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2015年09月 アーカイブ

2015年09月04日

【いじめ論20】「いじめは許されない」といくら説諭しても解決できないのは社会的ジレンマだから

 夏にネクタイをすると、暑く苦しい。しかし、苦しい格好を多くの会社員がしていた。それは大多数の会社員がネクタイをしていたからである。所属集団の大多数がネクタイをしていたからである。
 政府は省エネルックを提唱した。「涼しい格好をして省エネしましょう」という趣旨の呼びかけをした。これは個人の「心・意識」に働きかけようとしたのである。「心・意識」を変えようとしたのである。
 しかし、それは効果がなかった。政府の呼びかけに国会議員すら従わなかった。
 なぜか。ネクタイを外したくても外すことは出来なかったのである。そのような状況があったのである。
 集団の大多数がネクタイをしているという状況がある。服装は相手に対する敬意の表現でもある。自分だけ外せば、相手が敬意を表しているのに自分は表さないことになる。この状況は一人では変えられない。相手がネクタイを外さないと、こちらも外すことが出来ないのだ。
 大多数がネクタイをしている状況下では、ネクタイをするのが得な「選択」になる。相手の服装にこちらも合わせなくてはならなくなる。自分だけが相手に敬意を表さないのはまずいからだ。
 クールビズ問題は「心・意識」の問題ではなく集団の問題だった。社会的ジレンマであった。一人ひとりが自分が得な「選択」をした結果であった。だから、政府が「涼しい格好をして省エネしましょう」と呼びかけても効果が無かったのである。
 いじめも同様である。
 集団の大多数がいじめを傍観する状況下では、個人としてはいじめを傍観するのが得な「選択」になる。いじめを「容認」するのが得な「選択」になる。
 教師が「いじめは人間として絶対に許されない行為だ」などと説諭する。個人の「心・意識」に働きかけようとする。「心・意識」を変えようとする。
 しかし、それではいじめはほとんど解決しない。それは、いじめが「心・意識」の問題ではなく集団の問題だからだ。社会的ジレンマだからだ。一人ひとりが自分が得な「選択」をした結果だからだ。
 いじめが横行してはクラスの雰囲気が悪くなる。びくびくしながら生活せざるを得なくなる。勉強が出来る落ち着いた環境ではなくなる。
 ネクタイで自分の首を絞める。いじめを傍観して自分の首を絞める。自分で自分の首を絞めているのである。
 社会的ジレンマは「自分で自分の首を絞める」状況なのである。
 「首を絞める」のは苦しい。しかし、大多数の人間が「絞め」ている状況では、自分だけが「絞め」るのをやめる訳にはいかない。
 これが社会的ジレンマの構造である。
 だから、解決が難しいのである。
 

2015年09月11日

【いじめ論21】社会的ジレンマを解決するには「爆発」が必要

 社会的ジレンマは解決が難しい。それは、一人ひとりが自分が得な「選択」をした結果だからである。
 クールビズ問題も社会的ジレンマであった。夏にネクタイをするのは、個人にとっては得な「選択」であった。無難な「選択」であった。その結果、社会全体としては大きな損失が発生していた。
 しかし、最近、クールビズ問題は大筋で解決された。現在、夏には、多くの会社員がネクタイを外し、上衣を脱いでいる。夏の暑さに適した服装をしている。
 なぜ、クールビズ問題は解決されたのか。それは東日本大震災で福島第一原発が「爆発」したからである。また、火力発電所が止まったからである。それによって、夏の電力不足が深刻化したからである。
 電力不足が深刻化し、オフィスの冷房の温度が上げられた。あらゆる場所で節電がおこなわれた。
 現実に電気が足りないのだから、節電は必須である。だから、冷房をやめたり、弱めたりする必要がある。その状況下ではネクタイを外す必要がある。ネクタイをしていては節電が徹底できないのである。
 だから、節電のためにみんながネクタイを外すと想定できる。みんながネクタイを外すと信じることが出来る。政府でさえ作ることが出来なかった集団の成員への信頼感が「爆発」によって作られたのである。
 クールビズ問題は社会的ジレンマである。一人だけネクタイを外すことは難しい。全員がネクタイをしている中で、一人だけ外すと「失礼な奴」と思われるのである。しかし、全員がネクタイを外すならば、ネクタイを外すことが出来る。全員がネクタイを外しているならば、ネクタイを外しても失礼にならない。全員が一斉にネクタイを外すならば、何の問題もない。だから、ネクタイを外すことが出来る。
 重要なのは、「みんながネクタイを外す」という「予測」が「爆発」によって生じたことである。実際にみんながネクタイを外している状況が生じたことである。みんなが外すなら、自分も外せるのである。
 社会的ジレンマを解消するためには「爆発」が必要だった。「爆発」によって、「みんながネクタイを外す」という「予測」が生じた。全員が行動を変える状況が生じた。
 一度できてしまった社会的ジレンマを解決するためには「大変な力」が必要である。全員の行動を一斉に変える「大きな力」である。
 それは、クールビズ問題の場合は福島第一原発の「爆発」であった。深刻な電力不足であった。
 いじめの場合はどのような事態が「爆発」なのか。どのような事態によって、「みんながいじめをやめる」と子供が「予測」するようになるのか。〈全員がいじめ行動をやめる〉状況が生じるのか。


