパラダイム転換が必要なのである。
 以下の論述で私がおこないたいのは、そのようなパラダイム変換である。いじめを捉える枠組み自体を変えることである。いじめを心・道徳意識の問題と捉える枠組みに代わる新しい枠組みを提供することである。

 ここまでの論述で、「いじめ観のパラダイム転換」をおこなった。「間違ったいじめ観」を正した。「新しい枠組みを提供」した。
 それによって、「いじめ対策を作る」ことが出来るようになった。「建物を建てる」ことが出来るようになった。
 どのように「建物を建てる」のか。
 今後、詳しく論じていく。

2015年10月23日

【いじめ論27】〈情報の非対称性〉によって、いじめが発生する

 いじめは社会的ジレンマである。しかし、いじめは一般的な社会的ジレンマではない。いじめには特殊な傾向がある。どのような特殊性があるのか。まず、それをはっきりさせよう。
 そのために、いじめとクールビズ問題とを比べる。クールビズ問題は一般的な社会的ジレンマである。一般的な社会的ジレンマと比較すると、いじめの特殊性が分かりやすくなる。
 クールビズ問題においては協力・非協力が一目で分かる。その人がネクタイを締めていれば、クールビズに非協力である。締めていなければ協力である。ネクタイを締めているか、いないかは一目で分かる。それによって、クールビズに非協力か、協力かが一目で分かる。つまり、協力者の割合は一目で分かる。
 それに対して、いじめにおいては協力・非協力が一目で分からない。いじめをしている者がいたとする。もちろん、いじめをしている者はいじめに賛成の立場である。しかし、その他の大多数はどうなのか。多くの場合、大多数の者は何もしないであろう。この大多数の者はいじめに賛成の立場なのか。そうとは限らない。いじめに批判的である場合も多い。「いじめは悪い」と思っている場合も多い。しかし、それは他の者には分からない。いじめに対する賛否が一目では分からないのである。つまり、いじめにおいては協力者の割合が一目で分からない。いじめに対して批判的な者の割合は一目で分からない。
 誰かがいじめをしている行動は見える。しかし、いじめに批判的な内面の「思い」は見えない。いじめを扇動する声は聞こえる。しかし、いじめに批判的な内面の「声」は聞こえない。
 つまり、いじめ状況においては、いじめを容認する側の情報だけが伝わるのである。いじめに批判的な側の情報は伝わらないのである。「いじめは悪い」と思っている側の情報は伝わらないのである。
 まとめよう。


 クールビズ問題 → 協力者、非協力者の両方の情報が伝わる
 いじめ       → 非協力者の情報だけが伝わる


 クールビズ問題においては、クールビズに協力している側の情報も、協力していない側の情報も両方伝わる。しかし、いじめにおいては、協力していない側の情報だけが伝わる。
 いじめには、このような〈情報の非対称性〉がある。いじめを容認する側(非協力者)の情報しか伝わらないのである。「いじめは悪い」と思っている側(協力者)の情報は伝わらないのである。(注1)(注2)
 この〈情報の非対称性〉がいじめの特殊性である。いじめは特殊な社会的ジレンマなのである。
 いじめには〈情報の非対称性〉がある。この事実から、次の重要な原理を導き出すことが出来る。

 大多数の子供が「いじめは悪い」と思っている状況下でも、いじめは発生しうる。

 子供は不完全な情報を基に行動を「選択」している。いじめを容認する側の情報だけを基に行動を「選択」している。非協力者の情報だけを基に行動を「選択」している。
 いじめ行動だけが見える。いじめを容認する行動だけが見える。しかし、「いじめは悪い」と思っている内面は見えない。つまり、本当は「いじめは悪い」と思っている方が多数派であっても、それは分からない。傍観者が「いじめは悪い」と思っていても、それは見えない。
 このような状況下では、いじめを容認する側の割合が過大に見積もられる。現実において見えているのは、いじめ行動がおこなわれ、それを咎める者がいない状況である。その状況では、子供はいじめが容認されていると判断するだろう。何もしない傍観者は、いじめを容認する側にカウントされるだろう。
 このような不完全な情報を基に行動を「選択」すれば、偏りが出る。いじめを容認する側の情報を基に行動を「選択」すれば、いじめを容認する「選択」をすることになる。非協力を「選択」することになる。
 だから、集団内の大多数の子供が「いじめは悪い」と思っていても、いじめは発生しうる。「いじめは悪い」と思っている多数派の「思い」は見えず、いじめ行動だけが見えるのだから。
 このような構造によって、いじめが発生する。それは情報が不完全だからである。一方の情報だけが入るからである。その情報を基に行動を「選択」しているからである。
 〈情報の非対称性〉によって、いじめが発生するのである。


(注1)

 もちろん、いじめを止めようとする者がいれば、それは見える。協力者の情報は伝わる。
 しかし、そのような行動をしない状態では、「いじめは悪い」と思っている事実は伝わらない。協力者の情報は伝わらない。


(注2)

 先の論文で小川幸男氏は次のように述べている。

 「暴力」や「いじめ」をしないという行為が意識されずに、「暴力」や「いじめ」をするという行為のみ意識されるため、少数の非協力者が「暴力」や「いじめ」の行為をしただけで、実際よりも多くの者が「暴力」や「いじめ」の行為を感じとってしまう。そのことが、非協力状態が広がりやすくなる原因となっている。

 小川幸男氏は、これを「一面性のできごと」という用語で説明している。


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