2015年09月18日

【いじめ論22】いじめを解決する「爆発」とは何か

 教師が「いじめは人間として絶対に許されない行為だ」などと言う。道徳の授業で語る。しかし、それに子供は従わないだろう。
 それは、クールビズを提唱した政府に会社員が従わなかったのと同じである。会社員は自分だけネクタイを外す訳にはいかなかった。政府の呼びかけに集団の成員全員が従うならばネクタイを外すことが出来る。しかし、政府の呼びかけにそのようなものすごい影響力があるとは思えない。それならば、ネクタイは外さない方が安全である。
 同様に、教師が「いじめは人間として絶対に許されない行為だ」などと言っても、子供はその言葉に従わないだろう。子供も自分だけいじめをやめる訳にはいかない。いじめを容認するのをやめる訳にはいかない。
 教師の言葉でみんながいじめをやめるか。それが問題なのだ。みんながやめるならば、やめられる。しかし、みんながいじめをやめない状態で、自分だけやめるのは危険である。
 いじめは社会的ジレンマである。みんながいじめをやめるならば、自分もやめられる。みんながいじめをやめないなら、自分もやめられない。
 いじめを解決するためには他者の行動の「予測」が変わることが必要である。「いじめを全員がやめる」という予測を子供が持つことが必要である。
 政府が呼びかけても解決しなかったクールビズ問題は「爆発」によって解決した。福島第一原発が爆発し、電力不足が深刻化したことによって解決した。
 「爆発」が他者の行動の「予測」を変えた。「爆発」による深刻な電力不足によって、「みんながネクタイを外す」という「予測」が生じた。みんなが外すなら、自分も外せるのである。
 それでは、いじめの場合の「爆発」とはどのような事態か。
 「爆発」の例を挙げよう。
 向山洋一氏の実践である。

 クラスで席がえをします。すると、ある女の子のとなりになった男の子を、まわりの子がはやしたてます。本人も、いやがります。
 これは、クラスの男の子の間で、暗黙のうちに、時には公然と差別をされてきた女の子がいたということです。
 これに近いことは、けっこう生じます。
 注意深く見ていると見つかるものです。これをほうっておくと、その子から給食を受けとらないという事態にまで発展します。
 このようなことは、小さなうちに教師がとりあげ、とりあえず毅然と対処することが必要となります。
 これは、闘いです。闘いですから勝たなくてはなりません。
 まずは、現象をとりあげます。

 ○○君。となりの人と机を離してはいけません。つけなさい。

 子供は、しぶしぶつけます。
 ここから、「闘い」は始まります。

  ……〔略〕……

 ○○君、どうして机を離したのですか。理由を聞かせて下さい。

 毅然と言います。
 こんなことを許してはならないという教師の気迫こそ大切です。
 まわりの子はシーンとしてます。
 しぶしぶ机をつけた男の子は、何も言いません。黙って下を向いています。(多くの場合、このようになります)

 ○○君、どうしたのですか。理由を聞かせて下さい。

 教師は、更に追いうちをかけます。
 教室はシーンとなっています。

   ……〔略〕……

 男の子は黙っています。
 絶対、中途にしてはいけないのです。

 ○○君、どうしたのですか。そうですか。言わないのですか。では、言うまで聞きましょう。

 このように言います。

   ……〔略〕……

 ここらあたりで、多くの子は、べそをかきます。
 べそをかいたら、一応はしおどきです。

 ○○君。自分から、いけないことをしたと思っているのですね。
 (○○君はうなずきます)
 先生は、こんなことが大嫌いなのです。二度と言わないで下さい。

 こうやって、○○君から離れます。教室は少し、ほっとします。
 が、二の矢がとびます。
 さっき、野次をとばしていた△△君や××君をそのままにしてはおけません。
 でも、この段階で、はやした全員をとりあげるのは考えものです。
 中心になった、一人か二人をとりあげます。

 △△君、立ちなさい。あなたはさっき○○君をひやかしてました。あれは何のことですか?

 前よりもっと教室は緊張します。△△君は黙っています。
 もう一人くらい立たせます。

 ××君。あなたはさっき○○君をひやかしていました。あれは何のことですか。

 時には、とてもいいことを言う子も出ます。
 「ごめんなさい。ぼくは悪いことをしました。もうしません」

   ……〔略〕……

 こういう子が一人出れば、他の子も次に続きます。
 でも、多くは立ったままでしょう。
 そんな時、教師は聞いてやります。

 △△君、あなたは良いことをしたのですか。

 ふつうの子なら、がぶりをふります。

 △△君、悪いことをしたのですね。

 △△君は、頭をこくりとします。
 そうしたら「もう二度としないで下さい」と言ってすわらせます。××君も同じにします。ここまでやって、更につけ加えます。

 ○○君のことを、はやした人全員立ちなさい。

 こんな時、みんな立つものです。

   ……〔略〕……

 立った子は、短くしかります。
 「正しいことをしたと思う人は手をあげてごらんなさい」
 誰も手はあげません。
 「先生は、こういうことが大嫌いです。今度やったら許さないですよ」
 こう言ってすわらせます。(注)
 (向山洋一『いじめの構造を破壊せよ』明治図書、1991年、29~38ページ)

 教師はいじめを厳しく追及した。これは「爆発」である。
 このような教師がいる学級でいじめをするのは「自殺行為」である。いじめをすれば、厳しく追及をされる。この状況下では、いじめをするのは著しく困難である。そのような困難を乗り越えて、いじめをする子供はほとんどいないだろう。
 だから、子供は「みんながいじめをやめる」という「予測」を持つ。みんながいじめをやめるなら、いじめをやめることが出来る。教師の追及が「爆発」として機能したのだ。
 この事例と対照的な事例を先に挙げた。
 同様のいじめに対して、教師が説諭した事例である。

 「君たち。君たちは、人を差別したり、いじめたりすることは、とっても悪いことだって知ってるネ」
 「……」
 「君たち、自分が、リカと同じようにされたらどんな気がする? 嬉しい? 学校へくるのが楽しくなる?……〔略〕……」
 「……」
 「……〔略〕……こんなふうに毎日毎日、リカをいじめている。このことの方が、二年や三年のツッパッてる子よりうんと悪い、ものすごく悪い、人間として許せないくらい悪い!! って思ってる。人間には、許せる誤ちと許せない誤ちってものがあるのよ。服装違反をしてることは許せても、人間をバカにする、いじめる、差別するってことは許せない。……〔略〕……」
 http://shonowaki.com/2015/02/post_116.html

 教師が話していて、子供は黙っているだけである。教師の話を黙って聞いていれば、それで済むのだ。楽なものだ。
 これでは恐くない。「みんながいじめをやめる」という「予測」が生じない。みんながいじめをやめないなら、いじめをやめる訳にはいかない。
 社会的ジレンマを解決するためには「爆発」が必要である。「大きな力」が必要である。教師の説諭はそのような「大きな力」にはならない。
 この教師は言う。「いじめる、差別するってことは許せない」
 「許せない」ならば、直ぐに「罰」を与えるべきである。いじめた者に苦しい思いをさせるべきである。
 しかし、この教師は「許せない」と言うだけなのだ。いじめた者は「許せない」と言うのを聞くだけで済む。これでは、〈いじめをしても教師の説教を聞くだけで済む〉と教えているようなものである。〈いじめはたいしたことではない〉と教えているようなものである。〈人間として最低の行為をして説教されるだけ〉という構造が間違っているのだ。
 この事例と向山洋一氏の事例を比べて欲しい。向山洋一氏の実践では、いじめをした子供が追及される。いじめをした子供が苦しい思いをする。
 次のようにである。

 ○○君、どうしたのですか。そうですか。言わないのですか。では、言うまで聞きましょう。

 原理的に、この追及は子供が「理由」を言うまで続く。
 しかし、「理由」を言う訳にはいかないのだ。「理由」を言うとその内容をさらに追及される。隣の子供と机をつけない「理由」を正直に言ったら、怒られるに決まっている。だから、子供は黙るしかなくなる。子供は窮地に陥ったのだ。
 さらに、傍観者(扇動者)も追及される。

 △△君、立ちなさい。あなたはさっき○○君をひやかしてました。あれは何のことですか?

 「ひやかし」がいけないのならば、学級の成員の多くが追及を受ける可能性がある。だから、「前よりもっと教室は緊張」するのだ。
 重要なのは、その追及を学級の全員が見ている事実である。いじめをすると、教師に追及され窮地に陥る。さらに、傍観者(扇動者)も窮地に陥る。そして、その事実を学級の全員が見ている。
 向山洋一氏は「いじめる、差別するってことは許せない」などと言わなかった。言葉では言わなかった。
 向山洋一氏は子供を追及したのである。机をつけない「理由」を訊いたのである。「理由」を言うまで許さないという厳しい姿勢を見せたのである。つまり、行動で「いじめは許さない」姿勢を見せたのである。
 この教師の行動が「爆発」として機能した。子供に「みんながいじめをやめる」という「予測」を持たせた。みんながいじめをやめるから、いじめをやめることが出来た。「爆発」によって、いじめが解決された。
 「爆発」の一例を示した。社会的ジレンマを解決するためには「爆発」が必要である。「大きな力」が必要である。それは「いじめは許さない」と言うことではない。実際に「いじめは許さない」姿勢を見せることである。いじめが許されていない事実を見せることである。


(注)

 次のように引用した文章の表記を変えた。

  囲みを段下げにした。

 これは、私のコンピューターで書籍通りの表記が出来なかったためである。

2015年09月25日

【いじめ論23】いじめの〈発生メカニズム〉

 いじめを解決するためには「爆発」が必要であった。「大きな力」が必要であった。
 隣の子供と机を付けない子供に対して、向山洋一氏は言った。

 ○○君、どうしたのですか。そうですか。言わないのですか。では、言うまで聞きましょう。
 http://shonowaki.com/2015/09/22_1.html

 
 そして、本当に「言うまで聞き」続けるのだ。子供は「言うまで」許してもらえない。「言うまで聞き」続けるのは「爆発」である。それは、子供にとっても、教師にとっても大変なことである。
 なぜ、このような「爆発」が必要なのか。それは、いじめが社会的ジレンマだからである。一度できてしまった社会的ジレンマをなくすのは困難なのだ。だから、「爆発」が必要であった。「大きな力」が必要であった。
 「爆発」は無くて済めばその方がいい。そのためには、いじめの予防が重要である。いじめが発生していなければ「爆発」は必要はない。社会的ジレンマが発生していなければ「爆発」は必要ない。「大きな力」は必要ない。
 予防のためには〈発生メカニズム〉を知る必要がある。いじめはどのように発生するのか。社会的ジレンマはどのように発生するのか。それを知る必要がある。
 既に、いじめの〈発生メカニズム〉を考えるための重要な鍵となる事実を述べた。いじめは二極化する。いじめが多発する学級といじめが無い学級とに極端に分かれる。中間が少なくなる。正規分布にならない。
 
    〈いじめを傍観する者の数〉は二極化している
     http://shonowaki.com/2015/06/14_1.html
 
 このような二極化が起こるのは、いじめが集団的現象だからである。周りの人々の行動が〈環境〉になるからである。お互いが影響を与え合うからである。
 お互いが影響を与え合った結果、いじめが無い学級が発生する。逆に、いじめが多発する学級が発生する。そのように二極化する。
 初期状態では、いじめを傍観する者の割合が学級によって大きく違う訳ではない。それが時間が経つにつれて二極化するのである。いじめを傍観する者が多い学級と少ない学級に二極化するのである。
 大まかに、二極化する過程を説明しよう。初期状態での小さな差が大きな差になる。いじめを傍観する者が多ければ、影響を与え合い傍観する者がさらに多くなる。いじめが多くなる。いじめを傍観する者が少なければ、影響を与え合い傍観する者がさらに少なくなる。いじめが少なくなる。
 最初の小さな差が、最終的に大きな差になってしまう。極端に違う状態になってしまう。社会的ジレンマが発生してしまう。
 このような社会的ジレンマの〈発生メカニズム〉を小川幸男氏は次のように説明する。(注)


 ある活動に対して、協力する生徒と、協力しない生徒は二つに分かれる。その活動に対する自らの行動の選択肢は、協力、非協力の二つしかないからである。しかし、実際に協力しようとする傾向は、……〔略〕……連続して様々に分布する。その時点で、同じ協力をしている生徒の中にも、多くの生徒が協力しているから協力している生徒もいれば、少人数しか協力しなくても協力している生徒もいる。
 これを図式化してみる。
rinkai.gif

 図1は、横軸に「ある時点で実際に行動に『協力』している生徒の割合(%)」、縦軸に「“横軸のある時点の割合以上ならば、自分も協力する”と考える生徒の割合(%)」をとるったものである。
 また、図1のグラフの棒グラフを左から累積していくと図2のようなグラフができる。図2のグラフの縦軸は、「実際に協力している生徒が横軸の割合のとき、協力しようと思う生徒の割合」を示している。
 図3は、図2のグラフを一般化したものである。
 この図からわかることは、自然の状態では次のようになることである。

 イその時点で実際に協力をしている割合が図3のA点より多ければ、その後に点Cの多くの生徒が協力している状態まで自然に上がる。
 ロその時点で実際に協力をしている割合が図3のA点より少なければ、その後、点Bのほとんどの生徒が協力しない状態まで自然に下がる。

 例えば、図3で65%の生徒が実際に協力しているときには、協力してもよいと考えている生徒は79%いる。つまり、65%の生徒が実際に協力している状態を見せれば79%の生徒は協力をしだすわけである。さらに79%の生徒が協力すれば、91%の生徒が協力してもよいと考え協力する。というように、この場合結果として95%の生徒が協力し、協力しない生徒が5%だけ残る状態で安定する。
 逆に、45%が実際に協力しているときには、協力してもよいと考える生徒は35%である。つまり、45%の生徒が実際に協力している状態を見せると35%しか協力しなくなってしまうのである。さらに、35%の生徒しか協力していない状態を見ると、22%しか協力しなくなってしまう。最終的な結果として、7%の生徒しか協力しなくなってしまうのである。
 多くの生徒が協力するようになる相互協力状態になるか、多くの生徒が協力しない相互非協力状態になるかの境目はこの場合、A点だということになる。


 A点より協力する人数が多ければ協力状態になる。少なければ非協力状態になる。坂を上るか、坂を下るかである。
 初期状態での小さな差が大きな差になる。いじめを傍観する者が多ければ、それを見ていじめを傍観する者がさらに多くなる。そして、最終的には、いじめ状態(非協力状態)に陥る。
 いじめを傍観せず止める者が多ければ、それを見ていじめを止める者がさらに多くなる。そして、最終的には、いじめが無い状態(協力状態)になる。
 最初の小さな差が最終的に大きな差になる。極端に違う状態になる。二極化する。
 それは、周りの人間の行動が〈環境〉になるからである。周りの人間の行動によって、自分の行動を決めるからである。
 確認しよう。協力者は次のように変化した。

 好循環  65%協力 → 79%協力 → 91%協力

 65%が協力しているのを見て14%が協力に加わる。それを見て12%が協力に加わる。そして、最終的には91%が協力するよい状態が発生する。
 逆も同様の原理である。

 悪循環  45%協力 → 35%協力 → 22%協力 → 7%協力

 45%しか協力していないのを見て10%が非協力に転ずる。それを見て11%が非協力に転ずる。それを見てさらに15%が非協力に転ずる。そして、最終的には7%しか協力しない悪い状態が発生する。
 最初の小さな差によって、極端に違う二つの状態が発生した。91%が協力する状態と7%しか協力しない状態である。
 周りの人間の行動によって、自分の行動を決める。それによって、雪崩れ的な変化が生じる。極端な状態が発生する。
 これが社会的ジレンマの〈発生メカニズム〉の理論モデルである。いじめの〈発生メカニズム〉の理論モデルである。


(注)

 次の論文である。

   明石要一・小川幸男「生徒会活動を通じた学校活性化の方法」
   『千葉大学教育学部研究紀要』第45巻 、1997年

 なお、小川幸男氏は長年にわたる研究仲間である。

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